台湾の長期経済統計データベース作成の現状
溝口 敏行
「アジア経済統計デ−タベ−スプロジェクト」がめざす方向については、本誌第1号に示されている。その細部については必ずしも確定していない部分もあるようであるが、同プロジェクトの目的は国民経済計算の体系(主としてフロ−勘定)を念頭におきながら、長期間の経済統計を収拾・加工してデ−タベ−スを作成することにある。台湾についての作業は他の国・地域にやや先行する形で進められたために手探り状況にあることも否定できない。したがって、以下の計画も今後進められる他の研究計画との調整の上で改訂される可能性を有していることに注意されたい。
ところでこのプロジェクトは、「1990年を最終年として可能なかぎり時点をさかのぼること」を基本にしている。この点を考慮して台湾の経済統計の分布状況を基準にして時代区分すると、
(1)1885年以前(清国領有時代):統計はきわめて少ない
(2)1886-1912(日本領有初期):ある程度統計が整備されているが体系化されていない
(3)1912-1938(日本領有中期):統計整備が進められ体系化可能
(4)1939-1950(第2次大戦下および中国内戦期):戦争目的のために一部デ−タの秘匿があるほか、経済の混乱ために統計に欠如もみられる
(5)1951-1960(台湾政府による統計整備期):主要な統計は得られる
(6)1961-1990(台湾政府による統計体系確立期):各種センサスや産業連関表の推定等先進国型の統計体系の完成
となる。
このうち(6)の期間については、台湾政府の公式統計がアジア諸国の中でも信頼性が高いと評価されていることから、これらの数値ををプロジェクトのガイドラインに沿って整理するだけでよい(ただし一歩進んでストック統計を整備しようとすると困難が生じる)。(5)の期間については、部分的に推計作業が必要となるが、概ね公表資料で十分である。これら2期間についての統計は、Directorate-General
of Budgets, Accounting & Statistics (DGBAS), Executive Yuan,
National Accounts in Taiwan for 1951-1990 and Preliminary
Estimate of National Income in Taiwan for 1992, 1992.DGBAS,
Statistical Yearbook of the Republic of China, (Annual
Publication).等に収録されている。前者は「新SNA体系」に基づくフロ−勘定を示しており、支出勘定については1951-1991年について名目勘定および1986年価格表示の実質勘定を示している。名目生産勘定についても同様であるが、実質勘定は1961年以降に限定されている。
一方、台湾が日本領有下にあった(3)、(4)の時期については、台湾総督府『台湾総督府統計書』(各年).が発行されている。この統計書は、1912年に従来の縦書きから横書きに変更されたが、その変更を期に掲載される統計の内容が充実された。このため、国民経済計算ベ−スの推計等の詳細な作業を行なおうとすると、1912年以降に限定されることになるが、農業、貿易等の一部の分野については1890年まで遡ることが可能である。これらの統計を利用して台湾、日本の研究者による研究が進められ多くの成果が蓄積されている。国民経済計算(国民所得統計を含む)については、1960年代に実施された「李登輝推計」、「HSING推定」が
Ho, Samuel, Economic Developement of Taiwan, 1860-1970, Yale
University Press, 1978.
に引用されているが、その推定手続きについての詳細は明らかではない(Hoによる同著の付録には台湾の歴史統計が整理して展望されている)。一方、日本においては、1960年代後半から一橋大学経済研究所を中心とした共同研究がすすめられ、これらの成果は
篠原三代平・石川滋『台湾の経済成長』アジア経済研究所、1971.
溝口敏行『台湾・朝鮮の経済成長』岩波書店、1975。
に発表されてきたが、それらを集大成したものとして、
梅村又次・溝口敏行(編)『旧日本植民地経済統計―推計と分析』東洋経済新報社、1988.
が刊行された。
これらの研究が日本領有期のみを歴史統計の見地から対象としていたのに対して、解放前後の台湾の系列を接続して長期統計を作成しようとする試みが、
溝口敏行「台湾・韓国の国民経済計算長期系列の推計」、溝口敏行(編)『日本・台湾・韓国の長期発展(戦前・戦後を含む)の分析』一橋大学経済研究所・溝口研究室、1988.
に発表された。これは、解放前について推計された国民経済計算の支出勘定を名目ベ−スで解放後の系列に接続するとともに、解放前後の2ベンチマ−ク年の物価デ−タを利用してデフレ−タを作成し、実質ベ−スでの接続をする「間接法」によったものである。
この種の研究に刺激を与えたものとして、1990年代初期に実施された台湾大学経済学部の長期統計系列の分析が挙げられる。この多面的な分析の中で、国民経済計算を担当した
呉聡敏「1910年至1950年台湾地区国内生産毛額之估計」、『経済論文叢刊』19-2、1991.
は、生産勘定について 1910-1951年の推計を名目、実質ベ−スで実施している。名目国内総生産を、梅村・溝口(1988)掲載の、溝口・野島による支出面からの推計と比較すると呉推計がやや大きくなっているが、その相違が 15%以内に納まっている。一方、実質ベ−スでは呉推計のほうが若干低めになっているが、その相違は決定的なものではない。この研究は
(1)1945-51年のインフレ期間を含む混乱の時期についての時系列推計を行ない、解放前後を接続するという「直接法」が採用されたこと、
(2)溝口・野島推計と対比できる本格的な生産面の勘定が作成されたこと、
で画期的なものといえる。これに加えて、行政院主計処国民所得統計評価委員会『民国30年至39年国内生産毛額研編結果審査資料』、1995(未公開資料).が作成されたことによって、推計作業は大きく前進した。この推計は 1946-1951年についての生産勘定について、国民経済計算の手法で行なわれたものであり、「準公式資料」といってよい。ただ、なお検討の余地があるとの理由で現在未公開資料扱いとなっているので、ここで数値を引用することは差し控える。ただこの数値による1946年の国民総生産は呉推計より低くなっており、その相違を考慮して呉推計を補正すると、呉推計と溝口・野島推計の差は縮小する。
以上の結果は、我々を勇気づける。今回の作業では、既存の主計処公式系列、同準公式系列、溝口・野島による支出表と呉推計による生産勘定表を利用して、次の手順で長期系列を支出勘定・生産勘定の両面について作成することにしたい。
(1)1951-1990年の生産・支出勘定は、主計処の公式統計を利用する。1951-1960年の生産勘定についてのデフレ−タは、別途推計する。また、デフレ−タの参照年は、プロジェクトの申し合わせに従い1960年に切り替える。
(2)1941-1950年の生産勘定は、主計処の準公式資料の公開を待って利用する(試算は未公開時点でも進める)。支出勘定は、部分的推計にとどめ、総合勘定はこの期間については推計しない。
(3)1912-1938年の支出勘定は溝口・野島推計を微調整したものを使用する。また、1939-1941年の期間についての補外作業をおこなう。
(4)主計処の情報を基に政府消費、輸出、輸入の名目、実質値は、解放後の国民経済計算の系列に直接接続する。民間消費、国内総資本形成について1942-1950の数値を得ることは困難であるが、名目値は解放後のデ−タに直接接続可能である。実質値の接続に当たっては、従来の間接法によらず、混乱期間を含む台湾政府公表の物価指数による直接法に切り替える。
(5)主計処の準公式推計の1941年値から出発して、1912-1940年の生産面の推計作業を、呉推計を参考にしながら行なう。
表 1 台湾の名目国民経済の暫定推計
1915 (千元) |
1925 (千元) |
1935 (千元) |
1951 (百万元) |
1951 (百万元) |
1951 (百万元) |
1951 (百万元) |
1951 (百万元) |
||
支出勘定 | 民間消費支出 | 4.396 | 12.354 | 15.151 | 8,928 | 42,559 | 127,636 | 767,742 | 2,302,09 |
政府消費支出 | 0.320 | 0.983 | 1.421 | 2,200 | 12,032 | 41,397 | 237,160 | 743,773 | |
国内総資本形成 | 0.430 | 2.265 | 4.355 | 1,779 | 12,618 | 57,886 | 503,911 | 945,839 | |
輸(移)出 | 2.168 | 7.053 | 10.374 | 1,257 | 7,192 | 68,784 | 783,272 | 2,013,953 | |
輸(移)入 | 1.790 | 5.170 | 7.918 | 1,836 | 11,894 | 68,860 | 801,026 | 1,783,570 | |
[国内総生産] | 5.329 | 17.137 | 23.383 | 12,328 | 62,507 | 226,805 | 1,491,059 | 4,222,004 | |
生産勘定 | 第1次産業 | 2.156 | 7.702 | 8.332 | 3,980 | 17,838 | 35,076 | 114,556 | 174,242 |
第2次産業 | 1.202 | 4.019 | 6.012 | 2,630 | 16,796 | 83,530 | 682,114 | 1,795,742 | |
第3次産業 | 2.228 | 5.965 | 7.439 | 5,718 | 27,873 | 108,199 | 694,389 | 2,252,020 | |
統計的不突合 | -0.317 | -0.549 | 1.600 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
注:
現在、(3)の延長作業を除いて、各段階の第1次試算が終了している。この結果によれば、1912-38年における名目生産勘定と支出勘定の間に発生する「統計的不突合」はほぼ国内総生産の10%以内にコントロールされており、両勘定は十分両立可能になっている(なお、1951-1990年の主計公式処推計では、この値を0にするように推計が行なわれている)。ただ、間接物価比較をベ−スとして推計した実質支出勘定からの実質国民総生産と、数量指数等を利用して直接接続することによって求められた生産勘定からの実質値間に若干の差があるので、調整の余地が残されている。
ここで現在得られている試算を示しておこう。表1には、試算のうち主計処の未公開資料に関わりのない部分が例示されている(本来1950年値のところに1951年値が示されているのはそのためである)。同表の名目値の計算にあたっては1948年に実施された、1台湾新元= 40,000台湾円のデノミネ−ションによる換算が適用されている(同表ではで1940年以前と以後で表示単位が異なっていることに注意されたい)。同表の原表を利用した様々の分析が考えられるが、表2では
名目金額=デフレ−タ*実質金額
実質金額=人口*1人当り実質金額
の関係を考慮して、名目国内総生産の成長率を実質GDP、GDPデフレ−タ、人口の成長率に分解する形で、期間別の年平均成長率を示している。第2次世界大戦前の台湾の経済成長率は国際的にみて高いレベルにあったが、人口の成長率も大であったので大幅な生活水準の改善にはつながっていない。これに対して、1960年以降の経済成長は目覚ましいものがあり、1人当たり実質GDPの大幅な増加がみられる。1940-50年の経済混乱の状況は、実質GDPの伸びの低下とGDPデフレ−タのそれ以上の上昇から読み取ることができる。
表2 台湾の名目国内総生産の分解(年率:%)
名目総生産 | デフレータ | 実質総生産 | 人口 | 1人当実質総生産 | |
1915-25 | 12.386 | 7.051 | 4.989 | 1.509 | 3.429 |
1925-35 | 2.812 | -1.751 | 4.642 | 2.514 | 2.076 |
1935-38 | 8.962 | 5.520 | 3.267 | 2.633 | 0.615 |
1935-51 | 151.812 | 151.957 | -0.065 | 2.810 | -3.365 |
1951-60 | 19.767 | 10.748 | 8.153 | 3.347 | 4.634 |
1960-70 | 13.755 | 3.415 | 9.999 | 2.565 | 7.247 |
1970-80 | 20.721 | 10.682 | 9.072 | 1.951 | 6.984 |
1980-90 | 10.969 | 3.828 | 6.877 | 1.346 | 5.457 |
ところで、アジア経済統計デ−タベ−スプロジェクトでは、国民経済計算の推計を中心に関連デ−タもデ−タベ−ス化することになっている。最終報告書についての台湾推計担当者間での協議では暫定案として、
1.国民経済計算、2.第1次産業の活動指標、
3.第2次業の活動指標、4.第3次産業の活動指標、
5.民間消費の活動指標、6.政府財政の活動指標、
7.資本形成関連統計、8.外国貿易業の関連指標、
9.金融、物価統計、10.人口・労働統計
の構成が考えられており、各項目別に国民経済計算を支える基礎デ−タをファイルすることが考えられてている。これらの作業は1996年度末を目標に進められている。
(みぞぐち・としゆき 広島経済大学経済学部教授)