一般の北朝鮮経済論には誤解が少なくない。北朝鮮経済が硬直的な中央集権計画経済であるというのはそのひとつである。北朝鮮は建国以来、厳密な中央経済計画を実施したことは一度もない。すなわち国家計画委員会は、多数の財を含んだ物財バランスを実施する能力はおろか、その計画作成能力も有していなかった。現実の経済運営は、整合的な計画にもとづくことなく、場当たり的、無秩序な生産・動員命令によって左右された。52 このように、もともと中央政府が経済「 計画 」を実施していなかったのであるから、北朝鮮経済の破綻は「 中央計画経済の破綻 」ではありえない。さらに、北朝鮮経済の長期動向について多くの人は、50年代から70年代にいたるまで急速に発展したのちに停滞に陥ったと考えている。本稿の分析は、こうした「 急発展 − 減速説 」が非現実的であること、むしろ「 長期停滞説 」が妥当することをつよく示唆する。53 具体的には、北朝鮮経済は1950年代後半、多額の対外援助を得て短期間のうちに( 朝鮮戦争による破壊から )復興したのち、60年代にはいって早くも停滞に陥った。以後一層の援助と大量の国内資源投入によって実現した生産増は、経済原則を無視した「 強制成長 」であり、技術進歩をともなう持続的発展の結果ではなかった。54 そこでは収穫逓減作用がつよく働き、非効率が増大した。55 生産の維持は援助に依存し、結局、援助の削減とともに再生産は不可能となった。56 北朝鮮はこのように、自立的工業の育成 − 農業国からの脱皮に失敗し、同時に農業発展にも失敗した。 近年の農業崩壊はその帰結であった。57 換言すれば、農業崩壊の根源は90年代よりはるか以前にさかのぼる。
最後に北朝鮮の政治経済体制をどのように理解し、どのような概念を用いて分析するかという問題に言及する。同体制には、儒教的伝統主義、スターリン主義、毛沢東主義、さらに日本軍国主義が影響を及ぼし、公式、非公式に思想的基盤を提供した。58 その反面、そこには近代市民社会、市場経済の要素がほとんど欠けていた。したがって、こうした社会経済を対象に西欧で開発された概念、論理を北朝鮮に適用するには大きな限界がある。その例として、集計的な所得概念( GNP )がある。その適用の試みは少なくないが、意味のある分析結果は得られていない−私は、きわめて恣意的な仮定のもとで北朝鮮の1人当りGNPを計測し、韓国のそれと比較するといった試みは、むしろ北朝鮮経済の正しい理解を妨げてきたと考える。それは、北朝鮮にかんしては実証の問題以上に、理論的な適用可能性の問題が存在したからである。他方、西欧近代の合理主義的思考方法で、金日成や北朝鮮国民の行動を十分に理解しうるかという問題もある。すなわち、長期的に結局破綻すると予想しうるにもかかわらず、金日成はなぜ国民をあれほど厳しい労働に駆り立てたのか、なぜ国民はそれにたいして積極的な抵抗を示さなかったのか。59 これについては、近代西欧の異形の落とし子とでもいうべきナチズム、ファシズム、スターリニズムの研究は大いに参考になる。60 しかしそれにとどまらず、韓国との極度の緊張関係の下、非西欧的価値観・伝統が支配する閉ざされた社会のなかで、金日成および国民がどのような心理状態にあったのかといった点の考察が必要である。61 さらに近年、糧穀 − 万能財の国家生産・供給体制が崩れ、政権は大きな危機に陥った。それにもかかわらず、大方の予想に反して、98年に入ってもなお政権は存続している。この事態をどのように考えるべきであろうか。62 北朝鮮の政治経済について今後、広い視点、斬新な概念的枠組にもとづいて考察をすすめる必要があることを指摘して本稿を閉じる。