「LTESのための国民経済計算」

                              石渡 茂(ICU)

 司会 時間がかなりタイトですので、このまま続けて、次の石渡先生のご報告に移りたいと思います。

 石渡(国際基督教大学) ICUの石渡です。

 今日は「LTESのための国民経済計算」というタイトルで、若干、私のやったこと、考えていることについて、皆様方のご参考になるかと思って準備をいたしました。

 初めに、この話を尾高さんから伺ったときには、もっと、極めてインフォーマルで簡単なものだと思ったものですから、簡単に引き受けてしまいまして、今日聞いていますと、これは大変なことだと感じて、若干コンセプショナル・ギャップがあったような感じを持っています。

 そのコンセプショナル・ギャップというのは2つありまして、「1.はじめに」というところで1つ書いてありますが、これはちょっと説明をしておきたいと思います。私は、LTESというのは固有名詞だと思ったわけです。すなわち、14巻の、大川先生を中心にとした作業がLTESというふうに訳されているというふうにずっと考えていたのですが、それ以後、一橋の経済研究所で長期統計の分析が進みまして、その一端につきましては溝口先生が先ほどお話しになりました。

 そういうことがあったことと、それから、このプロジェクト自体が実は、LTESという言葉を普通名詞化してしまうプロジェクトであるということを、今日のこの会議のプログラムをいただきましてやっとわかったという、そういう段階でお話をしているということを、まずお断りしておきたいと思います。

 これは、固有名詞のほうのLTESを若干担当した者にとっては、非常にうれしい発展です。先ほど尾高さんが「成功させたい。しかし、成功できる」というふうにおっしゃっていましたが、私もぜひ「成功できる」というように5年後になるように皆さんのご協力を得たいと思います。

 もう一つは、溝口先生の、それ以後の長期経済統計のお仕事のお話を伺っていて、私たちと決定的に違うものは何かというと、研究において大型のコンピュータを使ってデータベースをつくって、それから作業を始めるという、これは私たちがその前にやったのと基本的に違う。私たちがやったのは、せいぜいソロバンと簡単な電動計算機、それだけで作業したわけですから、作業環境が全く違ってきているということを考えました。そしてさらに、我々が現在いる段階というのは、ただ単に個々の大学にあるスタンドアローンのコンピュータを使うのではなくて、いわゆるネットワークを使って今後は作業していく。これだけいろいろな大学、いろいろな機関の人が集まって共同研究するわけですから、このネットワークをぜひ使って、効率よく作業を進めていくことが、多分、新しい研究方法を開拓する一つの大事な、もちろんアウトプットも大事ですが、その研究体制そのものが一つのチャレンジングなものであるというふうに、私はこのプロジェクトを現在の段階では評価している、ということを初めに申し上げておきたいと思います。

 本題に入りまして、『LTES』と言ったのが、14巻の、東洋経済から出ている長期経済統計でございますが、この歴史、皆様ご存じかと思いますが、この14巻が出る前に、私たちは「グルジェ(GRJE)」と、よくわからない言葉を大川先生からしばしば聞きまして、それが何であるかなんていうことを質問したら怒られますから、黙っていたら、それは、ここに書いてあります、大川先生以下の方がおやりになっている The Growth Rate of the Japanese Economy Since 1878 である。それをGRJEと言わないと、まずグループの一員にはなれない。これは、その前に、2番目に書いてあります、『日本経済の成長率』を英訳したというものですが、実際にはただ単に英訳したのではなくて、かなり計算もやり直したというふうに、これは梅村先生からお聞きしていますが、その基本になったのは、1956年の『日本経済の成長率』であった。

 そして、そんなに過去に遡る必要はないと思いまして、ここではそのほかに、山田雄三先生の『日本国民所得推計資料』というものだけを挙げておきましたが、山田先生は非常に謙虚でいらっしゃいますので、これを「編著」というふうにおっしゃっていますが、実際にはこれは推計作業で、先生が、過去のものを集めてさらに新しい推計をなさっているものである。したがって、GRJEの出発点はたぶん、この山田先生の作業の検討から始まっていたんだろうと思います。私は、そこははっきりは知りませんが。

 『LTES』の枠組みについてでございますが、これは先ほど既に溝口先生からいろいろお話が出ておりますが、国民所得勘定に依存している。国内と国民がはっきり分かれてないじゃないかというコメントがありましたが、それから、在庫変動が推計されてないじゃないかとか、いろいろなコメントが出ておりますが、国民所得勘定に大きく依存している。

 それで、国民所得勘定自体は、生産面からの接近がほとんどでした。生産面からの接近、これはLTESだけではなくて、現在ある多くの国、特に発展途上国においては、現在でも生産面からの接近が多くて、したがって、GDPで要素費用表示という形になっているものが多い。

 それがだんだん、生産面だけでは駄目で、支出面との両面から接近していくというふうに拡大されまして、いま、これがLTESにおいて初めて可能になったというふうに私は理解しております。

 GRJEの段階というのは、完全に生産面から第一次産業、第二次産業、第三次産業。それで、先ほど溝口先生のお話にもありましたが、第一次、第二次というのは物を生産していますから、割合に基礎統計がしっかりしていますが、第三次になりますと、これは、いわゆるインターンディブルな、サービスですから、これについての推計というのは、この方法論の一番弱いところであるというところは変わりない。したがって、発展途上国の多くの統計、政府統計いろいろございますが、ここのあたりが一番弱いというのはやむを得ないことで、私はバングラデシュ等々についてやった経験がありますが、生産面からのアプローチの課題です。

 LTESの枠組みにつきましてはこれ以上お話しすることがないので、「IV.異なる方法による相互チェック」に移ります。クズネッツ先生のいろいろな作業を見ておりますと、必ず、彼は、1つの方法で推計することは危険であって、2つ以上の異なった資料を使った、異なった方法で推計をして、その相互チェックをするということを、別にそういう言葉で言っているわけではないですが、彼の作業を見ていますと常にそういうものがあらわれている。ここでは関係ありませんが、例えばPPP(Purchasing Power Parity )の計算をする場合でも、いまでは支出面がほとんどを占めていますが、50年代の初めにやったときのアイディアとしては、生産面からもアプローチしなくてはいけないということを彼は言っておりまして、そういう考え方で、ほかの人の論文等も、Income and Wealth の初期のものには出ております。これは、基礎資料が限られておりますし、私たちができることは限られておりますが、やはり相互チェックをしていかないと、特に新しい推計をする場合には、暗中模索で何も指標がない。羅針盤がなくて、海図がなくて航海をするようなものですから、そうすると、自分自身で2つの点を持たないと自分の位置がはっきりわかってこないという、そういうことだろうというふうに私自身は考えております。

 その例としましては、LTESにおきましては、国民所得という第1巻、これは最後のほうにまとめられて、大川先生が盛んに研究室でおやりになったことは、生産と支出と両方出てきて、一体何%の差があるか。その差の大きいものについてはどこに問題があるかということをチェックされて、5%ルールであったかどうか、そのあたりははっきりしませんが、できるだけそれを小さくするというふうに全体の作業の改定をする。その中の1例として、梅村先生と山田さんのおやりになった「農業の資本ストック」、それから、フローを出すところなんかはかなり、後で亡くなられた高松さんがおやりになっていたということをそばで見ております。

 『LTES』で一番最後に何をやったかということですが、これはたぶん、今度のプロジェクトでも、出てきたものをそういう形で、何らかの形でチェックするということはしておいたほうがいいと思いますので、これは今後の課題としていただきたいと思います。 2番目として、「コモ法」と書きましたが、溝口先生が先ほどから何回もおっしゃっている Commodity Flow Mathod、クズネッツ先生がおやりになったものです。これで資本形成の物的なチェックをする。国内生産に輸入を加えて、輸出を引いて、あと、フライト・アンド・ディストリビューションの比率を掛けて、マーケットプライスで資本形成を出すというのがこの方法です。

 同時に、ゴールドスミス先生がおやりになった、金融面からの接近法というのがもう一つあります。『The Study of Saving 』という3巻の大きな、大変なもので、私が「資本ストック」の作業を始めるときに、あれはぜひ読めというので検討しましたけど、大変なもので、簡単に言いますと、フットノートが出ているからそれを見ると、「次のフットノートを見ろ」、次のフットノートを見るとまた「次フットノートを見ろ」と書いてあって、最終的には答えがないということが、フットノートを2030見て初めてわかるという、そういうひどい、ひどいと言うのは申しわけないですが。これは共同作業でやってゴールドスミス先生がまとめたものですから、彼のほかのものはもっとコンシステントであると思いますが、共同でやりますとそういうことが起こりやすくなりますので、その点もぜひ気をつけて、利用者として利用しやすいようなパブリケーションをぜひ考えていただきたい。私自身がそういう問題のものをつくっていますから、欠陥商品をつくっているのであまり申し上げられませんが、やはり、そういうことでプロジェクトの全体のクオリティが上がるのだろうというふうに考えておりますので、その点をひとつよろしくお願いします。

 3番目の「フローとストック」。これは、資本形成と資本ストックのところが一番はっきりわかるわけで、『LTES』では、この点で、大体独立にそれぞれの人がやりましたので、もちろん個人的に相互に情報の交換とか方法論の交換というのはやっておりましたが、やはり最終的になりますと、どういう判断をするかという作業者の判断というものは優先せざるを得ない。そういう問題はこのプロジェクトにも出てくると思いますが、そういうところで若干の誤差が出るということは、これは、アカデミックフリーダムでやっぱりやむを得ないかなという感じはします。しかし、システムとしては、このところをちゃんとしておくということは大切だと思います。

 「資本形成と資本ストック」というと、ちょっと説明をしなければいけませんが、一番わかりやすいのは、ストックとフローの関係は、人口統計のところで、静態人口と動態人口のコンシステンシーの問題というのは常に出てきていますが、このところと全く、形式的には同じであるというふうにお考えいただいて、ストックとフローというものが問題になるところでは、そのことは一度チェックする必要があると思います。

 ストックとフローをもっと大々的にチェックするというのは、ナショナルバランスシート、国民貸借対照表というもので現在のSNAはやっているわけです。私は、だからストックの推計もぜひやれなんていうことを言っているのではありません。長期統計で、しかも、このプロジェクトで課題にしているような国や地域を対象にした場合は、ストックは多分無理だとは思いますが、相互チェックということを考える場合の1つの分野として、国民経済計算の中にはその問題があるということだけの指摘としてお聞きいただければと思います。

 4番目のベンチマークにつきましては、先ほど、国民所得統計の改良のためには、IO表の推計によるチェックが必要であるということを溝口先生おっしゃっていましたが、それはまさにそのとおりでして、日本につきましても、産業連関表は5年ごとに作成されておりまして、それによってフロー統計が修正されるということが行われております。これはぜひ、産業連関表のある国につきましては、ぜひこのことはやっていただきたいと思います。

 国勢調査につきましては、先ほど申し上げましたからここで申し上げる必要はないと思います。

 先日、インドネシアにつきましてのペーパーを尾高さんから送っていただきました中では、産業連関表によるチェックというものが、戦後につきまして議論されております。

 それから、資本関係につきましては、国富調査というものが、ベンチマークの統計としてぜひ必要であるというふうに言っているのですが、SNAができまして、国民貸借対照表ができたために、統計としては毎年その数字が得られるものですから、日本では1965年以来調査が行われておりません。戦後だけでも本格的な国富調査というのは55年と65年の2年だけで、それ以後行われていない。政府の官庁間のいろいろな問題がありますし、それから、国富調査そのものは大変膨大なものでして、それからプライバシーの問題があって、どういうふうにレポートを要求するか、特に企業に対して、国勢調査以上に難しい問題があって、調査環境は明らかに悪くなっておりますから、今後行われるかどうかわかりません。

 国富調査が行われている国というのは、このプロジェクトのカバーしている国・地域では、多分、ほとんどないだろうと思います。韓国が一度やろうとして、内容についてクレームがついて、調査はされたようですが公表されなかったということを聞いております。そういうような問題も含んでおります。

 お配りした資料の3枚目の図については、時間がありましたら説明したいと思います。 次に移りたいと思います。「LTESと国民経済体系」。SNA(System of National Accounts )というふうに呼んでおりますが、この場合のLTESは、『』をつけるのを忘れただけで、相変わらず『LTES』であるというふうに私自身は考えていましたが、いまの段階ではつける必要がないかなというふうに思っています。

 SNAの展開としましては、現行体系というのは1968年SNA、私たちは「新SNA」というふうに呼んでいます。いまは現行体系で、さらに1993年のSNAができたものですから、それが一番新しい体系なので、「新々SNA」というふうに呼ばなければいけなくなってしまったものですから、旧SNA、新SNAという言葉は最近はあまり使われませんで、年度で、「1953年SNA」、「68年SNA」「93年SNA」と呼んでいます。

 53年のSNAというのは非常に薄くて、簡単なものです。68年は、ブルーブックと言っていますが、だいぶ厚くなりました。でも1冊で収まりました。93年というのは、1冊が63年のよりはるかに大きい判になって厚くなりました。しかも2冊になってしまいました。国連が非常にプロダクティブであったというふうに評価するのか、あるいは、これは一種の公害であるというふうに言うべきか判断はいろいろあると思いますが、93年にできたものにつきましては、検討が始まったのはたぶん91年ごろで、それより前から既に改訂すべきだという話が出ておりました。91年ごろから企画庁で、「特別研究会」というものができまして、私もメンバーで2年ほどそれに参加して、93年のものができてからは、いまは、どうやって現行体系から93年体系に移るかというところの議論で、勘定委員会というのが一番大もとなのですが、そこのところで、もう6回目ぐらいの会議をやっていますが、ほぼ全般についての議論が終わったというのが現状です。「93年SNA」にどうやって移るかというのは、これからさらに何年かかかると思いますので、日本の国民経済計算年報、あるいは季報が本格的に新しいシステムに移るには、まだしばらく時間がかかるだろうと思います。

 1953年、68年は非常に大きく変わりました。これについては、私は高く評価しています。特に、53年というのは、皆さん方が多分、今後の作業の中で一番、勘定としてはお使いになると思いますが、いわゆる国民所得勘定だけです。

 そして68年になりますと、これに、さらにいろいろなものがつけ加わりました。1つは、産業連関表というものが取り組まれる。細かく言いますと、もう少し産業連関表につきましてもあるのですが、いまここでは省かせていただきます。

 もう一つは、フローだけではなくてストックが加わる。いわゆる、先ほどから申し上げております、国民貸借対照表という勘定が加わりまして、ストックとフローの関係を占める勘定が加わった。この中にはマネーフロー表とかいうものが当然入ってくるわけです。これは、経済学の中で分析が、国民所得、いわゆるマクロ経済からIO分析というふうに移っていって、さらに、実物面だけではいけなくて、金融面についても分析が必要であるというような、経済学の分析自体も視点のシフトがありましたが、それに応じて、そういうものに取り組んだという形で、1968年SNA作業のリーダーの1人はストーンという教授ですが、彼が、多分この報告書の半分ぐらいのドラフトを書いているというふうに言われていますので、彼の考え方がこのシステム全体に影響している、というふうに言われております。

 93年は、いろいろな方がリーダーだというふうに言われていますが、ストーンに代るような大きなフィギュアはないというのが私の判断です。その結果何が起こったかというと、ソビエトの崩壊ではありませんけれど、群雄割拠が起こりまして、それぞれが主張したから先ほど言ったように、2ボリュームのすごく大きなものになってしまったのではないかと私は考えております。

 余談ですけれど、93年のSNAへの転換について、私もまだそのボリュームを全部読んでいるわけではありませんから、全体の評価については申し上げられませんが、感想として、特に私の場合には、国民貸借対照表の実物面を中心にやっているものですから、全体の評価については難しいのですが、53年、68年のときには、ソーシャル・アカウンティングはビジネス・アカウンティングとは違うのだというところがはっきり意識されていた。用語などにつきましても、したがって随分、会計学で使われたものを排除しまして、新しい用語を使ってきたというふうに私は理解しておりまして、そのスタンスは非常に大切だというふうに私自身は考えているのですが、93年の改訂は、また、ビジネス・アカウンティングに戻ってしまっている、というのが私の強い印象です。

 例えば、資本形成はそのまま「キャピタルフォーメーション」という言葉を使っていますが、「資産」という言葉が使われています。「資産」という言葉については、実は、LTESのボリューム3の『資本ストック』をつくるときに、大川先生と本の題名をどうするかということで何回か議論したことがあったのです。それで、大川先生の提案は「国民資産」とすべきである、というふうに言われたのです。私はそれに対して、最近の経済学の本で、国民資産という言葉を使っているものはない。当時は私も若かったですから、漢字とカナが一緒になるというのは非常に新しい、インプレッシブな感じを与えるものですから、「資本ストック」はどうでしょうかというふうに言って、強引に押し切って「資本ストック」というふうにしてしまったのです。その前までは、英語でも「ストック・オブ・キャピタル」という言葉は比較的多いのですが、「キャピタル・ストック」というのはあまり英語の文献の中にも出てきていませんので、本当は心配だったんですが、「資本ストック」にしてよかったと思います。ただ、その後、昭和一桁代の日本の翻訳書等々を読んでいますと、「国民資産」という言葉を使って翻訳している人がいるんですね。そのときは知らなかったものですから、そういう人の作業を無視してしまって「資本ストック」という言葉を使ってしまいましたが。

 そういういきさつがあるものですから、「資産」ということになりますと、これは大変私はショックでして、これは明らかに後退しているというふうに思っていましたら、日経の「やさしい経済学」で、宮川さんが、「ストックと言うからいけないので、資産というふうに言わなくてはいけない」というふうに書いてあるので二重のショックを受けまして。彼は私よりはるかに先輩だからそういうふうに言っているのかどうかよくわかりませんが、こういう言葉一つ一つの翻訳というか、新しいものをつくる場合には、そういういろいろな話がありますが、「ストック」は私には懐しいものですから、ぜひ使いたいと思うのですが、企画庁が出している『国民経済計算年報』からは「ストック」という言葉は、「ストック系列」という言葉以外にはどこにも使われていません。非常に残念だと思っています。

 もう一つ、ついでですからお話ししますと、LTES第1巻の『国民所得』をご覧になるとすぐわかりますが、「総国民生産」という言葉は使っていません。「粗国民生産」というふうに使っています。これは大川先生の持論でして、「あれは誤訳である。だから、おまえたちもそういうものを使わないように」というふうに言われていますが、残念ながら、企画庁の影響力は非常に強いものですから、あそこは全部「総」を使っています。ある時期は、一時、資本形成については「粗資本形成」と「純資本形成」という言葉を使った時期があるのですが、また元に戻ってしまったというか、「総」を使うようになってしまっています。

 SNAの会議で一番モメるのは、用語をどうするか。これは、10人集まれば10人違った用語を使いたがるものですから、それを統一するというのは非常に難しいです。あとは官僚的にまとめてしまうという形で進んでいますが、多分、このプロジェクトでも、用語について、できるだけ、同じものについては同じ用語を使うという、用語の統一ということをある段階で初めからやっておかないと混乱が起きる可能性があると思いますので、これは尾高さんへの課題ですが、ジェネラルマネージャーとして、統一をお願いしたいと思います。

 『LTES』の時代というのは、ほとんど、60年代の中ごろまでにできたものですから、現行のSNAには全く依拠してなくて、その前の、一番初めの、1953年SNAの体系に依拠しているということをぜひ覚えておいていただきたいと思います。

 このプロジェクトで、ではどうするかという問題は多分あると思いますが、いま大部分の作業は多分、1953年のSNAで問題はないのではないかというふうに私は考えております。

 ただ、もちろん、産業連関表とかもっと新しいもの、それから、53年ではいろいろ問題が残っていたもので68年にSNAで解決したもの等々ございますから、完全に現行SNA体系でなくて53年にするというふうにはいかないと思いますが、その辺につきましても、一度皆さんにお考えいただいて、共通の理解をお持ちになるということが、このプロジェクトのコンセステンシーの上で必要になるだろうと思います。

 2ページに移りまして、これはLTESに参加した山本さんが今日いらしていますが、2人きりですので、若干、先輩の先生方の作業を評価するという意味でここにつけ加えておきました。というのは、『LTES』の作業というのは、決して国民所得勘定だけに固執したのではない。その範囲内だけのことをやったのではなくて、それ以外に、それを超えて、いろいろな経済分析上必要な基礎資料についての作業が行われたということをここに申し上げてあるわけです。先ほど、溝口先生はSSDSのお話をされましたが、現行のSNAの中にも、サテライト勘定等々において、いま主に環境指数ですが、それ以外に人口、労働とか、関連するものを入れていく体系というものが考えられています。

 そういう動きの中で、LTESはかなり先駆けとしていろいろなことをやっているということを皆さん方にちょっと関心を持っていただきたいと思いまして加えました。

 第1番目は、第2巻の『人口と労働力』です。多分、このプロジェクトにおきましてもこの統計は集めていただくようになると思います。

 その次には、産業別の作業です。LTESですと第9巻の『農林業』、第10巻の『鉱工業』、第11巻の『繊維工業』、第12巻の『鉄道と電力』。これはもちろん第一次産業から第三次産業、全産業をカバーするものではありませんが、主要なものについて作業は行われています。それで、この作業は多分、『LTES』の次の段階として、梅村先生などはやれというふうに言っておられましたが、産業連関表をつくるということですね、LTESをもとにして。もちろんこれだけの作業でできるとは思いません。もっと大変な作業量になると思いますが。それで、今日いらっしゃっていると思いますが、新谷さんが産業連関表の分析を若干おやりになっていますが、あれは、一つの作業として非常に重要な視点だと思いますが、本格的な統計として、産業連関表をつくってみる。何年につくるかというようなことについては、つくる段階で検討が必要だと思いますが、これをつくって、もう一度LTESの推計作業を考え直してみるということが、もし『LTES』の改訂があるとすればやらなければならない一つの重要なものであるというふうに私は聞いております。

 そのほかに、第3巻『資本ストック』と、第4巻『資本形成』、第5巻『貯蓄と通貨』があります。これをもとにして、先ほど申し上げました「国民貸借対照表」というようなものをつくってみるということ。ワーキング・ペーパーで、ゴールドスミスさんが日本に来たときにつくったものが、戦後だけだったか、資料をチェックしてこなかったので記憶が不正確ですが、その作業は既に行われていますので、これをつくるということは、LTESの改訂というか、次の作業として重要なものであるというふうに私は位置づけております。

 そのほかに、『物価』というのが第8巻であります。これは、SNAの中で価格尺度、それから数量尺度というふうに金額を、プライスとクオンティティに分ける、クオンティティメジャーとプライスメジャーに分けるという議論がされていまして、そういうものの一つの先駆けになっているというふうに考えています。

 先ほどの溝口先生の作業で言いますと、例えば、戦前にも統計があって、戦後とリンクする場合の物量指数を、クオンティティ・インデックスをつくってつなぐというようなときには、このことが1つの問題点になってくるというか、1つの中心点になってくる。そのための1つの基礎的な作業であるというふうに私は考えております。

 そういった意味で、14巻からなる『LTES』というのは、現行、あるいは新しくできた93年SNAにかなりチャレンジングな作業であったというふうに私は評価しております。 資料の「図1 平均資本=労働比率の比較」です。A系列、B系列、C系列というふうにあって、これは何をやったかと言いますと、フェイニラニスの、『Development of the Labor Surplus Economy』という本、その前にAERで論文が出ました。その中で、キャピタル・シャロウイングとキャピタル・ディープニングという議論をしている。そして日本が、キャピタル・シャロウイング、キャピタル・ディープニングを経験した国の1つである。もう1つ、インドの例が出ている。そのうちの日本についての統計についての検討です。キャピタル・シャロウイングというのは、経済発展の初期においては、ファクター・エンドウメントにおいて、資本が非常に不足して、労働力が過剰である。ですから、労働使用的(資本節約的)な技術がもし利用可能であれば、他の事情が等しい限り経済発展がしやすいという、そういうフレームワークの議論であろうと思います。日本はまさにそういうことをやったというのが1つの議論。

 もう1つは、これは南さんとの議論ですけれども、日本の労働市場のターニング・ポイントがどこにあるかということで、この議論の主流はもちろん実質賃金が上がったか上がらないかというところがメルクマールになっているわけですが、もう1つ、キャピタル・シャロウイングとディープニングの問題が関連しているというふうに私は判断しているわけです。

 まず1930年の国富調査を使いましてベンチマークをつくっている。それに江見=ロゾフスキー推計の非農業の資本形成を実質化して10%減じて、30年からずっと引いていくと、戦前についての資本ストックが得られる。そして、その当時得られた非農業の労働力で割ったものが、ここで言うA系列の平均資本労働比率になっているわけです。

 今日お配りしたのは、私のパソコンの数値計算では、3系列を入れるとこのようにしか描けないので、縦のグラフをもう少し広く取りますと、はっきりとU字型をするのがよくわかるのですが、18年から19年に一つの谷があるというふうなことから、ここを労働過剰経済から労働不足経済に移ったんだというふうな議論をフェイニラニスさんはしているわけです。

 この資本ストックの推計方法を、私たちはベンチマーク・イヤー・メソッドというふうに呼んでいます。ベンチマークにストックをとって、それにフローを積み上げていって、ベンチマーク以外の年度のストックを推計する、ということをやっているわけです。この場合には、1つのベンチマーク、1930年だけを使っていますから、シングル・ベンチマーク・イヤー・メソッド。実際に、日本の戦後の企画庁の推計などでは、ベンチマークを複数とる。これは国富調査の統計がありますから、それを複数とってやるということをしているわけです。

 系列Bと系列Cは、10%の減価率を20%にしたのが小さなドットです。大きなドット、C系列は30%減じた場合。それだけのことをやって、ほかのことは同じというふうにしてA系列と比較しますと、30%も減価されるということは長期的にはあり得ませんから、ないのですが、こういうベンチマーク・イヤー法の難しい点は、ベンチマークを1つだけとってやりますと、こういう比率にした場合でも、資本形成の減価の仕方によって全く違ったイメージが与えられる。B系列においても、これはほとんどキャピタル・シャロウイングはないという結果になります。

 ついでですが、「資本ストック」LTESの第3巻での結果では、明らかに、パフォーマンスとしてはここでのC系列と同じように、キャピタル・シャロウイングはないというのが結論です。

 私がここで申し上げたいのは、先ほどの異なる方法による相互チェックということですが、フローを積み上げただけでやるということは、かなり難しい問題を含んでいるということを申し上げている。それはなぜかといいますと、あるときに、アメリカの大学院の学生だと思いますが、私のところに論文のコピーを送ってきて、「これを評価しろ。私の大学院の何かの試験に影響するんだから気をつけて見ろ」。私は一度も会ったこともないのに、アメリカの学生はこういうことをやるんだなと思いながら一応読みました。それで一番ショックだったのは、LTESの第3巻の、ストックを全部フローにして、それをパーペチュアル・インベントリー法で全部推計し直したというんです。そのほうがコンシステントでいいというんです。そのことについて評価しろと私に持ってきた。私はすぐ手紙を書きまして、「こういう方法についてはいろいろ問題があって私としては評価できない」。 第3巻を読んでいただくとよくわかると思いますが、基礎資料がいろいろ違うわけです。あるものはストックでしか物量統計がないわけです。それに依存した場合には、私はやはり、ストックをそのまま評価してストックを出したほうがよいと判断しています。それを、物量をフローにして、またそれを金額に直して積み上げて、パーペチュアル・インベントリーでストックを出していくという方法は問題がある。オリジナルなデータが、コモデティフロー法に基づいて、資本形成を先に推計したということでしたら、これは、パーペチュアル・インベントリーを使わざるを得ないと私も思っています。そういう経験等がございました。

 基礎データが十分なくて、あるものは何でも使わなければならないというような推計状況においては、あまり方法論のコンセステンシー、1つだけの方法論を使ってやるというのは非常に危険であるというのが、私だけではなくて、LTESの作業をほかの人がやっているのを見ていても、私の印象ですし、それはいまでも変える必要がないというふうに思っています。このプロジェクトで、どういう基礎データがあって、どこまで基礎データにおいて推計作業をなさるのかとか、そういう問題については私はまだ十分に情報を持っておりませんし、これも今後の課題だと思いますが、できましたら、前から申し上げておりますように、1つの系列を得るのに複数の基礎データを、違った性質のもので、違った方法で推計してみて、相互にチェックするというのが理想形だと思います。それから、現実には、データのアベイラビリティーはものによって違いますし、時期によって違うとか、いろいろな場合がありますから、それによって判断をする。そこらあたりに、こういう作業をする我々の付加価値の源泉があるのではないかというふうに私は考えております。

 この表につきましては、安場先生の退官記念のための論文としてまとめたもので、大阪大学の『経済学論集』(正式なタイトルは忘れましたが)そこでやったものの一部ですので、そのことをつけ加えておきます。

 最後に、こういうことはここでは問題にしないほうがよかったと思いますが、尾高さんとのコンセプショナル・ギャップがあったものですから、こんなことも書いてしまいました。

 2年前に、「やさしい経済学」で、安場先生が「クリオメトリックス」というテーマで書いております。私はそのとき初めてこの「クリオメトリックス」という用語を知ったものですから、どういうスペリングなのかも実はまだ調べてないのですが、こういう安場先生が書いている「クリオメトリックス」という動きは、1960年代の初めにもうアメリカでありました。私もちょうど60年代の中ごろにアメリカに1年おりましたので、そのときいわゆる経済学者、経済史学者という人たちがこの分野をやっているというので、実はびっくりして、「なんだ、私たちと方法論が同じじゃないか」というふうに感じていたものですから、それ以後、自分自身ではこういう分野についてはやりませんでしたが、関心がありました。その当時、アナリティカル・フレームワークとして何をとっているかというと、それは経済理論なんですね。経済史家が経済理論をアナリティカル・フレームワークに扱うというのは、私にとっては革命的な経験でして、これは非常に珍しいし、日本ではとても考えられない。もちろん当時の話ですから。

 経済理論を背景に持った数量経済史、もちろん数量経済史、クオンティティブ・エコノミック・ヒストリーという言葉も、実は新しい言葉でして、60年代に私はそういう言葉を全く知らなかったわけですが、そういう分野があるということを知りました。当時は、私は、それは単なる長期経済実証分析の1つの分野なのかなというふうに感じとっていたのですが、それは、安場先生のクリオメトリックスによりますと、非常に大きな学問的な発展をしたものでして、その中で安場先生は、クリオメトリックスの特徴として、第2回目の、1993年の11月4日の欄で3つの点を挙げています。要約したものですが、1つは、数量データによって同時代人の発言や記録を検証するということを言っています。私たちのプロジェクトとしますと、これは、ただ単に数量データではなくて、ナショナル・インカム・アカウンツというアカウンツのフレームワークの中で取り扱われている数量データを中心とした分析、というふうに置きかえる必要があると思いますが、いずれにせよ、ただ単に、ある人が言ったとか、こういうことが記録されているというだけを評価するのではなくて、それを数量的にクオンテファイしてやっていくというか、その基礎作業としてこのプロジェクトがあるというふうに私は考えております。

 それから、歴史の説明に際して、理論経済学を利用する。特に、安場先生はこの中で、「マイクロエコノミクス」という言葉をその後で言っておりますが、いま私たちの場合には、マクロのデータを取り扱いますので、マクロエコノミクスがその中心になるだろうというふうに考えております。

 3番目、経済史上の説明や評価にあたって、事実に反する仮説が公然と用いられている。例えば、安場先生の例としては、「現在でも奴隷制度があったら」とかという、そういうような仮説です。これはクリオメトリックスの分野のことですが、私たちの分野ですと、予測というか、インターポレーション、エクストラポレーションといった外挿、内挿というような、そういうような分野での理論がこれに当たるのではないかというふうに考えています。

 尾高さんからいただいたオランダでのインドネシアに関する長期経済統計推計によりますと、ある得られるデータを指標化して、それを過去に、レトロポレーションとか何とかという新しい言葉を使っていましたが、要するに過去に遡って推計するという、そういうような方法論を使っています。こういう方法論は、多分、今後の作業の上で大変役立つと思います。

 ただ、1つ心配しているのは、これは梅村さんが笑いながら言ったのですが、「ある経済学者が、ある統計を使って分析していて、リグレッション・アナリストをやって、大変フイットがいいと喜んで論文に書いていたけど、あのデータはもともとリグレッションして求めたものである。結果がいいのはあたりまえだ。そんな簡単なことがわからないで論文を書くから経済学者はいけないんだ」。いつも必ずそういうふうに彼は言うわけですね。そのことを思い出しましたので、そのデータが使われるであろうと思われるものを、過去に遡ってリグレッションで推計するという場合に、その変数を使わないようにするというのはつくる側としては非常に難しいのです。でも、使う側のことを考えてその点は明確にしておくということですね。そんな恥をほかの人にかかせないという、これも我々サプライヤーとしてのエチケットだと思いますので。そういう危険性を、この3番目から出てくるインターポレーション、エクストラポレーションは含んでいるということを申し上げたいと思います。

 しかし、ここで挙げた3つの特徴というものが、このプロジェクトに全くオーバーラップするとは私は思いませんが、かなりの部分で共通のサブセットを持っているような作業であるというふうに私は考えています。

 いろいろコメントがあると思いますが、私の話としてはこれで終わりたいと思います。

 司会 どうもありがとうございました。

 質問のある方、手を挙げていただけますか。どうぞ。

 尾高(一橋大学) 質問が1つと、最後に言われたことに関してコメントが1つあります。

 最初の質問というのは、LTESの淵源に関することで、僕らのプロジェクトと直接関係ないんですけれども、昔、東大の土方成美という人が国民所得ということをいろいろ言っていたようですね。彼も多少推計をしていたのではないかと思うのですが、それと山田雄三先生の作業とは全く関係がなかったんでしょうか。

 もう一つのことは、最後に石渡さんが言われたクリオメトリックス云々に関することです。われわれのプロジェクトの構成員は、さっきちょっと申し上げた分担者と協力者を含めて、エコノミストとヒストリアンと、社会学者と、それから少数ですけれども人口学者等々が入っています。その中で、方法論的な統一をしたとかいうことは全くないのですが、恐らく、共通の問題意識はあるし、また、ないとしても徐々に醸成されると思うのです。その問題意識というのは、いまおっしゃった、数量経済史とか、クリオメトリックスとかともかなりオーバーラップするだろうと思っています。

 これは、私の個人的な感想ですが、我が国の経済学が、あるいは経済史が、これから健全な成長をするためには、理論経済学と実証経済学と、それから経済史が協力する必要があって、その1つのきっかけになればいいなと思います。

 ただ、そうは言ってもいろいろ問題があることは事実です。例えば、宇沢弘文さんは、数量経済史とか計量経済史というのは、経済史の悪いところと理論経済学の悪いところとが結婚したようなものだとおっしゃったことが昔あります。確かにそういう面もありますけれども、しかし、他方、経済史が与えるいろいろな知恵を経済学者が吸収することによって、仮にそれが直接理論経済学の成果に反映しなくても、非常に大きなプラスになると思います。また逆のことも言えるだろうと思います。

 そういうことで、石渡さんが考えていらっしゃることの中で3番目の、事実に反する仮説云々のところはちょっと留保したいと思うのですが、そのほかのところは石渡さんがおっしゃったことが大体当たっているのではないかと私は思っています。

 そういう観点から、ここにいらっしゃる歴史家の中には、もしかすると、溝口先生と、それから石渡さんが今日報告されたことに対して、「これは大変だ」とか、「随分めんどうくさい」とかお思いになった方があるのではないかと思うのですけれども、それに対して、「これは恐れるに足らず。ちょっとやればすぐ慣れますから、決して尻込みをしないでください」と申し上げておきたいと思います。

 石渡 いま1つ質問が出ましたが、山田先生の業績をそんなに正確に覚えてないので、その中に土方さんの作業があったかどうかという、スタンプとか何とか、いろいろな外国人のやったものについては、かなり彼が取り入れていることはいまでは記憶があるのですが、土方さんが入っていたかどうかということは、いまわかりません。

 尾高 入っています。

 石渡 そうですか。

 その点が1つと、それから、実際に作業していく上で、私はいつも同じ部屋で、大川先生がいると、こちらに椅子が並んでいて、こちら側が高松さんで、ここが私だったものですから、いつも何をやっているかというのはお互いにわかるような研究環境だったものですから、彼は非常によく見てチェックしてはいました。土方さんのは、年代は忘れたのですが、数年なんですね。数年ですが、非常に細かく産業別にやっていまして、私自身も、造船業と海運業の付加価値を出すときに土方さんのものを、大川先生からサジェストされて見たということがありますから、作業の中では使われて、考え方は少なくともチェックされているというふうに考えます。

 それから、いまは数量を使うということがそんなに問題にされないで、私たちは平気で数量を使って議論をしていますが、大川先生の時代はかなり大変で、リグレッションを使用するなんて、それでものを言うなんていうのは経済学者としては非常に異端視されていたみたいです。

 私もそういう経験が実はあるんです。もう十五、六年前ですが、現在のICUに移るときに、安井琢磨先生に面接を受けたんですね。いろんなことを話していて、彼が最後に、「あなたは一体、経済統計の中で何を信用していますか」って。何を信用していますかっていうと、これは非常に困るんですね。その背後にあるのは、数量なんかでものを言ってて経済学ができるのかということをどうも言っているらしいのですが、私は、「そうですね、一番信頼できるのは人口でしょう、人口統計は頭数ですから。これはもちろん計測から落ちることもあるでしょうけれども、どこの国をとっても一番たくさん情報がありますし」。それで面接を逃れたという経験が実はあります。

 そういう中間に私はおりますので、数量でものを言うとか、数字で議論をするということがいかに浸透しにくいかということは、私は自分の大学は非常にディスプリの違った人たちがいるものですから、そういうところでいつもぶつかっていまして、ある意味では、すぐとはいかなかったですけれども、抗体ができています。多分、ここでいろいろ議論すれば、抗体ができてきて、いつの間にか、考えてみたら自分もそういう方法で議論をしているじゃないかということを発見されるようになると思います。

 久保庭(一橋大学) 溝口先生の報告で、実物統計を見るということと、いまの報告で産業連関表を重視しろということで、私は2つとも賛成で意を強くしていたのですが、質問は、先ほど言われました国富統計、日本では1970年以降、本当は10年ごとにつくらなければいけないのに、日本でもつくられていないという状況ですけれども、各国、旧ソ連が社会主義の時代につくったような内部資料とか、そういうもので内部資料を見ることは可能だとしても、ほかの国でどの程度、推計の可能性といいますか、推計そのものでなくて、実際の面で調査しないとこれは統計得られないと思うんですけれども、かなり、先生はその点を留意されていたように思いましたので、推計との関連で。

 石渡 直接に私はほかの国についての調査をしたことはないものですから、一般的な経済調査をやった中のものでは、私はまだ見ておりません。

 それで、韓国がやったということも聞いてはおりますが、それはパブリッシュされなかった、戦後ですけれども。

 日本の、中川さん等の業績を見てみますと、先進国についてはかなり古いものもありますけれども、いまこのプロジェクトで課題にしているような国については、リストには載ってないだろうと思います。それは、戦後でも非常に難しい。

 私は、日本につきましては、企画庁が1冊にまとめた『日本の国富調査』というのがあるのですが、あれは、非常にありがたいのですが、同時に非常に不満なんです。なぜ不満かというと、個人がやったものは一切入ってないのです。個人がやったものも実はたくさんあるんです。それが一切無視されている。無視されても私はかまわないと思っているんです、もし同じ基準で無視されたら、あそこに入っている日銀の初めの2年間の調査があるのですが、あれは個人が、日銀でやったというけれども、日銀の個人がやって、簡単な表しかないんです。あんなのを入れて、もっと大々的な作業をやっている高橋さんの業績とか、そういうものが入ってないということに私は非常に、ボリュームが厚くなるからというふうに言われるかもしれませんが、そこらあたりに、日本で、いわゆる公式統計と非公式統計というか、私はそういうものの考え方についての問題点を感じています。

 いまのご質問と直接の関係がありませんが、そういう統計の調査を見ていると、あるいは、同じような方法論を使って、これから皆さんがカバーする国について、ある種の作業ができるかできないかということが、尾高さんはストックはやらないというふうに言われましたから、その調査をこのプロジェクトでやる、やらないはともかくとしまして、調査の可能性としてはあるだろうと思います。むしろ、いまの調査の方法よりも、そういう時代の個人のやった方法論のほうが、もちろんデータとしては、方法論としては、非常にクオリティは低いですけれども、いまの、我々がカバーしている国についてはより妥当な方法論だというふうに私自身は考えております。

 ただ、実際に統計を見ていますと、アベイラビリティを見ると、インドネシアはちょっと無理じゃないかという感じを私は個人的には持っています。バングラデシュもとても無理だというふうに思います。ほかの国につきましては、私は判断する情報を持っておりませのでわかりません。

司会 これで午前中のセッションは終わらせていただきます。お2人の、お話しいただきました先生方、どうもありがとうございました。

 午後のセッションは1時30分から始めたいと思います。