(0)データベースの概要

 

(0−1)はじめに

 本論の目的は、COEプロジェクトの一部として現在作成中の「Korea 長期経済統計データベース」の内、筆者の担当する国民経済計算の部分の推計概要と、その推計の基礎となったデータファイルを示すことにある。以下では、まずデ−タベ−ス全体の作成方向を概説した後、第2次世界大戦以前の期間についての生産勘定の推定方法と戦後データとの接続作業を産業別に述べ、ついで支出勘定との突き合わせを論じることにしたい。

 Koreaデータベースの作成に当たっては、以下では、台湾の場合と同様、解放前の数値は、旧植民地統計整備作業に依存することになることから、この時期についての国民経済計算に関する部分は筆者の担当となったが、他の部分は分業で行うことになった。この結果現在進行中の作業グル−プは、次の様になっている。

  1. 全朝鮮(1915-40)および南朝鮮・韓国(1915-1990)についての簡易な国民経済計算の作成としにための基礎データファイルの整備(溝口)、
  2. 長期貿易統計の整備(COE 貿易班 野島教之氏)、
  3. 長期金融・物価統計の整備(COE 金融班)、
  4. 解放後の韓国長期統計の整備(COE 幹事会)、
  5. 解放後の朝鮮民主人民共和国のデ−タ収拾(木村光彦氏等)。

1、2、3の作業はほぼ台湾の作業に対応しているが、4は KOREA プロジェクトで新たに必要となったものである。すなわち第2次世界大戦後、台湾・韓国政府の統計機関によって統計整備は着実に進められ、国民所得推計や国民経済計算も実施されているが、台湾では 1968 SNA に基づく遡及推計による公式の長期経済統計の作成が組織的に行われてきたのに対して、韓国ではこの面についての遅れがみられ、新推計は 1970年以降について発表されているにすぎない。このため、長期系列の観点からは推定方法の改定等による時系列系列の断続がみられることになる。このため4は各期間別の公式統計をリンク作業等によって長期系列を組織的に作成するものであり、解放後についての長期分析に利用するためには、1の作業より詳細なレベルで実施される必要がある。COEプロジェクトの他の報告書に示されているように、長期デ−タベ−スは、最終的には国民経済計算の体系にまとめあげることを最終目標としていることから、本論に示した暫定推計結果や作業計画等も当然今後再調整が必要となる可能性がある。本論の推定結果等を利用するに当たってはこの点に配慮されたい。

 なお、政治的誤解を避けるために、本論が対象とする地域の呼称についてふれておく。COEプロジェクトでは、現在の大韓民国と朝鮮民主人民共和国の領有地域を併せた全域を KOREA と定義した上で、日本の植民地支配の時期を含む 1990年までの長期済統計デ−タベ−スの作成を計画している。筆者はこの呼称についてなんらの異論はないが表頭入力の便宜等の理由から、植民地支配の時期についてのこの全地域を「朝鮮」、大韓民国と朝鮮人民共和国の領有地域を各々「南朝鮮」、「北朝鮮」と記述することにする。なお、1945年以降については現在の日本での表記法に従って「韓国」、「北朝鮮(朝鮮民主人民共和国)」の呼称を採用するのが好ましいと考えているが、表頭には字数の制約から後者については「北朝鮮」と略記している。しかし、これらはなんらの政治的評価をともなっていない作業上の呼称であることをお断りしておく。

 

(0−2)使用されるデータ

 第2次世界大戦以前のKOREAについて組織的な統計が得られる時期は、1911年以降の『朝鮮総督府統計統計年報』の刊行以降であるが、それ以前にも統計がないわけではない。貿易については総監府によるかなり詳細なデ−タがあるし、李朝時代の韓国についても種々の情報が見いだされている。これらの情報の分析は近代史の研究者よって行なわれておりその成果には注目されるものが多い。その代表的なものとして統計庁(1992)があげられる、しかし、今回の我々の作業ではこの時期を対象にしない。

 朝鮮総督府による統計調査は当時としてはかなり組織的に実施されているが、その精度は時期によって異なる。多くの統計は民政が施行された 1911年以降について発表されているが、植民地統治の初期時点の統計数値には信頼性が低いことが指摘されている。その代表的なものは農業統計であって、1911年から 1915年にかけての耕地面積や農産物の生産量の増加が著しいことが知られているが、これは植民地統治初期の行政が行き渡っていた地域が当初限定されていた結果、この時期の数値が過少評価されていたためと思われる。これに関する注目すべき研究として、鄭英一(1975)があり、1915年頃までの統計数値に下方バイアスがあることが指摘されている。筆者等がこれまで実施してきた植民地下の朝鮮統計の整備作業でもこの点についての一応の配慮は行われていたが、現在からみると必ずしも十分であったとは言い切れない。例えば、当時の作業を総括した溝口・梅村(1988) の数値でも、1911年から 1915年にかけての経済成長率がやや過大になっている様にもみられる。これらの過少推計の調整は今後進められる必要があるが、今回の作業の主目的が長期系列の作成にある点を考慮して、比較的信頼度の高い 1915年以降に主要な推計を限定することによってこの困難を回避することにし、1911−14の数値は「参考系列」として示すことにした。

 1915年から 1940年の間の統計数値については、「植民地支配者による統計には信頼性に限界がある」との批判はあり得るにしても、相対的に信頼度の高い数値といって差し支えないように思われる。このような視点にたって溝口・梅村(1988)では「 1953 SNA 」の体系に基づいて、1911−38年について支出勘定について朝鮮の国民経済計算の推計を行い、既存の生産勘定との対比を行った。今回の作業では、この時期についての旧推計を以下の点について作業を追加した上で利用することにする。

    (1)推計期間を1940年まで延長する、

    (2)勘定体系を「 1968 SNA 」に切り換える、

    (3)生産勘定体系の推計を独自のものに更新する、

    (4)朝鮮の勘定を南朝鮮と北朝鮮に分割する。

これらの改定作業の内、(2)についての作業はCOEプロジェクトの方針によるものであり、改定作業は極めて技術的なものである。また(1)の作業も比較的容易な作業である。日本は1941年以降連合国との本格的な戦闘状況にはいるために、情報の提供量は大幅に制限されるが、1939年と1940年については、一部戦略物資関係のデ−タが公表されていないことから生じる困難を除けば、1915-1938年に準じた推計が可能になる。

 既述のように、溝口・梅村(1988)では、SNA の支出勘定の推計に力点がおかれ、生産勘定の推計は既存の推計結果の引用して、まとめあげる形をとってきた。しかし今回の長期経済統計の作成では、南北分割を行う場合、生産勘定が中心となることに配慮する必要がある。更に、他国との比較等に際しても、生産勘定による比較の方がより便利であることも考えられる。これらのことから、(3)のテ−マとして、生産勘定の推計を全面見直しして、独自の推計を行うことにした。この結果、全朝鮮についての支出・生産勘定のバランスから、推計精度のチェックも可能になることも期待できる。

 (4)の作業は、長期系列の推計期間中に、対象国(または地域)の地理的範囲に変動のあった場合の対応措置に関連がある。周知のように植民地下にあった「朝鮮」は解放後大韓民国と北朝鮮(朝鮮民主人民共和国)に分割された。この2国の境界線は、朝鮮戦争前・中・後の3時期では異なるが、戦争中(1950-53年)を除けば概ね現行のものにちかい。このような領域の変化はインド大陸等にみられるものよりも単純であるが、解放前後を統計数値で接続しようとすると、「フィクション」ともいえるような仮定の導入が必要になる。

 考えられる第1の方法は,解放後の2国を解放前における1国内の2地域の如く見なして、解放後の2国の数値を合計し解放前と比較することである。このような作業は、人口や生産数量という共通の単位で表示されたものについては可能であり、今回のデ−タベ−ス作成に当たっても一部の系列については試みられている。ただ金額表示の統計については、解放後の2国間における通貨単位の換算をどのようにするかという問題が生じる。これにもまして重大な障害は、2国間で公表された統計情報量に大差があることである。韓国の統計は、朝鮮戦争直後には様々な問題を抱えていたが、その後急速な改善がみられ、近年では先進諸国に引け劣らない水準に到達している。これに対して北朝鮮についての公表統計は極めて限定されている。この状況については、木村(1998)や韓国の研究機関による推計等を参照されたい。ただ、1980年代後半から、国連諸機関による推計結果が主要統計について行われるようになり、最近では北朝鮮政府から国連に統計の報告がおこなわれるなど、公表形態の変化もみられる。本論では、ESCAP の統計年鑑に掲載された北朝鮮のデ−タをデ−タベ−スに採用しているが、今後北朝鮮担当者からの情報も組み入れていくことにしたい。

 第2の方法は、解放前のマクロの数値を人口一人当たりに換算し、解放後について2国別の一人当たり換算済の数値と接続することである。この方法を韓国の国民経済計算に適用した試みとして、溝口・野島(1988)があるほか、生産統計等に適用された複数著者による試みがある。この方法は、解放前のマクロの数値を人口比率で分割することと一致していることから、解放前の朝鮮では一人当たりの国内総生産が南北両地域で大差がなかったとの想定があることになる。この方法が大胆過ぎる仮定によっていると批判することは容易であるが、その後の各種の検討結果と突き合わせてみると、分野によっては意外に頑健な接近法であることが分かってきている。また、全朝鮮を対象としていた行政を実施していた朝鮮総督府のサ−ビス生産を、総督府が当時の京城にあったからという理由から、その行政サ−ビス生産の全てを南朝鮮に帰属させることには明らか問題があり、むしろ人口比率で分割することが望ましいであろう。従って、この方法を理念的に排除することは必ずしも適切でない。

  第3に地域区分に注目する接近方法がある。解放前の朝鮮の統計には、道別に集計されているものが少なくないことから、地域区分に着目して南北分割することであり、以下「地域区分分割法」と呼ぶことにする。この場合、現在韓国に属する地域(南朝鮮)は、解放前の道区分によれば

 忠清北道、忠清南道、全羅北道、全羅南道、慶尚北道、慶尚南道の全部と京畿道、江原道の一部

である。なお、京畿道と江原道の南北分割に当たっては、面積比や人口比等を利用して分割することが可能であり、この方法にそった分割の試みは多くの論文で試みられてきていいる。ここでは、人口および第1次産業、第2次産業の生産金額を南北分割し、資本形勢と資本ストックの南北別推計をおこなった最近の研究として、表鶴吉(1996)を挙げておく。更に、作業を精密化する目的で石川(1980)では、京畿、江原両道について村落レベルまでおりて地域分割作業を試みている。この種の作業は農業等には合理的なものといえるが、上述の総督府の例にみられるように、分野によってフィクション的な要素がつきまとうことを考慮しておく必要がある。また、工業生産額を南北分割するに当たって、京畿道と江原道について工場の位置を確認した上で地理的所属による決定を行う事によって「精度」が向上するかどうかについては疑問が残る。解放前の工場立地は経済圏を意識して行われたのであり、南北いずれの地域の属するかを意識して行われたわけではないからである。このことから明らかなように、南北分割はできるだけ経済の実態にあうようケ−ス・バイ・ケ−スで進められる必要がある。また、これまでの作業をみるといずれを採用しても大きな相違はないことも分かってきている。本論ではこれらの事実を参考にして、あまり詳細な作業に疑問を感じることから、

 「京畿道の修正はおこなわず、江原道の 60% を南朝鮮の数値とする」 という簡単な方法を採用することにする。このようにして得られた南朝鮮値の全朝鮮値に占める割合を「南朝鮮比率」と呼ぶことにする。

 このような簡易な推計方法を前提としても、生産関連の全ての情報が道別に得られるとはかぎらない。またデ−タが得られる場合についても、この方法による作業量はかなり膨大なものになる。そこで、この種の作業は生産金額の大きい品目について適用することとし、比較的生産金額の少ない品目に適用する方法として別途「簡易分割方法」を用意することにした。すなわち、道別にデ−タが得られる場合に、1915年、1925年、1935年、1942年(戦時秘匿措置のために 1942年のデ−タが得られない場合にはそれ以前の最終年を利用)の 4年について南北分割を行って南朝鮮比率を計算する。この比率が時系列的に安定している場合には、その平均値を、またトレンド的な変化を示す場合には補間法によって南北分割を行うことにした。一方道別の情報が得られない生産については、やむを得ず人口比率に比例して分割する方法−−以下「人口比率分割法」と呼ぶ−−を適用することにした。

 以上の点を考慮して、第2次世界大戦前のデ−タを SNA 体系に整理するに当たっては以下の原則によることにする。

    (1)全朝鮮の SNA は1940年以前に限定する。ただし個別系列のデ−タベ−スでは、

       解放後の北朝鮮の数字が得られるものについては全朝鮮の数値も計算する。

    (2)解放前の南朝鮮についての SNA のうち生産勘定については地域区分分割法を適用する。

    (3)解放前の南朝鮮についての SNA のうち支出勘定は人口比率分割法による。

    (4)解放前の南朝鮮についての SNA の生産勘定と支出勘定間にみられる統計的齟齬は、

       全朝鮮の勘定の統計的齟齬を人口比率分割法によって分割した値とその他の差に分割できる。

       後者を「地域分割齟齬」とよぶことにする。

 1940年−1945年における植民地下朝鮮の統計の情報量は、第2次世界大戦の影響によって急速に減少する。『朝鮮総督府統計年報』は 1942年まで一応刊行されるが、秘匿される項目数は増加する。1943年以降の公刊された統計書は、筆者の知る限りほとんどない。ただ解放後、アメリカ駐留軍や韓国政府より遡及情報の形で、総督府による計数値が部分的発表されている。例えば、

 (韓国政府)内務部統計局 『第3回 大韓民国統計年鑑 檀紀4287年』、1954

は、この時点の統計の内韓国領有地に関するものについて再集計して掲載しているが、この種の情報として貴重なものといえよう(この時期の朝鮮全体についてのオリジナルな資料は筆者の知る限り公刊されていない)。1950−1953年の朝鮮戦争下に関する統計も、上記統計年鑑に収録されているが、日本の戦時下の経験から判断して、ある程度の誤差は覚悟する必要があろう。

 朝鮮戦争終了後、韓国の統計整備は急速におこなわれる。1950年代の中期からは、各種の標本調査が実施され、国民所得統計も作成されるようになる。各種のセンサスの実施や産業連関表の作成がみられるようになった結果、1960年代には、先進国諸国に見劣りしない統計体系をもつようになる。これらの結果は、毎年統計庁(またはその前身である統計局)から

 Korea Statistical Yearbook (韓国統計年鑑)(KSY と略記)

として、刊行されるとともに、

 Statistical Yearbook of Agriculture, Forestry and Fishery (SAF と略記)

にみられるような、各統計分野別の統計年鑑類も刊行されている。

 一方、統計精度の向上を目指した調査方法の改善や加工方法の改良もすすめられてきている。例えば、「 1968 SNA 」による国民経済計算体系は、1970年まで遡及して推計が行われている。ただ多くの国でみられるように、このような改善が実施された場合、過去の数値への遡及推計の適用が比較的限定された期間に限定される結果、長期系列としての時系列が公式には得られないことになり、長期的分析を困難にする問題が生じる。これを回避するには、公的機関による遡及推計や、系列の接続作業が行われる必要があるが、このような例がみられるのは、先進国の中でも少数派であるといってよい。この意味で、日本や台湾のケ−スは極めて恵まれた状況にあるわけであり、研究者自身による長期系列の作成が必要となる韓国のようなケ−スは決して珍しいわけではない。今回の作業に当たって実施された張成絃(1997)はこの種の試みとして高く評価されてよい。このため、本論では 1953年以降の国民経済計算に関する数値は基本的に張成絃推定の数値を採用し、筆者の部分的推計との間に相違がある時には、張推定に合わせるように調整が行われている。この種の作業は、本報告書の冒頭でのべた4のグル−プによって、引き続き実施される予定である。

 以下の推計では、南朝鮮・韓国のデ−タについて、解放前後の比較が実施される。このうち、金額表をみる場合解放前の日本円(朝鮮銀行券−−日本銀行券と1対1換算)と解放後のウオンとの換算が問題になる。解放後の韓国では 1945年の解放直後に

  1旧ウオン = 1日本円

の比率での紙幣交換が行われたが、1952年にデノミネ−ションが実施され

  1新ウオン = 1000旧ウオン

の呼称換が実施された。以下の金額表示では 1945年以前については日本円表示、その後については、1945-52年を含めて新ウオン表示とする。従って同一単位で比較するには、解放後の値を 1000倍する必要がある。ただしデフレ−タの表示にあたっては、単位の相違を調整した上で表示されている。なお実質金額表示では、1934-36年平均価格円表示または 1960年価格ウオン表示で統一されているので、時系列内での貨幣単位の変更を考慮する必要はない。