第2章 インド型金融システムの構造的特徴


    (1)金融発展とマネ−サプライ

      1.金融発展の概観

      2.家計部門の金融資産

    (2)マネ−サプライ・メカニズム

      1.リザ−ブマネーの定義と動向

      2.マネ−サプライの定義と動向

      3.リザーブマネ−とマネ−サプライ

      4.TBの発行とマネ−サプライ




第2章 インド型金融システムの構造的特徴

前章で述べたように、独立後インドの近代的な金融制度は五カ年計画(プランニング)を軸とする経済開発システムに組み込まれる形で発達してきた。こうした構造が定着する上で決定的な役割を果たした事件は、1969年の14大商業銀行の国有化措置である。その後おおむね1992年にいたるまで、こうした構造=制度が継続した。この時期に確立した金融システムを、「インド型金融システム」と呼ぶことにする。

インド型金融システムの特徴は、厳格な外資流出入規制下でのきわめて閉鎖的な環境の下で、大半の金融仲介機関が国有化され、規制的な金融政策体系が定着したことである。準備率規制、金利規制、信用の量的割当規制が3つの主要な規制手段である。

厳格な規制体系の下で、効力のある金融政策の手段は支払準備率操作に限られてきた。短期マネー・マーケットが狭くまた厳しく規制されてきたために、公開市場操作は効力をもたなかった。また各種利子率も厳格かつ煩雑に規制されてきたために公定歩合政策も効力をもたなかった。

金融機関に対しては、現金準備比率(CRR)と法的流動性比率(SLR)という2種類の準備率を課すというシステムが発達した。これら2種類の準備率を操作するにあたっては、政府の財政的な観点が重視された。その結果、金融政策は財政政策によって大きく左右され、金融政策の自律性は著しく損なわれてきた。この財政政策への従属というのが、インド型金融システムのもうひとつの特徴である。

SLRは金融仲介機関に対して政府証券への投資を義務づける措置であるが、実質的には金融仲介機関(とりわけ商業銀行)に対する割り当てという形をとってきた。財政負担の軽減という観点が重視されたために、政府証券の利子率は極端に低くおさえられてきた。このため商業銀行の収益率はきわめて劣悪となり、また利子率の歪みが定着することになった。

さらに投資・貯蓄ギャップを示す資金過不足を部門別にみると、資金余剰部門である家計部門からの資金の大半は政府部門に流入している。金融仲介業は、こうした資金フロー構造を定着させるにあたって大きな役割を果たした。





 


(1)金融発展とマネーサプライ

1. 金融発展の概観

はじめに、独立後の金融発展の程度を概観しておこう。表2−1は、1950年度から1980年度の30年間における金融機関の総資産の推移をみたものである。金融機関の総資産は50年度には348億ルピー(GDP比でみると37%)であったが、30年後の80年度には1兆2892億ルピー(GDP比でみると95%)へと増加した。国民所得の増加率よりもはるかに高い増加率で金融資産が増加している様子がうかがわれる。金融機関ごとのシェアの推移をみてみると、銀行部門(RBIをのぞく)およびその他金融機関が大きく増加したことがわかる。銀行部門のシェアは50年度の35.9%から80年度には48.1%、またその他金融機関のシェアは50年度の18.0%から80年度には32.2%へとぞれぞれ大き増加した。

表2−2は、全般的な金融発展を示すいくつかの指標をみたものである。金融比率(FR)、金融連関比率(FIR)、新規発行比率(NIR)、金融仲介比率(IR)の4指標がとられている。

FRとは、国民所得に対する年間に発行された総金融請求権の比率で計測される。経済成長率と金融発展率との関係を示す指標である。

FIRとは、物的資産のストックに対する同時点での金融資産のストックの比率で計測される。

NIRとは、非金融部門の投資が当該部門によって得られた基金によって調達される比率を示すものである。純物的資本形成に対する第一次発行の比率で計測される。第一次発行は、非金融部門あるいは実物部門によって発行される金融請求権として定義される。

IRとは、投資の資金調達にあたって非金融単位(家計を含む)に対する金融機関の大きさを示す指標である。非金融単位による第一次発行の額に対する金融機関によって発行された金融手段の額(第二次発行額)の比率で計測される。金融の制度化を示す指標である。

FRは、1951〜56年度の0.04から61〜65年度には0.12に、74〜79年度には0.21に、そして80〜81年度には0.25にと確実に高まってきた。

同様にFIRも確実に高まってきた。51〜55年度のそれは0.63であったが、80〜82年度には1.40にまで高まった。

NIRも、51〜55年度の0.46から80〜82年度には0.83にまで高まった。

またIRも、独立後30年間に顕著に高まった。51〜55年度には0.37であったが、80〜81年度には0.70になった。

以上、どの指標をとっても顕著な金融発展の様子がうかがわれる。




2. 家計部門の金融資産

独立後の顕著な金融発展の傾向は、家計部門の金融資産形態での貯蓄データからも確認できる(表2−3)。50年度(インドの会計年度は毎年4月から翌年の3月まで)からのデータが利用可能である。GDP比でみた家計部門の金融資産形態での貯蓄 (savings of the household sector in financial assets) は50年代はほぼ3%台、60年度はほぼ4%台で推移した。その後70年度は5.6%、75年度は7.2%、80年度は8.9%と確実に上昇傾向を辿った。80年度から90年度にかけては10%〜12%程度で安定的となっている。ただし94年度は14.3%と急上昇した。

次にその構成比の変化をみてみよう(表2−4)。独立後の数年間はきわめて不安定なトレンドなので、この時期は考慮しないことにする。

長期的にみると、銀行預金は60年代はほぼ30%台を維持し、70年代後半以降は40%まで上昇した。しかし、87年度からは上昇トレンドは逆転し、93年度には30%を下回った。ただし94年度は再び40%を超えた。生命保険基金は56年度の5.3%から徐々に上昇して、66年度〜69年度には12〜15%台にまでシェアを伸ばした。しかしその後86年度(6.8%)までは低下傾向を辿り、87年度から再度上昇しはじめ90年代には9%台を維持している。銀行預金と並んで大きなシェアを占めている各種積立金・年金基金は、50年代後半から66年度まではほぼ15〜18%前後で横這いであったが、67年度〜75年度間は20%台にまで上昇した。しかし再度76年度以降は、15〜19%程度で横這い傾向がみられる。株式・債権は、50年代から61年度にかけては、10%〜13%程度と、比較的大きなシェアを占めていた。しかし62年度以降、そのシェアは急減し、65年度〜69年度間は1〜2%まで低下した。しかし80年度以降は漸増傾向がみられるようになり、とくに証券改革が進展した90年度以降は9%台にまで大きくシェアを伸ばしている。非銀行預金およびインド投資信託(UTI)のユニットのシェアも増加傾向を辿っている。郵便局への預金等からなる対政府請求権のシェアには、低下傾向がみられる。

最後に、銀行および郵便局への預金の推移を比較してみよう(表2−5)。1970年度から1993年度までのデータが比較可能である。銀行への預金を指定商業銀行とその他の銀行にわけて、それぞれのシェアの推移をみてみよう。前者のシェアはほぼ90%強、後者のシェアはほぼ10%弱であり、大きなシェアの変化はみられない。つぎに銀行への預金総額に対する郵便局への預金総額の比率をみると、あきらかに低下傾向がみられる。ただし1975年度までは増加傾向がみられ、当該年度の比率は20%であった。しかしその後は急速に低下傾向をたどっている。1993年度のそれは7%程度である。つまり預金の圧倒的部分は銀行(とりわけ指定商業銀行)に向かっており、そのシェアは70年代後半以降急速に拡大している。





 


(2)マネーサプライ・メカニズム

次にマネーサプライ・メカニズムの特徴を探ってみよう。

1. リザーブ・マネーの定義と動向

ハイパワード・マネーは、インドではリザーブ・マネーと呼ばれ、「政府に対するRBI純融資額+銀行に対するRBI融資額 + 商業部門に対するRBI融資額 + RBIの純外国資産 + 公衆に対する政府の貨幣債務 − RBIの純非貨幣債務」と定義される。それぞれの項目は表2−6にみられるようなものである。

リザーブマネーの主要源は政府部門への純信用である(表2−7)。リザーブマネーに占める政府部門向け純信用の比率は、RBIの純外国為替資産が大きく増加した77年度〜79年度および93〜94年度を例外として、常に80%を超えている。とりわけ81年度から91年度の11年間は、常に90%を超えていることがわかる。しかし92年度以降そのシェアは急減している。RBIの商業部門向け信用の年平均増加額は、50年代には1000万ルピー未満、60年代には7000万ルピーであったのに対し、70年代には11.7億ルピーに増加した (RBI[1985] p.103)。その結果、70年代になるとリザーブマネーに占める比率も急速に増加し、7〜9%程度にまで達した。この増加傾向はIDBIやARDCのような開発銀行が成長したためである。しかし80年代後半からはやや低下傾向がみられるようになり、92年度以降ははっきりと急落傾向を示している。金融改革の影響である。銀行部門向けのRBI信用のシェアには明確なトレンドをうかがうことはできないが、ここでも92年度以降はシェアの低落傾向が顕著に見て取ることができる。

図2−1から見て取ることができるように、リザーブマネーと政府部門に対するRBI信用額とのギャップが顕著で時期は、77年度〜81年度と91年度〜95年度である。とりわけ91年度から95年度にかけては、両者のギャップは大きく拡大する傾向にある。このギャップは外貨準備の増加によって説明できる。




2. マネーサプライの定義と動向

1961年にRBIは「マネーサプライに関するワーキング・グループ(WG)」を設立し、M1 (narrow money) および M3(broad money) は、それぞれ次のように定義された。

    M1 = (1) currency notes and coins with public + (2) demand deposits (excluding interbank demand deposits) of scheduled and reporting non-scheduled banks and State cooperative banks + (3) deposit (generally referred as 'other deposits') held with the RBI, in current account by central banks of other countries, financial institutions and quasifinanced bodies other than banks, and by the IMF other than balances in money supply.

    M3 = M1 + time deposits (other than inter-bank time deposits) with banks = "Aggregate Monetary Resources"


1977年にRBIは「マネーサプライに関する第二次WG」を設立し、あらたに1971年から利用可能なデータを整備した。カヴァレッジが拡大され、協同組合銀行およびサラリー稼得者組合への預金がカヴァーされたこと、および郵便局預金がカヴァーされたことが、主要な修正点である。1971年からのM1、M2、M3、M4のデータが利用可能となった。それぞれの定義は次のようなものである(下線を引いた部分が修正点)。

    M1 = (1) currency notes and coins with public + (2) demand deposits of banks and salary earners' societies held by the public + (3) 'other deposit' with the RBI.

    M2 = M1 + savings deposits with the Post Office Savings Bank

    M3 = M1 + time deposits (excluding inter-bank time deposits) of banks

    M4 = M3 + total time deposits with the Post Office Savings Organization(excluding National Savings Certificates)


第2次マネーサプライWGでは、「貯蓄性預金 (savings deposits)」を「当座性預金 (demand deposits)」 部分と「定期性預金 (time deposits)」部分に分解するという操作が行われた。1961年〜75年間の推計がおこなわれた。推計の結果、「当座性預金」部分が1961〜1975年にかけて、64.5%から86.0%に増加したことがわかった。

1981年にあらたな推計が実施された。1978年から現在までは、この新推計によるデータが利用可能である。新推計は、貯蓄性預金のうち利子支払い部分を定期性預金とみなし、残りを当座性預金とみなすという方法である。この結果、1978年以降のM1データは、それ以前とは継続していない。また、近年の利子率自由化措置の結果、M1とM3の境界があいまいになってきた点も留意すべき点である。

ところでM3(マネーストック)は、「銀行部門(中央銀行およびその他銀行を含む)の負債・資産」および「公衆に対する政府の貨幣的負債」を分析することによっても得られる。

すなわちM3(マネーストック)は、「銀行部門の貨幣負債総額 = 銀行部門の金融資産 − 銀行部門の純非貨幣負債」として、あらわすことができる。ただし「銀行部門の純非貨幣負債 = 非貨幣負債 − その他の資産」である(表2−8)。

M1、M2、M3、M4それぞれのGNP比をみてみよう(表2−9)。1960年度以降、M1には明確なトレンドはみられないが、87年度以降93年度にいたるまではほぼ2.0前後で安定している。

1970年度からは、M1に郵便局の貯蓄性預金を加えたM2、M1に銀行の定期性預金を加えたM3、M3に郵便局の定期性預金を加えたM4のデータが利用可能となる。

1970年度から93年度にかけて、M2には明確なトレンドはみられない。2.0程度で、ほぼ一定である。これに対しM3には明らかに急上昇傾向がうかがわれる。70年度には0.28であり、その後75年度(0.32)まではゆるやかな上昇しか示していないが、76年度からは急上昇し、93年度には0.60まで上昇した。M3のトレンドを反映して、M4にもほぼ同様の傾向がうかがわれる。銀行への定期性預金が急上昇したことを反映したトレンドである。

指定商業銀行の当座性預金・定期性預金の動向からも、同様のトレンドが確認できる(表2−10)。指定商業銀行の預金総額に占める定期性預金のシェアは、66年度の50%をボトムとして、その後上昇傾向をたどっている。ただし76年度までの上昇は緩慢で、60%未満である。しかし77年度には78%にまで急上昇し、その後はほぼ80%台で高泊り状態が続いている。

表2−11はM3の構成の変化をみたものである。M3に占める銀行部門から政府部門に対する純信用の比率は、1975年度から78年度にかけて減少し、その後増加に転じ、81年度から85年度にかけては47〜48%程度で推移し、86年度から91年度にかけては50〜51%程度で推移した。91年度からは再度減少傾向をたどっており、94年度には42%にまで減少した。ほぼ同様の傾向は、M3に占める銀行部門から商業部門に対する信用の比率をみてもうかがわれる。これは銀行部門での純外貨資産の動向を反映したものである。1981年度から86年度にかけての5年間、銀行部門から商業部門に対する信用の比率が70%程度にまで高まったことは着目される。




3.リザーブマネーとマネーサプライ

リザーブマネー(H)とマネーサプライ(M)との間には、M=mHという関係がある。mは通貨乗数である。通貨乗数(m)は、通貨・預金比率(C/D=c)と準備金・預金比率(R/D=r)を使って、(1)式のようにあらわすことができる。

    m = (c+1) / (c+r) ・・・・(1)


69年の主要商業銀行国有化を大きな転機として、通貨/預金比率は大きく低下しはじめた。銀行の支店は農村の奥深くにまで拡張され、その結果バンキング・ハビットが定着することになった。通貨/預金比率の低下は、通貨乗数の増加を意味する。通貨当局からすると、マネーサプライをコントロールするためには通貨乗数を安定的に維持することが必要となる。通貨乗数を安定的に維持するためには、準備金/預金比率を引き上げることが必要となる。後述するように、商業銀行に対する現金準備比率(CRR)と呼ばれる準備金/預金比率が傾向的に大きく引き上げられてきた原因である。1962年9月時点で3%であったCRRは、1994年8月には15%にまで高まった。




4.TBの発行とマネーサプライ

前述したように、リザーブマネーの主要源はRBIからの政府部門に対する純信用である。

政府部門は恒常的な赤字経営をおこなっている。政府部門の債務(公的債務)は対外債務と国内債務からなるが、後者は市場借入(国債の発行等)、小額貯蓄、およびその他債務から構成される(表2−12)。

ここではマネーサプライと直接かかわりのある、中央政府によって発行されるTBによる資金調達動向だけをとりあげる。

連邦政府の予算は、経常勘定と資本勘定によって構成されている。経常勘定歳入は税収入と税外収入からなるが、予算歳出総額から経常勘定歳入額をマイナスした不足部分は、資本勘定歳入によって埋め合わされることになる。資本勘定歳入の主要項目は、貸付金返済収入、市場借入(国債の売却)、小額貯蓄(郵便局貯蓄)、各種積立金、金融機関からの借入、および海外からの借入である。つまり貸付金返済収入を除けば、残りはすべて公的債務である。インドの「予算赤字 (budget deficit)」とは、こうした形での資本勘定歳入額を差し引いたのちに、なお埋め合わすことのできなかった予算歳出総額とのギャップを指す言葉である。この部分はRBIに91日ものの短期大蔵省証券(TB)を売却することによって埋め合わされる。「赤字金融 (deficit financing)」と呼ばれる。つまり、インドでいう「予算赤字」あるいは「赤字金融」とは生産の裏付けのまったくない貨幣供給である。言うまでもなく、生産の裏付けのないマネーサプライの増加は過剰流動性もたらし、財政インフレを引き起こす。RBIには、政府からのTB引き受け要請を拒絶する法的権限が備わっていないので、政府の赤字は金融政策に対する大きな制約要因となってきた。

TBの売却方式はタップ・システム (tap system) である。TBは年間を通じて需要に応じて売却されるとする制度である。1965年7月に導入された。投資家に売却されたTBはRBIによって再割引されるが、一度RBIによって再割引されたTBは再度売却されることはない。またRBIへの政府現金勘定を補充する目的で発行されるTBは「アドホックTB」と呼ばれる。

表2−13はTBの年間売却額と売却先をみたものである。年度ごとに大きな変動があるが、TBの主要購入主体はRBIと銀行と州政府である。しかし表2−14でTB残高の所有構成比率をみると、その様子は売却先の構成とは大きく異なっている。TB残高のほぼ9割はRBIによって所有されている。これはTBの利回りが低くおさえられているにもかかわらず、RBIによって再割引されるために大半のTBは、満期日をまたずにRBIによって再割引されてしまうためである。