「中華民国期の経済統計」ワークショップ観戦記


山本有造



 表記のワークショップが9月20日(月)‐21日(火)の2日間、一橋大学佐野書院において開催された。私は中国部会に所属しているにもかかわらず、校務にかまけて休眠状態を続け、中国部会にもプロジェクトにもご迷惑をかけている。今回は幸い2日間を通して出席することができたので、ワークショップへの参戦ならぬ観戦の記を書かせていただく。まずプログラムの大要を示せば、次のとおりである。

「中華民国期の経済統計:評価と推計」プログラム

第1セッション(1):国民所得
1 報 告 松田芳郎 「近代中国のGDP成長分析」
討論者 山本有造

第1セッション(2):財政・外債
2 報 告 金 普森 「北洋時期における財政と外債」
討論者 金子 肇

第2セッション:農業
3 報 告 牧野文夫・羅 歓鎮・馬 徳斌 「中華民国期の農業生産」
4 報 告 曹 幸穂 「民国時期農業調査資料の評価と利用」
討論者 吉田浤一

第3セッション(1):物 価
5 報 告 王 玉茹 「近代中国における主要物価指数の作成」
討論者 王 業鍵

第3セッション(2):貿 易
6 報 告 小瀬 一 「中国海関統計に見る1920年代」
討論者 陳 争平

第4セッション:工業
7 報 告 久保 亨・関 権・牧野文夫 「中華民国期の工業生産額推計」
討論者 黄 漢民・金丸裕一

 参加者は、国内研究者44名(うち中国人研究者14名)と海外研究者6名(中国5名・台湾1名)の50名、これに通訳またはオブザーバーとして中国・台湾人院生11名が加わった。セッションにより若干の出入りはあったが、中国部会のテーマがいまや国の内外で浸透し始めていることをうかがわせた。

 提出された報告論文とそれに対するコメントを含む論文報告集が、日本語と中国語の両方で公開される予定と聞いているが、以下、2日間の会議において取り上げられた論点のいくつかを紹介したい。会議の最後に、プロジェクトの代表者である尾高煌之助教授が総括コメントを行われた。誠に意を尽くしたコメントで、私が蛇足を付け加えることはない。ここでは、今後の課題に関わるいくつかを取り上げ、私見を交えて列記する。

(1)非市場経済と国民経済計算

 この問題は、国民所得推計は歴史的にどこまで遡って行い得るか(行う意味があるか)、あるいは後進経済において比重の高い自給経済部分をどのように(どの程度)把握するか、に関わる。1840年代の中国国民所得推計というのは、国民所得の本来の概念からいって意味があるのであろうか。あるいは所得の大半を帰属計算で求めなければならないとすれば、そこで計算される国民所得というのは一体何を意味するのであろうか。これは、中国班に限らない、プロジェクト全体に関わる問題であるが、時に立ち止まって考えておく必要があろう。

(2)「半植民地」中国における土着資本と外国資本

 「植民地」となった地域の「国民所得」を考える場合、「国民」概念と「国内」概念、あるいは居住者と非居住者の区別について、一般的な国民経済計算の場合とは異なる困難があるように思われる。中国の場合はさらに、諸列強による「勢力圏」の設定というような非公式の外圧をうけた。「植民地」あるいは「半植民地」状態にあった地域における外国資本の経済活動を、土着資本のそれと区別して評価するには、どのような工夫が必要であろうか。

(3)地域格差と平均値あるいは代表値の設定

 中国という広大かつ多彩な経済体を対象にした場合、極めて大きな地域的格差を平均して国民的代表値を求めることは可能であろうか。この問題は、たとえば物価指数について顕著に表れる。天津消費者物価指数で都市部消費者物価指数を代表させるとした場合、その代表性にどのような留保を必要とするであろうか。あるいは農家経済調査にもとづいて農業所得の付加価値率を推定しようとする場合、ある地域に偏りすぎている既存データをどのように調整して用いればよいのであろうか。

(4)基礎資料の量と質

 日本と比べて中国の基礎資料が質・量ともに極めて劣位にあることは言を俟たない。財政統計などを除けば、今後新たな発見が期待される分野は多くないであろうから、既存統計をどのように活用するかが考えられなければならない。この点で今回注目を集めたのは北洋政府時期の「農商統計表」である。この統計は信頼度の低い資料の例としてこれまで殆ど利用されなかった。しかし今回、これと日本の「農商務統計」との連関とともに、使い方次第では信頼性のあることが報告された。既存資料を新しい眼で見直すことの重要性が提起されたといえる。

 中国班の研究は、いまようやく推計作業の入り口に達したところで、あれこれ注文をつける段階にはない。しかし3年半にわたる共同作業を経て、ともかくも歴史統計としての中国国民所得統計を展望できるところまでたどり着いたということはできよう。なおしばらくは推計の基礎作業に力が注がれることになろうが、ここまできたら、暫定結果を用いた分析を併用して推計と分析の相互チェックを行うことも可能であろう。

 かつて南亮進教授(部会リーダー)は、中国部会の構成について、ベテランから新人まで、経済学者と歴史学者がバランスよく配置されていることを特徴として指摘された。また、このプロジェクトが日本留学中の若い中国人学徒をトレーニングし、数量分析の新しい学者を輩出する場となることを期待すると述べられた(『ニュースレター』No.9、1998年)。今回の会合では、さらに中国・台湾からの招待研究者を加えて、マクロ・データの推計と解析に「話が通じあう」輪が確実に広がり、定着しつつあることを実感した。工業生産統計、農業生産統計のグループは、経済学者と歴史学者、日本の研究者と中国の研究者との共同作業の誠によい例を示している。南開大学・王玉茹教授の物価指数、中国社会科学院・陳争平氏の国際収支統計に関する研究は、中国部会の作業とすぐに連携しうるし、現に連動しつつある。また国民所得推計について、国家実務機関の中枢・中国国家統計局と密接な連携が図られていることも、中国班の特色とひとつであろう。そして何よりも、若い中国人留学生および若手研究者のなかにこの種の研究が確実に浸透し、南教授の期待が現実のものとなりつつあることに深い感銘を覚えた。

 なお道のりは遠いが、中国を除いてプロジェクトの成功はありえない。最後に、中国班の班長として共同研究を統括してこられた南教授、そしてリーダーを補佐してこのワークショップ開催に尽力された牧野文夫教授に深甚の謝意を表する。次回のワークショップが待たれる。

(やまもと・ゆうぞう 京都大学人文科学研究所)