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長期的な問題を重視した平成十三年版通商白書

深尾京司

2001/8 (経済産業ジャーナル)


 今年の『通商白書』は、二十一世紀に入って最初の、また経済産業省移行後最初の白書であるとの意気込みが感じられる力作となっている。白書の構成も従来と異なり、例年行われてきた世界経済や日本経済の動向に関する短期的な分析が略され、長期的に重要と考えられるいくつかの問題に焦点を絞っている。二十一世紀初頭の日本の対外経済政策において鍵となるであろう重要なテーマをうまく選択していること、論旨が明快であること等により、この試みは成功している。特に中国工業の急速な発展の活写(第一章)、興味深いIT(情報技術)活用事例の紹介(第二章)、インターネットを活用して世界中のNGOの活動を概観した調査(第三章)、地域統合の経済効果に関する実証研究のサーベイ(第四章)等は、出色の出来であり、教えられることが多かった。
 白書の新しいスタイルに注文をつけるとすれば、ケース・スタディーが多用される一方でていねいな実証分析が少なく、俗説の鵜呑みが散見される点であろう。エコノミストによる重厚な分析というよりは、ビジネス・スクールの講義レジュメを読んでいるような気分になる個所がいくつかあった。
 たとえば、日本企業のIT活用が遅れている原因として、白書はトップ・マネージメントの報酬システムが硬直的であることを指摘しているが、両者の関係に関する検証は行われていない。企業活動基本調査の個票や有価証券報告書のデータを整理し企業レベルの実証研究を行うこと等を通じて、より慎重な検証が必要であろう。
 また白書は近年急増している国境を超えたM&A(企業の合併・買収)を積極的に評価し、この面での対内直接投資の拡大が望ましいとしているが、ダイムラークライスラー社の不調に見られるように、直接投資が常に生産的とは限らない。バブル期に行われた日本の対欧米不動産・金融業向け直接投資のほとんどが失敗であったことは記憶に新しい。M&Aを無批判に歓迎するのではなく、その利益とコストを慎重に検討する必要があろう。
 白書の事実認識については、次の二点について問題を指摘しておきたい。
 まず対日直接投資の規模について白書は、対米直接投資のわずか二〇分の一ときわめて少ないとしている。しかし投資累積額をもとにしたこのような比較には、問題がある。
 標準的な国際経済学では、直接投資を経営資源の国際移動として捉える。したがってその規模は、国境を超えて資本がどれだけ移動したか(直接投資フロー)ではなく、外資系企業が国内で営む生産活動の規模で判断すべきである。直接投資のフローと外資のプレゼンスの間には以下の理由から大きな乖離が生じうる。第一に、日本ではごく最近まで、金融・保険業での外資系子会社の設立は厳しい規制下にあり、外国企業は多額の出資金等が投資される子会社設立でなく、資金移動が小さい支店設置により対日進出してきた。このため、投資のフローが少ない割に、従業者数や営業利益で測った外資系のプレゼンスはかなり大きい。第二に、外資系企業は本国から資金調達しなくても、日本での借入等により生産規模を拡大する場合がある。
 表1は、日・米の事業所統計に基づいて、日本における外資系のプレゼンスをアメリカのそれと業種別に比較している。雇用者数で比較すると、それほど著しい日米格差はないことがわかる。全産業では、過半所有現地法人で見て、日本への外資系の浸透度はアメリカへのそれの八分の一程度(〇・六一/四・六一)、特に非製造業については、日本への外資系の浸透度はアメリカへのそれの四分の一程度(〇・五九/二・七七)である。製造業については日本がアメリカと比べ外資系のプレゼンスが格段に低いが、これは日本の対内投資に関する閉鎖性ではなく、むしろアメリカの財輸入に関する閉鎖性を反映している可能性がある。多国籍企業にとっては、貿易障壁が低ければ生産コストの安い途上国で生産し、日本やアメリカに輸出したほうが合理的である。日系を含めた外資系製造業企業の対米進出は、アメリカのアンチダンピング政策や自動車輸出自主規制要請といった貿易障壁をジャンプするために行われた場合が多い。
 第二に、マスコミでも大きく取り上げられたように、白書は中国が労働集約的な繊維産業だけでなく技術集約的な電子産業等でも強い競争力をもっていることを指摘し、東アジアの発展形態が雁行形態的発展から新しい発展形態に変化したとしている。
 確かに今日では、直接投資によって資金だけでなく生産技術まで迅速に国境を超えて移動するから、途上国が比較的先端的な産業を急速に発展させる場合がある。しかしこのこと自体は、すでにタイやマレーシアでも経験済みである。他の東アジア途上国と比較して中国において注目すべきなのはむしろ、繊維産業と電子産業の間の部分、つまり重化学工業についても膨大な生産を行い、しかもその生産性が概してきわめて低い点にある。このような産業構造は中国が長く輸入代替的な政策をとってきたことに起因する。WTO(世界貿易機関)加盟による貿易自由化は、中国の重化学工業において大きな痛みを伴う産業調整を引き起こす可能性がある。
 白書では、中国が直面するこのような難題についても、もっと分析してほしかった。

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