農産物に関する長期経済統計の推計について

プロジェクト拡大幹事 川越俊彦

本稿の目的は農産物に関する長期経済統計(Long‐term economic statistics)をアジア地域を対象に推計する際に、まずどのような方針で臨み、どのような統計系列を推定すべきなのか? さらに、その推計にあたってはどのような問題が特に考慮されねばならないか? といった点に関して若干の整理をおこなうことにある。なお、本稿は、当プロジェクトのDiscussion Paper No.96-9(川越俊彦「アジア諸国における農業長期経済統計の推計方法に関するノート」)に基づいている。より詳細な議論についてはそちらをご覧頂きたい。


1.分析のフレーム・ワーク

アジア地域を対象とした長期経済統計(以下Asian-LTESと略記)の推計にあたって、まず雛形となるべきは『長期経済統計』(LTESと略記)であろう。周知のように、日本経済を対象としたこの長期経済統計の推計は大川一司・篠原三代平・梅村又次を編集代表として編纂され、東洋経済新報社より、1965年から1988年にわたって14巻が刊行された。このうち、農業関係の統計は、生産関連の統計が第9巻『農林業』(以下LTES-9)に、価格関連の統計が第8巻『物価』、農業資本関連が第3巻『資本ストック』の一部にそれぞれ取りまとめられている。

そこではいったいどのような枠組みのもとで推計作業が行われたのであろうか。『長期経済統計』共通の緒言で、編集者はその全体の目的を「このシリーズは……近代経済学の基本に依拠し国民所得勘定体系をフレームとして、日本経済の明治以降における発展の姿を統計的にあとづけること」と位置付け、さらにそれは「たんに国民所得ならびにその構成要素の推計をまとめたものではなくて、それに関連する経済統計を大きく包括かつ組織化したもの」(LTES各巻共通「編集者のことば」iii頁)としている。

さて、このように与えられた全体のフレームワークの中で、農業に関する統計はどのような意図で推計されているのであろうか。LTES-9『農林業』の著者「はしがき」によれば、「国民経済計算の体系に即しつつ、農林業の産出、投入および要素価格に関するデータを明治初年までさかのぼる連続的な長期系列として整備すること」(vii頁)を目的とし、かつそのための2つの限定条件が提示されている。

第1は、国民経済計算の体系を基本的な枠組みとしているため、それ以外のより一般的な、例えば制度的・構造的な統計は捨象されていることである。この限定条件はAsian‐LTESの推計にあたっての重要な出発点を与えるものであろう。もちろん、一般的な歴史統計であれば含まれるであろう制度的・構造的統計が盛り込まれれば、その利用価値ははかりしれない。したがって、Asian-LTESの推計にあたってもLTESで推計された統計系列を基本としつつ、その他の制度的・構造的統計は補完的に推計するとの基本方針がたてられよう。

第2の限定条件は、「明治初年以降の連続的な長期系列の推計ということに重点」が置かれていることである。1950年代以降、日本の統計調査は質量ともに飛躍的に拡充整備されているが、LTESでは、それら近年の豊富な統計の体系を包括的に盛り込むのではなく、むしろ明治初年からの統計系列の連続性に重点を置いていたのである。つまり戦後の整備された統計系列の改善はその目的ではなかったといえよう。

この二番目の限定条件は、Asian-LTESの推計にも適用できよう。アジア諸国の統計も近年格段に整備拡充され、そのカバーする領域だけでなく、精度も向上していると考えられる。このような状況で近年の統計系列の改善を試みることが、ここでおこなうべき作業であるとは考えられない。むしろ信頼できる統計の限られた初期時点からの連続性を保ちうるような比較的限定された系列、しかし信頼性に関しては可能な限り均質な長期統計系列の推計を目指すべきであろう。

これを概念図で示せば第1図の如くである。縦軸には下方に向かって時間が採られており、また横軸には存在する原統計データの広がりが採られている。原統計データは時代を下るほどそのカバーする領域も、精度も向上する。図中の下方ほど密度が高く示された三角形はそのような原データを示している。これに対して図中の均質な矩形がAsian-LTESで推定される系列を示している。それは最近時点でみれば限定的なものとならざるをえないが、それでも長期の連続性を重視すれば、初期時点では多くの推計作業が必要となろう。したがってその幅をいたずらに広げることは困難であろう。


2.LTESでは何が推計されたか?

さて、LTES-9ではどのような統計系列が推計されたのであろうか。LTESが全体として国民経済計算の体系のなかに位置付けられていることから、農産物統計で最終的に導出されたのは農業における付加価値の系列であるが、その推計に必要な諸系列のみならず、農地や農家戸数といった、農業に関する基本的統計系列の推計も合わせておこなわれた。そこで、以下若干繁雑ではあるが、LTESでどのような系列が推計されたかを具体的に見てみよう。

LTES-9第3部(資料編)には、農業関連の統計表が39の表にわたって示されており、そこには合計476のデータ系列が含まれている。それらを大別すれば、@農業のアウトプット及びその価格に関する系列(第1〜13表)、A農業経常投入財に関する系列(第14〜27表)、B農業資本ストックに関する系列(第28〜31表)、C耕地面積等の上記以外の基礎的統計系列(第32〜34表)、及びDその他の系列(第35〜39表)に区分できる。  (1)農業のアウトプット及びその価格に関する系列

ここには農業生産額、農産物価格指数、農産物生産量、農業付加価値額が示されている。このうち推計された原データは「品目別農産物の生産量」(10種96品目)のみであり、残りはこの生産量と別途推計された価格データ等から算出されたものである。これらの品目の選定にあたって、農業生産と林業生産の境界線が明確ではないため、「しいたけ」のように分類不能の商品が存在することや、農家による農産加工品を農業生産に分類するのか、あるいは工業生産に分類するのかといった点が問題点として指摘されている。LTES-9では農産加工は基本的に工業生産であるとしつつも、藁製品については農業生産に含めている。アジア諸国の多くの地域でも農家による農産加工は広範におこなわれており、農家経済や地域経済において無視できない位置を占めていることから、Asian-LTESの推計においても、農業生産の範囲をどのように捉えるかは重要な検討課題となろう。

 (2)農業経常投入財に関する系列

農業経常投入財とは1生産期間内にその全体が生産物に転移する生産財、あるいは生産に要した物財費から固定資本の減価償却を除いたものであって、ここでその系列が推計されているのは、@農業付加価値を算出するにあたって、農業生産額から差し引く部分として農業経常財の投入額が必要なこと、A農業生産関数の推計等に用いるためである(LTES-9, p.53)。  推計の対象となった経常投入財は農業セクター内で自給される農業起源財と、非農業部門から供給される非農業起源財に分類される。前者は種子、蚕種、緑肥・飼料作物、国内産の飼料(穀類・豆類・薯類)等であり、後者は肥料、農薬、輸入飼料穀物や糟糠類・油粕類といった飼料等からなる。ただし、農家内部で自給された堆肥等の中間生産物はこれから除外されている。肥料は農業生産においてきわめて重要な生産要素であり、他の要素と比較して資料が豊富であったことから詳細な分析がなされている。

 (3)農業資本ストックに関する系列

農業の資本ストックに関する統計系列は第3巻『資本ストック』をもとに推定されたものであり、純付加価値を求めるために必要なものであるが、データの制約からそれは暫定的なものとされている。

 (4)耕地面積等の上記以外の基礎的統計系列

耕地面積(田畑別)、農業就業者(男女別)、農家戸数、農業賃金、林業賃金、地価及び小作料(田畑別)の諸系列が収録されている。これらの系列は付加価値の推計には直接には使用されないが、耕地面積は生産量等を推計する際の基礎データであり、また農業就業者等のデータは第1部での農業生産性の分析に必要なデータである。


3.アジア長期経済統計の推計

さて、上記のLTESにおける農業統計の推計過程を踏まえつつ、アジア地域において農産物統計を推計する際に考慮すべき課題について整理しておこう。
 Asian-LTESの「農産物統計」推計の目的は、LTESに倣えば、「国民経済計算の体系に即しつつ、農業の産出、投入および要素価格に関するデータを可能な限り時代をさかのぼる連続的な長期系列として整備すること」となろう。

そして、そのための2つの限定条件を、やはりLTESに倣って提示できよう。

 (i)国民経済計算の体系を基本的な枠組みとしているため、農業の産出、投入および要素価格に関する統計系列を基本としつつ、その他の制度的・構造的統計は予備的に推計する。もちろん一般的な歴史統計であれば含まれるであろう制度的・構造的統計の利用価値は計りしれないので、それらの推計を排除するものではない。

 (ii)今世紀初頭(あるいは地域によってはそれ以前)からの連続的な長期系列の推計に重点をおく。つまり長期経済統計推計の目的は、時代ごとに分断された断片的な統計系列を単に寄せ集めることではなく、また最近年の豊富かつ精度の高い公表統計の再推計を意図するものでもないという点である。

これら2つの限定条件を基本的に加えて、Asian-LTESの推計に当たっては新たな条件が必要となる。それはAsian-LTESが複数の国を分析対象としていることから、各国ごとに推計された統計系列がinter-countryに集計可能となる必要がある点である。もし個々に推計された農産物統計が相互に比較あるいは地域間で集計可能でなければ、その利用価値は大いに減じよう。そこで、個々に推計された系列を何らかの共通の商品コード及び共通の計測単位に基づいて定義し、相互に比較、集計可能なものにする必要がある。

(1)農産物の分類コード

国際的に標準化された商品分類で最も一般的なものは貿易分類であろう。貿易は国境を越えた経済活動であり、貿易統計を国際的に整合的なものとして作成する必要上、あるいは関税実務上からも、1930年代から分類コードが作成されてきた。その意味では貿易分類が国際的に共通の商品分類を与えるものとして最も整備されているといえよう。反面、貿易分類という性格上、農業の生産段階での分類表としては必ずしも適していない。

農業統計はそれぞれの国の地理的、文化的な差異に基づく様々な歴史的要因を反映していることが多く、その分類は独自なものとなりがちである。それは同時にその国の農業に関する貴重な情報を提供している場合も多い。そこで各国農業の固有の情報の特徴をそこなうことなく、同時に相互にコンパラブルなものにするためには、いかなる方針で推計作業を行えばよいのであろうか。

幸い国連の食料農業機構(FAO)が農産物に関する詳細な分類表を作成している。そこでは各農産物が20のグループのもと4桁のコード(FAOSTAT CODE)で分類されており、さらに貿易分類コード(SITC Rev.2, Rev.3, HS)との対応表も用意されている。そこで、基本的に各国ごとの慣行的分類に従って農産物系列を推計するが、推計された個々の系列がFAOSTAT CODEの何れに該当するかに関する注を付けることによって、貿易統計や他国の統計系列との間での互換性を保つとの方針がたてられよう。

つまり、ある国の統計で、より詳細な、あるいは異なった品目区分が使用されている場合には、それらの系列を標準分類に加工・集計するのではなく、そのまま提示したうえで、個々の系列が標準分類のどれに該当するか明示することが望ましいと考える。

(2)計測単位の取り扱い

各地域で得られる原データの単位についても何等かの統一的な取り扱いが必要である。例えば生産量や土地面積の単位は、近年では原統計でもメートル法で表記されている場合が多いと思われるが、戦前期は国ごとに様々な単位が採用されているのが一般的であろう。またそれは地域ごと、時代ごとに異なっていることも大いに予想される。これらの様々な単位のままでは地域間で集計不可能であるし、他方すべてメートル法に換算されてしまう場合には地域分析の利用には不便であろう。

そこで計測単位については、統計系列の面積、重量、容量等の計測単位は原系列で使用されているものを採用したうえで、メートル法に換算した系列を併記する。また、重量を基本とするが原データが容量で示されている場合は重量・容量の換算レートを注記するとの方針が提示できよう。また、各種の換算率も注記されるべきであろう。例えば、米の生産統計は籾で示されることが多いと思われるが、精米との換算率が必要である。これは、換算率が地域、時代、作期、品種等によって異なるためである。換算率が与えられれば、精米で示されることの多い貿易統計と統合して国内消費量等を推計するといった作業が可能になろう。


4.農産物統計の推計プロセス

LTES農業統計の推計過程を参考にAsian-LTESにおける農産物統計推計のプロセスをフロー・チャートによって整理してみれば図2のようになろう。図でグレーの太線で示された部分はAsian-LTESで推計されるべき最も基本的な統計系列であって、各系列を積み上げて粗付加価値額の系列が導出されるべき性質のものである。これに対しデータの制約から推計がより困難であると考えられるが重要な系列を「補完的系列」として示した。ひとつは資本ストックに関る系列であり、二つめは制度や構造に関する統計である。

資本ストックに関る系列は「純付加価値」を導出するために必要なものであり、LTESにおいても暫定的と断ったうえで推計がおこなわれている。Asian-LTESにおいても、国、時期によっては一定の仮定のもとで推計をおこなうことは可能であろう。

(かわごえ・としひこ 成蹊大学経済学部教授)