Abstracts of Kurosaki's Japanese Publications, 2


黒崎 卓・Hidayat Ullah Khan「開発途上国におけるコミュニティ動員型開発と集計的ショック:パキスタンのNGOの事例より」『経済研究』65(2) April 2014.
Abstract: 開発途上国の家計は、集計的な経済ショックによってマイナス成長が生じた場合に、生活水準を顕著に低下させてしまう可能性が強い。コミュニティ動員型開発(community-based development: CBD)は、そのような場合に生活水準低下を緩和する効果があるのか、効果があるのはどのような条件の場合なのか? 本稿は、CBDを進めてきたパキスタンのNGOを事例に、3か年約600家計のパネルデータを用い、この問いを実証的に検討する。分析結果から、非メンバー家計と比較した場合に全体としては集計的ショックを緩和する効果がなかったことが判明した。ただし、同じ村内での非メンバー家計へのスピルオーバー効果ゆえに、メンバーがいない村との比較では集計的ショック緩和効果があった可能性も示唆された。また、ショック緩和効果が異質である可能性を考慮し、住民組織の特徴や活動分野を取り入れた分析からは、小規模インフラ建設型介入、マイクロクレジット供与の場合などに緩和効果が検出された。CBD型介入が集計的ショックの悪影響を緩和するかどうかは、介入の性格や、地域における市場の失敗との対応に依存する可能性が示唆される。

黒崎卓「インド・デリー市におけるサイクルリキシャ業:都市インフォーマルセクターと農村からの労働移動」『経済研究』64(1) January 2013.
Abstract: 開発途上国における農村から都市部への労働移動と都市インフォーマルセクターに関する事例研究として、本稿は、インド・デリー市におけるサイクルリキシャ業を分析する。主に用いるのは、2010/11年度実施のデリー全域を対象としたサンプル調査から得た1,320名のリキシャ引きのミクロデータである。分析結果から、リキシャ引きの多数が農村部からの出稼ぎ者であること、都市への移動の際に各種インフォーマルなネットワークが重要な機能を果たしていること、所得水準は貧困線を顕著に上回っており、出身地にある程度の額の送金を行うに足りる水準であること、人的資本が収益性や所得を改善させる効果は非線形(低い水準でのみプラスの効果)であることなどが判明した。家計レベルでの長期的な貧困脱却には、次世代が人的資本を蓄積してその収益率が高い職種・業種に就職するような転換が不可欠であり、サイクルリキシャ業のような都市インフォーマルセクターはそのための短期的つなぎの役割を果たす可能性が示唆される。

黒崎卓「途上国における自然災害の経済分析に向けたデータ収集方法:研究展望とパキスタンの事例」『アジア経済』53(4) June 2012.
Abstract: 地震や洪水といった自然災害は、低所得開発途上国においてとりわけ深刻な損失を家計や地域経済にもたらす。本稿は、途上国における自然災害からの復旧・復興のプロセスに関して経済的に分析するうえで、どのようなデータ収集方法が有効かについて検討する。地域研究者が比較優位を持つタイプのデータと、開発経済学者が優位を持つタイプのデータとを比較したうえで、筆者が実施してきたパキスタン農村調査対象地域における洪水からの回復過程を事例とした具体的な検討を加える。ふたつのタイプのデータは相互補完性が高く、それらを組み合わせること(理想的には同じ地域のある自然災害に関して両方のタイプのデータが収集されること)により、途上国の経済発展と自然災害に関する理解が深まることが期待できる。

黒崎卓・和田一哉「南アジア農業の長期変動とその空間的特徴」, January 2012, PRIMCED discussion paper no.19.
Abstract: 本稿では、南アジア農業の長期変動を、マクロおよびセミマクロ(県:district)レベルでの空間的特徴に注目して検討する。具体的には、農地利用集約度、食糧穀類に占める米・小麦作付比率、総作付面積に占める非食糧穀類作付比率、および主要穀類・豆類の作付パターンに着目し、1965年から1994年の県レベルのインド農業について分析を行った。分析結果からは、米作付の内陸へのシフト、UP州東部の西UP型化、メイズ産地の分散化、雑穀減少トレンドから外れる地域(オリッサ内陸部のシコクビエなど)の存在、ヒヨコマメ産地の南下など、既存研究に見られない空間的変化が明らかになった。また作付パターンの初期条件と降水量、農地利用集約度、農地灌漑率を用いて各県を似通ったグループに分類する作業を行った結果は、既存の地域区分と大きく異なる区分が得られた。この新たな区分の方が、州境や既存の農業地域区分よりも、作付パターン変化の県間差異に関する説明力が高い面がある。

黒崎卓「村落レベルの集計的ショックに対する家計の脆弱性:パキスタン農村部における自然災害の事例」『経済研究』62(2) April 2011.
Abstract: 村落内での相互保険では十分にカバーしきれない、ローカルな集計的リスクという性格を持つ自然災害の家計へのインパクトについて、パキスタン農村部の2時点家計パネルデータを用いて定量的に分析した。2時点間での家計消費変化が、村落レベルの洪水・旱魃というショック、およびけが・病気といった家計固有のショックに対してどう反応したかを、地域ごと・家計タイプごとに比較した結果、すべてのタイプのショックを和らげる効果を農地所有や制度金融アクセスが持つことが判明した。また、3種類の外生ショックに対する消費低下の度合いがどのように農地・金融アクセス以外の家計属性ごとに異なるかは、ショックごとに違った様相を見せており、それを整合的に説明するには、信用市場を通じた異時点間資源配分と、村落内での相互保険によるリスクシェアリングの両方の要素を考慮する必要があることが示唆された。

黒崎卓・山崎幸治「インドの経済成長と貧困問題」(石上悦朗・佐藤隆広編『現代インド・南アジア経済論』), July 2011.
Abstract: 近年の急成長にもかかわらず、インドにはなお深刻な貧困問題が存在する。本章は、経済成長と不平等、貧困削減の3つの間の関係に焦点を当て、インド経済の空間的・階層的特徴を描写する。本章で扱う貧困とは、単に所得や消費水準が低いことだけではなく、教育や健康面での人間開発の遅れも含んだ概念である。家計や個人レベルのミクロデータを用いた分析からは、都市部の生活水準の方が農村部よりもおおむね高いこと、経済成長や貧困の州間格差が大きく、所得格差については近年それが拡大する傾向があること、指定カーストや指定部族、イスラム教徒の生活水準が顕著に低いことなどが判明した。経済成長率の上昇は、特に所得・消費面での不平等の増大を伴っているため、トリックルダウンにより自動的に貧困削減が実現するには時間がかかることが懸念される。これまで以上に効果的な貧困削減政策が求められているのである。

黒崎卓「インド、パキスタン、バングラデシュにおける長期農業成長」『経済研究』61(2) April 2010.
Abstract: 本稿は、インド、パキスタン、バングラデシュ3国における農業の成長パフォーマンスを、20世紀初めからの約100年にわたって比較分析した。実証結果からは、(1)1947年の分離独立後にそれまでの長期停滞が持続的成長に変化しており、その変化は1960年代末以降の「緑の革命」よりも早く生じていること、(2)農地の外延的拡大の貢献は20世紀後半には小さくなり、代わって農地の生産性向上が成長の源泉となったが、その中身も、多期作・多毛作化から作付面積当たりの生産性向上に移行していること、(3)成長率の水準で3国を比較するとパキスタン農業のパフォーマンスがトップであるが、1947年の分離独立や1971年のバングラデシュ独立の前後で成長率がどう変化したかによって3国を比較するとバングラデシュ農業におけるパフォーマンスの改善が顕著であること、(4)作付面積当たりの生産性向上には、より収益性の高い作物へのシフトというこれまであまり定量的に明らかにされていなかった要因が存在したこと、などが明らかになった。

黒崎卓「現物賃金と経済発展:途上国農村家計の労働供給と食糧確保に焦点を当てて」『経済研究』59(3) July 2008.
Abstract: 途上国の経済発展における雇用形態の多様性とその機能について、現物賃金が果たす家計の食糧確保という役割に焦点を当てて分析する。まず、経済発展の初期段階において現物賃金が重要であることを様々な資料や統計データから示した上で、既存研究が現物賃金をどのように理論的に理解してきたかを展望する。既存研究で十分議論されていない視点として、食糧市場が薄く、主食価格が変動するリスクに直面する労働者家計に対して、現物賃金が食糧面での安全保障を確保する効果を持つという理論モデルを提示する。この理論モデルからは、家計の食糧需要が硬直的である場合に現物賃金を伴う雇用形態への労働供給が増えることが導出される。ミャンマー農村部のデータを用いたミクロ計量分析結果は、この理論的関係と整合的であった。

澤田康幸・山田浩之・黒崎 卓「援助配分は貧困削減と整合的か? ドナー間比較」, 2008年12月.
Abstract: 本稿は、ミレニアム開発目標(MDGs)を達成するためにどのような政策の調整が必要かを明らかにするために、1990年代後半および2000年代前半の贈与援助の配分がMDGsの第一目標と整合的だったかどうかを分析した。理論的枠組みとして、我々はBesley and Kanbur(1988)の貧困ターゲッティングモデルを拡張して、複数のドナーやドナー間の戦略的動機を考慮した。理論的な仮説を検証するため、主要ドナー11カ国の贈与と、IBRD、IDA、国連機関を含む6つの国際機関の援助支出に関する詳細なデータを使用した。実証結果から4つのファインディングが得られた。第一に、1990年代後半および2000年代前半の両期間において、カナダ、フランス、日本、オランダ、イギリスの贈与の配分は、最適な貧困ターゲットの必要条件と一致していた。第二に、人口規模は援助配分に対して負の効果を持っており、戦略的動機が存在することが示唆された。第三に、多国間ドナーに関する結果は概して、その配分パターンは貧困ターゲットの理論と整合的であった。第四に、主要ドナー間で貧困削減に対する協調が進んできたことと整合的な変化が二時点間で観察された。

黒崎卓・上山美香「経済発展における子供の健康状態と母親の農業従事、家計内資源配分:DHSデータを用いた南アジアとアフリカの比較」, 2007年11月 (北村行伸編『応用ミクロ計量経済学』日本評論社, 2010刊行).
Abstract: 経済発展の指標として子供の健康状態が近年脚光を浴びるようになってきている。世界の途上国を概観した場合、平均の所得水準から期待される水準よりも子供の栄養状態がよいのがサブサハラ・アフリカ、悪いのが南アジアという傾向が見られる。本章は、このコントラストの背後には家計内資源配分メカニズムの違いがあるという理論仮説に基づいて、女性が主に自家消費作物を栽培し、その生産、消費、販売権を持つアフリカでは「母親の農業従事は、父親の農業従事よりも子供の栄養状態に対して、よりプラスの影響を与える」という実証仮説を導出し、両地域21国、32調査のDHSミクロデータを用いたミクロ計量モデルの推定によって検証を試みたものである。子供の体位(体重・身長)を被説明変数、子供や家計の特徴に加えて父親、母親の農業従事を説明変数に入れた分析結果からは、南アジアの各国では、母親の農業従事が子供の体格改善に役立っていないのに対し、アフリカの多くの国では、父親の農業従事に比べて相対的に、母親の農業従事が子供の体格改善にプラスの影響を与えることが明らかになった。

黒崎卓「一時的貧困の緩和と円借款への期待」、2006年1月.
Abstract:  円借款を通じて発展途上国の貧困削減を進める上で、「慢性的貧困」だけでなく、「一時的貧困」にも配慮することが重要である。この第1の理由は、途上国において観察される貧困のかなりの部分が一時的要因に由来することである。途上国には、農業が豊作・平年作の年には所得・消費が貧困ラインを上回るが、不作の年には貧困層となってしまうような農村家計や、病気などのために働き手が一時的に仕事を失うリスクを抱えた都市部労働者家計などが、多く存在するが、彼らの貧困問題は主に一時的なものである。
 したがって、プロジェクト対象地域の貧困状況を動態的に分析し、一時的貧困に着目することは、プロジェクトが効率的に貧困削減効果を発揮することにつながる。このことが、円借款を通じた貧困削減戦略において、一時的貧困に配慮することが重要となる第2の理由である。この第2の理由は、さらに2つに分けて考えることができる。第1に、慢性的貧困を削減するためには、長期的に貧しい家計の生活水準を向上させるための高コストの連続的政策介入が必要なのに対し、一時的貧困を直接的に削減するためには、世帯の所得や消費の平準化を助ければよいので、慢性的貧困削減の政策よりも相対的に低コストで実施できる可能性がある。第2に、慢性的貧困を削減するための連続的政策介入の中にも、インフラストラクチャーの整備やマイクロファイナンスの推進など、間接効果を通じて一時的貧困削減にも同時に資する政策が多く存在する。慢性的貧困と一時的貧困の両方が重要な地域においては、一時的貧困を間接的に削減させる効果が強いタイプの慢性的貧困削減政策を強化することによって、総体としての貧困をより低コストで削減することが可能になる。
 多くの途上国において、突然の自然災害や経済の混乱、あるいは個別の不運によって生み出された一時的貧困層に対して、セーフティネットを供与することは重要な政策課題となっているから、円借款において一時的貧困や脆弱性の問題を取り上げることは、これら途上国の抱える問題に即したものとして評価できる。ただし、国や地域ごとにリスクの特徴は異なっており、それゆえに一時的貧困の相対的な重要性や、特徴も異なっているから、この違いに応じた対話を行なう必要がある。
 経済開発に関する国際社会への日本からの発信という観点からは、インフラ整備プロジェクトの新しい意義を示すことが重要であると考えられる。日本の政府開発援助によって、過去に多くの円借款がインフラ整備に集中的に投下されたことが、東アジア諸国の継続的経済成長の一因となっていることについては、国際社会における合意が得られつつある。この一般的評価に、一時的貧困の削減という効果を加えると、よりそのプラスが大きくなると期待できる。インフラ整備は、通常、経済の生産能力を向上させ、持続的な経済成長を可能にすることや、基礎的な社会サービスへのアクセスを、貧困層を含む全国民に保障するための政策として位置づけられる。しかしインフラストラクチャーは、外生のショックが所得の低下につながる度合いを低減させるという経路(例えば、灌漑は、降雨ショックの農業所得への悪影響を小さくするし、道路など運輸インフラの改善は、農業不作に見舞われた地域の農民や農業労働者が、遠隔地に出稼ぎに行き、所得を補填することを可能にする)や、国内のさまざまな財・生産要素・サービス市場の統合による価格・賃金安定化を通じて、一時的貧困を削減させる効果も大きいのである。
 日本の政府開発援助がインフラ投資に集中し、あまり貧困層に資するものではなかったという一面的な批判に対するためにも、円借款によるインフラ整備プロジェクトの一時的貧困軽減効果を強調することが有効であろう。貧困アセスメント作業も、このような視点を加えることで、他のドナーとの差別化を強調することができると考える。同時に、一時的貧困の緩和を積極的に進めるタイプのインフラ整備事業(例えば、一時的貧困が深刻な天水農業地域において、灌漑整備インフラプロジェクトに、安定した農業生産のための技術指導と農産物価格保険といったコンポーネントを付け加えること、山間部に位置し、労働市場が孤立しているがゆえに一時的貧困が深刻な地域において、道路整備インフラプロジェクトに、職業訓練および職業情報供給システムの整備といったコンポーネントを付け加えることなど)を新たに打ち出すことができれば、ミレニアム開発目標(MDGs)を進めていく上での新たな開発の仕組みとして、JBICからの国際社会への重要な貢献となるであろう。
 一時的貧困に配慮した円借款事業を実施するためには、一時的貧困に関する各種指標を収集し、貧困アセスメントや事前ターゲティング・事後評価に用いることが必要となる。このための分析ツールは一通り出揃っている。これらの分析ツールを用いるためには、既存のさまざまな家計データベースを活用しつつ、一時的貧困に関する回顧的情報や主観的・定性的情報を、積極的に集めていく必要がある。

黒崎卓「南アジア経済に関する実証分析展望:制度・経済政策の効果に焦点を当てて」『南アジア研究』20号、2008年12月.
Abstract: 本稿は、日本の南アジア経済研究における制度・政策分析の傾向を振り返りつつ、近年の応用経済学・計量経済学の手法を用いた制度・政策のインパクトに関する実証研究の流れについて簡単に展望した。この作業からは、近年の手法適用上の鍵が、「多様性の中の統一」とりわけ連邦制と民主主義という政治的な条件であることが浮かび上がった。そして、この政治的な条件が生み出す<地域内の変化>の<地域間の差異>への着目は、日本のこれまでの南アジア経済研究においても確実に存在した。しかしながら、日本の研究ではこの点への着目が、「自然実験」「Difference in difference」といった因果関係を明らかにするための計量経済学的手法に明示的に関連づけられていないことが多かったため、今日の応用経済学各分野の専門ジャーナルや、開発経済学の専門ジャーナルから取り残されつつあるように思われる。これらの定量的手法を明示的に意識することにより、日本の南アジア経済研究のこれまでの強みであったフィールド観察の重視やデータの吟味などを生かした研究を、国際社会に向けて発信していくことができると思われる。もうひとつ重要な日本の南アジア経済研究がなすべき貢献分野としては、現場を知らない一部の経済学者が安易に「自然実験」とみなしているものが本当に外生的かどうか、地域研究の視点からの批判的再検討が挙げられる。さらには「実験ブーム」の次に来るものとして、制度や政策の決定・実施過程に関する緻密な理論・実証分析があると思われる。日本の南アジア経済研究の伝統は、このような政治プロセスを含んだ経済分析にもっとも力を発すると考えられる。

不破信彦・伊藤成朗・久保研介・黒崎卓・澤田康幸「インド農村部における児童労働・就学と家計内資源配分」『経済研究』57(4), 2006年10月.
Abstract: 家計内資源配分に関する最適化問題の統一的な理論枠組みに基づきつつ、インドのアーンドラ・プラデーシュ州農村部において筆者らが独自に収集した詳細な家計データを用い、児童労働や就学の決定要因を実証的に分析した。第1に、誘導型モデルと、母親の就労や家計の信用制約に焦点を当てたより構造的な実証モデルの両方から、子供の祖父母世代の属性がシステマティックに子供の時間配分に影響することが判明した。ここから示唆されるのは、調査地域では、家計を統一的な経済主体とみなした理論モデルよりも、父親と母親間のバーゲニングをとり入れた理論モデルの方が適切である可能性である。より構造的なモデルの推定結果からは、信用制約が家計の主観的利子率を引き上げ、就学の人的資本投資としての魅力を減少させる効果だけなく、母親の市場向け労働を増やし、そのことが子供、とりわけ女子の家事・育児負担を増やす効果をも通じて児童の就学を妨げることが示唆された。

黒崎卓「ミャンマーにおける農業政策と作付決定、農家所得」『経済研究』56(2), 2005年4月.
Abstract: 計画経済から市場経済システムへの移行過程にあるミャンマー農業においては、他の移行経済で見られたような生産性向上が顕著には見出しがたい。この背景に農地利用と農業流通制度に関する政策介入が存在することを、2001年に実施した農村調査のミクロデータを用いて示す。既存研究での描写的分析からは、集約的に投入財を用いた灌漑稲作に重点をおく調査村や標本農家の所得が低いことが明らかになっている。そこで、収益性が低いにもかかわらず、稲作の比率が高い理由を明らかにするために、各調査村内部における米の作付比率の農家間変動を説明する計量分析を行った。行政側が農業政策を履行強制しやすいタイプの農民であるかどうかに焦点を当て、農地の耕作権を親から相続する可能性のある農民や、計画経済時代の新技術を率先して採択した農民ほどそのようなタイプであると仮定した。分析結果からは、このようなタイプの農民ほど稲作比率が高いことが示された。他の決定要因としては、家計における米消費の重要性も有意に稲作比率を引き上げることが判明した。

栗田匡相・岡本郁子・黒崎卓・藤田幸一「ミャンマーにおける米増産至上政策と農村経済:8ヵ村家計調査データによる所得分析を中心に」『アジア経済』45(8), 2004年8月.
Abstract: 本稿は、ミャンマー農村における所得の地域格差、作物間格差の実態を解明し、その要因を分析する。2001年に実施した8地域での農村調査1次データに基づき、米増産至上政策がもたらした2つの歪みを明らかにする。2つの歪みとは、(1)中央政府の縛りの強い中心部のほうが、そこから離れた周辺部よりも、商業的農業の展開が弱く農外就業機会も限られるため世帯総所得が低いこと、(2)経常投入財を集約的に用いる灌漑・乾期稲作の比率が高い農村や比率が高い農家ほど農業所得が低いことである。これらの背景には、部分的な市場経済化、すなわち農地の利用と主食の流通に対して強い規制を残したままの農業生産への市場メカニズムの導入というミャンマーの農業政策があると考えられる。ミャンマー農業への市場メカニズムの導入は、導入初期には著しい生産増・所得向上をもたらしたものの、その硬直的な規制枠組みの限界が露呈したのが調査時期であった。

黒崎卓「貧困・不平等研究におけるセンの貢献」。絵所秀紀・山崎幸治編『アマルティア・センの世界:経済学と開発研究との架橋』所収、2004年.
Abstract: センの公理的方法やケイパビリティ・アプローチによって、貧困・不平等研究は大いに進展し、センによって刺激された研究が現在まで理論面・実証面双方で続けられている。貧困や不平等をどのように考えるかというケイパビリティ・アプローチの根本的な問題提起は、貧困や不平等問題に取り組む全ての者が常に意識すべき点であろう。具体的には、第1に多様性への配慮が鍵となる。この多様性に配慮するための基本が脱集計化である。それぞれの国、地域、グループ、個人などはすべて能力や価値観で異なっている。この違いを無視した集計的アプローチはしばしば誤った結果を導く。また、多様性への配慮は、不完備順序、分解非可能性など、貧困や不平等の序列づけの手法としては一見魅力的でない特性に対して新たな意義づけを与えることにつながる。実証分析の指標としての「便利さ」だけにとらわれず、不便な手法がもつ厚生経済学上有意義な特性に留意した分析が望まれる。センの貧困・不平等問題が我々に伝えてくれる第2の重要な教訓は、経済学における所得の地位の相対化であろう。所得ないしは財へのエンタイトルメントが個人の福祉にとって重要であることをセンも否定しないが、所得だけにとらわれてしまっては、貧困や不平等問題の本質を見失う。様々なファンクショニングを達成できる実質的な自由がどのように分布しているかによって、貧困や不平等問題は議論されることが望ましい。

黒崎卓「貧困の動態的分析:研究展望とパキスタンへの応用」『経済研究』54(4), 2003年10月.
Abstract: この論文では、消費や所得が変動する場合に、ある地域や階層の貧困指標、ないしは個人レベルの貧困スコアをどのように動態的に捉えればよいかについて議論する。議論の特徴は、第1に、理論・実証双方で近年目覚しい進捗を遂げている不確実性下の消費平準化のミクロモデルに基づいた研究展望を行うこと、第2に、発展途上国とりわけ低所得国を対象に既存の分析手法を応用する際に留意すべきことに焦点を当て、事例としてパキスタン農村部の2時点パネルデータを用いた定量分析を提示することである。研究展望の結果、理論モデルとの対応、定量分析の容易さ、分析結果の解釈しやすさなどの点で既存の手法はそれぞれ一長一短を持つことが明らかになった。パキスタンの事例からは、それぞれの手法に基づく指標間の相関は低く、相互に補完的な情報を含むことが実証的にも示唆された。したがって、実際に貧困の動態を分析する際には、定量分析の目的、利用可能なデータや計量手法、対象事例におけるリスクと市場発展の度合いなどに応じて手法を使い分けたり、複数の手法を組み合わせることが重要になる。

黒崎卓「農業・非農業の生産性と教育:パキスタン農村の事例」。大塚啓二郎・黒崎卓編著『教育と経済発展:途上国における貧困削減に向けて』所収、2003.10.
Abstract: パキスタン北西辺境州の農村家計パネルデータを用い、人的資本が農業と非農業の生産性に与える影響を定量的に分析した。セクターの違いと、賃労働・自営業という雇用形態の違いの両方を軸とした推定結果から、以下の5点が明らかになった。第1に、男性の非農業賃金は教育水準に対して顕著に反応し、かつその反応は教育水準が上がるにつれて逓増する。第2に、農業賃労働においては人的資本に賃金がほとんど反応しない。第3に、非農業自営業の生産性は、従事者の平均の教育水準が上昇するにつれて逓増的に上昇し、その逓増の度合いは非農業賃金よりも著しい。第4に、自営農業の生産性は教育への反応が弱く、かつその反応は教育水準に逓減的であるため、統計的に有意な生産性向上は初等教育レベルでのみ観察された。第5に、自営農業の生産性が教育に反応する度合いは、個別の作物のレベルではなく、農場全体で集計した付加価値において、より顕著である。このことは教育が農業における配分効率を高めることを示唆している。これらの推定結果に基づいて調査世帯の労働力を配分するシミュレーションを行なったところ、観察値に近い結果が得られ、世帯が労働力配分を決める上で比較優位が重要であることが確認された。

黒崎卓「貧困の動学的変化と教育:パキスタン農村の事例」。大塚啓二郎・黒崎卓編著『教育と経済発展:途上国における貧困削減に向けて』所収、2003.10.

Abstract: パキスタン北西辺境州の農村家計パネルデータを用い、教育と貧困の間の関係を、貧困の動学的側面に注目し、恒常的厚生水準とリスクへの脆弱性という両面から実証的に分析した。分析結果からは、第1に、成人の教育水準が高い世帯ほど恒常的な厚生水準も高く、成人の高い教育水準がその他の資産の高さともあいまって、子どもの就学率を引き上げていることが判明した。第2に、調査地の世帯経済は予想以上に大きな所得の変動にさらされているが、教育水準の高い世帯はその悪影響が小さいことが明らかになった。この理由としては、教育がより効率的な消費平準化を可能にする直接的効果と、恒常的所得が高いために所得減少のショックを消費減少に伝えても生活できる余裕があるという間接的効果の両方が示唆された。第3に、消費平準化のメカニズムを十分利用できずに、所得の低下が消費の著しい低下に結びついてしまう世帯が少なからず存在し、このような世帯では、子供(とりわけ女子)の教育の切り捨てという長期的にも厚生水準が著しく低下するような対応がとられていることが判明した。これらのファインディングは、調査地において、貧困と無教育、高所得と高教育という階層分化が世代を超えて再生産されていることを示唆している。

黒崎卓「北西辺境州農村経済の特色と国家・階層」2002.11.

Abstract: パキスタン経済と国家や民族・宗教などとの相互関係を、北西辺境州におけるミクロ分析に焦点を当てつつ考察した。マクロ、セミマクロ・レベルでの概観からは、パキスタンの経済成長が、地主と土地なしといった階層間の分断が根深い社会構造にメスを入れることなく、そのような社会構造に国民の疑問を抱かせる有効な契機となりえる基礎教育を国家が責任をもって供給することなく、達成されたことが明らかになった。市場経済が提供する様々な機会に国民が広範にアクセスを持つという民主主義の条件を欠いたままの形骸的民選政権が経済発展を阻害した結果が、軍政期の高成長と民政期の低成長という違いに現われたと解釈できる。
 経済成長率が独立後50年という長期で見れば順調であったにもかかわらず、ミクロのレベルでは貧困者のさらなる困窮化や新たな貧困化が観察された。この背後にある社会経済構造を考察するため、北西辺境州農村部の事例を紹介した。そこで明らかになったのは、第一に、所得の落ち込みを補填することができずに消費を切り詰め、子どもの教育を犠牲にせざるを得ない脆弱な世帯が少なからず存在することである。第二に、調査地のセーフティーネットの特徴は、国家や、イスラームに基づく制度などが提供するものがほとんど効力を持っておらず、友人・親類間のインフォーマル信用と一族内の送金ネットワークに依存していることにある。このようなネットワークの弱い者が、所得の変化になすすべのないまさしく脆弱な貧困層に相当するのである。
 調査地で見られたセーフティーネットの特徴は、一族の名誉を守るために私的ネットワークの中で相互扶助を行う点でパシュトゥーンワーライ的であると解釈することも可能であるが、パンジャーブやスィンドなど他のパキスタンに関する既存研究で観察されてきたことと本質的に同じであると筆者は考える。強圧的ではあるが何もしない(できない)パキスタン国家と、公的セーフティーネットが欠ける分、私的ネットワークに頼らざるをえない農村経済の併存というのが、パキスタン経済の特質であると解釈できよう。セーフティーネットとして重要なのは、地縁や血縁である。
黒崎卓・山崎幸治「南アジアの貧困問題と農村世帯経済」絵所秀紀編『現代南アジア 2 経済自由化のゆくえ』2002.10.
Abstract: 南アジアの貧困問題は、圧倒的に農村部の問題であった。農村部における貧困の実態と貧困削減の要因をミクロ、マクロの両面から検討した結果、以下のことが明らかになった。第一に、南アジアにおける貧困削減は工業化に伴う雇用吸収によるものではなく、もっぱら農業の成長に伴う実質賃金上昇を背景に達成されてきたことである。したがって灌漑などの農業投資と技術革新が、貧困削減政策の重要な柱となる。インドでは灌漑可能な地域がまだ多く残されており、これらの地域で灌漑投資を行うと共に農業技術の普及と指導を広めることで、農業の成長による貧困削減の余地はまだ残されていると思われる。
 第二に、南アジア貧困層の重要な特徴として、一時的貧困が大きな割合を占めることである。つまり所得水準が貧困ラインを挟んで上下する世帯が圧倒的に多い。このことは貧困層のリスクへの脆弱性を裏付けるとともに、リスクに対処する手段として政府がセイフティ・ネットを供与することが貧困削減の重要な手段となることを示している。この点で、適切なターゲティング・メカニズムを組み込んだ公的雇用計画が、今後とも重要な貧困対策の手段となるであろう。とりわけ農業の経営規模の縮小と小作の定額地代化が進展する中で、小作人のリスクへの対処能力を高める意味でも重要な政策となろう。
 第三に、農業に関わる制度改革の重要性である。西ベンガル州の「オペレーション・バルガ」政策の成功は、効率性と平等性を両立させる政策が可能であることを示している。土地改革に伴う土地の再配分が遅々として進まないことを考えると、小作権の強化という無形の資産を与える政策の有効性は、他の地域でも注目すべき点である。
 第四に、南アジア貧困問題の核心部分は土地なし農村労働者層にあることである。農業の経営規模の縮小、労働契約の日雇化の現状を考えると、今後、農業部門での労働需要増加による賃金上昇と貧困解消は困難かもしれない。事実、90年代後半には農村部の雇用増加率がマイナスとなり、一人当たり消費支出額の低下が見られたことを考慮すると、非農業部門がますます重要になる。非農業雇用は貧困からの脱却可能性を示す一つの目安となるが、現実には工業部門でも小規模なインフォーマル部門や建設業が主な雇用吸収先となっており、生活水準の改善をもたらすとは期待できない。今後、これらの部門で大きな技術革新が望めない限り、彼らの生活水準を持続的に引き上げる唯一の方法は、気の長い話ではあるが、教育水準を徐々に引き上げることによって貧困層の唯一の資産である労働力に付加価値を与えていくしかないであろう。
黒崎卓・小田尚也「パキスタン労働市場の研究」『大原社会問題研究所雑誌』、2002年12月号
Abstract: 労働力調査のデータを主に利用した分析と、既存研究の展望からパキスタンの労働市場について検討した。そこから明らかになった第一の点は、1990年代の労働市場に関して、構造変化が停滞し、失業・低雇用問題が深刻化していることである。また、女性の近代労働部門進出の遅れや、男女含めて就業決定や教育投資決定において収益率以外の要因が重要であることなどが、顕著な特徴として挙げられる。労働移動に関しては、国内の移動パターンが、農村から都市へといった形に限定されず、農村間、都市間の移動がかなりの規模を占めることが示された。また、都市間への移動、それもカラチやラホールなどの大都市への一極集中から、中規模都市間での移動が、増加する傾向にあることが指摘されている。国際労働移動に関しては、外部環境によって左右される出稼ぎ労働の不安定な状況が特徴として挙げられよう。従来、パキスタンの労働問題に関する研究は、マクロ、ミクロといった境界線によって分断されていた。しかし今後の研究の方向性として、例えば、ミクロレベルでの生産性が、マクロでの生産性にどのような影響を与えるか、家計レベルでの送金の使い道がマクロ経済にどのような影響を及ぼすか等、両者を結びつけた分析が必要となろう。また、労働問題を単なる経済学の枠組で理解するだけではなく、その他社会科学等の非経済的側面を結びつけた研究が求められるであろう。

黒崎卓「パキスタン農業の長期動向と農業開発政策の変遷」『アジア経済』2002.06.

Abstract: 本稿は、パキスタン農業の20世紀の長期パフォーマンスと、1980年代以降に焦点を当てた農業開発政策の展開について概観した。第一に、パキスタン農業の20世紀の成長はかなり継続的なものであり、その大きな傾向から1990年代のパフォーマンスは大きく逸脱するものではないことが明らかになった。第二に、このことと、世銀・IMF型構造調整政策の下で農業部門でも市場メカニズムを重視する政策が1980年代半ば以降採られてきたこととを合わせて考えると、構造調整政策における様々な政策改訂のネットの効果がそれまでの政策とそれほど違わなかったことが示唆された。パキスタンにおける20世紀の農業発展は、技術革新と市場の発達という歴史的要因に支えられて、インダス河用水路網という生産資本の劣化を伴いつつ実現したものであって、21世紀のパフォーマンスを見る上で、過去のトレンドを単純に延長して考えることはできないのである。

黒崎卓「開発のミクロ計量経済学的分析:研究展望」 mimeo, May 2002.

Abstract: 本稿は、途上国の開発問題を、ミクロ経済学理論に基づきつつミクロデータを用いて計量経済学的に分析する一連の流れについて、最新の研究を中心に展望した。第一に、不確実性下の世帯行動に関する分析の精緻化が進んでおり、動学的貧困の克服という政策課題と直接結びつけた実証研究の流れが生れつつある。第二に、世帯内資源配分、とりわけジェンダー間資源配分についての理論的・実証的研究が急増している。ただし、厳密な動学的理論モデルに基づくものはまだ少ない。第三に、信用市場の不完全性をモデル化する理論にはさらに新しいものが加えられつつあるが、実証作業には理論モデルとの関連が間接的なものが多かった。この点で、構造的推定アプローチを応用する実証研究が現われ始めているのは重要な展開であろう。第四に、不完備市場の下での一般均衡成長モデルそのものを推定するというミクロ的基礎の強いマクロ経済分析が近年試みられている。これは開発のミクロ経済学と伝統的な開発経済学あるいは内生経済成長理論とをつなぐものとして、今後の展開が注目される新たな研究動向と考えられる。第五に、これらの諸研究に共通する傾向として、情報量が多く信頼性も高いという意味で高質のミクロデータをメインに用いつつも、マクロ、セミマクロのデータを用いたカリブレーションや、変数の数が少ないが標本数の多い大規模標本調査のミクロデータを補助的に用いることが増えている。

黒崎卓「パキスタン北西辺境州における動学的貧困の諸相」『経済研究』2002年1号.

Abstract: この論文では、途上国の低所得世帯がリスクに対してどのように脆弱であるのか、またどのような階層が特に脆弱であるのかについて、パキスタン北西辺境州農村部の2時点パネルデータを用いて定量的に分析した。カテゴリー分けに基づいた分析と、FGT貧困指標の慢性的貧困と一時的貧困への要因分解分析とを用いた結果、第一に、調査地の世帯経済は所得の大きな変動にさらされているが、それがそのまま消費の変動につながらないようなリスク対処メカニズムがある程度機能していること、第二に、これらのメカニズムを十分利用できずに所得の低下が消費の著しい低下に結びついてしまう世帯が少なからず存在し、このような世帯においては子供の教育の切り捨てなど長期的にも厚生水準が著しく低下するような対応がとられていること、第三に、動学的に脆弱な貧困層には、女性が世帯主の世帯、土地を持たず労働力が農業労働や日雇いなど不安定なものに限られている世帯等が含まれること、などが判明した。

黒崎卓「貧困削減政策へのミクロ経済学的アプローチ」、『一橋論叢』2001年4月号.

Abstract: 本稿は、途上国の開発問題とりわけ貧困削減政策がミクロ経済学の分析枠組みを用いてどのように分析できるかを、貧困層にターゲットを当てた所得創出政策を題材に議論した。ミクロ経済学的分析とは、制約・インセンティブといった人々の選択に関わる諸条件を数学的に厳密にモデル化し、そのモデルに基づいて実際の途上国経済を分析しようとするアプローチを指す。具体的には、貧困層への所得移転が生み出す労働インセンティブ阻害効果をどのように扱ったらよいか(そしてその問題を解決する切り札とされるワークフェア政策にはどのような問題があるか)、貧困層への所得移転が世帯内のジェンダー間意思決定プロセスとどのように関連しているかを取り上げた。マクロ経済の成長よりもミクロ的な側面や制度的関与を開発の中心課題に移しつつある近年の世界銀行等の開発戦略を考慮すると、このようなミクロ経済学的アプローチの重要性は以前にも増して強まっていると言えよう。

黒崎卓「パキスタンの農村家計における畜産のミクロ経済分析:パンジャーブ州シェーフープラー県と北西辺境州ペシャーワル県の事例から」文部省科学研究費・特定領域研究(A)「南アジア世界の構造変動とネットワーク」Discussion Paper、2000年11月。

Abstract: 本稿はパキスタン農村世帯のミクロデータを用いて、家計における畜産の経済的役割を分析した。用いたデータは、パンジャーブ州シェーフープラー県の5村3ヶ年パネルデータ及び北西辺境州ペシャーワル県3村の2時点データである。2つの事例の記述統計量を用いた検討から、家計において所得水準を高め、消費を平準化させる上で畜産が重要な役割を果たすことが明らかになった。既存研究で十分に吟味されていない後者の効果は、(i)労働と余暇配分の平準化、とりわけ家畜の世話をする女子労働、(ii)ミルク販売を通じた現金流動性の平準化、(iii)家畜資産を通じた予備的動機の貯蓄効果、(iv)ミルク及び乳製品の直接消費による直接的消費の平準化などに分けることができる。農村市場の不完備性を考慮すると、ミクロレベルの家計の維持可能性にとって畜産がかぎとなることが示唆される。

黒崎卓「パキスタン・パンジャーブ州米・小麦作地帯における有畜農家の価格反応」、1999年12月。

Abstract: 多くの途上国において、1980年代初頭以来、価格の歪みを是正する「構造調整」政策が実施されてきたが、農業部門の供給反応は必ずしも目覚しいものではなかった。本稿は、この問題を考えるための一材料として、パキスタン・パンジャーブ州米・小麦作地帯における有畜農家の価格反応を分析する。具体的には、農家世帯の個票データを用いて、誘導形推定および構造的なハウスホールド・モデルを用いたシミュレーション分析により価格反応を定量化し、マクロの時系列データから推定されたこれまでの価格反応の弾力性の意味を再検討した。本稿の事例では、農産物市場、とりわけ青刈飼料作物市場の発達が穀類生産増加の重要な要因となっており、これ以上さらに飼料作物市場が発達しない場合には価格反応がかなり小さなものになる可能性が強いこと、その場合、パキスタンの構造調整政策において採用されたような価格政策だけでは目立った生産反応が期待できないことが明らかになった。

黒崎卓・澤田康幸「途上国農村における家計の消費安定化--研究展望とパキスタンへの応用--」IER Discussion Paper Series A No.361, Hitotsubashi University, January 1999.

要約: 本稿は、途上国の経済発展とその農村家計の厚生面への影響を、途上国農村における保険・信用市場のあり方に焦点を当てて分析する。具体的には、パキスタンの農村部に生活する家計の消費が所得変動からどれだけ遮断されているかを、小規模村落調査と全国規模の標本調査データを用い、効率的リスクシェアリング必要条件の統計的検定を行うことにより実証的に考察した。その結果、第一に、村落内部で生じるイディオシンクラティックなショックが予想以上に相互に保険されていること、第二に、パキスタン農村におけるリスクシェアリングが広域になればなるほど成立しにくいことが判明した。本稿の分析結果から、村域を越えてリスクをプールすることを推進するような公共投資・公的介入、例えば全国的な作物保険プログラム、洪水や干ばつなどに対する保険や雇用創設事業が重要な開発含意を持つことが示唆された。

黒崎卓「パキスタンの国民所得統計--農業部門を中心に--」October 1997, Discussion Paper No.D97-12, 一橋大学経済研究所中核的拠点形成プロジェクト.

要約: 独立50年を迎えたパキスタン経済を分析するための基本統計が国民所得統計である。旧東パキスタンを含まない現パキスタン地域に対応する国民所得統計には、1987/88年度まで用いられた旧手法によるシリーズと、1988/89年度に採用され1980/81年度以降のデータが利用可能な新手法によるシリーズとがある。両者はともに国民経済計算体系に基づいているが、技術的な推計方法の差違のために、両者を接続して、より長期の時系列として用いるには整合性の問題が生じる。
 この問題を農業部門の付加価値について、より詳細に検討した。新手法と旧手法の間には、農業部門内での中間生産物の評価方法について、市場の浸透に関連した違いがある。すなわち、必ずしも市場で取引されるとは限らない畜産部門の産出額(畜役)と投入財(飼料など)まで計上しているのが新手法で、計上していないのが旧手法である。ただし、利用可能なデータを用いてこの概念上の差違を修正した系列を試算したところ、新旧両手法の間の非連続性はほとんど改善されず、むしろ、基礎データベースの推計方法や基準年次の違いによる差違のほうが重要であることが示唆された。また、比較的信頼度の高い基礎データに基づく主要7作物の生産量統計から実質産出額の長期時系列を試算したところ、この試算値が農業(耕種)部門付加価値の政府推計値をかなりよく近似することが明らかになった。新旧二つのシリーズを用いた統計分析を行う場合、両手法間の非連続性に十分な注意を払い、生産量統計の時系列と合わせて分析を行う必要がある。