2.『農商統計表』の性格と改善策


2.1 調査の方法と内容

中国の工業調査は1896(光緒22)年の紡績工場調査,1901(光緒27)年の製糸業調査,1907,08(光緒33,34)年の工業調査に始まる。調査結果は,前の2回に関しては調べられないが,後者は一応『農工商部統計表(第1次,第2次)』として残っている。ただし,それには工場数や資本金などが記載されているものの,生産額などより詳しい情報は掲載されていない。

『農商統計表』は1912(民国元)年から,中央政府工商部(後に農商部と改称)によって行われた初めての工業センサスであり,1921(民国10)年まで10年間も続いた。調査方法や範囲については,次の文献から大体のことが推察できる。農商部『全国農商統計調査報告規則(1918年1月17日,農商部令第9号)』によれば,

「各省省長及び特別区域の各公署より農商部規定の調査表印紙を印刷し該省に実業庁あるものは同庁より其設け無きものは省より直接各県に分送辧理せしむ」

という。そして『市鎮郷工産物調査報告規則』では,

「県知事は調査簿を各市鎮郷に分送し該地方の董事より商会及び工商情形に熟悉せる人員と会同して慎重に辧理すべし」(第2条),「凡て公司,局,厰,行,号,店舗及び家内工作等製造工産物の職工七人に満たざるものは一戸となして市鎮郷工産物調査簿内に記入し,若し職工数七人以上のものあるときは別に工厰調査票を給すべく本簿内に記入すべからず」(第3条)

などと詳細に規定している。この規則から,この調査は他記主義によるものと判断できよう。

調査の表式や項目及び内容は,日本の『農商務統計表』によく似ていることから,それを参照した可能性が高い。これについて確実な情報はないものの,次の東亜同文会の報告書『支那之工業』からその一端が伺える。その中で,

「民国成立ノ後支那政府ハ我農商務省統計ニ傚ヒ農商統計表ヲ作製発表スルコト二回ニ及ヘリ,此書中工業ノ部ハ一見支那工業ノ現状ヲ網羅セルニ似タルモ其内容ヲ詳ニ検セハ実際ト相距ル頗ル遠キモノアリ,啻ニ外人ノ経営に就テ全然記録ヲ缺クノミナラス,工業中心タル居留地内ニハ支那行政権及ハサル為メ支那人ノ工業ト雖モ記述セラルルモノ十の一二ニ過キス,支那内地ノ事業二就キテモ玉石混交精粗均シカラスシテ統計ノ価値全クナシト云フモ酷評ニアラス,……」

のように,この調査に対する批判を述べると同時に,『農商務統計表』には外国資本の企業が含まれていない,という重要な情報を提供してくれる。

次に,『農商務統計表』の調査内容を具体的に紹介すると,産業のカバレッジは農業,林業,漁牧業,工業(製造業),商業,鉱業と幅広い。次に工業(製造業)部分では,まず工場(職工7人以上)について原動機使用工場数,原動機馬力数,石炭消費量,職工数,賃金,一年間平均作業日数などが調査される。ほかに職工規模別( 7-29人,30-49人,50-99人,100-499人,500-999人,1000人以上の6規模),業種別(紡織工場,機械器具工場,化学工場,食品工場,その他工場,特別工場の6種類で合わせて46業種),紡織工場とは別に綿紡績工場,中央官庁直営工場ごとに調査されている。

以上の工場調査とは別に,32-35種類の生産品目に関して@生産量・生産額,A製造戸数,B職工数が調査されている。その中にさらにそれぞれ細かく分類されている(付表を参照)。ここには7人以上の工場とそれ未満の家内工業の両方が含まれる。これらの品目についてはいわゆる「悉皆調査」になっている。ほかに,賃金について職業ごとに調査が行われる。







2.2 『農商統計表』の問題点

前述したように,この統計は日本の『農商務統計表』を参考にして行われたと判断されるが,調査の質からみれば日本のそれより遥かに低い。従ってこれまで研究者,特に経済史学者に嫌われてほとんど利用されていない。たとえ使うにしても,一般に相対的に情報量の多い前半の4回,あるいは特定の品目及び特定の地域などに限られている。例えば,中国国内の代表的な経済史学者を集めて編集された『中国資本主義発展史(第2巻)』では,手工業の事例を述べるときにしばしば引用されている。同書では,



(北洋政府農商部による『農商統計表』に掲載された1912〜20年の手工業生産統計には漏れが多くあり,報告地域が26省から10省に減り,従って根拠とするには不十分である。しかしそれはこの時期の唯一の統計であるので,ときにはわれわれはそれを使わざるをえない)

と感嘆している

それでは,この調査には一体どんな問題点があるかを具体的に考察したい。この点について,まずアメリカにいる中国人学者 John.K.Changの指摘を紹介しよう。彼によれば『農商統計表』には,

The quality of these reports leaves much to be desired. Not only is the coverage of commodities incomplete, but after 1915, probably due to continuous civil strife, the number of local authorities submitting economic data to the Peking Government diminished year by year. By 1921, in the tenth and final annual report, only ten provinces were included, and the usefulness of the report as a source of information became highly limited. In fact, only the first four reports (1912 to 1915) have reasonably good coverage.

Even for the early years, reporting was inaccurate and imprecise. This can be attributed to inexperience in data compilation and partly to lack of proper care in reporting and printing. Moreover, there were numerous obvious errors in the annual reports. Some of the reported figures simply cannot be substantiated. ……

…… In view of these problems, it has been decided not to use here the statistical information contained in these reports, despite the fact that they are probably the only comprehensive and centralized source of economic statistics for the first few years of the Republican period.

といった具合である

以上 John.K.Changが指摘したように,『農商統計表』の問題点としては大きく以下の2点が挙げられる。まず第1は,この調査は10年も続いたものの,第5回(1916年)以降次第に報告されない省が増えてくることである。図1ではこの問題が概念的に示されており,縦軸は報告された省の数が報告されるべき省の数に占める割合を表している。それを見ると,薄く塗られた部分が次第に拡大していき,最後の1921(民国10)年にはその部分(報告されない省の割合)は全体の8割を占めるようになった。報告された省の数はわずか6つに止まった(省の数は全部で26)。その理由は恐らく次の2点にあろう。その1つは毎年報告書の「凡例」にも書かれたように,調査が行われたものの事情により報告が遅れ編集に間に合わない省があった。もう1つは,当時中央政府(いわゆる「北洋政府」)が十分に全国を支配していなかったことである。これらはともに毎年発生する,いわゆる「国内多事」や「匪乱」の影響を受けたからである。周知のとおり,「北洋政府」が支配した時期(1912〜26年)には軍閥による内戦が頻繁に起き,政治的・社会的に非常に混乱した時代であった。それにもかかわらずこの時期が意外に経済の成長期でもあったことは興味深い10。この点について後で改めて触れる。

また第2の問題点は,報告された数字の信頼性に関するものである。統計表に記録された数字には信じがたいものが「非常に」多い。例えば食料油の生産額は,湖南省だけで1912年に20億元にも達する。この数字は巫宝三が推計した1933年の工場生産額の総額に相当する。しかし,次の年にはその80分の1の1,600万元に減少し,さらに1917年になるとわずか180万元しかない。

このような問題は,経済発展初期の調査としてはある程度免れえないものかもしれない。例えば,日本の『農商務統計表』にも同じような問題が存在する。しかしそれはあくまで例外の例外である。それとは異なり,中国の『農商統計表』はどの数字が信頼できるかどれが誤りかが判断できないほど混乱している。その原因はもちろん明らかになっていないが,次の幾つかが考えられる。その1つは,当時の状況(行政のあり方や調査の経験など)を考えれば,一部の地方では正確な調査を実施せずに報告した可能性がある。もう1つは,ほぼ毎回統計表の解説に書かれたように,報告された数字には一部の県が漏れたりしていることである。他に,John.K.Chang も指摘したように,中央政府で集計作業を行う段階で起きたバイアスもある。例えば,各省の数字の合計した数字と,合計欄の数字とが一致しないものが数多く存在する。統計調査や職務管理の経験不足がその一因であろう。







2.3 修正の方針

以上指摘したように,『農商統計表』は非常に多くの問題点を抱えるが,結局それには改善の余地が何もないのであろうか。繰り返しになるが,この調査は中央政府によって行われた初めての工業センサスで,しかも10年も続いたのであるから,いくら悪い調査とはいえ,その中にかなりの情報量が含まれていることは間違いない。そして,この時期の中国の工業に関する包括的な調査はこれ以外に存在しないという意味で,むしろ非常に貴重な存在である。従って問題はその改善策があるのか否か,あるとすればどのような方法がよいのかという点にある。

われわれは今回,生産額を優先して修正作業を始めた。本来なら,生産量を同時に行わねばならないが,それは単位の統一など生産額より一層複雑な問題を抱えているので今回は割愛した。具体的に品目別・省別生産額について,次のように2段階の修正作業を行った。まず第1ステップは,報告された数字の修正である。すなわち信頼性に欠ける数字を修正することである。その方法はやや恣意的であるが,まずある品目の生産額を可能な限り長期時系列に並べ,極端に高い或いは低い年次の数字の代わりに前後の年次の数字の平均値を使う(いわゆる内挿法 interpolation )。しかしそれを適用できない場合が多い。つまり両側の年次の数字も信頼できない。そのときは,全体の水準に合わせた数字で代替するか,それとも思い切って削除して次の第2ステップで調整するかのどちらかを採用する。これは作業者の「直感」に頼ることになるので11,結果が恣意的になるのはやむを得ない。しかしこの段階の作業が最も重要であり,これがうまくいけば次のステップは多少は容易になる。

第2ステップでは,第1ステップで修正できなかった部分,すなわちもともと数字が欠落している省の推計を行う。ここでは,第1ステップで修正された数字を利用して,次のような単純な外挿法( extrapolation )を使った。具体的に,統計が存在する省の数字の対前年倍数を求め,その単純平均値をもって欠けている省の数字を推計する。言い換えれば,数字のない省の平均成長率(倍率)が数字のある省と同じと仮定する。式で表せば以下のとおりである。


   は平均倍数(報告された数字が前年に対する伸び率)。

   は名目生産額。

   は品目。

   は報告された省。

   は年次。

   は報告された省の数。

   は報告されなかった省。


表1では,この第2ステップの推計作業がイメージ的に示されている。ここでは,当時最も典型的な工業製品の1つである澱粉類を例にしている。黒丸(●)部分は数字のある年次と地域,丸付き数字(例えば@)部分は数字の存在しない年次と地域,△は当時存在しない行政単位(省),をそれぞれ表している。この第2ステップの目的は,最終的に数字付き丸の部分を●に塗ることである12。以上の方法による推計結果は表2に揚げられている。





 


 朱君毅『民国時期的政府統計工作』中国統計出版社、1988年、67頁。



 


 規則全体としては、(1)「全国農商統計調査報告規則」、(2)「市鎮郷農林漁牧調査報告規則」、(3)「市鎮郷工産物調査報告規則」、(4)「各県農商統計調査報告規則」、(5)「各省農商統計調査報告規則」からなっている。(3)以外については、


1991年、92〜96頁に掲載しているが、残念ながらわれわれにとって重要は(3)は載っていない。しかし、東亜同文会調査編纂部『支那工業綜覧』1930年版、22〜23頁には、この(3)が日本語で紹介されている。引用は同書からのものである。



 


 東亜同文会調査編纂部『支那之工業』1917年、「凡例」を参照。



 


 日本では東洋文庫はその全部(一部はコピー)を、一橋大学はその一部(第4,9.10回は欠)を所蔵している。



 


 、呉承明編『中国資本主義発展史(第2巻)』人民出版社、1990年、900〜945頁を参照。



 


 前掲『中国資本主義発展史(第2巻)』900〜901頁。



 


 John K. Chang, Industrial Development in Pre-Communist China : A Quantitative Analysis , Edinburgh University Press, 1969, p. 15.



 


 ここでは彼は1つのミスを犯している。調査の最後の1921年にわずか10省が報告されたと書いているが、実際は6省しかない。彼が言う10省は、実は前年の1920年のことである。このミスが生まれたのは、おそらく1921年の省数があまりにも少ないので、独立に公表されず、第9回(1920年)の付録のような形をとっていたからであろう。



 


 『農商統計表』各年版の「凡例」を参照。



 


10 John K. Chang の前掲書(注6)によれば、この時期の近代鉱工業年平均成長率は他のいずれの時期よりも高い13.4%を記録するものだという(p.71)。



 


11 1つ考えられる方法としては、相対的に規則性が高い省を探し、それらの省の数字(倍率)を使って他の省に適用する。この方法にも他の省の数字のレベルを決められない問題が残っているので、今回は採用しなかった。



 


12 すべての品目について、「綏遠」では1年分の数字しか存在せず、数字自体も大きくないので、実際の推計作業中に無視した。