戦前期タイの貿易統計


通関統計と英国領事報告



宮田 敏之

 

戦前期タイの貿易に関する一次史料を本格的に収集しようとする場合、通常かなり大きな困難に直面することを覚悟しなければならない。タイ国立古文書館、タイ国内の主要大学あるいは官庁で、戦前期のタイ貿易に関する一次史料を時系列かつ網羅的に所蔵している機関が今のところ見あたらないからである。タイは古くから官僚制が整備され、歴史的におびただしい公式文書が作成されたといわれている。戦前の貿易統計に関しても、相当の文書・統計書があってしかるべきである。未見の史料がどこかに所蔵あるいは放置されている可能性は十分ある。史料へのアクセスに関するノウハウが足りないだけなのかもしれない。ただ、現状では前述のように、タイ国内の主要研究機関においてさえ、外国貿易関係の一次史料を時系列かつ網羅的に閲覧することは困難なのである。

しかしながら、こうした困難な史料状況の下で、本アジア長期経済統計プロジェクトにおける戦前期タイの貿易統計整備作業は、史料収集とその集計という点で、十分とは言えないまでも着実な進展を見せている。本稿では、その進捗状況を簡単に紹介し、今後の展望を整理したいと考える。

 

2.主要貿易統計

戦前期タイの貿易統計作業は、タイ国関税局作成の通関統計と英国領事報告の収集、及びその集計を中心に進められている。その収集・集計の主要な目的の一つは、1955年の初版以来タイ外国貿易研究の基本書として評価の高い、James C.Ingram, Economic Change in Thailand 1850-1970. California: Stanford University Press, 1971(1955)( 以下 James C.Ingram [1971(1955)] と略す )の貿易統計を上記一次史料等の分析を通じて再検討することにある。以下では、それら史料の紹介と収集状況を簡単に整理することにしたい。

 

    通関統計

    われわれ貿易班では、戦前タイの貿易統計を検証する上で最も根本的な史料であるタイ国関税局作成の通関統計の収集とその集計を進めている。収集された通関統計は、文末のデータベースに示した 1.FTN と 2.SIET の2種類の通関統計シリーズである。これらは、先行研究で十分に活用されてきたとは言い難いタイ国関税局オリジナルの統計であり、完全ではないにせよ、20世紀初頭から1950年代までをカバーしている点で、極めて価値の高いものである。

    本稿で(1)FTN と呼ぶ通関統計については、われわれタイ班では現在のところ1907/08年 (1) から1911/12年までの各年版を収集し、本貿易統計の戦前のベンチマーク年1923/24年、1928/29年、1933/34年、1938/39年、さらに戦後の1948/49年、1955年版の統計をすでに入力済みである。たとえば、1907/08年の統計報告 The Statistical Office, H. S. M. Custom, The Foreign Trade and Navigation on the Port of Bangkok.Year Ending March 31st.1908, 1908の構成は以下のとおりである。まず、タイ関税局統計事務所担当官ノーマン・マックスウェル( Norman Maxwell )が関税局長モム・ジャオ・プロム( Director-General of Customs, Mom Chow Prom )へあてた前文に続き、Memorandum, Abstract Tables が記されている。次に本編は Detailed Statement of Imports, Detailed Statement of Exports, Imports from all Countries, Exports to all Countries, Abstract Table of Imports from each Country, Abstract Table of Exports to each Country, Summary of Shipping, Summary of Passenger Traffic by Sea の全99ページで構成されている。ここに記した1907/08年版は1908年5月に発行されたものではるが、The Siamese Year 125( 1906/07 ) と The Siamese Year 126( 1907/08 )の2年に関する Detailed Statement of Imports, Detailed Statement of Exports を含んでいる。また、Abstract Tables は1902/03年統計まで、Imports from all Countries, Exports to all Countries については1903/04年統計まで溯ってデータが参照できる。

    また、先述の関税局統計担当官ノーマン・マックスウェルが関税局長モム・ジャオ・プロムへあてた前文では、このFTNのシリーズの統計作成に関する次のような説明がなされている。それは統計作成の開始年次と、暦の変更に関するものである。つまり、この統計シリーズの作成開始は1899年版からであり、1906年までは The Christian Year( 1月から12月 )のデータで作成されたということである。ところが、1907/08年度、つまり1908年5月発行のものからは、The Siamese Year( 4月から翌年3月まで )に変更し、それに伴なって、The Christian Year で作成した1906年統計を、The Siamese Year のデータ( 1906/07年 )に計算しなおした、というものである。一般に、統計史料においては、数値データばかりではなく、こうした Memorandum などの注意書きや補足説明が貴重な情報をもたらす。この前文の記述は、まさにその好例であろう。

    他方、もう一つ別のタイトルを持つ通関統計シリーズが存在する。文末のデータベース 2の SIET シリーズである。現在、貿易班で収集しているのは、1907年発行 SIET 1906年版のみである。この1906年版は貿易統計がすべて The Christian Year で集計されている。その構成は、I. Foreign Trade( General Imports for the year 1906, General Exports for the year 1906, General Account of Shipping in 1906 ) さらに II. Abstract of Foreign Trade である。 II. Abstract of Foreign Trade では1900年までさかのぼってデータが収録されている。情報量もほぼ FTN と同様の本格的な通関統計である。

    とすれば、前述のノーマン・マックスウェルが引き合いに出した1906年以前の The Christian Year による通関統計はこの SIET であると考えることもできる。しかしながら、James C.Ingram [1971(1955)]で は、この SIET が1900年から1946年までタイ政府刊行書として参考文献に示されている。 James C.Ingram [1971(1955)] に従えば、SIET が The Christian Year で第二次世界大戦直後まで作成され続けた FTN とは別の通関統計シリーズであると理解する方がよさそうである。とはいっても、ほぼ同じ期間に2種類の通関統計を関税局が作成するのは、一見不自然に思われる。異なる暦に対応する形で、タイの通関当局が2種類の統計を作成したのであろうか。現在のところ FTN と SIET の関係を明確に結論づける資料に乏しく、これ以上通関統計シリーズの作成状況に言及することはできない。ともかく、FTN であれ、SIET であれ、少なくともこうした通関統計シリーズの開始( 通関統計自体の開始ではない )とされる1899年から1905年、さらには未収集の1912/13年から1921/22年までを中心にして、早急に史料の確認・収集・集計を行う必要があると思われる(2)。また、James C.Ingram [1971(1955):335] には、通関統計の一つと見られる Comparative Statement of the Imports and Exports of Siam、1892-1901が参考資料としてあげられている。この史料については所蔵情報がこれ以外にほとんどないが、その確認・収集作業も急を要するであろう。なお、収集済みのこうした貴重なタイ国関税局作成の英語版通関統計 FTN・SIET のほとんどは、日本国内の研究機関( 東洋文庫、東京外国語大学等 )に所蔵されていた。国内における徹底した史料確認作業の重要性を再度強調しておきたい。

     

    英国領事報告

    本貿易統計では、いわゆる英国領事報告、つまり在タイ英国領事通商報告の収集も進んでいる。この史料の重要性は、19世紀後半から第一次世界大戦前にかけての貴重な貿易統計データが記載されている点にある。James C. Ingram [1971(1955)] をはじめとするタイ経済史研究においても盛んに利用されてきた。しかし、多くの場合、時代、地域、分野を限定した利用法であった。そこで、本貿易統計はマイクロ・フィッシュ版英国議会資料からの収集作業や、大英図書館等での収集により、これまで本格的に利用されていない1850年代のバンコクに関する報告、及び20世紀初頭のタイ北部・南部に関する貿易統計データを積極的に活用し、その再集計を目指している(3)。ただし、貿易統計自体は、タイ国関税局から入手したデータ( 北部はモウルメン、南部はペナンなどの英国植民地当局のデータ )を領事館の担当官が必要に応じ加工しており、報告の内容自体もイギリスの利害を反映していると思われる。この点は十分に理解しておく必要があろう。

    こうした報告はそもそも在タイの英国領事が担当地域、バンコク、チェンマイ、ソンクラー( Senggora )、プーケット( Puket )等の経済概況や市場動向を本国外務省あてに書き送った年次報告であり、これが議会に報告されて議会文書の一部となった。19世紀を通じてバンコク領事の報告が圧倒的に多い。チェンマイ領事の報告も1870年代から作成され1880年代には領事館の設立によりバンコク報告とは独立した体裁をとるようになる。1900年代以降は南部地域についても独自の報告が作成された。ただ、後に英領マレーに併合されてしまう Saiburi 地域などの統計を含むため、統計値を連続させるためには注意が必要である。

    報告の構成はほぼ一貫したスタイルを持っている。当該年の貿易・為替の概況や商品別輸出入状況を解説した本文と、巻末に付された船舶・輸出入統計表で構成されている。本文には必要に応じて簡略な統計表も記載されており、時として巻末の統計表以上に重要な情報を提供している。ただ、作成者によって報告の精粗には著しい差が生じている。本文の分量もさる事ながら、報告に収録された統計表には大きな違いが見られる。そのため、時系列に整理し直す作業は、各年次の統計表から単位や商品分類等を修正しながら数字を拾うと同時に、本文中の重要データについても丹念に読み取って数字を積み上げていくことが必要となるのである。

 

3.おわりに

本貿易統計は、先行研究よりも格段に詳細なデータを提供し、第二次世界大戦前と戦後の貿易統計を長期にわたってつなぐ、戦前期側の基礎データを準備することになるであろう。それ以上に、戦前期のタイ貿易関係史料発掘自体を活性化させ、新たな成果を生み出す契機となるはずである。そのため、タイ国内、日本・イギリスをはじめとする諸外国の資料館・研究機関はもとより、当時の在タイ外国人の個人所蔵資料や国立民族学博物館に所蔵された英国議会資料のオリジナルコレクションの本格的調査が不可欠となるであろう。ただし、忘れてならないのは、やはり19世紀後半以降の通関統計全体の収集である。1850年代以降の英国領事報告では通関統計の不備や発行の後れを嘆いた箇所にしばしばでくわす。存在自体は明らかであるものの、その全体像は未だ不明である。統計の精度はともかく、当時の通関資料を確認する作業は今後も続ける価値が大いにあるだろう。

   

[データベース]

 

タイ班が貿易の時系例データ( 1854〜1948 )を作成するために依拠している統計は次のとおりである。

    (A)通関統計

    1. FTN : The Statistical Office, His Majesty's Customs, The Foreign Trade and Navigation on the Port of Bangkok.Year Ending March 31st.1908, 1908( 1906/07年は1908年発行版に収録。以後1912年発行の1911/12年分まで収集 )。さらに1920年代以降は The Statistical Office, His Majesty's Customs, Annual Statement of Foreign Trade and Navigation of the Kingdom of Siam.Year 2466( 1923-24 ) and 2467( 1924-25 ),1925( 本プロジェクトにおける戦前のベンチマーク年1923/24年、1928/29年、1933/34年、1938/39年を収集・入力済み。ちなみに1948/49年、1955年も入力済みである。 )

    2. SIET : The Statistical Division of His Majesty's Customs, Statistics of Import and Export Trade of Siam. 1906. Port of Bangkok, 1907

     

    (B)英国領事通商報告

    1. バンコク : Abstract of Reports on the Trade of Various Countries and Places for the Year 1854, 1855. LXX. 1,2078.( 1854年から1860年まで収集。ただし貿易データを確認し得るのは1856年以降である )。 Foreign Office, Commercial Reports from Her Majesty's Consuls in China and Siam.July 1st,1863 and June 30th,1864, 1864. LXI. 1,3393.( 1863年から1885年を収集。タイトルは年によって若干異なる )。Annual Series No.222. Diplomatic and Consular Reports on Trade and Finance. Siam Report for the year 1886 on the Trade of Bangkok,1887. LXXXVI, C. 4923-145.( 1886年から1913/14年を収集。)

    2. 北部 : Annual Series No.1089. Diplomatic and Consular Reports on Trade and Finance. Siam. Report for the year 1891 on the Trade of Chiengmai, 1892. LXXXIV,Cd. 6812-14.( 1874年, 1889年から1913年を収集。ただし、1874年、1889年、1890年、1892年、1893年はバンコクからの領事報告の中に収録されている。Nan についての報告は、1896年、 1898年、1900年、1904年、1907年、1910年、1912年、1913年を収集。ただし、1900年のみ独立の報告であったが、それ以外はチェンマイからの領事報告に収録されている )。

    3. 南部 : Annual Series No.4333. Diplomatic and Consular Reports. Siam. Report for the year 1908 on the Trade of the Monthons of Nakon Sritamarat and Patani, 1909. Cd. 4446-157.( Nakon Sritamarat and Pataniは1908年、1909年を収集。 Saiburi and Puket については1906年、1908年、Chumpawn は1908年、Senggora は1910/11年から1913/14年を収集済みである。 )

     

     

    (みやた・としゆき 天理大学国際文化学部)

     

     

     




    (1) 1907/08年とは1907年4月から1908年3月までを意味する。The Siamese Year はバンコクあるいはラタナコーシン暦のことで、その126年は西暦1907/08年である。

     




    (2) 末廣昭教授によれば、タイ国古文書館で調査にあたった柿崎一郎氏によって1899年の通関統計の所蔵が確認されており、他方、1918年以降の通関統計は FTN 南原真氏によってLSEでの所蔵が確認されているとのことである。

     




    (3) 1850年代のバンコク報告は菅原昭氏によって収集され、山本博史氏を通じてそれを活用させていただいている。北部と南部地域の報告の一部はイギリスで柿崎一郎氏が収集されたものである。