三、国民所得計算の導入

 

 経済分析における国民所得概念の導入は、国家の経済運営において、統計的手法の重要性を一層高めたが、第一次世界大戦後、エジプトにおいても、国民所得の評価を試みる研究者が現れた。

 

(1)国民所得計算をめぐる論争

 こうした試みは、容易に想像されるように、外国人学者・官吏を中心としたアカデミック・サ−クルの会員の間でなされ、一連の論争へと展開した。そこで戦わされた論点の紹介は別の機会に譲り、ここでは、この論争を構成した主要論文のタイトルだけを列挙すると、次のようになる。

 



 

(2)国民所得計算の国家会計への導入

かくするうちに、経済政策担当者の間に、国民所得分析が普及するようになり、国民所得計算の国家会計への導入が政策日程に上るようになった。1942年、財務省の中に、1937年から1945年にかけてのエジプトの国家収入・支出に関する研究委員会が発足した。

この委員会での成果を取りまとめ、その後のエジプトにおける国民所得計算の出発点として評価されているのが、Mahmoud Amin Anis, A Study of the National Income of Egypt,( Cairo, 1950)である。この本の著者であるマフム−ド・アニ−スは、ロンドン大学で博士号を取った経済学者であり、上記研究委員会のメンバ−の一人であった。

この著作のなかでアニ−スは、当時において国民所得分析を困難にしている統計事情として、土地と不動産の賃貸料、農業賃金と農業利潤、商業・工業利潤、1942年以前の工業賃金、給与・賃金一般、国際収支、雇用について信頼に足る統計デ−タがないことを指摘している。

以後、経済政策担当者は、国民所得分析に必要であるにもかかわらず、入手できない、これらの項目に関する統計デ−タの整備に努めることになる。1945年にはinput-output matrix と commodity flow tablesが、エジプトで最初に作成された。