5.農業/農村部門からの労働力流出

エジプトの農業労働力の動態をめぐる議論の最後に、農業部門あるいは農村からの労働力流出に関する問題を概観してみましょう。その場合、議論の焦点は産油国への出稼ぎとの関係に置かれます。

まず、図3は、過去三回の人口センサス(1960,76,86年)にもとづいて、各年齢階層の労働力人口において農業に従事している人の比率を示したものです。同表から、1960−76年間に進行した脱農化が76−86年の期間にさらに進んだことが分かります。とくに、その変化は20−39層を中心にした青壮年層において著しいものがあります。表20に見るように、総労働力に占める農業部門の比率は、1976年で47.7パーセント、86年で39.0パーセントですが、青壮年層ではこうした全年齢の平均を大きく下回り、86年では30パーセント前後となっています。ただし、表13で農業労働力それ自体の年齢構成について、その1976−86年間の変化を見るなら、それ以前の60−76年の時期と比較すると児童労働と老齢就労者の比率が減少し全体として青壮年中心の構成へという傾向があるように観察されます。

次に図4で、同じく年齢階層別に見た農村就業人口の農業と非農業(農業以外の諸経済活動部門、「分類不能」を除く)別の構成比の変化を見てみましょう。この図からは、前に図3と同じく、農村内部においても脱農化、農業からの労働力流出が進行したことが分かります。この農村労働の非農業化というべき変化は、とくに1986年の30−34歳層において農業と非農業が逆転するほどにまで進行しています。また、1976年から86年にかけて非農業従事者の曲線が農業従事者のそれとは対照的に25−39歳層を頂点にして盛り上がる形を示していることは、農村労働の非農業化がこれらの年齢階層を中心に進行していったことをうかがわせます。

さて、このように農村労働の非農業化と言った場合、農業から流出した労働力(あるいは以前なら農業部門に吸収された労働力の部分)は、どの経済部門に流れていったか、これを示すのが表19「農村労働力の経済活動別分布」です。この表から、たとえば農業から(広い意味で)流出した労働力を吸収したのは、決して製造業部門ではないことが分かります。製造業は、非農業部門の雇用増大分(1976−86年)のわずか7.5パーセントを吸収したのみでした。非農業の増加分は、絶対数で言えばサービスと建設を中心に吸収されたといえます。全国労働力の経済活動別分布を示した表20においても同様のことが観察されます。たとえば、1976−86年で農業労働力は101、000人減少したのに対し、製造業は10,000人しか増加せず、構成比では13.7パーセントから12.5パーセントへとむしろ低下しています。

さて、ここで表21において、都市・農村人口構成と人口・労働移動について非農業化との関係を見てみましょう。以前の研究[長沢1986]で報告者は、産油国出稼ぎによって都市化がより進行すること(すなわち産油国から帰国した労働者の都市生活嗜好と国際移動による国内労働市場の流動化を背景にして)を想定したことがありますが、この表を見るとそうした予測が間違っていたことが分かります。同表が示すように1976−86年で都市化率は、43.8パーセントから44.0パーセントへとほとんど上昇していません。これは、都市化の飽和というべき状態を示すものなのでしょうか。また、農業就業者の増大率を見ると、都市部の方が農村部よりも高いことが分かります。これに対して、前述の農村労働の非農業化が示すように、農村の都市化というべき状況が進んでいるようにも見えます(かつてはカイロを事例に、過度の都市化あるいは都市の農村化ということが社会学者の議論になりましたが)。70年代後半以降のエジプト社会は、こうした都市の農村化から農村の都市化といったことが問題になるように、大きな変貌を遂げてきたといってよいように思います。そして、こうした変化の背景として、人口の大きな部分を巻き込んだ産油国出稼ぎの影響を考慮に入れる必要があるように思います。ここで産油国への出稼ぎに関して大まかな概観を与えておきましょう。

まず、産油国へのエジプトからの出稼ぎ労働者数の推計は、リチャーズが述べているように、結論の出ない長い論争の対象でありました[Richards 1991]。出稼ぎのブームは、第一次石油危機の1974年に始まり、石油価格の値崩れが起こった86年ごろまで続いたと考えられますが、とくに初期に試みられた推計値の多くは、組織的なサーベイの結果というよりは「洗練された推論」の域をでないものであり、本格的な推計が行われるようになるのは1980年代半ば以降のことでした。たとえば、1986年にエジプト政府はストックとして産油国のエジプト人労働者数2,250,000人という推計値を示しました。また、政府機関のNPC(National Population Council)は、1984年の海外在住を1,474,000人、そのうち労働者は1,210,000人と推計しています。しかし、両者の数字とも多すぎる、あるいは少なすぎると批判を受けてきました。一方、CAPMASは、両者の間をとったような数字、1987年で1,964,000人の出稼ぎ労働者という推計を出しています。出稼ぎ労働者の推計は、このように同じ政府部内でも大きく食い違うことが多くそれがたとえば顕在化したのが、1990年8月のイラクによるクウェイト侵攻時の帰国労働者数と国内労働市場への影響をめぐる労働省と移民省の論争でした。[長沢 1991a]。ここでは、CAPMASの推計にしたがって1980年代半ばで200万人近い海外出稼ぎがあったとしておきたいと思います。

さて、NPCの研究によれば産油国への出稼ぎ労働者の大半が男子であり、全国では89パーセント、農村部出身では96パーセント、上エジプトでは99パーセントの比率に達します。また、彼らの多くが若年者であり、農村出身者の三分の二が35歳未満、さらに30歳未満が約半分弱の46パーセントを占めています。また、農村出身者の54パーセントが非識字者でした(都市では15パーセント)。また、農村出身の64パーセントが、出稼ぎ前の職業が農業であり、全国だと30が農業就業者でした。また、農村出身の18パーセントの前職が生産工程労働者・運輸労働者でした。[Richards 1991:75]。

リチャーズは、NPC推計に依拠し、産油国への出稼ぎ労働者のストック数は、1984年で農業労働力の八分の一(12.5パーセント)、農村の非農場労働の7パーセントに達するとしています。また、フローの出稼ぎ労働者数の推計として、同じく1984年で農村の出稼ぎ労働者の三分の一が一年以内の出稼ぎをしたとすると、年間のフローは16万2000人となります。これに対して、1983年の成年男子農業就業者が約392万人(労働力標本調査)で、仮に15歳で新規労働市場参加と仮定すると、1968年生まれの年齢層(この年の自然人口成長率は2.5パーセント)の参入者(1983−84年)が9万8000人となり、この労働市場への流入フローと出稼ぎによる流出を差引きすると、約6万人の減少になります。さて、同年の労働力標本調査の減少数は、9万2700人でしたから、もちろん、農業労働力の減少のすべてが産油国出稼ぎとは言えないものの、それは主要な役割を果たしたことは間違いありません[Richards 1991:75-76]。

さて、ここで出稼ぎ経験者の数の推計をしてみましょう。その場合、回転率、すなわち出稼ぎの期間が問題になります。CAPMASの調査によれば、2年未満の出稼ぎが調査労働者の58.9パーセント、2−3年が19.2パーセント、3年以上が22パーセントでした。ここで、1980−86年の期間で約50万人に農業就業者が毎年一回は出稼ぎしたとすると、同期間で出稼ぎの経験をもつ農業従事者は、118万4000人になります。これは、男子農業就業者(380万人)の約30パーセントに当たります。また、これは、総労働力1000万人のなかで、350万人が出稼ぎ経験をもつと推計したフェルガニーの研究[Fergany 1991]と比較できる意味のある数値ではないかと考えられます。

このように、エジプト(そして産油国に大量の労働力を流出させているほかの国々)の国内の労働市場は、今や産油国出稼ぎによって形成された国際労働市場との関係を抜きには論じられない状況になっています[長沢 1994]。ただし、国内労働市場の動態を国際労働市場と接合した形でとらえる場合、前述したような移動者の推計の問題から考えると正確で緻密な分析を行うことは現在ではほぼ不可能と考えられます。

以下の表22以降では、1976年と86年センサスで人口・労働力の年齢階層別の対応を見ることにしますが、そこにも産油国への労働移動の影響ではないかと思われるいくつかの特徴的な数値が示されています。さて、ここで人口・労働力の年齢送別の対応と述べたのは、1960年と76年のセンサスの場合とは異なり、76年と86年がちょうど10年の隔たりがあり、5歳単位の各年齢階層の数値を対応させることによって10年後の変化、とくにこの場合は農業・農村部門からの労働力流出の動向を見ることができると考えたわけです。

まず、農業労働力の年齢階層別対応を示した表22と農村労働力の年齢階層別対応を示した表24で見てみましょう。まず、これらの表で、15−19(25−29)歳層[すなわち、1976年センサス時で15−19歳、86年センサス時で25−29歳の年齢階層]において、労働市場への新規参入者が大きな存在を占めており、この層で労働力化率が上昇したことが分かります。表23によれば、この層の労働力化率は、33.3パーセントから44.1パーセントへと上昇しました。表22からこの年齢階層の農業労働力が1976−86年間で127,000人減少し、一方、表24から同じ年齢階層の農村労働力で農業従事者が130,000人減少していることが分かります。以上から、この年齢階層では都市部において農業就業者数がほぼ変わらず、農村部で脱農化、農業部門からの労働力流出が起こったことが考えられます。同様に、20−24(35−34)歳層においても、労働力化率が大きく上昇する一方で、農業労働力が58,000人、農村部の農業労働力が65,000人減少し、ここでも農村労働力中心の脱農化減少がうかがえます。

以下の年齢階層はいずれも、(25−29(35−39)歳層を除いて)農村労働力を中心にした非農業化が観察されます。たとえば、農業労働力と農村部の農業労働力の減少は、30−34(40−44)歳層で40,000人と42,000人、35−39(45−49)歳層で66,000人と62,000人、40−44(50−54)歳層で97,000人と90,000人、45−49(55−59)歳層で76,000人と69,000人となります。しかし、ただ25−29(35−39)歳層だけは例外であり、この年齢階層では農業労働力の規模にほとんど変化が見られません。これには、次の箇所で見るように統計上の問題もありそうです。

以上は、農業・農村部門の労働力を中心に見た分析でしたが、今度は表25表26表27によって、都市−農村関係を含めた全国的な人口・労働力の年齢階層別の変化を検討してみましょう。まず、表25の年齢階層別の人口と労働力の変化を見て気がつくのは、25−29(35−39)歳層が絶対数で増えていることです。すなわち、人口は2,675,000人から2,925,000人へと25万人、労働力も1,325,000人から1,569,000人へとやはり244,000人増加しています。また、30−34(40−44)歳層もわずかだが人口が8000人と増えています。(ただし、労働力は4000人減っていますが)。これは、国内の人口・労働力の動態だけでは説明できない数値のように思います。また、15−19(25−29)歳層で人口が293,000人(7.4パーセント)減少したのに対し、20−24(30−34)歳層で21,000人(0.7パーセント)減少したという数値も問題があるように思います。以上の各年齢階層の人口・労働力の数値には外国への出稼ぎによる流出および帰還者が何らかの影響を及ぼしていると考えられるかもしれません。しかし、後で見るようにこれらの数値上の問題は、必ずしも出稼ぎの影響だけではなく、むしろ統計調査上の問題である可能性があります。(とはいえ、表22表24に関する説明で指摘したように、統計上の問題があると思われる25−29(35−39)歳層を例外的に扱うなら、表26表27において、若年層は都市での労働力増加が著しく、他方老年層では、労働力の減少が都市部の方が少ないことが分かります)。

さて、上記の箇所で指摘した統計数値の問題を出稼ぎの影響というよりは統計調査上の問題かという疑念を起こさせるのは、次の表28表29表30が示す出生地別統計の資料です。これらの表で示される数値のいくつかは現実には考えにくいものですが、現代エジプトの統計資料上の問題として参考までにとして取り上げてみました。

これらの表は、出生地からの移動、すなわち生涯移動者の人口の年齢階層別対応を1976年と86年の人口センサスが示す数値にもとづいて表したものです。ここでU1としたのは現在居住しているのと同一の県内の都市出生者、U2は他の県の都市出生者、R1は同じ県内の農村出生者、R2は他の県の農村出生者の人口を示したものです。86年センサスでは、現在居住地別に、すなわち都市部と農村部別に表示してありますが、残念ながら76年センサスではこうした区分は示されず全国レベルでの統計しかありません。それでもこれらの全国レベルの出生地別統計を76−86年で比較することによって、都市−農村間移動の動態、とくにその年齢階層別特徴を示すことができるのではないかと考え、これらの表を作成してみました。表28は、1976年と86年のU1、U2、R1、R2の年齢階層別人口を示したものです。この表からU1+U2、R1+R2を計算したのが表29です。U1+U2は、同一年齢階層の都市出生者、R1+R2は農村出生者を示すと考えられます。しかし、この表で都市出生者が多くの年齢階層で76年より86年の方が多い、すなわち都市生まれが増加している数値が示されています。また、農村出生者も25−29(35−39)歳層と、30−34(40−44)歳層で増加しています。これらは、統計調査上の問題としか現在のところ考えられません(報告者の理解不足という可能性もありますが)。

また、すでに述べたように1986年センサスは生涯移動の数値を都市・農村別に示していますから、これらの数値にもとづいて都市−農村間の年齢階層別の移動の構造を知るために表30を作成してみました。この表で、1986農村とあるのは現在農村に居住している年齢階層別の人口であり、そのなかでR1+R2は農村出生者の合計、一方U1+U2は都市出生者の合計、すなわち都市からの生涯移動者と考えてもよい部分です。これに対し、同じく1986都市とあるのは現在都市部に居住している人口でU1+U2は都市出生者の合計、他方R1+R2は農村からの移動者と考えてよいと思います。さて、このように1986農村のU1+U2を都市から農村への移動者、1986都市のR1+R2を農村から都市への流入者と考え、両者をこの表30によって、各年齢階層別に比較してみることにします。すると、すべての年齢階層で、都市から農村への流出者より、農村から都市への流入者の方が多いという数値がここでは示されています。しかし、これは一般的は観察事実に反するものです。このような数値が出てくるのは、ここで行った計算方法に問題があるのか、それとも統計データの表示方法が適切でないのか、それとも統計調査そのものに問題があるのか、いずれかではないのかと考えられます。