1954年以前のベトナム長期経済統計


Jean-Pascal Bassino   
Jean-Dominique Giacometti



はじめに

1858年から1945年、そして1954年以降、近代の経済、人口、社会指標などベトナムの国民統計 1)を長期にわたって系列化するのは一見簡単な作業であるように見える。現に、利用可能な資料は私的、公的ともに豊富で、既に一部のデータ収集作業は先達によって成されている。だが、こういった研究は二つの大きな障害に直面することになる。一つは、制度上の枠組みやベトナム近代の経済状況などに起因する資料の不正確さや欠落である。もう一つは、政治的なバイアスと統計フォーマットの不完全さから生じる問題である。しかしながらこれらの欠点は、系統立てた資料の検討やデータの質や量の比較などにより訂正可能であろう。

本稿では、それらの問題点とその解決策を示すことにしよう。



1.私的(民間)・公的資料の地理的分散

近代のベトナムの人口や経済発展に関しては詳細な数字が大量に、しかも比較的簡単に入手可能 2)である。資料として大きく以下の四つに分類されよう。

@ 植民側の行政機関 3)による統計
統計年次報告などの定期的なものと、暫定的な行政上の報告書などがある。後者としては例えば、1931年ヴァンサンヌで行われたフランス植民地博覧会のため、インドシナでの行政体系に関する報告書が数多く見受けられる。しかし、やはり年次報告に掲載されている統計の方が比較的信頼度が高いようである。とくに1914年以降、インドシナの統計フォーマットはフランス本国と直接比較可能である。

A 豊富かつ確実な植民地期の関連資料目録
これらが行政機関や金融業などによるものである以上、疎かにはできない。

B その他民間による資料
プランテーション、鉱山業、製造業、交通、商社、銀行業務あるいは保険業など。

C 地方行政機関の公文書
ベトナムの植民地期の経済や人口発展研究の基本的な資料となる。資料のカテゴリーの約半分はこの公文書に基づいたものであり、直接、あるいは外挿法を適用することにより、貴重な情報を得ることが出来るのである。とすると、このような原資料に立ち返る意義は大きい。

行政機関の公文書は大量であるが、緻密でしかも比較的容易に入手でき、その多くは整然と分類されているのである。しかし実際に公文書を調べることによって得られる事実は、それまでに分析された結果と照らし合わせて食い違う可能性もあり、楽観はできない。

残念ながら、この公文書は、ベトナム(ハノイとホーチミン市)とフランス(エクス-アン-プロヴァンス、トゥーロン、パリ)との間に散在している。いずれもかなりの労力を費やして分類され、一般に公開されている。エクス-アン-プロヴァンスは最近新たに、今世紀初頭頃中国との国境やインドシナの鉄道について取り決めたフランス領インドシナ参謀部(Etat-Major)の公文書を公開した。また、ベトナムとフランスが共同で行った一例として 4)、ベトナムの国立公文書局は最近、フランス領インドシナ海軍(Flotte Indochinoise)やトンキン綿業会社(Societe Cotonnie re du Tonkin)などに保管されたまま、それまで未整理だった植民地期ハノイの公文書目録を発表した。

これらの努力にもかかわらず、現時点では資料が途切れるなどのトラブルもまだまだ多い。何種類もの資料が数か所に分散しており、インドシナの総督府(Governor General)の公文書はエクス-アン-プロヴァンス1か所に集められるべきであろう。多くのファイルがハノイに残されていたようであるが、すべてがそろわない限りベトナム史におけるこの時期の、とくに経済状況が正確に評価されることはないのである。植民行政体制の中でも、とくに当時ハノイにあった財務庁(Department of Finance)の白書に注目されたい。

経済、人口、そして社会データの基本的な部分は、論文や共同研究などの形で既にいくらかは集められている。最も代表的なのが対外貿易や、鉱山業・製造業、民間企業の活動などに着目したJacques Marseille 5)によるものであろう。権上康男 6)によるインドシナ銀行の活動を例に取った金融の研究、Pierre BrocheaxとDaniel Hemery 7)が率いる研究グループによる教育と保健への投資の研究なども知られている。他にも、概要を示した論文や長期系列データの批判的な分析、具体的には、農業、ケシ栽培の市場独占、ハイフォンやサイゴンにおける港の役割、関税、資本形成等の先行研究がある 8)



2.ベトナムの制度・経済状況に関連した資料の不正確さと欠落

ベトナムでは、歴史統計を調査するにあたって、まず地理的な格差に直面する。植民行政機関に管理されていた地域、つまり被植民地域の方が統計も見つかりやすく、より精確で豊富なのである。人口の一連の資料は、調査対象となった人々の性別や年齢だけでなく、属する民族をも示してくれる。非都市部においては、特定の地域に少数民族が集中していることもあり、明らかに人口が集中している地域であるという情報があったとしても、あくまでも被植民地域に限られたものであり、補整係数を掛けるなどデータの修正を図るべきである。主にフランス極東研究所(EFEO:Ecole Franc,aise d'Extreme Orient)によって進められた歴史人類学の研究では、このための係数を期間別、地域別に推計した。それによるとコーチシナ南部では、少なくとも19世紀の人口は、過剰に低く推計されていたと判断されるのである。

さらに、行政がインドシナ全体を統括してゆく時期以降になると、現ベトナムである地域の公文書は選択的になる。例えば、公益収支の書類など、行政予算のうちのどれほどがベトナムか、どれほどがカンボジアやラオスかを判断せねばならないし、公文書に明示していない場合は推計するしかないだろう。対外貿易もまた同様である。今日存在する地域区分はそのまま当時には当てはまらない。

ベトナムは当時三つの地域に区分されていた。トンキン、安南省、そしてコーチシナである。貿易収支を調べてみると、トンキン綿業会社(Societe Cotonniere du Tonkin) によれば、紡績会社がコーチシナや中国の雲南省に輸出したという記録を残している。同様に、もともとカンボジアで収穫されたと思われる米が、ベトナム南部を通過した際、手続き上、コーチシナから香港、シンガポール、日本、フランスなどに輸出されたことになっているのである。

卸売物価や消費者物価、給与や利子率というようなマクロ経済指標の研究にしても、経済状況の多様性に関連した通常の問題は避けられない。つまり、都市部と非都市部の経済格差に起因する、各々の数字の地域格差である。国内経済の状態は、統一の確立とはほど遠い。ハノイよりもサイゴンの方が給与が高いことは知られているが、物価もまた、同じ傾向にある。果たしてどの程度一致するだろうか。価格構造は比較可能なのだろうか。

同じ種類のギャップはサービスセクターにも見られる。例えば、鉄道のような内陸輸送に関する資料が手に入ったとしても、水路や沿岸を航行する輸送手段もあり、しかもその資料のほとんどはベトナム人や中国人船主の手に握られている。しかも水上運輸はミクロ経済レベルの効率化という意味では、内部市場の統一に重要な役割を果たしており、ハノイ−サイゴン間鉄道の貨物運送稼働率の低さの説明になっている。

また、判例集、財政書類、旅行記、定期刊行物など、多様でしかも相補的な原資料調査が要求される作業ではあるが、系時的にポーターや使用人、売春婦、行商人などの重要性の評価も欠かせない。もっと広く言えば、研究者は伝統的産業による個々の収入など、社会の貨幣経済化への寄与を評価する必要があるのだ。こういった非都市部の収入における対外貿易収支の統計はある意味で、例えばインドネシアの籠生産業など、地域の特色に直接結びついた手工業生産物やその産業の重要性を垣間見せてくれる。

これに平行して、国民経済の発展に対する個人投資の寄与は過剰に低く推計されているようである。これまでの研究ではフランスからの投資 9)に焦点を当てようとするものが多く、その投資が製造業、鉱山業、輸送、農業のうちいずれに対するものかという点が分析されている。しかし、ベトナムや中国の投資会社からのものは分析対象から除外されてきたのである。

植民行政機関の脆弱性と国庫収支管財の欠如ゆえに、こうした一般的な資料が非常に少ない。例えば、明らかにアヘン専売は、資本や商取引への課税から得られる歳入よりも、より多くの収益を中国人から得ることを目的としていた。しかしながら、間接的ではあるが、国内の民間資本形成を評価する方法がある。インドシナ在住のベトナム人、中国人、そしてフランス人などの資本形成のデータからの推計である。これは、既存の方法と比べれば、より成功の可能性を秘めた研究になるであろうし、またこういった資本形成の研究は絶対不可欠である。

国際収支もまた綿密な研究が必要である。インドシナに関して、財務諸表に出ないものを調査するのはほぼ不可能であり、フランスの資本投資を推計することもかなり難しい。当時の人々にとって、インドシナからフランスへの送金の動きを追うことはまず無理で、使用人が送金した給料についてすらわからない。こういった状況を踏まえると、ベトナムが純資本輸出国であったという仮説は再検討する価値がある。



3.統計のフォーマットと政治的なバイアスの欠点

これまで保存・維持されてきた公文書は大量であるが、使用に際しては数多くの制限を受ける。統計は行政機関によって実に的確に作成されたと思われがちだが、実際彼らの論理によって操作されたものであって、歴史家や経済学者のニーズにあった統計と合致するとは限らない。たとい規律に厳格で体面を気にする政府の作成したものであったとしても、実像を反映しているとは言えないのである。

第一に、政府は植民地の状況を完全に把握しているかのように見せかけようとする。インドシナでの統治体制は全く不完全なものであり、辺鄙な地域や彼らの権限がほとんど及ばなかった地方では、統計の該当個所の数字を埋めるために適当に推計されたり、捏造されたりしたようである。こういった統計の不完全さは、アヘン取引のような、密輸が大きな役割を果たした領域さえ、あたかも政府が実際に管理したかのように記録が残されていることにも表れている。

原産地についてもバイアスが観察される。行政機関が偽物や密輸品に関して実際の量を把握することは不可能であるにもかかわらず、しばしば報告書に掲載されているのである。これは商取引先との数字のつき合わせにも困難を極める。さらに、香港を経由した貿易収支の推計値にも問題がある。製品がインドシナに入った時点で、実際には世界各国で生産されたものであっても香港製であると公的に記録されてしまうからである。

計算方法や、税関と専売公社(Douanes and Regies)の政府による運営はヨーロッパにおける一般的な方法と何ら変わりはないようであるが、税関統計を、公文書館による定期刊行物の編集や経済活動の推計のために利用するには難がある。

行政機関によって提示されている価格は多くの場合、商品の実質価値ではなく、あくまでも推計値である。さらには取引委員会に仲介させ、政府と商業組合(chamber of commerce)の双方に都合のいい適当な価格を設定し、その期間の価格であるとした例もある。生産物の数量に関する統計にしても同様で、直接でなく、商品の重量からの間接的な推計値である点には留意したい。

データの歪みの原因としては第二に、1931年までフランとピアストルの固定相場制が確立されていなかったにも関わらずフランで表示されていることと、フランスと当地とのインフレーションの格差が挙げられる。フランで表示された対外貿易収支の増加が、貿易取引の発達を意味するとは限らず、物価の上昇とフランの通貨価値の下落が相殺された結果によるものである可能性もある。逆説的だが、フランの下落は植民地の関税障壁を解消させ、インドシナと中国南部近海の国々との商取引関係の分裂、あるいは促進を導いたことも忘れてはならない。



4.各情報と遡及的な外挿推計値との比較の可能性

ベトナム長期経済統計の集成への道のりは遠く険しい。しかしながら、各年次報告からの統計の再編纂に限定せず、大量の公文書に見られる公的・民間資料をも射程に入れることで、これを可能にすることができるし、かつ実り多いものとすることもできよう。

年次報告書から派生するマクロ経済系列と、人類学や社会学研究、地方の植民行政機関、会社経営者、領事館の報告書など、各種文献(モノグラフ)から派生するミクロ経済的・地域的な情報との比較は必要である。こういった原資料からの抽出によってしか、欠落した箇所やギャップのある部分に的確な推計を施すことは不可能である。農産物や非都市部の人口は、州単位や県別に調整された情報の整理によって評価されよう。そのような状況下にあって初めて、人為的災害や自然災害、統計収集の不正確さや中断などによる一連の長期統計の推計値や断絶を検討することが可能なのである。

資料を多様に取り入れることは遡及的な推計値の系列の信頼度を高めることになる。しかしながらこの方法は、日本の占領やインドシナ戦争、特にベトナム戦争などの影響により参照資料が欠落した場合、当てにならないものになる。外挿法による算出を繰り返すことにもなるだろう。少なくとも1945〜1954年の期間は該当地域、特に政府の管理体制が脆弱であった北部の系列は修正する必要がある。一方南部については、1954年まで問題が少なく、1954〜1975年の期間にしても統計への政治的意図による操作の影響は比較的小さい。これらの数字は、まだ対応する情報がかなり画一的であった最後の時代である1930年代のものと直接比較可能である。この作業を下地にして、遡及的な外挿法、あるいは内挿法などを用いて系列の再構成ができる。

これは、研究者の国際的な協力はさることながら、公文書館司書、歴史家、人類学者、そして経済学者などによるそれぞれの分野を越えた学際的な研究の努力の必要性を意味する。こういった互いの協力によって、政治的・軍事的事象によって分散した公文書の所在確認、経済・政治・社会的事実を取り囲む経済状況の知識、長期経済動態に対する理解、国際比較の可能性、といった成果が期待でき、さらには20世紀終わりの変貌する東南アジアに追いつくベトナムの潜在的な力に関して新たな考察への道を開くだろう。

(Jean-Pascal Bassino:Paul Valery University, Department of Economics)
(Jean-Dominique Giacometti:Centre for International Economy and Finance)
仏英翻訳:Erica Peters, University of Chicago, Department of History .
英和翻訳:高濱 美保子