3.独立後インドの農業統計

 

 独立以降のインドの農業統計は、基本的には独立以前のそれを継承したものであった。Estimates of Area and Production of Principal Crops in India においては、作物は、主要作物のrice・jowar・wheat などの予報作物(forecast crops)、非主要作物である非予報作物(non-forecast crops)、およびtea・coffee・rubber などのプランテーション作物とに区分される。予報作物については通常2つの推計が出される。各年の Estimates について、当該年次についての推計値は「最終推計値 final estimates」で、これは作付け面積と実際の生産量や予想生産量をできるだけ正確に推計しようとしたものである。しかし、この数値はさらに改訂されることがあり、改訂された数値は多く翌年の作物の「最終推定値」発表時に公表された。改訂についての各州からの報告が不完全な場合は「部分改訂推定値 partially revised estimates」が発表され、最終的にすべての報告地域からの改訂の報告がでそろった「改訂推定値 revised estimates」は、しばしば数年後に発表された。非予報作物の推計は、アドホック調査の結果によるため、報告作物よりも正確度は落ちる。プランテーション作物については、主として州政府の報告による。

 インドのすべての行政区域が農業生産に関する報告を行っていたわけではなく、報告地域 reporting area と非報告地域 non-reporting area があった。この区分は余り絶対的なものでなく、報告地域であっても、ある種の作物については報告しても、他の作物については報告しない地域も存在した。また、非報告地域についても、1948-49年以降は穀物と豆類については、推定による生産量を記載していた。

 インドの農業統計には、独立以降、さまざまな変化があった。第1は、藩王国の編入による報告地域の拡大や旧英領地域内での報告地域の拡大などによる、カヴァレッジの変動である。報告地域は、1946-47年には約200万エーカーの増大によりインド全土の69.6パーセントをカヴァーするようになり、1947-48年には2,000万エーカー増で72パーセント、1948-49年にはジャンム・カシミール Jammu & Kashmir での「敵保有地域」を除外することになったために同地から440万エーカーが減少し、その他の地域で340万エーカーの増大となった。1949-50年には、9,100万エーカーという大きな報告地域の増大があってカヴァー率は83.8パーセントに達し、1950-51年には2,200万エーカー、1951-52年には870万エーカー(カヴァー率87.8パーセントに)、1952-53年には700万エーカーの増大をみた 13)

 第2に、対象作物の増大などである。「予報作物」の数は、1947年から1971年の間に10から38に増えて、1989-90年現在では48作物に増えており、非予報作物とプランテーション作物を合わせて55種の作物の統計が対象となっている。

 第3に、データ収集方法の変化である。作付け面積については、ビハール州では村役人(Chowkidar)の判断で報告されていたが、それが、rice、wheat などについては1948-49年に、jowar などについては1949-50年に悉皆調査方式に転換した。西ベンガル州では、前述の作付け面積の報告方法から、rice については1947-48年、gram については1948-49年、その他についてはその後に、それぞれランダム・サンプリング方式に転換し、ケーララ州では1949年に同様に転換した。オリッサ州では、1959-60年から主要作物についてはサンプリング方式によるデータ収集に変化した。これらの結果、作付け面積について、全数調査あるいはサンプル調査によるデータ収集の面積は、1948-49年の47パーセントから1969-70年の82パーセントへと増大した 14)

 また、面積当りの収量推計についても、ランダム・サンプリング方法による坪刈調査の拡大など、方法の変更がある。前述のように、ICAR は、1944-45年から1948-49年の間にランダム・サンプリング方法による坪刈調査を行ったが、この科学的な推定方法は1949-50年以降、各州の農業生産データのデータ収集方法として旧来の方法に替わって順次広がっていった。ベンガルについては、1947-48年以降、インド統計研究所の開発した方法による収量推定方法が政府によって採用されるようになった。食糧穀物ではその普及は顕著で、例えば、1958-59年の段階で、全インド農作物推計のうち、rice の90.5パーセント、jowar の99.9パーセント、wheat の98.9パーセントが坪刈調査に基づいて政府報告がされている。しかし、食糧穀物外の作物では、坪刈調査によるデータ収集の方法の普及は遅く、上記の時点で、例えば groundnuts では46.9パーセント、sugarcane で26.3パーセントであった 15)

 こうした次第に進展するカヴァレッジの拡大と生産統計収集方法の改善によって、年次間の比較可能性が失われてゆくことになる。インド食糧農業省は、この問題に対処するために、毎年、その年の新しいカヴァレッジや方法に基づく数値を発表するとともに旧来のカヴァレッジと方法に基づく、第二の推計値とを発表してきた。

 同省は、各年の作物の生産推計について、前年の推計とリンクさせるために、当該年度の生産推計を前年の方法で行った第二の推計値を通してリンクさせる連鎖(chain)方式を採って、作物ごとの作付け面積、収量および総生産高の指数を発表している 16)。初め、1938-39年で終わる5か年を基準として19作物についての全インドの農業生産指数が1949年に作成された。1954年には、1949-50年を基準年として、28種の作物に関して、面積・収量および面積当り収量の指数を発表したが、その後1961-62年に終了する3か年を基準とする指数が38作物について発表されるようになった。さらに、農業経済関係指数技術委員会の勧告によって、1969-70年に終了する3か年を基準として42作物についての指数がその後発表されるようになり、さらに、1981-82年に終了する3か年を基準とした46作物に関する指数が1989-90年現在公表されている。

 こうした農業省の農業統計と並んで、National Sample Survey (NSS)も、1957-58年以降、7つの重要穀物の収量と作付け面積について独自の推計を行っている。これらは、NSS の社会経済部門 Socio-economic Wing による土地利用・坪刈調査の結果に基づいている。この NSS の推定と、政府の推定との間には、かなりの差異が存在した。この差異は、1960年代には縮小したが、初期には NSS 推計は農業省推計よりもかなり高かった。この差異の理由については、いくつかの解釈が出されている。政府任命の技術委員会によれば、坪刈の技術は異なるが技術の差による収量推計の差はほとんどない。むしろ、差異は、この委員会の範囲外の面積推計の差異による部分が大きく、結局差異の理由は不明のまま、NSS による土地利用・坪刈調査は1969-70年以降停止してしまった。シュリニヴァサンらは、この差異は、混作 mixed crops の面積の扱い方によるのであろうと推定する 17)