フイールド調査から

2002年8月、パキスタン

黒崎 卓

Last revision: October 1, 2004

 私の開発経済学研究を支えるのがフィールド調査。ミクロ計量経済学の仮説検定のためのデータを得るだけだったら、わざわざこんな大変な手間をかけて自分で家計調査などするものではありません。それなのに、まともやフィールドに出かけてしまうのは、何よりも村で観たこと、聞いたこと、農民との話、そういったところからアイデアを得ることが次の仕事の出発点になるからです。

(このような観点から参考になる新刊本が、中村尚司・広岡博之編『フィールドワークの新技法』日本評論社、2000年です。ただしこの本は様々なディスィプリンの人がそれぞれのスタイルで書いている点で統一性に欠け、脚注や参考文献も詳細でありません。そのような参考書としては、佐藤郁哉『フィールドワーク:書をもって街へ出よう』新曜社、1992年をお勧めします。また、途上国の農村地域研究に関心ある方に是非読んでいただきたいのが、古い本で恐縮ですが、大野盛雄『フィールドワークの思想:砂漠の農民像を求めて』東京大学出版会、1974年です。)

 さて、ミャンマー農村調査に忙しく、パキスタン調査は久しぶりになってしまいました。にもかかわらず、1990年代のパキスタンマクロ経済低迷を反映し、農村での変化はあまり見られなかったというのが大きな印象です。2000年2月の調査の映像はこちらのページをご覧下さい


調査村の変化

 1996年以来、農村家計調査をしている3つの村の一つがヒンコダマン村。灌漑された農地と天水農地の混ざった農業が営まれています。2000年に訪問して以来久しぶりになりました。最大の変化は、行政末端に開発資金を分配し、住民から選挙で選ばれた首長がこれを利用するDevolution政策のもと、村の生活インフラが大いに整備されたこと。左の写真は飲用水としての上水道のもととなる村のタンク、右の写真はレンガ製の下水道です。

 久しぶりに会った村長といろいろ話をしました。農業は豊作に恵まれず、日雇いの仕事も減っているなど、景気が悪い話が多かった中、村で使える開発資金が増えたことは、村人に前向きの影響を与えていると感じました。写真の下水道の建設など、村人が共同で労働しあうのではなく、労働者は賃金で雇われる制度です。共同体としての協同作業に期待していたこちらの考えが外れた反面、日雇いの仕事が減っている中、この公共事業効果は無視できないという解釈も可能でしょう。


 ヒンコダマン村で撮ったものではありませんが、ペシャーワル盆地への道すがら、現役のペルシャ井戸を発見しました。パンジャーブの平原部ではいまや死に絶えつつある技術です。ペルシャ井戸について詳しくは、 こちらのページをご覧下さい。ペシャーワル盆地の灌漑農業地域も、パンジャーブのキャナルコロニーも、ディーゼルエンジンや電気のモーターで地下水を汲み上げる管井戸(tubewell)が普及しており、畜力で水を汲み上げるペルシャ井戸は現在はなかなか目にできません。


独立記念日前後のパキスタン

 今回の出張中に、8月14日の独立記念日を迎えました。55年前のこの日、当時の首都カラチで国父ジンナーによって独立が祝われたことを考え、カラチのジンナー廟に式典を見に行きました。とはいっても、テロ対策から招待券のない者のジンナー廟公園への立ち入りは厳禁状態。招待券のない私は、同じ身分のカラチ市民と門の外。写真にあるような出し物を眺めて楽しみました。式典はこっそりと行われ、いつ、独立記念の大砲がなったのかすら分からないまま、帰ってきたのでした。


 独立記念日を様々な形で市民は祝います。この写真の若者はすこし過激な髪型で、「パキスタン万歳」を示してました。


 この時期、パキスタンは結構暑いのですが、逆にこの時期しか味わえない涼味を2つ紹介します。写真の左、ラグビーボール上の果物はメロン。さわやかで上品な甘味をはじける水分で包み込んだ味は絶品。暑い時に水の代わりにいくらでも食べることができます。右側はご存知マンゴー。パキスタンのマンゴーは世界一だと誇るパキスタン人が多いのもうなずけるうまさ。とにかく究極の甘さを味わいたかったら、こんな果物屋でキロ単位で旬のマンゴーを味わってください。もう時期、長年の課題だった日本へのパキスタン・マンゴー輸出が実現するめどがついてきました。


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