3.長期系列の学説史的系譜


1).長期系列の二系譜

2).前提と限界












1).長期系列の二系譜

LTESの有用性は、われわれが共有する既存の知的財産によってすでに十分証明ずみである。LTESとしてここで念頭に浮かべているのは、たとえば、

(A)

Feinstein,Charles H. 1972. National Income,Expenditure and Output of the United Kingdom, 1855-1965. Canbridge University Press.

Kendrick, John W. 1961. Productivity Trends in the United States. A N.B.E.R. Study. Princeton: Princeton University Press.

久保 亨. 1995.『中国経済100年の歩み;統計資料で見る中国近現代経済史』第2版. 福岡市:創研出版.

Kuznets,Simon. Assisted by Elizabeth Jenks.1961. Capital in the American Economy, Its Formation and Financing. A N.B.E.R. Study. Princeton: Princeton University Press.

Maddison, Angus. 1995. Monitoring the World Economuy 1820-1992. Paris: O.E.C.D.

溝口敏行・梅村又次(編). 1988.『旧日本植民地経済統計、推計と分析』東京:東 洋経済新報社.

Mukherjee, M. 1969. National Income of India, Trends and Structure. Calcutta: Statisitcal Publishing Society.

大川一司・篠原三代平・梅村又次(編). 1965〜88.『長期経済統計、推計と分析』 13巻.東京:東洋経済新報社(英文要旨: Ohkawa, Kazushi and Miyohei Shinohara. eds. with Larry Meissner. 1979. Patterns of Japanese Economic Development, A Quantitative Appraisal. New Haven and London: Yale University Press).
などの業績である。

長期の歴史統計を精力的に編纂して世に提供したものには、上記の諸業績のほかにも、

(B)

朝日新聞社. 1930.『日本経済統計総覧』大阪:朝日新聞社.

後藤新一. 1970. 『日本の金融統計』東京:東洋経済新報社.

Minakir, Pavel A. ed. Edited and Translated by Gregory L. Freeze. 1994.
  The Russian Far East, An Economic Handbook. Armork, N.Y. and London:
M.E. Sharpe(望月喜平・永山貞則(監訳).1994.『ロシア極東経済総覧』東京:東洋経済新報社).

Mitchell, B. R., with the Collaboration of Phyllis Deane.1962. Abstract of Brisith Historical Statistics. Cambridge:Cambridge University Press.

Mitchell, B. R. and H. G. Jones. 1971. Second Abstract of Brisith Historical Statistics. Cabmridge: Cambridge University Press.

Mitchell,B. R. 1992. International Historical Statistics; Europe 1750-1988. 3rd ed. London: Macmillan.

Mitchell, B. R. 1993. International Historical Statistics; The Americas 1750-1988. 2nd ed. London: Macmillan.

Mitchell, B. R. 1995. International Historical Statistics; Africa, Asia and Oceania 1750-1988. 2nd edition. London: Macmillan.

日本銀行統計局. 1966.『明治以降本邦主要経済統計』東京:日本銀行統計局.

大内兵衛(監修). 1958.『日本経済統計集−明治大正昭和』東京:日本評論社.

労働運動史料委員会. 1959.『日本労働運動史料、第十巻、統計篇』東京:労働運動史料刊行委員会.

総務庁統計局(監修).1985.『国勢調査集大成、人口統計総覧』東京:東洋経済新報社.

統計総務庁統計局(監修).1987〜88.『日本長期統計総覧』5巻. 東京:日本統計協会.

東洋経済新報社. 1927.『明治大正国勢総覧』東京:東洋経済新報社.

東洋経済新報社. 1935.『日本貿易精覧』東京:東洋経済新報社.

東洋経済新報社. 1980.『昭和国勢総覧』上下.東京:東洋経済新報社.

U.S. Dept. of Commerce, Bureau of the Census.1965. Historical Statistics of the United States, Colonial Times to 1957; Continuation to 1962 and Revisions. Washington, D.C.: U.S. Government Printing Office.

Urquhart, M. C. and K. A. Buckley. 1965. Historical Statistics of Canada. Cambridge.
などがあり、それぞれにユニークで有用であるけれども、(A)群の諸業績に比べると、できるだけ多くの統計系列を収録するという方針のもとに編まれたもので、明確な一定の概念枠組み(frame of reference)の下に諸統計を統合したものではなく、歴史統計の百科事典という感が強い。

われわれのプロジェクトが目指すのは、(A)群の一種である。このグループの業績は、その下敷きとして、第2次世界大戦をはさんで、ヒックス(Hicks 1942)、ミードおよびストーン(Meade and Stone 1948)、クズネッツ(Kuznets 1959,1966, 1971)等が唱導した、マクロの国民経済計算(社会会計social accountsともいう)の概念体系をもつという共通の特徴がある。たとえば、クズネッツの学問的業績は、国民所得の勘定体系を背景に、彼のいわゆるMEG(modern economic growth、 近代経済成長)を叙述する統計を作成するところに力点がおかれている。ちなみに彼が近代経済成長というのは、人口の持続的増加の状態のもとで、科学技術の成果を意識的に取り入れつつ展開される持続的な経済成長のことである(Kuznets 1966, ch.1)。

クズネッツが推進したマクロの経済統計(国民経済計算、国民所得勘定、社会勘定)は、ケインズ革命の到来以降、とりわけ第2次世界大戦後、OECD加盟諸国を中心に世界に広まったものである。つまり、その普及は、ケインズ経済学の到来をきっかけとしていることが注意されるべきであろう。

もっとも、この意味でのマクロ的考察は、別にクズネッツの専売特許ではないし、ケインズ以後にかぎったものでもない。同様の考察はすでにアダム・スミスに始まっている。それだけではない。マクロ単位の経済バランスを考えたということならJ・B・セイもそうだし、カール・マルクスの再生産表式もしかりである。近代統計学の分野でいうなら、ウイリアム・ペティの政治算術もまさしくマクロ的な考察の帰結として誕生したのであった。ウィクセル、リストなどをも含めて、ヨーロッパの経済学には同様の傾向がみられる。ワルラスらが一般均衡論を生み出したときにも、アプローチは異なるとはいえ、社会全体の経済バランスが考えられていたという点では、マクロ的な考察と無関係ではない。もともと経済学は、天下国家を論ずる学問(ポリティカル・エコノミー)として出発したのだから、マクロ的傾向はその体系の基本的特徴の一つであった。それは、すでに重商主義の時代についてもすでにあてはまる「政治計算」の一表現だったのである。

このように考えると、マクロ的視角は、経済学の本質にかかわるものだといってもよい。その起源は、むしろきわめて古く、かくべつ近代の国民国家に対象がかぎられるわけでない。*1いずれにせよ、国民所得なる概念は、ケインズ経済学の専売物ではない。にもかかわらず、国民経済計算の勘定体系がもっと早く作られなかったのは、経済学の栄えたのがアングロ・アメリカ世界中心で、そこでは自律的な市場による暗黙の秩序が当然のこととされ、マクロ的な経済政策(とりわけ金融・財政政策)やその道具の整備にとりたてて努力する必要を認めなかったためかもしれない。










2).前提と限界

それはともかく、国民経済計算は(クズネッツの仕事を含めて)、国民国家の存立を暗黙の前提としている。利用されるデータは、マクロ経済政策と密接に関連する政府の指定統計である。考察も国単位に行われる(その意味での「マクロ」統計である)。

いま一つ、国民経済計算体系にとって重要かつ不可欠の前提は、市場価格(市場による経済価値の評価)がその道具立てだという点である。経済学の主題は価格の分析にあるのだから、これは当然といっていい。その結果として、通常市場取引の対象とされないもの(たとえば家事労働)は計算外におかれるし、逆に、社会的に本来不必要あるいは有害なものでも市場で売買されれば計上される。社会主義のように計画経済であった場合にも、擬制上の市場評価(計算価格)が価値基準の一つとして重要な役割を与えられるのであって、そのかぎりで価値計算が当然成立する。*2(もっとも、市場中心とはいっても非市場目的な財・サービスの取引が全く無視されているわけではもちろんない。)

ともあれ国民経済計算は、原則的に以上の二つの、容易に妥協を許さない強い主張の上に成立している。国民経済計算の意義はここにあり、その限界もまたここにある。*3だが、われわれは急いでつけ加えてよいだろう。それは、国民国家の概念は範囲の異なる他の地理的くくり方にも応用できるということであり、さらにまた、市場取引の概念から発して疑似的な市場価値の概念の採用も可能だということである。換言すれば、国民経済計算の諸概念は、(一定の限定つきでではあるが)ある程度の柔軟性をもって伸び縮みする。たとえば、ある地域が植民地として他国の統治下にあったとしても、その地域の経済に実態上のまとまりがあり、これを便宜上一つの独立的経済単位として扱っても意味があると判断されるならば、目的によっては、これを宗主国とは別の経済体系として扱う積極的な理由が成り立つ。

他方、市場経済の展開という点では比較的原初的な社会の経済活動も、経済発展という観点から固有の歴史的・社会的事情に周到な留意を払いつつ吟味するのであれば、(市場取引に直接かかわらない部分までも含めて)経済計算の対象としても十分意味のある場合がある。*4

これを要するに、国民経済計算は、完全に没価値的(wertfrei)ではないし、どのような意味でも唯一絶対のものではない。それのみならず、明瞭な限定のもとでその意味がもっとも明確な体系である。だから、厳密に言えば、この種の計算に社会的価値があるのは、その結果に対してわれわれが社会経済的な意味を与え得るときに限られるといってもよい。

しかし、本プロジェクトの究極の狙いは、必ずしも国民経済計算の枠に縛られるものではない。広域アジアの経済発展過程を一層深く理解するために、むしろこれらの前提と限界とをつきねけることこそが期待される。












*1

さしづめここで想起されるのは、シュンペーターの学説士である。それは、古代に始まっている。彼によれば、経済学の始祖は、スミスやセイではなく、もっと古くアリストテレス等々にまで遡らなくてはならない。家政学やカメラリズムなども、広い意味の経済学に含まれることになる。












*2

なお、レオンティエフの産業連関表は、このような価値概念とは独立の、純粋に技術的な「投入−産出(IO)関係」Kを表現するものだと言われるかもしれない。たしかに、IO表は、モノやサービスを作るときの材料(I)と産出物(O)との間の技術的・物的関係(たとえば、一人前のプレーン・オムレツを作るためには最低2個の鶏卵が必要だというような)に立脚している。けれども、IOの関係を、ある程度の集計レヴェルで(たとえば産業小分類段階で)表現しようとすれば、IとOのそれぞれを価値額で表現するほかはない。(価値尺度は、貨幣でなくても、労働や賃銀財などでもいい。)だから、微小ミクロのIO関係は別として、ある程度の集計的IO関係を表現しようとするなら、経済価値の助けを借りるほかはない。つまり、純粋の理論的世界は別として、現実に迫るための概念操作は、価値概念と無関係ではあり得ないのである。












*3

限界が明瞭なのは、むしろ一つの長所だというべきである。












*4

現代にあっても、たとえば農業生産物の自家消費分は、市場へは提供されないけれども国民経済計算で掌握されるし、持ち家の家賃は、(市場での相場を勘案して)帰属家賃を推定のうえ加算する建て前である。