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Changing Economy in Indonesiaと植民地期インドネシアの貿易統計

Changing Economy in Indonesiaと植民地期インドネシアの貿易統計

加納 啓良

1940年代初頭までのオランダ植民地期インドネシアの各種経済統計については、1970年代半ばからオランダで刊行され今年中に完結予定となっているChanging Economy in Indonesia(以下たんにChanging Economy)全15巻がある。刊行元は、アムステルダムにある王立熱帯研究所(Royal Tropical Institute,オランダ語では Koninklijk Instituut voor de Tropen, 略称KIT)である。その巻別構成は、次のとおりである。 1. Indonesia's Export Crops 1816-1940 2. Public Finance 1816-1939 3. Expenditure on Fixed Assets 4. Rice Prices 5. National Income 6. Money and Banking 1816-1940 7. Balance of Payments 1822-1939 8. Manufacturing Industry 1870-1942 9. Transport 1819-1940 10. Foodcrops and Arable lands, Java 1815-1940 11. Population trends 1795-1942 12a. Trade Statistics 1823-1940 12b. Regional Patterns in Foreign Trade 1911-1940 13. Wages 14. Prices (non-rice) 15. Forestry

この統計集に収録されているデータは、18世紀末から1940年代始めまでの各種統計記録から抽出、加工、編集されたものである。この編集作業は、熱帯研究所の研究員であった故クロイツバーグ(P. Creutzberg)によって開始された。クロイツバーグが志半ばで逝去したのちその仕事は、当時アムステルダム自由大学の講師であった経済史家ボームハールド(P. Boomgaard,現在は王立言語・地理・民族学研究所長)の監修のもとに熱帯研究所に設けられたプロジェクト・チームによって引き継がれた。

膨大な量の各種資料に散逸していた植民地期インドネシア(蘭印すなわちオランダ領東インド)の統計を編纂し直そうという計画は、1930年代に蘭印政府中央統計局長を務めたマンスフェルト(W.M.F. Mansvelt)によって最初に構想されたものである。当時中央統計局に勤務していたクロイツバーグは、第二次大戦後インドネシアが独立し母国オランダに帰国してからも、かつての上司マンスフェルトの構想を実現することに努力を傾けた。新たに職を得た熱帯研究所(戦前の名称は植民地研究所Koloniaal Instituut)で、彼の努力は実を結ぶことになったのである。

上記15巻の収録データは、それぞれ時期により作成方法や出所の異なる多様かつ大量のデータを、それぞれの主題ごとに、可能なかぎり基準を統一した時系列統計に編纂し直したものである。刊行開始から完結まで20年以上の歳月を要していることからも推測されるように、その作業には膨大な時間と労力が投入されている。いかにもオランダ人らしい緻密で粘り強い作業の継続が生んだ注目すべき成果である。ちなみに、他の東南アジア諸国については、同種の再加工された統計集は探し求めても得ることができないのである。

「アジア長期経済統計データベース」の作成を目指すこの拠点プロジェクトにとっても、ことインドネシアに関してはこの統計資料が見逃すことのできない先行研究の成果であることはもちろんである。Changing Economyのデータを借用することにより、われわれは相当量の時間と労力を節約することができるはずである。とはいえ、われわれの立場から見て、この資料に問題がないわけでは決してない。たとえば、第5巻の国民所得についての巻は、50年以上も前の1943年に執筆された草稿を印刷に付したものであり、Changing Economy のチーム自身が編纂し直した統計をもとに行われた国民所得計算の成果を示しているわけではない。この古い著作の採用しているマクロ経済計算の方法や概念には、今日の水準から見ておそらくいろいろな問題点が含まれていることであろうし、対象としている期間も1921〜1939年と限られているのである。

国民所得計算というマクロ経済学的課題から離れ、経済史研究一般のための統計データベースとして見た場合にも、Changing Economyにはいろいろな難点が見出される。そのひとつの原因は、長期の時系列統計を整えることに尽力した結果、統計数値の項目が大きなカテゴリーに整理されすぎてしまい、細かい部分での、しかし歴史研究者にとってはときとして決定的に重要な変化が読み取れなくなっていることである。今この点を、筆者がもっか関心を寄せている貿易統計を例に説明してみたい。

Changing Economyで貿易を扱っているのは、第12巻a,bの2冊である。まず1冊目では、1823-1940年の期間(項目によってはその一部)について、次の9種類の表が提示される。1. 輸入総額推移、2.輸出総額推移、3.主要相手地域別輸入額推移、4.主要相手地域別輸出額推移、5.最重要品目別輸入額推移、6.最重要産品別輸出額および輸出量推移、7.国内貿易、8.輸出入関税、9.主要島嶼別輸出入額推移。次に2冊目では1911〜40年の期間だけについて、以下の10種類の表が掲載されている。

1.ジャワの6主要港湾別輸出入総額推移、2.外島の地域別輸出入総額推移、3.ジャワの3主要輸出品目の港湾別輸出量推移、4.外島の5主要輸出品目の地域別輸出量推移、5.ジャワの4主要輸入品目の港湾別輸入額(または量)推移、6.外島の4主要輸入品目の地域別輸入額(または量)推移、7.ジャワの6主要港湾別輸出品目構成(3大項目に総括)推移、8.ジャワの6主要港湾別輸入品目構成(やはり3大項目に総括)推移、9.外島の地域別輸出品目構成推移、10.外島の地域別輸入品目構成推移。

これらのデータは、貿易構成の変化に現れた植民地期インドネシアの経済構造の変化を追跡していくうえで、いずれも有益で興味ふかいものであることは疑いない。しかし、とくに最後の4つの表などは、輸出については「原材料」「商品化された食料」「精製石油」、輸入についても「食料」「消費財」「資本財」というおそろしく大きな項目に括ってしまっているために、歴史研究の素材としてはあまりにも大味なものになってしまっている。また品目別と相手地域別をクロスさせた輸出入データが得られないので、どの品目がどの地域と取り引きされたのか、その時系列変化がどうだったのかが皆目わからない。これは、たとえばジャワの砂糖輸出の相手地域別推移などに関心をもってきた筆者にとってはほとんど致命的ともいうべき欠陥である。

今述べた点について、たとえ刊行された統計表からは読み取れないとしても、編纂の中途で作成されたに違いないデータベースに溯ることができるならば把握が可能ではあるまいかと考え、12巻の編纂に携わったレイデン大学文学部歴史学科のリンドブラード(J.Th. Lindblad)に電子メールで直接連絡を取り、問い合わせてみた。氏は、上記のクロス・データが分からないのがこの貿易統計の欠陥であることをきわめて率直に認めたうえで、筆者のもくろみは実現不可能であることも指摘してくれた。そもそも、編纂作業の中間過程でもそのようなクロス・データは作られていないのだった。

となると、筆者が求めるようなデータは、いちばんおおもとの、オランダでしか見ることのできない原統計にまで溯らないかぎり収集できないということになる。そしてそれはちょっと考えるほど簡単ではないが、十分やり甲斐のある仕事であり、もし筆者がオランダまで出張してきてやる気があるのならば、相応のお手伝いをしようとリンドブラード氏は言ってくれた。ちょうどプロジェクトの事務局から海外出張の予算が残っているという連絡があったので、渡りに船とばかり、去る2月の厳寒の季節ではあったが、オランダまで出かけることにした。

数年ぶりの寒波襲来とかで、すっかり凍り付いた運河と雪景色が窓外に見えるレイデン大学構内の王立言語・地理・民族学研究所図書室で約2週間、数十年分の貿易統計書を繰りながらデータを持参の携帯パソコンに打ち込む作業を行った。限られた時間の幅の中では20世紀始めまで溯るだけで手いっぱいであった。また、それより前の貿易統計は品目によって価額表示と数量表示が入り乱れており、とても一筋縄では処理できないといったような、実物を見て初めて納得できる資料事情も判明した。それでも、この調査で得られたデータからは、かなり面白いfacts findingができそうである。

話をしめくくろう。Changing Economyは2つの点でわれわれにとって有益である。第1は、おそろしく錯綜した植民地期の各種経済統計を、比較的シンプルにまとめ直してくれたので、マクロ経済的な推計作業を行うためには、ともかくもこれが最良のベースラインになることである。第2は、歴史家の視点からはシンプルにまとめすぎたので、個別テーマの歴史研究の素材として使おうとすると足りない部分がたくさんあるのだが、どこをどうつつけばその不足分にアプローチできるのか、その手がかりはこの資料から探り出せるということである。もし、この統計集がなかったら、そのいずれも絶望的に困難であることは間違いあるまい。

(かのう・ひろよし 東京大学東洋文化研究所教授)