[2] 所得接近法

 

 (1) Polakの推計法

 Polak ( 1943 )の推計法の概略を示そう。彼は1921−1939の国民所得を

 
 個人所得  インドネシア人  2022
 ヨーロッパ人 371
 アジア系外国人 292
 政府輸出収入  38
 非居住者所得  210

 

に分けて推計している。数字は1939年の NICrt f millions 単位所得額をしめしている。( p.70 )。サービス業部門はこのうちの主としてインドネシア人の個人所得に含まれ、

 
 政府 ( government )  152
 商業 ( trade )  135
 運輸通信 ( communication )  29
 使用人 ( servants )  46
 家屋レント ( house rent )  100
 自由業 ( professions )  20

 

に分けて推計されている。数字は同じく NICrt f million ( Fl million )単位の推計された所得を示している。( p.71 )。

 推計方法の概略を商業および政府部門について記しておこう。商業については、1913年の課税データにもとづきジャワ島およびマドゥラ島の商業者1人当たりの所得Fl 95としたうえで、1939年の1人当たり所得をFl 100と仮定する。次に1930年のセンサスデータ( pp. 96-97 )から得られるジャワ島・マドゥラ島の商業者の数に一定の成長率を仮定して1939年の商業者数を推定し、Fl 100との積をこの年のジャワ島・マドゥラ島の商業セクター所得とする。外島については1人当たり所得をジャワ島・マドゥラ島にくらべて45%高としたうえで同様に計算する。1939年以外の年次については、インドネシア人の他のセクターの所得合計に対して、商業セクターの所得が一定倍率をもつものとして、推定する。

 次に政府については、インドネシアの civil government の公務員の所得とスルタンの支配下の職員および村落に( desa )レベルの職員の所得とをそれぞれ推計して合計する。 civil government の職員についてみると、1926年について常傭職員への給与・賃金支払総額のデータがあるので、これからインドネシア人分を分離する。次に非常傭職員への賃金支払を1919, 23,24年のデータから推定する。こうして1926年について、常傭・非常傭職員の給与・賃金支払値の和として政府部門( インドネシア人 )の所得を得る。他の年次については、賃金と職員数の時系列的動きについての部分的情報をもとにいくつかの仮定をおいて外押する。

  ちなみに、表10の第1行はPolakの推計値を用いて、人種ごとの1人当たり有業者所得が各産業において同一であるとの仮定の下で、1930年のサービス業各産業のGDPを求めたものである。すなわち1930年のセンサスデータ( CEI Vol. 5, pp. 96-97 )から、Jawa and Madura と Outer Province それぞれの地域における産業別の有業者数がわかる。これにPolakが推計した人種別( インドネシア人、ヨーロッパ人、アジア系外国人 )の地域別1人当たり所得( CEI Vol. 5, pp.76 )を乗じて産業別のGDPを求めることができる。表1の第2列はこうして計算される産業別GDPのうちのインドネシア人のみのGDPを示したものである。第3列は1939年についてのPolakの推計したインドネシア人の所得( CEI Vol. 5, p. 71 )を参考までに掲げたものである。

   

 

 (2)ミクロデータによる運輸通信業GVAの推計

本節の目的は、戦前期インドネシア( 1910年代〜1930年 )の運輸通信業のGVAをミクロ的な収入収支データから推計することである。

資料は Indish Verlagの 各年版

     Pendapatan Nasional Indonesia 1960〜1964

     Changing Economy of Indonesia ( Vol.9 );

                  Transport 1819〜1940

であり、以下ではそれぞれIV, PNI, CEIと略称する。 

 推計は(1)鉄道( 市街電車を含む )、(2)バス輸送、(3)トラック輸送、(4)その他輸送( 機械の使用以外の方法による陸上輸送および全ての種類の水上輸送 )および(5)通信の5項目について行う。基本的方法はPNIより得られる1960年の諸比率を戦前期の収支データに適用するという方法である。インドネシアの1960年代前半はスカルノ政権末期の混乱期であるが、1960年頃はまだ比較的落ち着いており、一応情報としては、有用であると考えられる。

 

(a) 鉄道輸送

 IVの ”railway; financial result” の節から政府民間双方かつ tramway を含む鉄道会社の

   (a)営業費用 working expenses( 減価償却を含まない )

   (b) 収入 receipts( 雑収入を含む。すなわち営業収入より定義が広い )

のデータから1915, 1920, 1925, 1927-39の各年について得られる。( 単位1000gld. )。

 他方PNI p. 79よりPNKAの損益計算書から1960〜64年について

   (a) wages and salaries

   (b) repair and maintenance expenses

   (c) miscellaneous purchases of goods and services

   (d) total expenditure

のデータが得られる。ただし、1961〜64のデータは1960年代の諸比率でわりふったものと思われる。

 ここで(d)は(a)、(b)、(c)に金利、レンタル支払、年金払込、純利潤( 配当、内部留保、減価償却にあてられる )を加えたものにあたる。

 われわれはIVの(a)がPNIの(a) + (c)に対応するものと考え、IVの(a)に1960年の(a) / ( (a) + (c) )すなわち0.413を準じて、戦前における人件費の推定値とする。またIVの(b)− (a)を粗利潤とみなす。最後に、こうして得られた人件費と粗利潤の和をGVAの推計値とする。

 

(b) トラック輸送

 PNI p. 87 Table 12.4より1960年に West Java で行ったトラック事業のサーヴェイ・データに基づくGVAの推定値がある。これから

   (a) total number of truck operated in Indonesia

   (b) gross value added ( 単位 million Rp )

が得られる。(a)は登録台数の50%と仮定されている。また(b)は total wages and salaries と total gross profits の和である。これより稼動トラック一台あたりの total gross value added をもとめると 38.20 million Rp. となる。

 CEIから1925〜1940年についてのトラックの台数がわかる。これに 38.20 million Rp.を乗じることにより、各年の1960年価格でのトラックのGVAを得ることができる。

 

(c) バス輸送

 PNI p.86, Table 12.3 より P.N. DAMRI ( 1960年で203台のバスをもち3,824人の従業員のいる企業 )の年次報告書に基づいて次の値が推計されている。

   (a) total number of buses operated in Indonesia

   (b) value added in 1960 price

(a)は登録台数の60%と仮定されている。(b)は減価償却を含まない net value added である。これから稼動されたバス千台あたりの value added が 291.6 million Rp と推定される。他方、同資料 Table 12.4 よりトラックについて depreciation と net value added の比率をとると、1960年について0.111となる。これより1960年におけるバス千台あたりGAVを

    291.6 x 1.111 = 323.97 Rp とする。

 次にCEIからバスの台数をとり、これに 323.97Rp を乗じることにより1960年価格のバスのGVAが得られる。

 

(d) その他輸送

 PNI p. 88, Talbe 12.5 より1960年について non-mechanized road transport and all kinds of water transportation の1960年についての

   (a) 従業者数 = 234,675

   (b) 従業者1人当たり平均所得 = 31.5( Rp. 1000 )

が得られる。ちなみに、トラック業n従業員数は、1台あたり平均従業員数を3人として( PNI p.87 )、 3 x 32,635 = 97,905人と推計される。また、バスの従業員1人当たり給与賃金は、1960年において 29.6( Rp.1000 )である。

 世銀 World Data より1960年の人口は 93.996( 千人である )であるから(b)は人口の0.25%にあたる。

 われわれは、 Changing Economy of Indonesia Vol. 11 から 1919〜1928, 1930, 1940年のインドネシア人の人口( indigenous population )をとり、これに 31.5 x 0.00250 を乗じて、その他輸送業のGVAとした。

(e) 通信業

 郵便、電信、電話事業を含む。

 PNI p. 91, Table 13.2 に P.N. Postel ( State Postal and Telegraph Serious )の所得データにもとづく1960年の収入額 834.3 が得られる( 単位はでていないが million Rp. と判断される )。他方 p. 90 Table13.1 に1960年の通信業のGVAの推定値 445.4 が与えられている。 これは賃金、年金払込、金利支払、利潤、減価償却の和である。単位は million Rp. 。この2つの情報から、通信業では、収入の 445.4÷834.3 = 53.39% がGVAとなると考えられる。

 他方、VI 1920, 1922-40の各年について post, telegraph and telephone services の total revenue の額が得られる。( 単位1000 gld )。よってこれに 0.5339 を乗じて各年の通信業のGVAとすることができる。

 

(f) 単位の統一とGVAの合計

 以上において得られた推計値は、鉄道と通信については、1000gld 単位の各年, トラック、バス、その他輸送は1960年価格における1000Rp. 単位の値となっている。それゆえ、1960年価格の値を1000gld 単位あたりの当年価格値に換算する必要がある。

 換算は信頼しうる価格データがあれが一番簡単だが、それは現在の段階では望めない。それゆえ貨幣量データより換算することとする。しかしながら、ここでも問題がある。すなわち1960年について貨幣量の値が不明であることである。BOIの annual report では1947〜58年と1965年以降についてしか貨幣量がとれない。それゆえ、われわれは1960年の貨幣量の近似数値として1958年の貨幣量 29,366 million Rp. を用いる。他方 Changing Economy of Indonesia Vol. 6 Table 1 から(a) currency in circulationと(b) bank money balance の値が得られる。 bank money balance は guilder balances subject to checking on demand held by domestic depositors である。それゆえ、われわれは定期性預金の扱いに多少の問題は残るが(a) + (b)を戦後の値と comparable を貨幣量とみなすことにする。

 以上から、上記の(a)+(b)を 29.366 で割ったものを1960年価格の戦前の各年の当年価格への換算比率とする。

 表11の(3), (5), (7)列はそれぞれこの換算比率を用いて換算した。それぞれトラック、バス、その他輸送GVAの当年価格値である。これらに(1), (8)列の鉄道、通信のGVAを加えて、(9)列の 1000gld 単位での運輸通信業の当年価格GVA系列が得られる。

 欠落項目のある年次をさしあたって除外して考えると、次の6年次について一応の確定値をうることができる。他の年次についても、データの欠ける部分を直接補完するなどの手続きをとることにより、推計値をうることができよう。いずれにせよ、この当年価格値は価格データが開発され次第再改訂されるべき性質のものである。

 

 (参考)Engによる
  当年価格値  1982年価格値 
 1915年 75,365 951
 1920年 160,778 1,367
 1927年 208,782 1,792
 1928年 239,794 1,792
 1930年 214,623 2,027
 1940年 164,659 1,699

 

 ここで、1940年のGVAは同年の鉄道のGVAが1939年のものと同一と仮定して求めてある。

 われわれの当年価格値とEngの推計した1983年値をくらべると、両者はほぼ同じような動きをしている。1915年から1928年にかけての成長倍率はわれわれの推計値の方が高い。すなわちわれわれの当年価格値で3.19倍、Engの推計値で2.07倍である。しかしながらこの間、貨幣量は上記(a) + (b)でみて

 
 1915年 92.06
 1928年  212.68

 

へと2.30倍に拡大している。 それゆえ実質値でみると1928年の運輸通信業のGVAは 75,345 から 104,258 への1.38倍の拡大でしかないことになる。この面からみてもEngによるこの部門のGVAの推計値は、大幅な過大推計の可能性が強い。

 ちなみに、さきにふれたPolakデータによると1930年の運輸通信業のGVAは 148,000 ( 1000 gld )である。これはわれわれの 214,623 ( 1000 gld )より大幅に低い。これは運輸通信業の1人当たり所得が平均値より大幅に高いことを反映したいるものと思われる。

 また、以上の推計ではとり入れなかったが、 Indish Verlag ( 各年版 )から1930〜39年について harvor work の収入支出データをうることができる。この収入データは利潤+支出であり、支出は各種 work 項目、金利支払、減価償却、 letting materials and reparations からなる。最後の項目は少額であり、work 項目は大部分人件費であると思われる。よってこの収入データを基本的に havor work のGVAとみなすことができる。資料の利用可能期間が短いためわれわれの推計値にはとりこまなかったが、参考までにこの値を記しておく( 単位 1000 gld )。

 
 1930年  15,198
 1931年 13,601
 1932年 12,501
 1933年 11,905
 1934年 11,490
 1935年 10,940
 1936年 10,728
 1937年 11,673
 1938年 11,408
 1939年 12,031