4.就業上の地位別構成の変化

農業労働力の就業上の地位別構成は、農村・農業部門からの大量の労働力流出が農業経営と農村の社会構成にどのような影響を与えたかを知る重要な手掛かりとなります。さて、エジプトの農業経営の特徴として知られるものの一つは、自家外の雇用労働への依存が高いこと、とくに小農のレベルでも季節的・臨時的な賃労働者の雇用関係が一般的に見られることであります。その歴史的起源は、「はじめに」のところで簡単に解説したような綿花経済の労働需要の特殊な形態と、綿花経済が成立すると同時に生成した土地なし農民層、そして彼らを重要な構成員とする農業賃労働市場の形成に求められます。

まず、農業賃労働の推移(1907−1993)を表16によって見てみましょう。同表によると、1947,60年人口センサス、そして1950年農業センサス、さらには1973−81年間の労働力標本調査において、いずれも農業労働力に占める賃労働の比率は、30−35パーセントの間にあり、またその規模も110万人から130万人の間で安定しているように見えます。例外的な数値としては、1961年の農業センサスの過少評価(452,000人、11.8パーセント)があります。これに対して、1976年と86年の人口センサスでは、それぞれの賃労働比率は49.9パーセント、46.3パーセントとやや減少傾向を示しているとはいえ高い水準であり、また規模もそれぞれ243万人と221万人であり、同時期の労働力標本調査の数値を大きく上回っています。こうした人口センサスと労働力標本調査の間の数値の相違は、前述した労働力の定義や統計調査基準の問題がその原因となっているかもしれません。

以上の長期的な推移に対し、手元にある最新の1993年の労働力標本調査によれば、農業賃労働の規模は絶対数でそれほど減少はしていませんが、農業労働に占める賃労働の比率は、20.5パーセントへと急激に低下しているのが分かります。この変化の背景には、表10に見る1992、93年労働力標本調査における女性労働の増大が示すような家族労働の増大によって賃労働の相対比率の低下といった事情があるのかもしれません。また、こうした賃労働の動向は、農業労賃の推移との関係など検討すべき問題も多いのですが、その分析は、また別の機会に譲りたいと思います。ただここでは、1970年代後半以降に増大した産油国出稼ぎと賃労働との関係についてのみ指摘しておきたいと思います。労働力標本調査によれば、1975−81年で農業労働力は、41万9000人、比率にして9.5パーセント減少しましたが、同時期の農業賃労働力の減少は、34万3000人(22.4パーセント)であり、農業労働の減少分の81.9パーセントが農業賃労働者だったことになります。同時期の産油国出稼ぎに伴う農業労働力の流出の主体が土地なし農業賃労働者だったという推測が成り立ちます。

こうした賃労働の統計数値を比較する意味でも、次に土地なし農民の規模の推計を試みてみましょう。さて、エジプト農業において土地なし農民の存在は、過剰労働問題の主要な二つの論点のうちの一つをなすものだったと言えるでしょう。すなわち、小農経営内部に封じ込められた過剰労働力と、階層としての過剰労働力の存在形態としての土地無し農民という二つの問題であります。ただし、両者は画然と分かれるというものではない点にも注意しておきたいと思います。しばしば半農業労働者的小作農と表現されるような零細土地経営者層が両者の境界線上に存在するとも言えるからです。イスラム法の均分相続による経営地の零細化がその背景にあるという意見もあります。

こうした土地なし農民に対する関心は、小農経営の過剰労働力に対する関心が集中した1960年代を経て70年代になると、国際的な開発理論の動向とも関係して高まりを見せることになります。当時の代表的研究は、[Abdel Fadil 1975]、と[Radwan 1977]ですが、これらの研究が推計する土地無し農家層の規模は、前者によれば、土地無し農家数127万9000(農村の全家族数の33パーセントを占める:1970年)であり、また後者で同じく142万5000(45パーセント)でした。詳しくはここで紹介できませんが、農地改革によって比率・規模とともに減少した土地なし農民層が1960年代後半、あるいは70年代以降再び増大しはじめたことを両者とも共通して指摘しています。

ここでは表17によって、人口センサスを用いて土地なし農家の推計を軸にして農業労働力と土地経営の関係の推移(1960-76-86年)を示してみました。この表では、その注で述べているように、農村世帯総数を農家世帯と非農家世帯に区分するに際し、農村労働力の農業と非農業の構成比を当てはめて推計値を出してみました。ここで出てきた農家数(推計)から人口センサスが示す農村の農業就業者の土地経営者数(就業の地位別構成の項目の数値)を差し引いた数が土地なし農家になるとここでは仮定してみたわけです。いずれにしても公式統計に依拠して正確な土地なし農家数を割り出すのは、困難な作業ですが、ここでは、1960,76,86各人口センサス年の間の推移を概観する数値として何らかの意味があると考えてみました。

さて、土地なし農家あるいは農業労働者層が代表するエジプト農村の貧困層の規模の推移については、1970年代以降の経済変化を背景にした楽観的な説明があります。たとえば、産油国出稼ぎの送金が果たした所得の再分配的役割に関する議論がありますし、また1980年後半以降に行なわれた構造調整制作による経済改革、とくに作付規制の撤廃や農産物価格統制の廃止など農業政策の自由化によって農村の貧困問題が大幅に改善されたとする推測があります[Fletcher 1996]。

しかし、表17は1960−76年の間わずかながら減少した土地なし農家数が1976−86年間では再び増加していることを示しています。すなわち、土地なし農家数は、1960年の116万1000から76年の111万6000、そして86年の125万7000へと推移しています(ただし、全農家に占める土地なし農家の数はわずかながら低下しつつあります)。とはいえ、問題なのはここで推計された土地なし農家の数の動向と各人口センサスが示す農業賃労働者数の推移が必ずしもせず、むしろ反対の動きを示していることです。この時期、農業賃労働者の数は、1960年の151万8000人から76年の243万4000人に増えて、また86年には220万6000人へと減っています。さらに、同期間の「人を雇う経営」の推移も賃労働数の推移とは傾向は似てはいるものの、あまりに振幅の大きな極端な数値であり、ここにも統計調査上の問題を感じます(季節的雇用など厳密な意味で「人を雇わない」経営などエジプト農業にはほとんど存在しないかと思います)。その場合、1976−86年「人を雇わない経営」の増加分76万1000のうち、32万7000(42パーセント)は、人を雇う経営からの転換で、残り43万4000は、相続などによる増加と考えたらよいのでしょうか。また、前にも取り上げた家族労働の減少と児童労働の減少をめぐっても統計調査上の問題があるように思います。

また、この表16から「人を雇う経営」一単位当たりの農業賃労働者数の推移も示してみましたが、1960、76年は、3.8人前後で安定していますが、これに対して9人近いという86年の数値は極端であり、前述どおり「人を雇う経営」の統計の取り方に問題あると言えるかと思います。

最後に参考までに表18で初期センサスにおける職業分類における農業従事者の就業上の地位別構成を示してみました。職業分類の項目名については、第2節で示しておきました。ここで注目しておきたいのが、女性の職業としての地主の存在です。1917年の126,676人の地主のうち106,016人(84.7パーセント)、1927年の48,832人の地主のうち31,802(65.1パーセント)が女性でした。これは土地所有をめぐる女性の地位について参照すべき数値の一つかと思います(19世紀以降の女性の土地所有に関する見解としては[Cuno 1995]を参照)。