3.農業部門付加価値での新・旧シリーズ比較


    3.1.農業部門付加価値の推計方法


    3.2.農業部門付加価値の構成


    3.3.新手法による時系列の修正


    3.4.耕種部門の産出額、付加価値と生産量









 

3.農業部門付加価値での新・旧シリーズ比較



3.1.農業部門付加価値の推計方法


前節で部門ごとに検討した新旧二つの国民所得統計の整合性、連続性について、より詳細に農業部門について検討しよう。ここでいう農業部門とは、農林水産業のうち、耕種(主要作物)、耕種(副次作物)、畜産の三つのサブセクターの和と定義する。この部門はパキスタン経済の中核である。GDPに占める比率は1995/96年度でも24%程度となっており(表5)、依然として最重要産業である。

パキスタン農業の特徴の一つが有畜農業である8)。伝統的な農家は、自ら保有する役畜(去勢雄牛が一般的)を用いて農地を耕し、農地から得られた飼料でその家畜を養い、家畜の排泄物の一部を厩肥に利用してきた。飼料は大きく分けて、農地で生産した青刈飼料作物(ソルガム、エジプト・クローバーなど)、農作物の副産物である藁などの乾燥飼料、油脂種子の絞り粕といった濃厚飼料の三種類が組み合わされる。役畜を確保する上で雌牛を飼うことは至上命題となり、そこから得られる牛乳もまた重要な農家の生産財・消費財となった。言い換えると、畜産部門と耕種部門が有機的に無駄なく結びつき、農家の生産・消費と一体化していたわけである。この関係は、しかし、トラクターが近年普及してきたことによって変容しつつある。役畜の一部がトラクターによって代替され、トラクターを運搬手段とした飼料の市場取引が盛んになり、牛乳の市場向け生産も増えてきた9)

この変化を反映した新手法においては、農業部門の付加価値を推計する上で農業部門内の中間生産物を評価する方法が抜本的に変更された。旧手法においては、畜産部門の付加価値は、牛乳、肉類、原皮などの畜産品のみの産出額に等しいと想定されたが、新手法においては、畜産品の産出額に畜役サービスの帰属価値を加え、各種飼料の投入額合計を生産費として差し引くことで付加価値が定義されている。耕種部門の付加価値は畜産部門でのこの違いと整合的でなくてはならないから、旧手法においては、耕種(主要作物)部門の産出額に藁など乾燥飼料となる副産物は計上されず、耕種(副次作物)部門の作物に青刈飼料作物は含まれず、耕種全体の生産費に役畜費は計上されていない。これに対し、新手法では、耕種(主要作物)では12作物中11作物について副産物の産出額がそれぞれ計上され、耕種(副次作物)に青刈飼料作物が重要な品目として新たに加わり、生産費に「耕起・砕土・播種費」が加わっている。つまり、部分的にしか市場取引されていない中間生産物に関して、市場取引を完全に無視してサブセクター間で相殺させているのが旧手法、自給自足している分にまで帰属計算を持ち込んで市場評価しているのが新手法ということになる。どちらが優れているかについては議論が分かれ得るが10)、新手法が近年の農村での変化を反映したものであることは確かであろう。

ただし、新手法で新たに加わった項目は三つのサブセクター間で完全には相殺しないため、農業部門合計の付加価値は、新手法と旧手法で概念が異なってしまう。すなわち、藁などの主要作物の副産物についてはその一定割合のみが畜産部門の投入財であって、残りは最終消費財と想定されていること、畜産部門の投入財には製造業部門から供給された養鶏用の配合飼料などを含むこと、耕種部門の投入財である「耕起・砕土・播種費」が単位面積当たりの生産費調査から推計されているのに対し、畜産部門の畜役産出額は役畜の頭数から外捜して推計されていること、などの微妙な違いが存在する。

新手法と旧手法の間では、定義方法の変更だけでなく、基準年次や基礎データベースの違いも重要である。例えば、新手法の基礎データベースは、主要作物の産出額推計が全国規模の坪刈調査に基づいているし11)、投入財についても実際の供給量を直接推計したり、それが不可能な場合では単位面積当たりの使用量について標本調査が徹底されている。






 

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3.2.農業部門付加価値の構成


付表3付表4付表5付表6に農業部門の三つのサブセクターそれぞれの付加価値の詳細を、1980/81から87/88年度について載せる。

耕種(主要作物)部門は表の12作物の合計であるが、その産出額の約9割を小麦、綿花、米、サトウキビの四つが占める。残りの八つの主要作物は、すべて、耕種(副次作物)部門のマンゴーや飼料作物よりも産出額が小さい。にもかかわらずこれらの品目が耕種(主要作物)部門に入れられているのは、歴史的に重要な商品作物やパキスタンの伝統的な基礎食糧を構成する品目であるために、その作付面積などが植民地時代からかなり正確に把握されてきたという歴史的経緯に由来する。

投入財使用額の推計にあたっては、種子など作物別に推計されるもの以外は、全作物合計の使用量を推計してそれを主要作物、副次作物に産出額合計と比例するように割り振っている。したがって産出額の推計値に比べて正確さが落ちるのは否めないが、基礎データの制約を考えればしかたないであろう。もちろん、耕種部門を二つに分けずに一緒の付加価値にしてしまえばこの想定によるバイアスを回避することができるが、主要作物と副次作物とで産出額データの信頼度がかなり違うという問題が残る。

パキスタンの農業が有畜農業であること、国民の消費生活において畜産品が重要であることは、付表に示された畜産品産出額の大きさからも一目瞭然である。ミルクの産出額は牛、水牛、山羊・羊を合わせると近年では小麦や綿花をも上回り、パキスタンの農業部門で最大の産出額を誇ることになる(付表4付表6)。牛、羊、鶏を合わせた肉類の産出額も、四大作物と並べるにふさわしい水準である。

ただし、付録に示したように、畜産部門の品目別産出額は、前年の産出量水準にその時点での最新の家畜センサスから推計された増加率を機械的に加えて作った産出量推計に基づいていることに注意する必要がある。付表のデータがカバーする時期について、主要な品目ごとの実質成長率の想定を表6にまとめる。毎年の畜産部門実質産出額伸び率は、表6の数字のウェイトつき平均であるから、ウェイトの変化にそって滑らかに上昇していくが、実際に報告される実質付加価値は、耕種部門から推計された飼料投入財の価値などが差し引かれるために、毎年わずかに成長率が揺れ動く。しかしその数字をもってして、畜産部門は毎年堅実な成長を遂げていると判断することが誤りであることは以上の説明から明らかであろう。安定成長は推計作業上作られているのであって、実態を反映しているのではない。

このことは、しかし、畜産部門の推計値が全く信頼できないことを意味しない。畜産部門の産出額の長期的な水準それ自体は、家計支出調査の結果とも整合的な水準であるし、10年おきに実施される家畜センサスの結果に表れた中期的な産出量のトレンドもある程度信頼できる。成長率の毎年の変動がほとんど情報を持たないといっているだけである。






 

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3.3.新手法による時系列の修正


新・旧両系列の整合性について、さらに検討を加えるために、新手法のデータから、旧手法の定義にできるだけ近い付加価値系列を試算してみよう(表7表8)。旧手法による系列を(1)、新手法による系列を(2)とする。耕種(主要作物)部門の新手法の付加価値については、副産物の産出額を差し引き、投入財の中の「耕起・砕土・播種費」を加える。耕種(副次作物)部門では産出額のうち飼料作物を完全に除去し、投入財の中の「耕起・砕土・播種費」を加える。畜産部門では、畜役の産出額を差し引き、投入財使用額を加える。これらの調整により、旧手法の定義にかなり近い修正系列(3)を作ることができる。ただし、畜産部門については新手法での品目計上数がかなり増えており、それらの新しい品目が旧手法では「その他」の項目に計上されていたのか無視されていたのか不明のため12)、両方の想定のもとで調整した系列を作る(前者の想定が系列(3)、後者の想定が系列(4))。

表1表2でその乖離を問題とした名目付加価値の修正結果は、予想外の結果となっている(表7図1)。つまり、耕種(主要作物)部門は旧手法による推計値がやや大きくなっていたが、修正によってむしろその差が開き、5から8%もの乖離が生じてしまった。逆に旧手法による数値のほうがかなり小さかった畜産部門の場合、修正によってさらに小さくなってしまう。耕種(副次作物)部門においては修正系列のほうが旧系列に近い値となっている。なお、畜産部門の場合、その実質産出額が機械的な外捜によって得られているため、名目値での乖離度は対象年を通じてほぼ水平となっており(図1)、その乖離の主な原因は基準年次の変更による構成品目間の相対価格の違いであると結論できる。三つのサブセクターを合計した場合、耕種(主要作物)と畜産での乖離の拡大が、耕種(副次作物)での乖離の縮小を大幅に上回るため、修正系列の利用は新旧両手法による絶対値での乖離を拡大する結果となった。言い換えると、新旧両手法間の乖離は、概念定義上の差違よりはむしろ基礎データベースの推計方法や基準年次の違いによって生じていることが示されたわけである。

では、実質値で見た場合、修正系列(3)ないし(4)の動き方は、報告されている新手法の系列(2)に比べてどうであろうか(表8図2)。図から明らかなように、修正を施した系列(3)ないし(4)の動きはほぼ完全に修正前の系列(2)と連動していて、修正の実質成長率への影響はほとんど見られない。新系列(2)と旧系列(1)での実質成長率のパターンがかなり異なり、かつ名目値の絶対値では修正系列(3)が、より旧系列(1)に近くなっていた耕種(副次作物)でも、修正系列(3)の成長率の動き方が修正前(2)と全く変らないのは実に残念な結果であった。このような結果になったのは、修正された項目の多くが、厳密に推計することが困難なためにベンチマーク法などの便法で推計されており、もともとあまり変動しない項目であったことによるものと思われる。つまり、新系列に定義上の修正を施して旧系列の定義に近づける作業は、労多くしてあまり実のない作業だと結論せざるを得ない。






 

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3.4.耕種部門の産出額、付加価値と生産量


農業部門の付加価値を構成する各要素の中で、耕種部門の中間投入財、および畜産部門の産出額・中間投入財のデータは、耕種部門の産出額と比べて信頼度が劣ることが推計方法(付録参照)から推測される。そこで、ここでは、耕種部門の産出額データに焦点を当て、農業統計から得られる主要作物の生産量データと、国民経済計算に現れる産出額、および付加価値の三系列の間の関係を検討しよう。三者の間に密接な関係が見出されれば、耕種部門の付加価値が長期的にどう変動してきたかを検討するための代理変数として、植民地期から豊富に蓄積された農業生産統計を用いることができ、より長期の経済分析が可能になるからである。

まず、主要作物、副次作物それぞれの産出額の系列が、新手法と旧手法とでどのくらい一致しているかを検討しよう(表9表10)。名目値ベースの産出額の絶対値は本来一致すべきであるので、旧手法系列での数字が新手法の数字よりもどれだけ乖離しているかを示したのが表の上半分である。実質値ベースの産出額は個別品目のレベルでは本来完全に連動すべきであるので、旧手法系列での数字の新手法に対する比率を表の下半分にとり、その値が安定的かどうかを検討する。

主要作物について名目値ベースで見た場合(表9)、データが得られる期間については、データの信頼度が低い1987/88年度を除いて、米、小麦以外の10品目で乖離率がおおよそ4%となっている。つまり、旧手法における産出額4%調整が新手法での副産物の部分にほぼ対応していたことがわかる。言い換えれば、米、小麦以外の10品目の名目産出額はほぼ一致した時系列と見てよいことになる。米については品種間の価格格差計算方式の違いゆえに乖離が生じたと思われる。小麦の乖離の原因は不明である。実質値ベースの比率はほぼ一定である。つまり、主要作物の産出額データは新旧両手法間で、ほぼ整合的だと結論できる。したがって、耕種(主要作物)部門の付加価値の絶対額が新旧両手法の間で乖離している主な原因は、基準年次の変更による相対価格の変化および投入財推計におけるデータベースの改善にあることが確認されたことになる。

一方、副次作物の場合(表10)、名目値ベースの乖離度は0でもなければ4%でもない。品目により、年次によりバラバラな動きが見られる。実質値ベースの比率も主要作物のそれに比べると変動が大きい。つまり、副次作物の産出額データは新旧両手法間での整合性が低く、そのことが新旧両手法間の付加価値乖離の重要な原因の一つになっていると結論できる。

表11に農業統計から得られる主要作物の生産量を載せる。この系列を各作物ごとに比べると、新旧両手法の主要作物実質産出額データに対して一定の比率で動いていることが確認できる。ただし最終1987/88年度については若干ずれが大きいため、それを除いた7年間についてインプリシットな固定価格を計算し、その平均を表の最右コラムに記した。二十数年間の間に主要作物間の相対価格が大きく変化していることが確認できる。1959/60年度には主食の小麦の価格は大麦、トウジンビエ、ソルガム、メイズの雑穀グループよりもかなり高かったのに、1980/81年度にはこの関係が逆転している。ヒヨコマメ(Gram)の価格が相対的には最も大きく上昇した。

表11の固定価格を用いて1947/48年度以降の主要7作物(小麦、綿花、米、サトウキビ、大麦、メイズ、ヒヨコマメ)の実質産出額を試算した結果を表12に記す。この7作物で、耕種(主要作物)部門12作物の総産出額のおよそ95%を占める(付表4、1980/81年度参照)。この実質産出額は二通りの相対価格を用いて求めたが、図3に示すように、絶対水準、変化率ともに付加価値の系列と非常に強く連動している。このため、1980/81年度を境にしたリンク系列、すなわち1979/80年度以前は1959/60固定価格表示系列を1980/81価格に換算した値、1980/81年度以後は1980/81固定価格表示系列の二つをつないで一本の時系列にしたものを表12の(5)、(6)コラムに掲載する。

この7品目の実質産出額は、耕種(主要作物)部門の付加価値に比べ、中間投入財を無視している分だけ過大評価、マイナーな5作物の産出額が入っていない分だけ過小評価になっている。そこで7品目の実質産出額試算値の付加価値に対する比率をとったところ(図4、上半分)、1960年代半ばまではどちらかといえば過小評価気味だったのが、1960年代末から1980年代初めにかけて比率が確実に上昇して過大評価が定着、その後は10数%の過大評価で安定している。この変化は、緑の革命技術の普及によって化学肥料などの購入投入財の使用が急増したことを反映している。他方、実質産出額試算値と耕種(主要作物)部門付加価値の毎年の伸び率は見事に連動している(図4、下半分)。表12の(5)、(6)コラムの二系列間の相関係数を計算すると、水準で0.998、変化率で0.969ときわめて高い。

以上の分析結果は、現パキスタン地域の経済成長のパターンを植民地期にまで溯って分析するための基礎データとして、表12のような主要作物実質産出額の指数が使えることを示唆しよう。もちろん、1959/60年度の相対価格をあまり初期の時期にまで当てはめるには無理があるから、物価統計などを利用して固定価格の基準を植民地期の適当な時期にも作ることが望ましいのは言うまでもない。いずれにしても、豊富に存在する植民地期の農業統計を独立後の国民所得計算と関連した形で用いることの目処が立った意義は大きい。






 

8) パキスタンの有畜農業の特色とその経済的意味については黒崎(1995a)、Kurosaki (1995b)などを参照のこと。






 

9) Kurosaki (forthcoming, Ch.2, Ch.3)でこれらの変化の具体的な事例がパンジャーブ州について紹介されている。






 

10) ちなみに、パキスタン同様、有畜農業が重要であるインドの現行の国民経済計算においては、飼料作物の産出額については市場評価での帰属計算により全生産量を耕種部門の産出額に加える反面、役畜の帰属価値は畜産部門の産出額に全く加えないという、パキスタンの新手法・旧手法の中間の方式を採用している(GOI, 1994)。






 

11) パキスタンにおける伝統的な作物単収推計方法は、イギリス植民地時代から続くアンナワーリー(Annawari)と呼ばれる主観的方法である。これは、村の地税査定役人が作物の出来を主観的に判断して、その出来を、平年作を16アンナ(=1ルピー)とした指数で報告し、その数字を集計してその年の作物の単収を推計する方法である。例えば、ある年の作物の出来が平年の25%減と見積もられる場合、12アンナと報告される。他方、ランダム標本調査に基づく坪刈は、客観的な作物単収推計方法として、徐々にその利用が広まっている。1990年代初期の数字では、坪刈調査は小麦作付面積の96%、米の91%、さとうきびの64%、綿花の100%をカバーしており、これは耕種(主要作物)部門の総産出額の82.5%に相当する。ただし、この四作物以外のすべての作物の単収は、主観的なアンナワーリーにいまだ依っている。なおこの注でのデータの出所は1996年1月のパキスタン食糧・農業省内部での聴き取りである。






 

12) これは、歴史的生産統計を扱う場合の、いわゆる「新品目の登場」問題に相当し、新規項目の生産がそれまでの「その他」に含まれていたのかいないのか、統計の連続性などから慎重に判断する必要がある(溝口 1996, pp.7-8)。このパキスタンの事例では、新規品目の1979/80年度以前の生産量推計値が手に入らないために、本文のように両方の仮定で二通りの修正を施した。