II. 政権と物価のサイクル

 

    1. 全般的な特徴

    われわれの分析は、卸売物価指数をとりあえず指標として、政権交代、連邦下院選挙などの政治的事件との連関を探ることから始まる。前稿では4つの物価指数をもちいて、80年代以降のインディラ、ラジーブ、ラオの3会議派政権下の物価動向を比較した(4)。その結果、この3政権下の物価変動のパターンはたいへん似た形態をしめしていることが指摘された。各政権に対応する前年同月比の物価指数上昇率の大まかなパターンは次のようなものである。それは中間地点( 政権発足後2年から2年半 )まで物価上昇率は下降する。中間地点で上昇率は底につき、以後任期満了近くまで上昇率の右上がり局面が続く。そして選挙の1年近く前にやや低落するという変動パターンである。とくに、インディラ・ガンディー政権期とラオ政権期の物価動向はきわめて類似している。ラオ政権は本格的な経済自由化に着手した政権であるが、物価動向という観点からみると、 「初期自由化政権」 であるインディラ・ガンディー政権期ときわめて類似性が強い。91年以降の経済自由化政策の本格的な実施を強調するあまり、こうした連続性をみうしなってはならない。

    ところで、ラジーブ・ガンディー政権期の動態はややこれとはややはずれる形をとっているが、政権の後半期の物価上昇局面という現象では一致していた。また、物価上昇率の絶対水準が、この政権のもとでも10%ラインをはさんで波動するという特徴をもっていることも指摘できよう。また、毎月の平均上昇率( monthly average = 週別上昇率 weekly average の平均 )を年間で平均した各年の物価上昇率(図1)でみると、ラジーブ期の動きも、月別でみたよりは明瞭に、他の2政権とほぼ似た動きを示す( 図1参照。ただし卸売物価指数のみ )。10%ラインが変動の軸になっていることも改めて指摘するまでもなく明かである。以下3政権期における物価状況を俯瞰しておこう。


    2.各政権期における物価動向

     (a)インディラ・ガンディー政権期の物価動向

    1980年のインディラ・ガンディー政権の成立は1979年の第二次石油危機の影響による物価騰貴と深い関連がある。79−80年の物価高騰期は74年の第一次石油危機についで、独立後で最も高い物価水準を記録した時期であった。第7次連邦下院選挙の争点は物価問題であり、インディラ・ガンディー陣営は庶民の必需品タマネギの価格騰貴をキャンペーンの中心にすえたため、この選挙は 「ペヤージー(タマネギ)選挙」 と呼ばれた。発足当時25%程度であった上昇率は82年5月にほぼ前年並みにまで低下したが、政権後半期には反転し、1年後には再び10%台へと上昇した (図2)。 インディラ・ガンディー政権は81年11月にIMFからの50億SDRの借り入れ( EFF, Extended Fund Facility )に成功したが、これと並行して物価抑制にむけての緊縮財政政策を採用している。最終的にインド政府は39億SDRの借り入れを行ったのち、84年5月には借り入れ契約を破棄した。EFFによる借り入れ自体は緩い条件によるものであったが、選挙を控えたインド政府は財政政策への制約を嫌ったといわれている。


     (b)ラジーブ・ガンディー期の物価動向

    ラジーブ政権下での卸売物価指数水準はインディラ政権あるいはラオ政権期の動きほど変動は著しくない。しかしいずれの指数も86年3月以降に顕著な上昇をみせ、発足後3年の87年11月前後に10%ないし15%水準の上昇を記録した (図3)。 ラジーブ・ガンディー政権はインドの伝統的な財政保守主義を解体した政権であり、大規模な借り入れによる対外バランスの崩壊と物価への反動は、むしろこの政権の後に湾岸戦争による国際収支危機をきっかけとして表面化した。その処理を構造的な 政策転換=「自由化政策」 というかたちで実行したのが、1991年6月に発足したラオ政権であった。


     (c)ラオ政権期の物価動向

    自由化政策の一部としての財政赤字の削減、物価の抑制は、ラオ政権の前半期には比較的成功を収めたが、後半期には選挙も控えやや陰りが見られた。しかし、95年の初頭以降、卸売物価上昇率は10%を切り、物価は選挙の争点ではないという見方が一般的であった。しかし、Indian Express 紙による96年2月初頭の世論調査では汚職、政治の安定に次ぐ第3位の争点として回答者の13.7%が物価を挙げている( Indian Express, 3 February 1996 )。

    ラオ政権の場合、卸売物価上昇率は政権発足後ちょうど1年目で10%ラインを切り、2年目に底をついた(約7%)。しかし、94年の初頭にふたたび10%ラインを超え、約1年のあいだ10%ラインを往き来した後、8%台へと下降する。選挙前の1年間は 「危険ライン」 の10%以下に上昇率をおさえることに成功している (図4)。ラオ政権下では食糧支出の変動を主因として、消費者物価指数は上昇期にはWPIより高く、下降期にはより低く現れる。特徴的なのは、94年の前半に消費者物価の3指数が10%ラインを上回ってからは、どの指数もほとんど一桁台に回復していないことである。