アジア長期経済統計プロジェクトの真価


アン・ブース




  今日までの5年間、一橋大学経済研究所の「アジア長期経済統計プロジェクト」(ASHSTAT)は、多くの文献を出版し、世界中のアジア経済史の研究者に大きな貢献をしてきた。また、日本語と英語で年4回『ニュース・レター』を出版するとともに、1996年以降、インドネシア、北朝鮮、エジプト、ベトナム、フィリピンなど多くの国々に関する経済史や歴史人口学にわたるテーマを扱ったディスカッション・ペーパーを、定期的に出版してきた。厳格な人は、これらの中で使用された「アジア」の定義に関して批難を示すかもしれないが、しかし西欧社会以外で、長期経済統計に関する文献がいまだ不十分である現状においては、このプロジェクトが重要な貢献をなしたことに疑問の余地はない。また『ニュース・レター』やディスカッション・ペーパーなどの多くの論文には、詳細な参考文献と重要な分析も含まれており、単にデータの収集にとどまらない。



 もちろんこうしたきわめて難しい作業をおこなえるのは、一橋経済研究所の誉れ高い伝統によるものである。つまり1960年代から70年代の『長期経済統計』(LTESと略称、全14巻)の経験によるものである。寺西重郎教授の開会の演説(2000年1月7-8日のCOEプロジェクト・国際シンポジウム)を拝聴して思いおこしたのであるが、一橋大学がLTESを実施できたのはロックフェラー財団の力添えがあったからであろうが、その時の恩義を、ASHSTATプロジェクトは出版という形で今も返し続けているのである(しかも利子付きで)。一橋大学は、LTESデータの作成という日本経済史における分析的な研究成果によって、世界の多くの経済学者や経済史家の間で有名になった。紀伊國屋書店から英語で出版された、大川一司教授、篠原三代平教授、石川滋教授、南亮進教授など(ほんの数名の名をあげたにすぎないのだが)による、日本の経済史に関する一連の分析研究は、1960年代から70年代に世界中の図書館に所蔵され、たんに日本に関心を持つ学生ばかりでなく、日本の経済的発展が非西欧世界の国々に提供すべき教訓に関心を持つ学生にも、熱心に読まれたのである。私がオーストラリアで大学院生であったとき、石川教授のEconomic Developments in Asian Perspectiveという書物を読んだ。この本が東南アジアやインド亜大陸およびその他の地域の経済発展に関する問題に対してユニークな展望を明らかにしていたことを、強く思いおこす。



 悲しい現実ではあるが、長期にわたる経済成長の比較研究を行うための資金の拠出は、いまだに世界の中で非常に限られているのが現状である。一橋大学におけるこの研究を支えている多くの条件の中では、日本の文部省の支援がもっとも力強いものであったといえるだろう。今日では、きめこまかな資料の収集と長期統計分析は、そのどちらも、ほとんどの経済学部で研究者の学術的な評価を高めうるような研究テーマではなくなった。実際、サイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)のような人ですらも、今日のアメリカの一流大学において果たして大学教授の職を得られるであろうか。ヨーロッパの大学では、おそらくアメリカよりもこの種の研究は認められているであろうし、また度々積極的な支援もなされている。アンガス・マディソン(Angus Maddison)教授は比較経済成長に関し、多くの場で自説を発表してこられたのみならず、オランダのグロニンゲン大学にGroningen Growth and Development Centre:GGDC)設立のために尽力された。そしてオランダ政府が(少なくとも私の知る限り)、LTESと比較できるほどの規模でアジア長期統計に関する一連の出版に資金提供してきたをしたことを忘れてはならない。これは、ピット・クロイツベルク教授(Piet Creutzberg)によって1970年代初頭にはじめられ、彼の死後ピーター・ブームハルト(Peter Boomgaard)とそれに携わったアムステルダムの王立熱帯研究所で働く研究チームに受け継がれ、その成果は16巻におよぶシリーズ Changing Economy of Indonesiaとして世に問われている。彼らの丹念で詳細な注釈がつけられた本は、インドネシア経済史を学ぶ学生にとって貴重なものであり、また今後も長期にわたりアジアの経済史を扱う研究者にも利用され続けていくことであろう。

 オランダ、フランス、スペイン、ポルトガルの諸大学は、英国の大学同様、以前植民地として支配した国々の歴史研究を支援し続けているが、ヨーロッパでは、アジア、アフリカ、中東に関する数量経済史の研究に対する資金はごくわずかなものであり、学生の関心も薄い。これらの国々に関心を持つ学生は、現代の問題を研究することを好む。その理由は、現代に関する研究の方が資金を容易に得られるし、いうまでもなく経済史研究ではお金を稼げる職にはなかなか就けないと彼らは感じているからである。それに、多国間もしくは二国間参加の援助団体の多くは、経済史家を雇わない! 大変残念なことである。

 ASHSTATの出版物は、今日われわれが「発展問題」と呼んでいることに関する価値ある資料が、どのくらい植民地の文書局に存在し、また植民地政府によって公表されているかを明らかにすることに役立つ。一例をあげると、私は最近コーネル大学の図書館で 、Bulletin Economique de l'Indochine という50巻以上の本を詳しく調べる機会があった。その内容については、ヤブス・ヘンリー(Yves Henry)のような勤勉なフランスのお役人でさえ感動しているのである。彼は業務上の職務の中で東南アジアの隅々まで広範囲にわたる旅行を何とか成し遂げ、またジャワにおける一般大衆の信用制度や、マラヤやスマトラのゴム栽培、フィリピンの砂糖栽培といったような、啓発的なペーパーを出版したほどの人物である。

 幸運にも、ジャン‐パスカル・バッシーノ(Jean-Pascal Bassino)、ジャン‐ドミニク・ジャコメッティ(Jean-Dominique Giacometti)、それにASHSTATプロジェクトの仲間たちの貢献によって、植民地時代のインドシナに関して情報がどの程度有益なものかを、さまざまな分野にわたる現代の学者グループが注目するようになった。



 私の個人的見解であるが、現在もっとも真剣に経済成長の比較研究を行っているのは日本の学者であり、日本の大学である。日本の大学は、経済史をもっともうまく経済学の履修課程の中に組み込んでいるように思える。他の国々はアメリカ・モデルに追随し、新古典派経済モデルの科目に限定して教えるという悲しむべき傾向があり、歴史状況に即してそのような理論を採用するという試みは、ほとんど行われていない。ヨーロッパおよび北米に関する経済史については、いくつかの履修課程が、アメリカ合衆国やカナダ、西欧の多数の大規模な経済学部で教えられている。しかしそれらは「単位の取りやすい科目」と見られており、優秀な学生はそれを履修しようとはしない。SOAS(アジア・アフリカ学院、ロンドン大学)のような専門機関を除くと、アジアやアフリカ・中東の経済史の履修課程は、いまだに限られている。もちろんこれは、教える題材が欠乏しているためでもある。これらは博士課程およびそれ以降の段階で、研究者を増やすことによって改めていくしかない。しかし、この種の研究は容易でないことを認めなければならない。たとえば、本格的なアジア(ロシアを加え)比較研究を行おうとするのであれば、歴史的題材を正確に扱うためには、少なくとも6つのヨーロッパ言語と12以上のアジア言語を必要とするのである。

 もちろん、どの学者もそのような言語学上の才能を有しているわけではない。東アジア・中東アジア・西アジアおよび中央アジア、インド亜大陸の30カ国以上の題材を探求する時間も費やせずにいるのが現状である。将来に向けた唯一の道は、ASHSTATプロジェクトのような、広範な国々からの学者を集めるプロジェクトを企画し、研究に資金を出し、それに関心を持つほとんどの学者が(少なくとも)読むことが可能となるような言語(ほとんどは英語になるであろうが)で出版を行うことである。このような大掛かりなプロジェクトは、資金を費やさずにはできないことだ。このことは、このようなプロジェクトが政府からの援助や財団からの学術研究基金を受けられるつよい伝統のある豊かな国でのみ可能だということを意味する。これらの伝統と研究における過去の業績があるという理由からして、将来もこの種の共同研究の先導者としての役割を続ける立場にあるのは一橋大学経済学研究所だけだといえよう。私は、このプロジェクトが過去5年間ですでに成し遂げたことを、これから先も築き上げることができるよう望んでいる。

(Anne Booth: School of Orient and African Studies, University of London)