GDP時系列の推計を超えて

プロジェクト代表幹事 尾高煌之助


 

広域アジアのGDP時系列を推計・整備することによって、それが経済の実態の動きを忠実に表現してくれることを期待し、ついでその動きを解釈する知的営みを介して、現在と将来をともに生きるための参考にしたい。これは、「アジア長期経済統計プロジェクト」の背後に秘められたヴィジョンである。

このヴィジョンは、しょせん実現不可能という論者もあるだろう。しかし筆者は、条件つきではあっても、この課題に挑戦する意義は十分あると考える。以下では、GDP系列の推計作業が提供する興味深いテーマをいくつか陳列しよう。

 

GDPが市場価値の集計概念であるからには、その推計作業は、市場が存在し、有効に機能していることを前提にしている。しかし、制度としての市場の形態は、時とところによって一定でない。それをどう捉え評価するか。たとえば、農家が自家消費する農産物や、わが家で製造した物品・サービスはどう算定するのか。市場の広さと深さをどこまで追求すればよいか。これは、市場の発展の歴史やその浸透度はもちろん、比較経済制度の話題(資本主義か社会主義かなど)とも深くかかわる。

市場の性格は、取引きされる商品サービスをめぐる競争の状態にも依存する。すなわち、競争の程度のほかに、

    a.市場への参加退出の自由(取引主体の数と相互干渉のありなし)、

    b.商取引に関する情報の範囲と深さ(その浸透度と透明度)、

    c.取引主体相互間の信頼(スミス流にいえば「同感」)の広さと幅、それに

    d.動機づけ(市場で獲得した利益の保証と分配の様式)、

が問題である。

aとbとは、「取引費用」の低さに集約される。社会的信頼関係が契約的関係よりも優位なケース(日本など)もあれば、逆に、スポット的取引ですべてを瞬間的に決済するのをよしとするケース(中国など)もある。dは、公租や社会保障、世代間の移転(富や所得の分配、その公平性)などを介して、社会の活性化につながる。

商品市場は、情報革新によって様変わりする側面がある。ネットワークの経済が変貌するからである。現代社会は、規模の経済だけを考えればよいというわけではなくなってきた。1990年代のアジアは、いまやこの意味でも変貌の直前にある。

上記は、いずれも生産活動(フロー)に関係しているが、dの動機づけをめぐっては、資産市場の状況が重要である。富(ストック)の蓄積の形態、およびその権利の保証がこれである。なぜなら、これらは拡大再生産の動機づけにかかわるから。経済発展における資産所有権の重要性は、ノースが強調するところだが、実際には、所有権ではなく利用権(借用権はその一形態)の保証でもよいはずだ。この点で、土地を寺院に寄託し、借用権の保有でよしとしたといわれる近世エジプトの経験は示唆的である。

富は具象的でなくてもよい。蓄積されてこそ価値があるものには、教育、名声、名誉、社会的尊敬もしくは信用、実績などもある。そしてこれらは、モノの所有と一対一には対応しない。富が具象的かどうかは、富を継承できるかどうかの違い(そしてこの違いのみ!)にかかわる。

近代経済成長は、カネのストック(マネー)ではなく、モノのストックとその動静(資本形成!)に関心が集まる過程でもあった。ちなみに、経済史における重商主義と自由主義との差は、つまるところ、ストックとしての貨幣と物財とのどちらを強調するかの違いに帰着する。単純に、重商主義が旧式で自由主義が新式だというわけではない。いいかえれば、現代経済も重商主義的観念と無縁ではない。

 

金融的発展は、資金の内生と外生とにかかわらず、 経済発展(あるいは産業化)の必要条件である。だが、十分条件とはいえない。

日本の長期マクロ経済統計を樹立した故大川一司教授は、長期の(したがって究極の)経済発展は、すぐれてモノ(フローおよびストック)の量的成長にかかわるとして、金融的発展には重点をおかなかった。その意味で、大川経済学は発展の十分条件を追求したのである。

しかし、長期は、短期を経由してこそ実現する。十分条件の経済学は、成長の結果を投影するという意味で正攻法ではあったけれども、十分ではなかった。

たとえば、日本の工業化にとって、輸出の目標となる海外市場の存在と拡大とは不可欠だった(たしかに、成長があってこそ輸出が伸びたという逆の側面も無視できないけれども)。ところが、その際、国際金融制度のあり方はきわめて重要な要因だった。日本は、その歩みの大半が固定為替制度の下にあったことが幸いしたのだから。すなわち、開国直後は金銀両建て(事実上の銀本位)に始まり、次いで金本位制度(この間、円は断続的に下降)、そして第二次大戦後はパックス・アメリカーナと金為替本位制度の下で、(為替切り下げを繰り返した英国やフランスとは対照的に)継続的かつ安定的な円安の状態を享受し続けたのである。これは、原料を海外に依存する国としてはマイナスだったが、輸出依存型工業化のためには絶大なプラスだった。

ともあれ、工業化と国際経済環境とのつながりは、次の二点に求められる:(1)海外市場がどこにあるか、どう広がっているか、および(2)国際金融制度、あるいは国際金融決済の仕組み。第2点についていえば、徳川時代の貨幣制度は、開国後の日本が対応のために準備をした側面があるかもしれない。つまり、貨幣そのものの物的価値とは切り離された貨幣制度の運用と、金銀比価の変動を気にしない鈍感さとを用意した、という意味で。

 

近代の国民国家は、もともと人工的な枠組みである。必ずしも民族的、文化的、言語的根拠があっての観念ではない。この意味でも、アメリカ合衆国の成立は壮大な、そしてともかくも成功した実験だった(実験とは、ここで成立したのが複雑な民族的・文化的背景をもつ国家だという意味である)。

しかしこの枠組みは、もはや時代遅れとの議論にもかかわらず、簡単には崩れまい(変容はするにしても)。とすれば、GDPを構成する基本単位は、今後とも国民国家であり続けるのではあるまいか。そして、上にふれた金融制度(貨幣制度)こそは、国民国家の枠組みともっとも密接に連結している。それゆえ、国民国家の枠組みを不変のままに統合通貨制度を作っても、金融制度(金融政策)の緊密な協調と連動がないかぎりはうまく機能しないだろう。

 

上述のもろもろの要因と関連して、さまざまの非経済的要素についても、今までよりも積極的に(ただし、たんに「文化的」などとくくるのではなく、もっと具体的かつ個別的に)考察される必要がある。たとえば、社会保障の代替としての家族共同体の役割、サービス経済化がもたらす社会事象、市場の仕組みの変遷やその機能の歴史分析、公私の境界変化に関する研究、等々。GDP時系列の国際比較を試みるときには、否応なしにこの種の課題に直面せざるを得ない。これは、われわれのプロジェクトがもたらす大きなチャレンジである。

 

謝辞:本稿を準備する過程で、斎藤 修氏との討論は有益だった。ただし、本稿の文責は筆者一人のものである。

 

(おだか・こうのすけ 一橋大学経済研究所)