3.性別・年齢別構成の変化

前節で述べましたように、エジプトの農業労働力の規模をめぐる大きな問題として、女性労働力の計測、とくにその過少評価という問題があります。これは、一部の国を除いて中東諸国の多くに共通する特徴ではないかと思われます。たとえば、ILOの推計によると1980年のエジプトの女性労働力化率は4.8パーセント(10歳以上年齢階層)、同じく北アフリカ諸国は7.5パーセントしかありません[Anker & Anker 1989]。表10は、1907年から1993年までの人口センサスと農業センサスそして労働力標本調査にもとづいて、女性農業労働力の規模と全農業労働力に占める比率の推移を示したものです。(1897年センサスには、女性農業労働力の数値が示されていません)。この表によれば、1927年人口センサスから1950年農業センサスまで全農業労働力の二割前後の比率であった女性労働力が、1960年人口センサス以降、1982年の労働力標本調査まで2パーセントを切るという比率のみならず絶対数でも減りつづけたこと(1927−1950年の60万人前後から、1981,82年には8万人台を切るところまで)が分かります。しかし、前述したように、1970年代以降、男子を主体にした産油国出稼ぎが発生して大量の農業労働力が流出し、それを代替する女性の農業労働への参加があったことを想定するならば、とくにこの時期の急速な女性農業労働の減少は考えにくい事実かと思います。

こうした1970年代後半以降の統計に現れた女性農業労働力の減少は、たとえば表11が示すこの労働力の年齢構成の変化、とくに6−14歳の年齢階層の比率の減少が示唆する就学率の上昇の影響のためとも言えないでしょう。同表によれば、女性農業労働力に占める同年齢階層の比率は、1960年センサスの51.6パーセントから、1976年の44.6パーセントに、そして1986年には39.2パーセントへと減少傾向を示しています。

表12は、表11と同じく人口センサスにもとづいて、農村女性の年齢階層人口ごとの農業就業比率を示したものです。同表からも、農村女性の農業労働参加への全年齢階層での減少(とくに若年層)が読み取れます。

さて、このように1960年人口センサス以降、とくに1970年代になって歴然として示されるようになった女性農業労働力の規模に関する統計数値の過少評価については、エジプト農村の女性の隔離をめぐる伝統的な価値観に大きな原因があるように思われます。(とくに戸外労働に関する忌避意識のため、経済調査にあたって女性労働の存在そのものが否定されることがあります)。しかし、それに加えて、農業労働力の統計調査における労働力の定義そのものにも問題があります。たとえば、1964/65年に行なわれたINP/ILO合同調査によれば、成年女子の労働時間の約三分の一が畑仕事に費やされたという報告もありますし、その後のUSAIDによるデルタ農村の調査によれば、非識字の農家の主婦の50.7パーセント、読み書き可能の主婦の45.5パーセントが臨時労働市場に参加したということです[Richard & Martin 1983:37]。

また、リチャーズは、統計調査における女性の農業労働参加に見られる季節性に注目して、次のような問題提起をしています[Richards 1991:66-70]。彼は、1981年労働力標本調査を取り上げ、同年の女性労働力が78,700人であるのに対し、農業就業者の就労状態別分類の内、女性が多数就業しているはずの季節労働が6,900人しかいないのは、明らかに過少評価であり、仮に季節労働の正確な数が捕捉されるならば、女性労働力の数値は上昇するはずだ、ということを述べています。

ところで、エジプトの労働力標本調査では、就業状態を恒常的労働力と非恒常的労働力に区分し、さらに後者を(1)臨時的(temporary ; mu'aqqat)、(2)季節的(seasonal ; mawsi)、(3) 断続的(periodical ; mutaqatta')の三種類に区分しています(その性別内訳は統計書では明らかにされていません)。その場合、リチャーズが述べるように、女性労働力を非恒常的労働力の中で、(2)の季節的労働力だけに多いと限定するのは問題があるかもしれません。たとえば、(1)臨時的や(3)断続的労働力にも多くの女性が含まれていると考えるべきでしょう。ちなみに、手元にある最新の1993年労働力標本調査における就業状態別の統計をみると、経済活動別ではなく職業としての農業(畜産・漁業含む)就業者5,097,700人の中で、恒常的就業者が4,656,500人、非恒常的就業者が841,200人、その内訳が(1)臨時的が57,800人、(2)季節的が33,000人、(3)断続的が750,400人で、非恒常的就業者の中で(3)断続的就業が89.2パーセントと大半を占めています。この年の女性農業労働力は、1,689,000人ですが、その多くは非恒常的就業者、とくに(3)断続的就業状態にあると考えてよいように思います。

さて、「はじめに」で紹介したように、1970年代以降の労働力不足問題への関心の高まりと結びついて、女性の農業労働参加に関するいくつかのフィールド調査がなされました。たとえば、USAID調査(1978,84デルタ農村調査)によれば全作物生産労働の三分の一が女性労働であり、さらに雇用労働の場合も同じく三分の一が女性であったということです。また、泉沢が紹介するESCWA調査:によれば、女性の農業就業年間は、178日(一日8時間労働)、その内訳は家畜の世話が34.5日(19.3パーセント)、家族農業労働が143.7日(80.7パーセント)であり、農村の女性たちは「牧草、小麦などの収穫、散水の補助、家畜の世話、搾乳、養鶏、小麦の保存、マカロニ、ジャムなどの食品製造」など多様な労働に従事していると報告されています[泉沢 1993:79]。

しかし、こうしたミクロなレベルの調査の一般化には慎重であるべきであり、たとえば女性労働は農業労働力の10%にすぎないといった調査もあったようですし、またもう一つの問題は、こうした調査が北部のナイル・デルタ地方で実施され(調査の実施がしやすいといったことに背景があったかもしれません)、これに対し南部の上エジプトでは女性の労働参加が一般に低いことが予想されるといった地域的偏差にあります[Richards 1991:68]。

また、女性農業労働力に関する統計で最近起こった変化としてとくに注意しなければならない問題として、1983年以降の労働力標本調査において、農家内で行われる畜産労働への従事者が農業労働力に参入されるようになったという大きな変化があります。こうした農業労働力の定義の一部変更の結果、女性農業労働力は、1982年の73,000人から1983年の803,000人へと増大し、農業労働力に占める女性労働力の比率は、17パーセントに上昇しました。こうした定義の変更の背景にある事情(とくに国際的な統計基準との関係)については、十分な知識はありませんが、ただし以前指摘したことがあるように[長沢 1986]、この時期の畜産労働の重要性増大が影響を及ぼしているかもしれません。政府により低い公定価格が設定された作物の生産より、オイル・ブームによって需要が増大し、価格も上昇した畜産品の生産が農民によって嗜好されたことは、労働力不足(作物生産における)の原因のひとつにしばしば数えられてきました。

さて、さきほども述べましたが、この70年代後半から80年代前半の時期は、男子農業就業者の産油国への出稼ぎによる「労働不足」現象の発生と、女性労働の動員が問題とされましたが、表9が示すように(労働力標本調査によるところの)この時期の農業労働力の減少の大半は、男性労働力の減少によるものでありました。しかし、ここで女性労働力の存在を考慮に入れると全く異なる事態が描かれることになります。たとえば、リチャーズが述べるように、かりに1983年の時点で、労働力標本調査で示される女性労働のすべてを畜産労働とし、また農業労働の60パーセントを作物生産労働として、女性がこの作物生産労働の30パーセントを占めるとしたら、なおかつナイル・デルタが全農業労働の53パーセントを占めていた場合、農業労働力の9.5パーセントが過少評価されているということになります[Richards 1991: 68]。その結果、全農業労働力の規模を9.5パーセント調整すると560万人になります。これは表8が示す同年のFAOの推計値に近い数値です。

以上で述べた現在の女性農業労働力の問題を考える場合、初期センサスにおける職業分類が示す問題に立ち返ってみることも意味があるかもしれません。たとえば、1937年センサスでは、女性労働力として、農家内で行われる酪農製品生産への就業者257,366人、農家内の家事労働従事者としての新項目に22,943人(イズバなど農場内の家事使用人)を加えていますが、これらの職種だけで女性農業労働力総数の702,410人の39.9パーセントを占めます。一方、作物生産労働への従事者383,969人は、総数の54.7パーセントとなります。

さて、これまで論じてきた女性農業労働力の問題を、別の角度から、すなわちエジプト農業に関して指摘されてきた性別・年齢別分業関係の変化と関連して見てみることにしましょう。農作業において細かく規定された性別・年齢別分業は、農業部門における過剰労働の計測の研究において重要な問題として取り上げられてきました。まず、表13で年齢構成の変化(1960−76−86年)を概観すると、若年齢層の比率が一貫して減少するという傾向が見てとれます。とくに、1976年と1986年の間の変化は急激であり、6−14歳の年齢階層が農業労働力総数に占める比率は、16.1パーセントから8.8パーセントへと半分近く減少しています。また、これは農村・農業部門からの労働力流出を扱う第4節で取り上げるテーマですが、1960年と1976年の間で見られた青壮年層(20−39歳)の比率の減少(39.4パーセントから35.7パーセントへ)が逆転し、1986年には44.4パーセントへと拡大していることが注目されます。

次に、エジプト農業における分業関係を構成する二つの労働集団である、成年男子労働と児童・女性労働の構成変化を表14で見てみましょう。同表では成年男子を12歳以上(60歳未満)、児童を6−11歳の男子とし、1917年から1986年までの長期的な変化が示されています。同表から児童と女子の合計が全農業労働力(6歳以上)に占める比率が27.8パーセントから6.2パーセントまで一貫して減少してきたことが分かります。もっとも初期センサスと1960年以降の現代のセンサスの間では数値上の統一性に問題があるかもしれません。とはいえ、1960,76,86年の変化を見ると、この女子・児童労働の減少には明らかなものがあります。女子・児童労働の比率は、16.3,10.8,6.2パーセントと低下し、とくに児童労働の比率は、10.1,7.6,3.8パーセントへと低下しています。ただし、ここでの女子労働の6割前後は、表11で見るように15歳未満でありますから、統計で示された児童・女子労働というのは、児童労働がその多くの占めている(従って、すでに見たように成年の女子労働はそこでは過少評価されている)と言っていいでしょう。

さて、こうした児童・女子労働の減少、実質的には児童労働の減少は、次節で見る就業上の地位別構成のうち家族労働の減少と密接な関係を持っているように思います。家族労働の規模は、1960年の1,325,000人から、1976年の560,000人、そして1986年には319,000人まで減少していますが、これと歩調を合わせるように児童労働は、それぞれ448,000人、371,000人、183,000人と減少しています。ただし、この家族労働の減少と児童労働の減少は、女子労働と同様の統計上の問題があるかもしれません。推測ですが、綿花の収穫や防

虫作業など児童が動員される局面を考慮に入れますと、児童労働は女子労働以上に季節的臨時的性格の強い労働のようです。

最後に表15によって農業労働力の教育水準別構成の変化を見ておきましょう。まず、この表で注目されるのは、非識字者数の変化です。1960−76年の間で見ると比率でもまた絶対数でも非識字者の数が増大しています。この非識字者数の増大の背景には、この期間に行われた教育政策・教育投資の問題があるといってよいでしょう。その後の80年代以降の推移を見ますと、非識字者はやや減ったものの、農業部門が非識字者労働力のプールとなっている状況は、基本的には変わりません。また、その他の教育統計の資料で詳しく検討しなければなりませんが、前で指摘した児童労働の減少とこうした非識字者数の動向には直接的な関係はないように思えます。その他、表15は、高学歴の農業就業者の若干の増大を示しています。