LTES問答:梅村又次名誉教授1)にきく

聞き手 斎藤 修・尾高煌之助

梅村 苦労しているようだねえ。
――先生、それをなぜご存知なんですか?

梅村 送って貰うものを見ればわかるさ。土俵のまわりをぐるぐる迴ったり、うろうろしたりしているじゃないか。
――まずは土俵がなくちゃ始まりませんから。いま、ようやく土俵をしつらえたところなんです。

梅村 あせらずにやることだね。
――はい。なにしろ素人集団ですから。

梅村 誰だって最初はそうさ。始めるときは、みんな素人なのさ。昔、大川先生と日本の長期経済統計:LTES(Long-term Economic Statistics)をやったときも、最初は何も知らなかった。農商務統計があるなんてことすら知らなかった。
――えっ、先生、本当ですか。何もご存知なかったなんて……

梅村 本当だとも、帝国統計年鑑しか知らなかった。工場統計表なんかも、やってるうちにわかってきたのさ。
――先生のそういうお話を聞くと、なんだか元気が出ます。

梅村 最初の頃は、野田(孜)さんと二人でリュックをかついで神田の古本屋街を迴ってね、時間を随分費やしたものさ。
――そういう風にして統計を集められたんですか?

梅村 あぁ。まだ学校には何もなかったもの。古本屋の親父に、いろんなことを教えて貰ったよ。あっちも、なんでこういうものを集めているのかを段々に勉強した。そのうちに、一橋大学が古い統計書のプライス・リーダーになった。こういうものを集めりゃ買ってくれるって、向こうでもわかってきたからね。
――始めのうちは、どの資料はどこにあるのか、皆目わからない場合もあります。

梅村 そうだろうね。今までベースの出来ているところでやっていたのに、そこから降りて、何もないところから始めるんだからね。でも、最初はそういうもんだ。あとからみると何でもないことでも、はじめはわからないものさ。
 私が江戸時代のことを調べるようになったのも、松方デフレから前の時期のことが一向にわからなかったからだった。仕方がないから、江戸期から勉強した。わかってみれば何のことはない、松方が大隈のやった統計を皆こわしたからだったんだね。
――移行期の謎ときですね。

梅村 大川先生は、余計な道草を喰う奴だと思っておられただろうけれどね。
――昔の統計数字の性格は、よくわからないことがありますね。

梅村 『労働力』(長期経済統計第2巻)2)をやったときには、センサスと事業所統計とが互換的という前提で出発した。センサスをベンチ・マークにして、それを、事業所からの統計を使って前へ伸ばしたのは、この前提が正しいと考えていたからだね。
 ところが、近年どうしても数字が合わないところが出てくる。もしかすると、前提自体がおかしいのかもしれない。本当は、その辺を吟味する必要がある。そこは、今後の課題ってことで幕にしちゃったけど、今度やり直すときには、そういう風に書き遺してあるところから始めて欲しいものだね。
――台湾の初回人口センサスをチェックしたのですが、なかなか質のいい統計だということがわかってきました。

梅村 それはいい。系統的といえば、度量衡をよく調べることだね。初期にはまちまちな場合が多いからね。日本でも、度量衡の単位は、明治初年までは地方によってバラバラだった3)。
――メートル法条約への加入は、明治18年ですね。

梅村 J.ナカムラの米の生産統計の批判だって、よく調べてみると度量衡の不統一が根にあるわけだ4)。せっかく本に書いたんだから、黙っていたんだ。
――制度の変遷を知っているといないとでは、ずいぶん違いますね。

梅村 農事暦も大切だよ。作付けの時期だとか農作業の順序だとか、昔からちゃんときまっている。それぞれ、動かしがたい理由があってのことだ。農民はそれに従って年々歳々やっている。だから農事暦に照らして統計を読んだり検討したりすると、資料の性格や問題点を解く鍵が見えてくる。
 私の友人で、ジャワの農村慣行をよく調べている人があるよ。教えを乞うてご覧。

(聞き手:斎藤 修・尾高煌之助)

1)本プロジェクト諮問委員。本稿は教授のご校閲を経たもので ある。
2)梅村又次ほか著、東洋経済新報社、1988年。
3)太政官の度量衡取締条例は、明治8年。
4)James I. Nakamura、AgricuItural Production and the Economic Development of Japan,1873-1922, Princeton: Princeton University Press,1966(岩橋 勝・水原 正・宮本又郎(訳)『日本の経済発展と農業』東洋経済新報社、1968年)。なお、篠原三代平(編)『日本経済のダイナミズム:「長期経済統計」と私』東洋経済新報社、1991年、19-20頁をも参照。