COEプロジェクトは各国別のデータの推計とテーマ別の推計という縦横(タテヨコ)のマトリックス形式になっている。金融財政班(以下略して金融班)の作業は、このテーマ別のいわば横のクロスカントリーの分析の一部をなしている。尾高煌之助教授(プロジェクト代表)がかつて発言されたところでは、テーマ別分析はかなり理論的な貢献をめざすのが望ましいということであるので、金融班の作業は推計と分析の両面作戦をとっている。
推計では、戦前期のデータはひとまず措いて、戦時期ないし第2次大戦直後からのデータを当面目的としている。これは、(i)戦前と戦後では植民地制度の影響などでデータソースに差のある国があること、(ii)同じく植民地制度などの影響で経済制度的にも大きな違いのあること、(iii)現在時点で興味深い理論仮説(後述)を検討するにはとりあえず戦前期の情報は必ずしも必要がないこと、等の理由による。ただし、初期条件の確定の問題は重要であり、戦前初期時点での植民地政策の制度的遺産や在来的金融方法の強度と広がりなどについては、できるだけの情報を集めたいと思っている。
対象国(カッコ内は担当者)は韓国(神門善久)、台湾(福田慎一)、中国(随清遠)、タイ(三重野文晴)、フィリピン(奥田英信)、インドネシア(寺西重郎)、マレーシア(首藤恵)、シンガポール(丸淳子)、日本(武田浩一)、インド(絵所秀紀)の10か国である。推計作業は基本系列と応用系列に分け、基本系列については10か国の金融について一応統一基準を設け横断的比較が可能なかたちで収集することになっている。項目名のみをあげると、貨幣量、金利、物価水準、為替レート、準備率、銀行数(本・支店数)、中央銀行バランスシート、預金銀行バランスシート、ノンバンク・バランスシート、証券市場データ、政府債務関係、中央政府歳入である。応用系列には産業部内別データ、期間別データ、政策金融データ、主要企業データ、銀行格差状況などが含まれる。これらは各国別の分析で必要に応じて収集されることになっている。
さて、これらアジア10か国の金融データの収集分析から、どのようなことがわかると期待されるだろうか。われわれの分析は、各国別の歴史的分析とクロスカントリーの統計的手法による分析とからなる。
まず各国別分析について述べよう。2つの基本トピックがある。第一は金融制度の改革と進化(evolution)の問題である。これについては、歴史的な制度的事実の吟味によりまず、制度改革のパターンを確定することが第一の課題である。そのさい基本的な法令の立法・施行および政策の実行と、それに対する民間のリスポンスについての詳細な事実調達が必要とされる。長期的にみて途上国の金融制度改革には2つの基本的な流れがあると思われる。
そのひとつは、貸出の効率を重視した改革から資金の動員(預金面)を重視した政策へのシフトである。すなわち1950年代、1960年代には政策金融システムを創設拡充させるなどして、その情報機能により効率的な資源配分を行おうという姿勢が支配的であったが、およそ1980年代以降、そうした政策の成果への失望とおりからの市場重視・自由化論の台頭の中で、預金としての資金動員を重視する政策が制度改革の中心を占める方向に変化した。いまひとつの流れは、分業化の動きとその後のユニバーサル化の動きである。1960年代までは、政策金融、貯蓄機関、住宅金融等の多様な分業化された金融システムの構築に努力がはらわれたが、およそ80年代以降は分業化にかわって、機能の統合やユニバーサル化の動きが加速しつつあると思われる。金融制度改革論の第一の課題は、こうした基本的パターンを各国について吟味し、それが妥当するか否かを検討することである。
こうした基本的パターン確定の上に、次の課題は、金融制度改革がどのような理念と必要性にもとづき、どのような主体によってなされたかを検討することである。制度の進化メカニズムとその政治経済学含意を追求することが第二の課題である。このためには、金融制度のあるべき姿ないし効率性に関する理念(たとえば自由化論)がどのような影響をもったかを考えねばならないし、外的なショックとして情報通信技術の進歩に基づく世界的な金融のグローバリゼーションへの対応ないし、金融面でのグローバル・スタンダードの変化への対応などの問題も考慮せねばならない。
各国別分析のいまひとつの基本トピックは、資金調達と成長との関係に関する分析である。このトピックについてもまず第一になされなければならないことは、各国別の長期的なファイナンシング・パターンの確定である。たとえば国内市場と海外市場からのファイナンシングのウェイト、インフォーマル市場とフォーマル市場との対比、規制金融と市場メカニズムを通じる金融の比較、自己資本 vs 外部資本、政府への資金供給vs 民間への資金供給等々のさまざまなファンダメンタルな事実の確定と吟味が必要とされる。こうした事実の確定の上に、各国の実物的成長とファイナンシングのパターンの関係の分析が次の課題となる。いくつかの重要なトピックスがある。
たとえば、第一に、投資貯蓄率、産業構造の変化、成長率の変化等にファイナンシング・パターンがどう対応しているかという問題である。第二に、金融システムが情報コストやエージェンシーコストの問題にどう対応したかという点も問われるべきであろう。第三に、そもそもそれぞれの発展局面で資金の事前的な需要と供給が相対的にどのような大きさであったかも考えてみる必要があろう。長期的な局面では、少なくとも長期性資金については超過需要があったと思われるが、他の局面と他の資金についてはどうであったのか、などの問題もあらためて考えてみる必要がある。
さて、以上は各国別分析のトピックであったが、われわれのプロジェクトはこれに加えて3つのクロスカントリーの統計的分析を行うことが予定されている。
その第一は、金融的発展パターンのアジア諸国についての国際比較である銀行制度の普及、貨幣経済化、実質金利の水準、金融制度の多様化などについて基本的統計系列を利用した比較分析がなされる予定である。
第二に、金融的変数と成長の間の関係に関して統計的分析による吟味がなされる予定である。これには、まずバロー的な内生的成長モデルにおける収穫非逓減をもたらす要因として、従来の教育、インフラ、輸出などの変数に代えて(ないしは加えて)金融変数を入れることが考えられる。金融変数は資源配分の効率を高めることにより収穫逓減を防止する可能性があると考えられるからである。また最近D. Rodrikの指摘したことであるが、初期値の影響の問題である。すなわちアジアでは教育や資産分配が当初からきわめて良好であったことが、高成長につながったとする見方である。初期における金融的発展レベル(それは戦前期の発展水準や植民地政策の影響下にあるのだが)が、好循環の起動力になったかどうかについて計量経済学的チェックがなされることが予定されている。これらの分析は、当然のことながら、次の第三のテーマとともにパネルデータの利用によることになろう。
さて、最後の第三のテーマは、規制と規制緩和の金融的発展および成長への効果の分析である。これについては預金の実質金利を割高ないし均衡水準に保つことにより金融的貯蓄の動員を増大させ、もって資金の効率的配分を達成すべしというR. McKinnonの主張と、実質預金金利は正であるが均衡金利よりも低く抑えることによりcontingent rentを供給し、これにより審査能力や店舗網への投資を誘導すべしとするJ. Stiglitz等の考え方がある。前者は自由化が成長に寄与すると考えるのに対し、後者の考えではある程度の規制が金融市場には必要だとされるのである。この問題についてもアジア諸国の自由化前後のパネルデータを用いた計量的検討が可能であり、目下メンバーの一人によって既に予備的分析が進行中である。
(てらにし・じゅうろう 一橋大学経済研究所教授)