第3章 商業銀行の成長と規制


    (1)商業銀行の成長

      1.店舗数の増加と構成変化

      2.預金額の増加と構成変化

      3.融資構成の変化と銀行信用の直接統制

    (2)金利規制と準備率規制

      1.金利規制

      2.準備率規制




第3章 商業銀行の成長と規制

1970年代から80年代にかけて確立したインド型金融システムの中心の位置を占める金融機関は商業銀行である。商業銀行は金融機関総資産の4割近くを占め、また家計の金融資産形態での貯蓄のほぼ4割近くが銀行預金である。こうした商業銀行中心の金融システムが形成されるにあたって画期的な出来事は、1969年6月の14大商業銀行の国有化であった。

本章では、商業銀行の成長と政府による商業銀行に対する各種規制の実態を概観する。





 


(1)商業銀行の成長

商業銀行のパフォーマンスに関して、政府・RBIは通常、(a)店舗数の増加(とりわけ農村店舗数の増加)、(b)預金額の増加、(c)融資額の増加(とりわけ優先部門に対する融資額・融資比率の増加)、を3つの主要な評価基準としてきた (RBI[A]; RBI[1978])。1969年の主要商業銀行国有化以降、商業銀行はこの3つの評価基準どの点に照らしてみても著しい成長を記録した。国有化以前と比較すると、そこには明らかに大きな量的な飛躍と質的な転換が認められる。




1. 店舗数の増加と構成変化

表3−1は人口センター別に、商業銀行の店舗数の推移をみたものである。1969年6月の総店舗数は8262店舗であったが85年6月には51978店舗にまで急増した。その後店舗数の増加傾向はやや低下したが、それでも94年3月時点では62100店舗にまで増加した(図3−1)。とりわけ店舗数の増加が顕著であったのは農村地域である。69年6月には1832店舗(全体の22.2%)であったが、85年6月には28782店舗(55.4%)に、94年3月時点でのそれは35071店舗(56.5%)にまで増加した。農村地域と準都市地域とを合計すると、69年6月には5154店舗(62.4%)、85年6月には39242店舗(75.5%)、94年3月には47238(76.1%)へと増加した。また1店舗あたりの人口数も、69年6月の62697人から90年3月には14040人にまで着実に減少傾向を辿ってきた(表3−2)。

銀行業における地域格差の縮小という政策目標は、非常に良く達成されたと言えるであろう。商業銀行は、支店を拡張するにあたっては前もってRBIからのライセンス取得が義務づけられた (branch expansion/branch licensing policy)。支店ライセンス規制は1992年4月に撤廃された。




2. 預金額の増加と構成変化

表3−3は指定商業銀行パフォーマンスに関する基本的指標をみたものである。預金額、融資額ともに飛躍的に増加している様子がうかがわれる。表3−4は5年ごとの預金額と融資額の推移をみたものである。国有化以降、預金額、融資額ともに増加率が加速していることがわかるが、とりわけ1970年代後半(1975/76-1979/80)の伸びが顕著である。その後は預金額、融資額ともに増加率に低下傾向がみられる。

表3−5は、当座預金と定期預金のそれぞれの比率の推移をみたものである。国有化直前の1969年3月には当座預金47.8%、定期預金52.1%であった。その後は定期預金のシェアが確実かつ顕著に増大し(とりわけ1978年3月以降)、1983年3月以降そのシェアはついに預金総額の8割を超えた。




3. 融資構成の変化と銀行信用の直接統制

1969年の主要商業銀行国有化にあたっての最重要課題の一つは、雇用促進を目的として「優先部門」および「社会の弱小部門 (weaker sections of the society)」へと銀行信用を拡大することであった。こうした考えに基づいて、政府は1979年5月までに公共部門商業銀行融資額の33%を優先部門にふりむけるべきであるとの目標を設定した。「優先部門」に含まれるのは、農業、小規模工業、小規模交通オペレーター、小規模ビジネス、および専門職、自営業者である。その後さらに、1985年3月までに優先部門への融資比率を40%にまで高めるよう達成目標が設定された。のみならず様々な部門別の達成目標も設定された。とりわけ農業の達成目標は銀行融資総額の18%に設定され、さらに農村・準農村店舗の融資/預金比率は60%以上でなければならないとした。また「社会の弱小部門」に対する優遇措置として、1972年に「格差的利子率制度 (Differential Rate of Interest Scheme)」が導入された。これは年金利4%という破格の低金利で小額のローンを与えるという制度である。表3−6は優先部門への貸出残高をみたものである。目標はほぼ達成されていると判断できよう。なお1992年に始まった金融自由化の動きの中でも、融資総額の40%を優先部門にまわすという規制は緩和されていない。

優先部門に対する貸出額・貸出比率の急速な増大にともなって、当然にも部門別貸出残高の比率構成も国有化以降大きく変化した。表3−7はこの推移をみたものである。何よりも目につくのは大中規模工業部門のシェアが、国有化より1年あまり前の68年3月時点での60.0%から、76年6月には38.2%にまで低下し、その後もほぼこの水準で推移していることである。逆に国有化以降シェアが顕著に伸びたのは小規模工業部門と農業および農業関連部門である。国内商業部門のシェアも68年3月の19.2%から、76年には26.7%と大きく伸びたが、その後は低下傾向を辿り、90年3月時点では13.9%にまで低下した。ところで国有化以降の国内商業部門のシェアの増大はおもに食糧買い上げに対する貸出比率が上昇したためである。食糧買い上げに対する融資とは、中央政府系の公企業であるインド食糧公社および州政府に対するものである。卸売取引部門に対する貸出額から食糧買い上げに対する貸出額を差し引いた、民間の卸売取引部門に対するシェアをみてみると、国有化以降大きく低下した様子がうかがわれる。要するに、国有化以降民間の大中規模工業部門と民間の商業部門に対する融資比率が減少したと要約できよう。

優先部門への融資とならんで、1965年に政府は「信用認可制度 (CAS: credit authorisation scheme)」を導入し、商業銀行の信用配分に介入してきた。信用認可制度の目的は政府のプランニング(五カ年計画)の優先目標にそうように信用配分することであった。大口の借り手は前もってRBIからの融資枠を得なければならないとする規制である。この大枠の中で、とくに重点は大企業向けの融資方式で最も大きな比重を占めていたキャッシュ・クレジット (cash credit: CC) 制度のコントロールに向けられた(絵所[1987]第3章)。CCとは当座貸越の一種である。借り手企業は、在庫および受取手形を担保にして銀行とCC契約を結ぶことができる。CC制度の下で、借り手企業は銀行と契約している貸出限度額までいつでも自由に銀行券(キャッシュ)を引き出すことができる。国有化直前の69年には、指定商業銀行の総貸出残高に占めるCCのシェアはほぼ70%にまで達していた(RBI[1969A])。主要商業銀行国有化以降、指定商業銀行の総貸出残高に占めるCCのシェアは40〜50%程度にまで縮小した。CC制度見直しのために設置されたタンドン委員会は、反独占思想によって色づけられた委員会であったが、CC制度規制の方法としてCC認可枠設定の前提となる企業の在庫水準そのものを規制すべきであるという勧告をした (RBI[1975])。しかしタンドン委員会勧告の実施は困難であり、その後設置されたチョーレ委員会は、CC制度そのものの改革は必要なしとの結論を得た (RBI[1979])。

1980年代になって経済自由化への動きが始めるとともに、CC制度を規制すべしという考えは弱まっていった。同様に、全般的な信用統制手段として信用認可制度はそれほど有効ではないという考えが広まっていった。その結果、1988年10月、RBIからの事前承認が必要であるとした信用認可制度は廃止され、事後的な届出制である信用監査制度 (CMA: credit monitoring arrangement) にとってかわられた。





 


(2)金利規制と準備率規制

1. 金利規制

1980年代半ばまで、インドの金利は徹底的に管理されてきた。銀行金利も市場の需給によって決定されるのではなく、政府の政策決定によって決定されてきた。人為的な金利体系を形成するにあたって多大な影響を及ぼしてきたのは、政府の財政赤字という要因である。政府の財政赤字の大半は、国債の発行とTBの発行によってまかなわれてきた。政府の返済負担が大きくならないように国債およびTBの利回りは人為的に低金利におさえこまれてきた。これが金利体系の歪みを生みだしてきた最大の要因であり、金利の資源配分機能は著しく歪められてきた。

表3−8は各種利子率の推移を一覧したものである。次の点が読みとれよう。第1に、名目金利は総じて上昇傾向にある。第2に、商業銀行の短期の預金金利が長期の預金金利よりも低く設定されている。人々の長期預金の選択を促してきた要因であることが予測される。第3に、預金金利よりも貸付金利のほうが低く設定されている。しばしば途上国ではこの関係が逆転している場合がある。第4に、長期貸付金利が短期貸付金利よりも低く設定されている。長期投資を促すという政府の考えが反映された結果である。第5に、預金金利、貸付金利ともに上限あるいは下限が設定されている。上限と下限との間のスプレッド、あるいは優先部門向け金利と非優先部門向け金利との間のスプレッドは非常に大きく、これが金利体系を著しく複雑なものにしている。第6に、政府証券の利回りが低くおさえられている。

表3−9は指定商業銀行の金利別融資残高の配分をみたものである。

実質金利はどうであろうか。表3−10は指定商業銀行の実質預金金利の動向をみたものである。1960年度から1994年度までの35年間のうち実質預金金利がマイナスになったのは16回である。また実質預金金利は、9.1%とマイナス17.2%の幅で変動しており、全体としてみるとほんのわずかにプラスであった。マキノンが想定したいわゆる「金融抑圧」状態にはあてはまらない (McKinnon[1973]; Joshi & Little[1996] p.111)。




2. 準備率規制

融資の部門別規制、金利規制とならぶ商業銀行に対する3大規制のもう一つは、準備率規制である。金融政策の主要手段としては一般的に、公定歩合操作、公開市場操作、支払準備率小差の3つがあげられる。このうちインドで有効性をもってきたのは支払準備率操作だけである。各種金利が細かくかつ厳格に規制されてきたので、公定歩合の変更は金融政策の有効な手段とはならなかった。表3−8でから読みとることができるように、独立後の公定歩合の推移をみると下方硬直的である。1950年度の3%から一貫して上昇しつづけ、91年度以降は12%で維持されている。また75年度から80年度にいたるまでの6年間は9%、81年度から90年度にいたるまでの10年間は10%に、それぞれ据え置かれてきた。またTBや国債の発行は実質的に金融機関に対する割り当てとなっており、政府証券の流通市場が形成されなかったために、公開市場操作も有効性をもたなかった。インフレーションの主要因である過剰流動性の原因が政府の財政赤字であるかぎり、そしてまた1969年の主要商業銀行の国有化によって銀行店舗数が飛躍的に拡大し、現金/預金比率が増大したことによって通貨乗数が大きくなる傾向が内在するかぎり、マネーサプライ抑制措置としてRBIがとりえた手段は支払準備率を引き上げることに限定されてしまった。

インドで採用されてきた支払準備率操作には2種類ある。一つは第一線準備としての現金準備比率(CRR)--すなわち、銀行預金額に対する銀行の手持ち現金とRBIへの預け入れ金の合計の比率--と、第二線準備としての法定流動性比率(SLR)--すなわち、銀行預金額に対する政府証券および政府認定証券への投資比率--が、それである。

表3−11および表3−12はCRRおよびSLRの動向をみたものである。一見して明らかなように、CRRもSLRもともに金融自由化の始まった1992年にいたるまで、一貫した上昇傾向をたどっている。たとえば1990年時点をとってみると、CRRは15%、SLRは38.5%であり、両者を合計すると商業銀行預金総額のじつに53.5%が支払準備率にあてられるよう規制を受けていたことになる。CRRおよびSLRは政府部門による銀行資源の先取りであり、銀行部門から民間部門への資金フローは著しく制約されてきた。

図3−2は指定商業銀行の現金/預金比率、投資/預金比率、および融資/預金比率の動向を示したものである。現金/預金比率は1950年代から73年度にかけては下降傾向をたどっているが、74年度代後半以降は急速に高まっている。投資/預金比率もほぼ同様に72年度までは下降線をたどっているが、73年度以降は急速にその比率を高めている。これに対し融資/預金比率は72年度以降は急速にその比率は下がっており、62年度から71年度にかけては80%近かった比率が、91年度以降はついに50%台にまで低下した。