パキスタン
国境変更と統計上の問題



黒崎 卓




今年1997年は、南アジアの西端に位置するパキスタンが独立してちょうど50年の節目の年にあたる。その間のこの国の経済パフォーマンスを分析するための基本的な経済統計が国民所得統計である。とはいえ、独立後の半世紀ないしはそれ以上の長期の分析をするための時系列として既存の統計を使うにあたっては、現在のパキスタンにあたる地域(以下「現パキスタン地域」と呼ぶ)が二度の大きな国境変更を経験していることを考慮することが必要になる1)。このことに関する整理をするのが本稿の目的であるが、類似の問題はマレーシア、ロシア・中央アジア地域など、アジアの他の地域にも当てはまる場合があるわけで、そのような地域の統計吟味作業への参考にもなれば幸いである。


1.1947年の「分離独立」

パキスタンは1947年8月に、インドと分離してイギリスから独立した。主にヒンドゥー教徒が多数を占めた地域がインド、主にイスラム教徒が多数を占めた南アジア北西部と東部がパキスタンとして独立したわけだが、その(旧)パキスタンはインドを挟んで西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタン(現在のバングラデシュ)から構成される特異な国家形態をとることになった。

英領時代のインドは州(Provinces)と呼ばれる直轄地と藩王国(Princely States)と呼ばれる地域とに大きく分かれていた。直轄州においては人口、農業・鉱工業生産あるいは物価などの経済統計が統一的に古くから集められた。他方、藩王国の経済統計については王国によってまちまちで、直轄州地域同様の、ないしはそれ以上の精緻な統計を集めた地域もあるが、全体的には統計が手薄となっている。このため、英領時代のインドの国民所得については、直轄州地域に関する若干の推計の試みとそれを藩王国領域にまで拡張した非常に粗い推計があるにすぎない2)

1947年の分離独立で西パキスタンに帰属したのはスィンド州、北西辺境州、パンジャーブ州西部などの直轄州地域と、バハーワルプールなどかなり面積の大きい藩王国地域であった。この国境変更は、現パキスタン地域に関する47年以前の経済統計分析を非常に困難なものにしている。

第一に、現パキスタン地域に入った藩王国の経済統計は非常に限られている。第二に、現パキスタン地域で経済的に最も重要なパンジャーブ州がインドとパキスタンの間で二分され、州の下の行政単位である県(district)レベルでも分割された県があったことから、分離独立の前後で整合的な統計を既存の統計の組み替えによって構築することが不可能である。第三に、これらの技術的点よりも本質的な問題であるが、英領時代の現パキスタン地域の経済は現インド地域の周辺としての性格が強く、国民経済としてのまとまりを全く持っていなかった。このことは、この地域に関する国民所得の推計を47年以前に遡るという作業の経済的な意義を薄めることになる。ただし、地方統計の一種として農業生産や物価などの統計を、現パキスタン地域に合わせて整備することは長期経済発展の資料として意義深いと思われるから、本プロジェクトでもできるだけこの作業に取り組みたいと考えている。


2.1971年のバングラデシュ独立と統計事業

旧パキスタンの経済発展は、急伸した製造業の基盤がすべて当時の西パキスタンにあったなど、東西両翼間の経済格差拡大の上に達成されたものであった。パキスタン史上初の成人普通選挙による総選挙が1970年12月に行われ、東パキスタンでは自治権拡大と東西格差是正を訴える政党、アワミ連盟の圧勝となったにもかかわらず、選ばれた連邦議会は結局開催されなかった。自治運動の正統性に自身を深めていたアワミ連盟はこの事態に猛反発し、71年3月、東パキスタンは内戦状態に入り、バングラデシュ独立を宣言した。

1971年10月にインドが内戦に軍事介入して第三次印パ戦争が勃発すると、戦況はアワミ連盟に有利に一変した。同年12月にダッカがインド軍の手に落ちて、バングラデシュの実質的独立が実現し、翌72年1月にバングラデシュ政府が樹立された。

西翼だけでの再出発となったパキスタンでは経済統計体系もすぐに手直しされ、旧パキスタン時代に遡って現パキスタン地域に相当する領域の国民所得推計値が公表された(第3節参照)。これは、1947年の分離独立と違い、71年のバングラデシュ独立は、それぞれが経済的まとまりを持っていた二つの地域経済が公式に国民国家として分離されたものであったことからして自然な流れであった。農業、鉱工業などの生産統計や労働・人口統計などは旧パキスタン時代から東西両翼別の数字が公表されていたため、国民所得を遡って東西に分けることはそれほど困難なことではなかったと思われる3)。ただし、東パキスタンの自治運動を煽ることを怖れた政治的理由から、旧パキスタン時代には東西パキスタン別の地域国民所得統計は作成されていない。

バングラデシュにおいても、独立後まもなく国民所得統計の整備が始められ、1972/73年度以降の国民所得が現在公表されており、利用可能である[2]。しかしこれ以前、すなわち東パキスタン時代に遡ってバングラデシュの長期国民所得統計を作成する試みは筆者の知る限り皆無である。旧パキスタン時代の東西経済格差を実証する研究は、生産統計などに基づいたものがほとんどである。

ここで会計年度について付記しておこう。パキスタン、バングラデシュの会計年度は7月から翌年の6月である。例えば“1972-73”と現地で表記されている場合(本稿ではこれを「1972/73年度」と表記する)、これは1972年7月から73年6月までの会計年度を指し、省略する場合には1972年度と呼ばれることが多い。混乱を生むのは、前年10月から9月までのアメリカの会計年度との重なりの都合上、アメリカの影響の強い機関の報告書では、同じ72年7月から73年6月までの会計年度を1973年度と省略する傾向があることであろう。したがって、資料によりどの年度概念が使われているかには十分な注意を払う必要がある。

バングラデシュ独立戦争に話を戻すと、東パキスタンの内戦は1970/71年度中に始まっているが、内戦激化・印パ戦争・ダッカ陥落・バングラデシュ政府樹立といった一連の出来事と、それによる混乱はほとんど1971/72年度に生じている。バングラデシュの国民所得統計[2]が72/73年度から始まっているのはこのためである。他方、旧パキスタン(東西合計)の国民所得統計は、70/71年度ないしは69/70年度までしか得られないため、東パキスタン・バングラデシュ地域をカバーする統計には当然混乱期、特に71/72年度の数字が欠落することになる。

現パキスタン地域の国民所得統計については一応この時期の前後をつないだものが存在するが(次節参照)、これを利用する場合でも70/71、71/72年度が異常事態であったことを考慮して分析にあたる必要があろう。


3.現パキスタン地域の国民所得統計データ

以上の前提のもとで、現パキスタン地域の国民所得統計データとして、どのような統計が既存のデータから得られるかを整理しておこう。パキスタンの国民所得統計は、政府の経済白書[6]に概要が掲載されており、各部門毎の詳細な推計手続きと中間推計値を含むデータは連邦統計局から毎年公刊されている[7]。

@ 現行国民所得統計シリーズ

現行の国民所得統計は、1988/89年度に採用された「新手法」(1968SNA準拠)に則って作成されている。それまでの「旧手法」(1968SNA準拠)に比べて、毎年推計するデータのカバレッジが広く、推計方法も改善されているが、詳細は省略する。

新手法、旧手法両方に共通するのは、パキスタンの国民所得統計が基本的に生産勘定推計である点である。農林水産業、鉱業、製造業、建設業、電気・ガス、運輸・貯蔵・通信、卸売・小売、金融・保険、住居、行政・国防、その他サービスの大きく11部門についての付加価値が、主に生産アプローチに所得アプローチを加えた推計方法によって推計され、その合計が要素費用でのGDPとなる。一応支出勘定も推計されているが、これは政府消費支出と各部門での粗固定資本形成を推計した上で、剰余項として民間消費支出をバランスさせたものであることに十分な注意を払う必要がある。また所得勘定は推計されていない。

改善された新手法においても、毎年の生産量が科学的な調査に基づいて推計され、価格水準も実際のデータが集められている部門は、主要農産物(小麦、米、棉花、サトウキビ)、大規模製造業、金融・保険などGDP全体の30%程度にすぎず、残りはベンチマーク法など何らかの便法的な推計でデータが作られているのが現状である。なお、統計の信頼度をさらに上げるために、連邦統計局は1984/85年度以降産業連関表を作成して、国民所得統計の整合性を高める努力を進めている[8]。

この現行シリーズには名目値ベースの生産勘定、支出勘定、1980/81年度固定価格による実質値ベースの生産勘定、支出勘定の4つの時系列があり、すべて1980/81年度から現在までのデータが公刊されている。

A 現パキスタン地域旧手法シリーズ

これは、1987/88年度まで用いられた旧手法による国民所得統計で、名目値ベースの生産勘定、支出勘定、1959/60年度固定価格による実質値ベースの生産勘定、支出勘定の4つの時系列がある4)。このうち実質値ベースの生産勘定については1949/50年度という最も古い年度まで統計が作成・公表されているが、残りの3つについては1959/60年度以降の数字しか利用できない。また、このシリーズは1987/88年度までで作成が終わっているが、最終の1、2年については暫定推定値の修正が十分になされなかったため、@シリーズの動きと大きく乖離しており、利用の際には注意が必要である。

第2節で述べたように、このシリーズは、旧パキスタン時代に遡って現パキスタン地域に相当する領域の国民所得を推計し直したデータを含んでいるため、同国の長期経済発展を見る上での重要な資料となっている。

B 旧パキスタン国民所得シリーズ

旧手法による東西パキスタン合計の国民所得統計は1970/71年度まで作成された。このシリーズはパキスタンの国民所得統計整備作業の歴史と重なっているため、細かい推計方法の修正が頻繁に行われた[3][7]。加えてこのシリーズの最後は、内戦から東パキスタン独立の時期となったため、データソースによって統計値にも違いがあるが、とりあえず統計局が1972年にまとめ直したものが最も信頼できると思われる[9]。

公刊されている資料がカバーする期間は、実質値ベース(1959/60価格)の生産勘定が1949/50年度〜1970/71年度、名目値ベースの生産勘定が1959/60年度〜1970/71年度、支出勘定は実質値、名目値ともに1959/60年度〜1969/70年度となっている。

このシリーズからAシリーズの数値を1970/71年度までについて差し引けば、東パキスタンの国民所得統計に関する一つの推計値を、資料[2]がカバーしない独立前の時期について得ることができる。これを用いてバングラデシュの長期経済発展を吟味する作業を今後行うことも有益であろう。

C 現パキスタン地域長期新手法シリーズ

まだ公刊されていないが、整備作業と公刊の準備が進んでいるのが、新手法による現パキスタン地域の国民所得統計を1947年以降の全期間に拡張しようという試みである。これまでに、統計局とパキスタン開発経済研究所の共同作業により、三部門(農業、製造業、それら以外)に関する実質(1980/81価格)の生産額、付加価値、労働人口、資本ストック、中間投入財の5指標が作成されている[4]。このシリーズは他の国民所得統計に含まれない情報として、資本ストックの推計をフロー系列の積み上げによって推計している点が注目される。本『ニュースレター』第5号(1997年4月)での石渡論文でも強調されているように、経済発展の長期的分析を行うにあたって、資本ストックを推計することが非常に重要な意味を持つことはいうまでもない。そのような分析をパキスタンに関して行う上でのベンチマークとして、このシリーズを批判的に検討する作業も現在つづけている。

参考文献

[1] Arora, H. C., and K. R. R. Iyengar,“Long Term Growth of National Income in India, 1901-1956,” in V. K. R. V. Rao et al. (eds.), Papers on National Income and Allied Topics, Volume I, New York: Asia Publishing House, 1960.

[2] Bangladesh Bureau of Statistics, Twenty Years of National Accounting of Bangladesh (1972-73 to 1991-92), Dhaka, 1993.

[3] Kamanev, Sergei, The Economic Growth of Pakistan, Lahore: Vanguard Books, 1985.

[4] Kemal, A. R., and S. Islam Ahmad, “Final Report of the Sub-Committee on Sources of Growth in Pakistan,” unpublished paper prepared for the Eighth Five Year Plan, Islamabad: Pakistan Institute of Development Economics, 1992.

[5] Mukherji, K. “A Note on the Long Term Growth of National Income in India 1900-01 to 1952-53,” in V. K. R. V. Rao et al. (eds.), Papers on National Income and Allied Topics, Volume II, New York: Asia Publishing House, 1962.

[6] Government of Pakistan, Economic Adviser’s Wing, Economic Survey, various issues, Islamabad.

[7] Government of Pakistan, Federal Bureau of Statistics, National Accounts of Pakistan, various issues, Karachi.

[8] Government of Pakistan, Federal Bureau of Statistics, Input-Output Table for 1984/85, Karachi, June 1993.

[9] Government of Pakistan, Central Statistics Office, 25 Years of Pakistan in Statistics 1947-1972, Karachi, 1972.

[10] Rao, V. K. R. V., The National Income of British India 1931-1932, London: Macmillan, 1940.

(くろさき・たかし 一橋大学経済研究所助教授)