3.汪敬虞推計について

 

 冒頭にも記したとおり、この戦時華北工場調査については、汪敬虞氏の貴重な研究成果が存在する。ここでその作業の特徴と若干の問題点をまとめておきたい。

 汪敬虞氏の推計作業(以下、汪推計と略称)は、(1)統計対象工場を中国工廠法適格工場(動力を使用し、かつ30人以上の労働者雇用)に限定し、同法の工業分類にもとづき集計したこと、(2)察哈爾と綏遠のデータを補充したこと、(3)発電所・給水事業などについての独自のデータをもとに、原統計のデータを修正補充したこと、(4)1940年と1941年についても推計を試みたことなどの特徴をもっている。これはそれぞれに意味をもつ作業であるとはいえ、次のような問題点を含んでいることにも留意しなければならない。

 まず第一に、統計対象工場を中国工廠法適格工場に限定したことについて。よく知られているように、劉大鈞『中国工業調査報告』(13は中国工廠法適格工場を対象とした全国的工業調査であり、最も信頼性の高い近代工業に関する統計として、巫宝三編『中国国民所得』(14の推計作業の基礎にされた。汪推計自体がこの巫宝三らの推計作業の一環として試みられたものだった以上(15、上記のような限定をしたことは、当然の手続きだった。巫宝三らの国民所得推計は、近代工業に関するデータをこのように限定して確定する一方、それから除外される工場については、すべて手工業部門のデータを推計する際に捕捉するという方法をとっている。これも国民経済計算を目標とする限り、一つの方法として認められるものである。しかしながら中国における近代工業の発展過程の把握をめざす場合、実は「労働者数30人未満」の工場も大きな意味をもつ存在であり、むしろ劉大鈞の工業調査における不十分点を補充するための統計として、戦時華北工場調査を活用するという立場も成り立つように思われる。したがって中国工廠法適格工場に対象を限定せず、戦時華北工業調査の統計結果そのものを分析することにも意義を認めるべきである。

 第2の問題点は、統計の精度に関する検討が不十分なままに終わっていることである。汪推計は、本稿でもとりあげた天津の39年データに関する言及を除くと、前節で述べたようなその他の点について何も触れていない。ただし統計調査の精度に関して本稿第2節で試みた作業にしても、統計調査の結果だけを問題にした、いわば「外」側からの考察にすぎない。調査の過程に関する内部的史料が見出されない限り、精度の問題を的確に把握するのは難しいであろう。

 なお念のため付言しておくと、汪敬虞氏が統計の精度に注意していなかったわけではない。そもそも汪推計は単純に戦時華北工業調査の数値を使ったものではなく、それを様々に修正しつつ、その中から中国工廠法適格工場のみを選び出し、そのいくつかの数値を集計したものであった。そのため1942年の河北省の数値のように、地域によっては戦時華北工業調査の原表の数値を汪推計の方が上回る場合すらでているほどである。しかし残念ながら、戦時華北工業調査における個々の対象工場に関する統計修正値とその具体的な根拠は、汪敬虞氏の論稿の中では示されていない。

 第3に汪推計の生産額算出方法の問題点についても留意しておくべきである。中国工廠法適格工場のみの生産額を算出するため、汪推計は、39年調査と42年調査のそれぞれの『工場名簿』に記載された各工場の生産額をとりだし集計した。しかし『工場名簿』に掲載された生産額は、各工場の主要産品の生産額に限られており、それは紡績工場の場合のように各工場の生産総額と一致する場合もあるが、逆に一部の化学工場や製粉工場の場合のように各工場の生産総額の一部しか示していないこともありえるわけである。実際、青島の1939年のデータについて『工場名簿』の数字を集計し、その結果と『工場統計』にあげられた数値とを比較してみたところ、前者の方が総額で 7%、化学工業で26%、機械器具工業で14%の減少となることが判明した。先に述べたとおり、汪推計は中国工廠法適格工場に集計の対象を限定しているので、今記したような誤差がそのまま生じるわけではない。それにしても、とくに重化学工業の分野で、やはり生産額を過小に評価する傾向が生じることは、避けられないように思われる。