2.ビルマ長期農業統計推計作業のフレームワーク



2−1.推計対象範囲


2−2.推計対象品目


2−3.推計の対象期間


2−4.単   位




図・表は、都合により掲載しておりません。ご了承ください。





 


2.ビルマ長期農業統計推計作業のフレームワーク

2−1.推計対象範囲

まず、推計を行う対象地域の範囲を明確にしておこう。ビルマの植民地化は1826年に下ビルマ( Lower Burma )の一部から始まった。1856年に下ビルマ全体、1886年に上ビルマ(Upper Burma)が英国の直接統治下に入り、1897年にはインド帝国の一州として正式に英領ビルマ( Province of Burma )となった。下ビルマはエーヤワディ(イラワジ)川のデルタ地域であり、上ビルマはドライゾーンと呼ばれる乾燥地域である。ここでは、上ビルマ、下ビルマをあわせた、 一般に Burma Proper と呼ばれる地域を推計の対象範囲とするのが妥当であると考える。

Burma Proper における行政区分は、管区( Division )−県( District )−郡( Township )−村落区( Village ward )/ 町区( town ward )となっていた。Season and Crop Report をはじめとする種々の統計データは、県を単位として集計されている場合が多い。県は、 耕地の拡大等の理由によって新設、名称変更が行われ、またその管区区分も年度によって変化した。その変化をまとめたのが表1である。ちなみに下ビルマに含まれる県は、1926年以降の区分でいうと、Akyab, Arakan Hill Tracts, Kyaupyu,Sandoway, Rangoon, Insein, Hanthawaddy, Pegu, Prome, Basein, Henzada, Myaungmya, Maubin, Pyapon, Tongoo, Salween, Thaton, Amerhest, Tavoy, Mergui, 上ビルマは Thayetmyo, Pakkokku, Minbu, Magwe, Mandalay, Bhamo, Myitkyina, Katha, Swebo, Sagaing, Lower Chindwin, Upper Chindwin, Kyaukse, Mektilla, Yamethin, Myingyanである。図1に各県の位置を示した.

Burma Proper のみを扱うとなると、現在の領土と比較したとき、シャン州、チン州の山岳地域が含まれないことになる。これらの山岳地域は英国の直接統治ではなく、間接統治下におかれ、Burma Proper とは区別されていた。独立後の統計との連続性を重視する長期経済統計の性格からすると、現在の領土にできる限り近い範囲を対象とするのが望ましいことはいうまでもない。しかし、Agricultural Statistics of Burma(1923/24〜196/37)にシャン州の耕作面積、農業ストックのデータがある以外は、一般的に山岳地域地域に関する統計はきわめて限定されており、推計は難しいと考える。 むろん、いくつかの仮定をおいて推計することは可能であろう。たとえば、この地域で独立後に著しい農業構造の変化があったとは考えにくいので、独立後の系列を参考に推計する。また価格に関しては、Burma Proper の平均価格を適用する、もくは類似の農業環境をもつ、距離的にも近い地域の価格を適用するなどの方法が考えられるだろう。しかしここでは、その仮定を十分に検討する用意がないため、これら山岳地域を除いて推計していくことにする。戦後に関する作業が進んだ段階で、これら山岳地域の取り扱いを再検討したい。







 


2.ビルマ長期農業統計推計作業のフレームワーク

2−2.推計対象品目

農業経済統計の推計は、本来ならば耕種だけでなく、畜産、養蚕の生産量に関しても行う必要がある。しかし、筆者の知る限り、植民地期に関してのこれらの統計は得ることができない。そこで、ここでは耕種に議論を絞る。

対象とする品目を考えよう。Season and Crop Report では、作付面積の系列には平均して45品目が取り上げられている。「平均して」というのは、年度によってそれまで扱われていた農産物が削除されていたり、「その他」の中に分類されているからである。この全品目に関するビルマ全県の作付面積を示したのが、表2である。 これを見ると、初期の段階ではインド他州の統計を範としていたためと考えられるが、ビルマではほとんど生産されていない作物( Barely, Ragi など)が統計収集対象に含まれていた。また、ピーナッツ( groundnuts )のように、最初は菜園作物、その後油糧作物と、同一の作物の分類が年度によって変わる場合もあった。

以上の作付面積で扱われている品目すべてに関して、収量や価格の系列が得られるわけではない。表3、表4から、 Season and Crop Report の発行期間を通じて、連続的に収量、価格のデータが得られる作物は以下の11品目であることがわかる。

  1.  paddy(籾米)

  2.  wheat(小麦)

  3.  millet(キビ)

  4.  maize (とうもろこし)

  5.  gram(ヒヨコマメ)

  6.  pegyi : Indian bean (フジマメ)

  7.  pebyugale : Rangoon white bean (アオイマメ)

  8.  pegya : Rangoon red bean (アオイマメ)

  9.  sessamum (胡麻)

  10. groundnut(ピーナッツ)

  11. cotton(綿花 )


上記作物の作付面積の全体に占める割合をみてみると表5のようになり、合計すると全体の 85〜90% を占めている。中でも米の面積が群を抜いて大きく、約7割を占めている。ここでは、上記11品目を主要農産物として作業の対象とする。







 


2.ビルマ長期農業統計推計作業のフレームワーク

2−3.推計の対象期間

Season and Crop Report は1901/02〜1946/47にわたって、戦時中の1941/42〜1944/45の4年度を除き、毎年発行された(本稿では、本文、表いずれにおいても、戦時中の4年度を除いて論を進める)。それでは、1901/02以前までさかのぼる必要があるだろうか。結論からすれば、統計のアヴェイラビリティと連続性の観点から、それは困難であろう。

前項で述べたように Burma Proper を推計の対象地域と設定するとき、自ずから上ビルマ併合以後、すなわち1886年度以降が対象となる。それでは1886年からの推計が可能かといえば必ずしもそうでもない。Season and Crop Report が発行されるまでの15年近く上ビルマに関しての網羅的な農業関連統計は出されておらず、断片的なデータにとどまっている。

1901/02以前の推計にあたって依拠できる統計資料としては、Report on the Revenue Administration(1870/71―1900/01)がある。この資料には、下ビルマに関しては、土地利用、地主 ― 小作関係、農産物価格(1892/93年度版より。ただし、米以外はかなり粗い分類である)などかなり興味深いデータが示されおり、Season and Crop Report とも一定の連続性がある。しかし、上ビルマについては,地租徴税額や測量に関するデータはあるものの、農業生産に関しては下ビルマと同様の統計系列はない。1886年の上ビルマの併合後、上ビルマにおいても下ビルマ同様の行政体制が整うには、やや時間が必要だったようである。したがって、上ビルマを含む形で推計をするには、上ビルマ、下ビルマに関して同じ項目のデータが揃う1901/02を起点とするのがもっとも無理がないだろう。よってここでは、戦争中の4年間を除き、1901/02から独立前の1946/47までを推計対象期間とする

なお、ビルマでは、7月1日から翌年6月末日までを一年度とし、農業年度( Agricultural Year )と呼んだ。農業関連統計も農業年度と同じく7月1日を起点とするものが大半である。本稿で年度という場合、農業年度をさし、/ で表記することにする。植民地期の農業関連以外の統計、及び独立後の統計は4月1日から翌年3月31日までの財政年度ごとにとりまとめられている場合がある。他の統計とすりあわせる場合には、年度の起点がいつであるかに注意を払わなければならない。







 


2.ビルマ長期農業統計推計作業のフレームワーク

2−4.単  位

ビルマにおいては、メートル法ではなく、ヤードポンド法が用いられた。面積はエーカー、重量はポンドで表される。また、ビルマ独特の重量の単位としてビス( viss ビルマ語ではペイタ。1vissは 3.65ポンドに相当)、容量の単位としてバスケット( basket,ビルマ語ではティン)が用いられた。これは現在でも使用されている単位である。

農産物の国内取引は重量ではなく容量ベースでされる場合が多く、その際に使用されたのがバスケットである。政府公認のバスケットの場合、1バスケットは9ガロン(約34 I)の容量をもっていた。表6は、主要作物を9ガロン・バスケットで測った場合の重量の一覧を示したものである。バスケットは、さらに、ピィ( pyi )、ノジブ( nozibu )という単位に分かれた。1バスケットは16ピィ、1ピィは8ノジブである。なお、ノジブとは当時流通していたコンデンスミルク缶( 14oz )のことである。

ところで、バスケットにはやや注意が必要である。というのは、政府が標準サイズと定めた9ガロンのバスケットが全国一律に使用されていたわけではないからである。1940年の政府の報告書には「ラングーンや大きな町の外での測りはまさに混乱の極みである。使われている測りは作物によって、また地域によって異なっている。たとえば、ごまを測るバスケットは米や豆を測るバスケットとは異なる。また、ある場所で用いられているバスケットはそこから数マイルしか離れていないところで使われているバスケットと容量が異なる場合もある。さらに、同じ場所で同じ作物に用いられる場合でも、それを使う個人や取引関係によって容量が異なるかもしれない。どのサイズのバスケットを選択するか、ということは、実際に価格交渉の一つの前提条件になることがしばしばあるのである」と書かれている( Market Section Bulletin No 6. Development of ... :1940 p。2)。標準の9ガロン・バスケットは128ノジブに相当するが、実際に用いられていたバスケットは、標準のバスケットと比べて6から8ノジブの容量の差がある場合が多く、最小で120ノジブ、最大で150ノジブの幅があったようである( Market Section Survey No.9 Rice :1958  p.56)政府はこうした状況を問題視はしていたが、政府公認の9ガロン・バスケット普及のための特別委員会を設立など諸々の試みを行ったのは植民地期末期になってであり、植民地期を通じて使用されたバスケットの大きさはまちまちだったと考えたほうがよい。

Season and Crop Report の価格は、政府公認の9ガロン・バスケット 100当たりの価格となっている。実際問題として、すべての現場で9ガロン・バスケットを用いて正確に測っていたとは考えにくい。だが、各年度、各場所におけるバスケットのサイズを正確に知ることは事実上不可能なので、Season and Crop Report の数字をそのまま採用せざるを得ない。

最終的にはメートル法に換算した系列も提示する必要があるが、本稿では作業の途中であることから、原統計の単位をそのまま使用した系列のみを示しておくことにする。

なお、通貨の単位は独立するまではインド同様、ルピー( Rs )、アンナ( anna )、パイス( pice )であった。1ルピー=16アンナ、1アンナ=12パイス である。







 


注3 独立後、行政区分は幾度が変更されたので、独立後の作業を進めるさいには注意が必要である。



 


注4 Agricultural Statistics の山岳地帯以外の数字は Season and Crop Report をもとにしている。 Land Records Manual 3rd.p.80



 


注5 1901/02からは、Report on the Lnad Revenue Administration となり、Season and Crop Report で報告される項目以外を主として扱うようになっている。



 


注6 長期経済統計の基本的系列という枠組みから離れて、当時の主要産物である米だけを取り上げ、1901/02以前の統計系列も整備しておくことも、植民地期のビルマの分析をする上では有意義であろう。なぜならば、急速に米の耕地面積が拡大していき、格段に生産量・輸出量の増加が顕著になったのは1870年以降のことだからである。先に触れた、Report on the Revenue Administration をはじめとして、ほかの作物に比して米に関するデータは比較的得やすい。



 


注7 地域によって多少のずれはあるが、田植えが始まるのがだいたい7月前後であることによるものと思われる。



 


注8 土地記録年度( Land Records Year )とも呼んだ( Land Records Manual 4th ed : p.99 therd ed, P.83)。



 


注9 詳しくは Market Section Bulletin No.6 Development of Standard...1940 p.3-10 参照