4. 対露主要輸入品動向

 

2) 水産物

 露領漁業による漁獲物が『 日本外国貿易年表 』に計上されていれば、木材を上回る露領亜細亜からの最重要輸入商品になっているはずである。日ソ間で締結された漁業条約によって北洋に出漁して漁獲する以外に、日本はソ連極東漁業機関から魚を買い入れている。『 日本外国貿易年表 』によれば、塩鮭及塩鱒の露領亜細亜からの輸入額は1902年の140万円(輸入額の24%)から日露戦争期の1904〜1905年の急減後、1906年には110万円(輸入額の80%)まで回復した。しかし、その後は皆無の状況が続いた。塩蔵魚(鹹魚)の輸入が復活したのは1928年のことであり、その後毎年増加の傾向にあり、1934年には1,080万円(同33%)を記録した。しかし、翌年には激減し、さらに1936年以降全く輸入されなくなったのである。このような輸入傾向をどのようにみたらよいのだろうか。

 水産物の輸入は「 日本外国貿易年表 」の附属統計の「 水産物細別表 」に掲載されているが、この元になる表は税関の「 出漁船捕獲採取品及其製品内訳譯表 」である。この表は地域別に韓国、露領亜細亜、其他諸国に分かれており、露領亜細亜に限りカムチャッカ、ニコラエフスク、その他に細別することが義務づけられている。「 水産物細別表 」が「 日本外国年表 」に登場してくるのは1908年になってからのことである。露領亜細亜からの水産物の輸入は巨額にのぼっており、ロシア革命後の1918年から毎年増大し、ピーク時の1924年には2,670万円もの輸入額を記録したことがわかる。この額は同年の対露領亜細亜輸入額の1.8倍に匹敵する。その後、年によっては若干の落ち込みがあるものの、年間2,000万円の輸入額が1929年まで続いた。しかし、1930年以後はほとんど途絶状態になった。露領亜細亜からの水産物輸入の全盛時である1921年から1929年にかけて、特別輸入として扱われる日本の水産物輸入の毎年98〜99%は露領亜細亜からの輸入であった。この数字からもいかに露領漁業による水産物が重要であるかがわかる。

 露領漁業によって輸入された水産物の圧倒的な量は塩鮭及塩鱒であり、1908年から1920年までは毎年露領亜細亜からの水産物輸入額の80〜90%を占めた。塩鮭及塩鱒の圧倒的量はカムチャッカから輸入されている。1921年以降塩鮭及塩鱒のシェアは漸次低下し、1930年にはそのシェアは47%まで落ち込んだ。代わりに登場してきたのが鮭・鱒の缶詰や蟹缶であり、その他の魚缶詰であった。しかし、これら缶詰の輸入は1928〜1929年の2年間しか目立った額が記載されていない。