Session 1(ティーチ・イン)

      「時系列データ接続法の諸問題−台湾の事例を題材に−」                                                                            

                             溝口敏行(一橋大学)

 司会(斎藤 一橋大学)  それでは、午前中のセッションを始めたいと思います。

 私、いま尾高さんからありました幹事の一人で、斎藤と申します。

 午前中は「ティーチ・イン」というふうになっておりますけれども、ティーチ・インというのは何かというのはご報告を聞いてから各自お考えいただくことにいたしまして、時間が大分迫っておりますので、申しわけありませんけれども、休みなしで午前中ぶっ通しでやらせていただきたいと思います。

 最初は、溝口敏行先生の「時系列データ接続法の諸問題−−台湾の事例を題材に−−」ということでございます。

 2つ報告がございますけれども、1時間、1時間というふうに考えておりますので、その中でディスカッションも含めてやれるようにお願いいたしたいと思います。

 溝口(一橋大学) 溝口でございます。

 本日これからご報告いたします資料を最初にご説明しますと、討議資料A、「討論用資料」という溝口のものは序論です。それから、討議資料Bというのがやはり入っていますけれども、それはかなり枚数が多いので、何人かに1人でもよろしいという意味で分けたわけでして、幸いにして全員にお配りいただいたようですので、それが主な資料です。それから、今日お配りしたこの資料は、あくまで参考資料です。

 そこで、「ティーチ・イン」ということで一体何をしゃべればいいのか、ということで甚だもって困ったわけですけれども、台湾につきましてはCOEプロジェクトについては非常にフェイバラブルな条件があります。1つは、台湾の戦後の経済統計は非常にしっかりしていまして、戦後のものについて一生懸命作業をやる必要がないという条件があります。これは後ほど少しご説明します。戦前についてはもう一つ条件がありまして、私と梅村又次先生が大分前に編集いたしました『旧日本植民地経済統計』という本を東洋経済から出していまして、そこで戦前の1940年までの国民所得勘定は一応でき上がっている。あとは戦前・戦後を何らかの格好でつなげばよろしいという作業が残っているだけであります。そういう意味で他の国の作業よりも多少先行しているのではないかと思いますので、そこでやった経験をしゃべれ、というのが今日のお話の内容ではないかと思います。そこで、私がいままでやってまいりました中で気づきました諸点を申し上げまして、いろいろご批判をいただきたい、これが第1点です。

 第2点は、中間報告でもいいから今年度にディスカッション・ペーパーを1つ書けということを尾高さんから言われていまして、それを書きます上で、今後出てくるディスカッション・ペーパーと著しく乖離したものができ上がると困りますので、本日はこういうふうにやってみたいという案も申し上げまして、あわせご批判いただきたいと思います。

 この2つが本日のご報告の内容になります。

 そこで、「序論」と書いてあるほうから進めます。

 これからアジア各国について長期のLTESをつくっていこうということですけれども、現在の各国の状況を考えてみますと、LTESをつくります場合、二通りのオプションがあると考えています。その1つは、LTESということがむしろ当たるわけでありまして、「長期経済統計データベース」というものです。すなわち主として経済面に力点を置いたものでして、その背後にあるのは国民経済計算体系です。それから、もう少し拡大した 範囲がありまして、それは最近主張されはじめた「社会・経済統計データベース(SSDS)」のシステムによって開発していくのか、ということがあります。それにさらに「長期」をつけるわけですから、「長期社会・経済統計データベース」ということになります。 長期経済統計データベースにつきましては、もちろん社会・経済統計データベースの一部に含まれるようなものですから、第2の線で進めていくのが本来の趣旨であろうと考えられるわけですけれども、実はSSDSというのが魔物でして、昨年北京で開かれましたISI大会でもSSDSの討議があったわけですけれども、「SSDSとは何かよくわからない、まだ星雲状態である」というような報告がありまして、私もそのとおりだろうと思いますので、ここでは主に長期経済統計データベースという格好でお話を進めていきたいと思います。

 ただ、台湾について考えます場合に、SSDSについて若干配慮しなくてはいけないことがあります。それは、戦前の台湾の長期経済統計データベース、いわゆる平均値を中心とするデータベースをつくってまいりますと、台湾の主権者である中国の人々と当時支配者であった日本人との合計した値の平均値が出てくることになります。これは長期経済統計データベースをつくっていく場合に問題点になりまして、その意味ではSSDS等に入っている分配関係、あるいは台湾の人々の直接生活水準をはかれるような社会統計は、少なくとも戦前については加味していかなくてはいけないだろうと私は考えています。その意味で主流は長期経済統計データベースであるけれども、それに若干SSDS的な要素を加えた体系をつくっていこう、というのが私の考えです。戦後については、ぜひともSSDSまで拡大しなくてはいけないという考えは、私は持っていません。

 そこで、これから一体どういうことをやろうかということですけれども、要点は2ページに書いてあります。私ども、これから仮につくってみようという体系は次のようなものであるということです。これは1つの提案でして、むしろ皆様方からご批判をいただきたいと思うわけですけれども、幾つかのセクションが書いてあります。

 すなわち総合指標として、国民経済計算体系。ただし、この中でフロー表のみ。国民経済計算はフロー表とストック表ができ上がっていますけれども、おそらくストック表を歴史統計でつくることは非常に困難であろうということで、フロー表のみに限定するような国民経済計算です。

 さらに、後ほど申し上げますけれども、現在まで私どもがさしあたり作業を進めようと思っているのは、国民経済計算の中の個人消費とか資本形成等の支出面の勘定と、第1次産業、第2次産業、第3次産業の生産面の勘定に当面限定する。と申しますのは、歴史統計で分配勘定をやろうとしますと、非常にデータが不足してまいりまして、分配勘定をやるときには先ほどのSSDS的な要素を入れてまいりませんと、分配勘定というのはなかなか出てこない。そこで、当面、長期系列については支出勘定と生産勘定についてやっていこうということです。

 2番目にとろうと思いますのは、戦前のものにつきましては尾高先生がすでに台湾についてやっていらっしゃいますので、これは全部おんぶしようと思っているわけですけれども、人口・労働関係のもの。

 第3の体系は金融・物価統計で、これは主として物価関係の統計。それから、金融関係の統計も戦前の台湾につきましては寺西先生にかなりやっていただいた経緯がありますけれども、その金融・物価関係の統計をここでやる。

 これが経済全体を支える総合指標であります。

 それに対して、あと2つの勘定がありまして、その1は生産勘定関連指標ということです。それは、農林水産業の活動、鉱工業の活動、その他の産業の活動指標ということです。そのうちの農林業と鉱工業につきましては、資料Bとして若干いままでやりました計算結果を本日お配りしています。それから、その他の産業の活動指標というふうになっていますが、これはほぼ第1次・第2次・第3次に当たるのですけれども、ここで3つのセクションに分けましたのは、必ずしも産業分類に限定したわけではありませんで、実は歴史統計で主にやられるのが第1次と第2次でして、第3次産業の活動を推計するときにはいろいろ厄介な問題が出てくるということで、これは1つのセクションになっているということです。

 それから、支出勘定関係ですと、個人消費の活動指標、政府財政の活動指標、資本形成関係の統計、外国貿易関係ということで、この10セクションに作業をまとめてみようということになります。

 そこで、具体的なイメージとしては、まず、最終的には1.の国民経済計算ができ上がるわけでありまして、その1つのエグザンプルとして本日お配りしたものがあります。これは台湾についてやったものではなくて、日本について戦前から現在に至るまでの系列をつないだという勘定で、イメージとしてはこのような勘定になる。すなわち、最終的にどういう形態があるかというふうに見ていただきますと、11ページ以降に書いてありまして、11ページは名目国内総支出、14ページは実質系列になります。これは18851990年までつないであります。次にデフレータが入っていまして、次に一人当たり実質支出。これは支出勘定です。23ページの付表5になりますと生産勘定が出てくるという格好で、大体このような体系を頭の中に置いている。そして、各々、個人消費支出についてはまた詳しい表をつくろうというのを、これから考えていくわけです。

 それでは、台湾についてこれからどういう作業を具体的にやろうかということをご説明していくわけですが、そのためには台湾の統計整備状況がどのようになっているかということを事前に念頭に置いておいていただきますと、後ほどの議論がわかるということで、2ページから書いてあります。

 台湾の統計の整備状況を判断しますと、概ね次のように分割できます。すなわち、第1時期は1895年以前でして、これは台湾が清国に属していた時期です。それから18961911年。1896年から日本が台湾を領有するわけですけれども、18961911年という期間は総督府の統計整備の時期に当たります。部分的には、農業統計とか人口統計とか非常に優れた部分もあるのですけれども、アンバランスな状態の体系になっています。18961911年の間の工業統計というと、砂糖と精米・製粉統計ぐらいしかしないというような状況がありまして、ここのところは非常に整備が悪い状態です。

 それから19121940年、この時期はおそらく当時のアジア地域の統計の整備状態を考えますと、ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、日本を除けば最も整備された時期だろうと思います。また、部分的に言いますと、国勢調査が日本に先立って行われたように、例えば農業統計とか人口統計はむしろ台湾のほうが進んでいたのではないかとさえ思われ、非常に優れた統計が整備されている時期です。これが19121940年です。

 次が19411945年。これは日本が侵略戦争に突入した太平洋戦争の時期で、この時期には、統計はとらえているのですけれども、なかなか公表されていない。日本もそのとおりでして、例えば物動計画等あるわけですけれども、必ずしも残っていないという時期であります。

 ただ、現在から考えてみますと、むしろ日本よりも残っているのではないかというような状況があります。と申しますのは、日本は終戦直後に米軍への接収を恐れてかなりのものを焼却したという時期があるわけですけれども、台湾では、一部はその後の台湾政府、一部は台湾国立大学に移管されまして、かなりのものが残っている。さらにもう一つ優位にありますことは、1950年以降になりまして台湾政府が戦前のものを含めて再集計をやっています。例えば「昭和15年 台湾国勢調査」は、調査をやりっぱなしで日本は引き揚げてくるわけですけれども、その再集計作業を1950年代になって公表するというようなことが行われています。

 もう一つ、これは心強いことなのですけれども、現在、台湾国立大学が1つのプロジェクトをスタートさせていまして、長期経済統計の分析を開始しております。その長期経済統計をやるのは、私どもの仕事もありまして最近連絡を取りましたところ、溝口がやったところで一番弱いところ、すなわち18961911年は我々のほうで整備する、それから1945年までは我々のほうでがっちりやる、と。ですから、戦争中のものはかなりやるということで、かなり出てくるだろうと思います。台湾大学の先生がお始めになった以上、ここのところを私はコンペティションをやるつもりはないわけでして、ここの部分はむしろお任せしようと考えています。

 その次は19461950年。この期間が台湾大学の先生も手を上げている時期でして、大変困った状態になっている。19461950年の状況はどういう状況だったかと考えてみますと、台湾は、現在でも制度としては中国の一部ですけれども、統計をとる意味でも中国の一部に組み込まれた時期なわけです。中華民国政府が南京にありまして、その一部として台湾省の統計が行われる。台湾の統計が本土レベルにまとめ直された時期、いわゆる中華民国においてまとめ直された時期であります。それが1つ。

 もう一つは、中国の内戦で猛烈なインフレーションが起きるということです。一例を見ていただきますと、3ページの下のほうに米の価格が書いてありますが、1944年には1.1倍、45年には12倍になりまして、46年には一時鎮静化して3倍。これは3%上がるということではなくて3倍になるということですから、大変なインフレーションです。1948年が3.4倍、1949年は中国の内戦がほぼ終了する時期ですけれども、ここのところで54.7倍も上昇する。実はこのような状況ですので、例えば1949年の名目値の合計などというのは全く意味をなさないわけで、毎月のデフレータを使って調整していかなければ金額表示の統計はとれないというような大変な状態になって、1950年にやっと落ちつくわけです。

 その後を見ていただきますと、19461950年につきましてはいろいろな特殊研究もあります。例えばインフレーションの研究というのは、これほど激しいインフレーションはないわけでありまして、インフレーションの研究者にとってはまことにもってこいというわけで、たくさんのペーパーが出ています。そのようなものは出ていますけれども、全体としてどうであったかということは非常に危ない時期で、この後はどうするかということは後ほどお話しいたします。日本ではむしろ194047年の間のデータが落ちるわけですけれども、台湾の場合はむしろ45年まであって、4550年の間が大変な問題が起きているということです。

 次に、19511960年と書いてありますけれども、1951年になりますと台湾の統計組織は整備されまして、調査範囲も台湾に限定されます。ただ、1つだけ言い忘れましたけれども、194650年までの間に台湾省政府というのがあるわけです。中華民国政府と台湾省政府と2つあったわけですけれども、台湾省政府が持っている統計は比較的継続してあります。例えば、農業統計は台湾省政府の担当だった。物価統計は、当時で言いますと中華民国政府のものだった。ですから、分野別に大変な落差があります。そのようなことがありまして、4650年までの農業の物量面の統計と工業の物量面の統計は辛うじてとれるという状況です。

 5160年というのは、この段階ではほぼ戦前の日本の台湾総督府レベルの統計の精度まで回復した。ですから、51年以降については戦前とリンクするのに精度上特に問題はないということです。

 ただ、ここのところで61年からで分けましたのは、61年ごろ産業連関表の作成作業が始まるのです。今日の後半のお話でおそらく出てくると思いますけれども、国民経済計算の精度が著しく向上するのは産業連関表ができ上がったときです。ご存じのように、国民経済計算ではコモディティ・フロー法を主に使いますので、生産勘定と支出勘定の整合性という点だけを見ますと、コモディティ・フロー法を当てはめますと、かなり整合性を持つデータができるわけです。事実、私どもも戦前についてつくっていますし、中華民国政府も5161年について、当時、国民所得統計を発表していた。ただ、産業連関表ができませんので、いわゆる中間投入部分は全くの独立推計になるわけです。所得率の推定は各産業別にやるわけですけれども、それが一体整合性を持っているかどうかわからない。産業連関表を入れますと、どちらからどれだけのものが投入されたということが出てきますから、所得率と生産統計とが整合性ができるわけです。ですから、産業連関表ができる前の統計はかなり精度が悪い。その意味で19611990年のデータは非常に優れている。

 そして、これは台湾の方もおっしゃっているわけです。したがって「1961年以降のデータについては、特別、長期経済統計の観点から再吟味する必要はないだろう」と思います。もちろん現在の統計体系として言うべきことは山のようにあるけれども、戦前の統計のような比較的悪い統計とリンクする意味で、1961年度統計をさらに再吟味するという必要は全くないと思います。

 もう一つ強調すべきことは、1961年以降の台湾の統計は、ほぼ国連の勧告に準じた国際スタンダードでできているということです。そのようなことをまず念頭に置いておく必要があろうかと思います。

 さて、このような状況でこれから一体どういうことをやっていくかということであります。ただ、ここのところで1つだけ言い訳をしておきますと、4ページ以降に書いてありますことは、主に、理想的にはこうやったらいい、これから始めればこうすべきだ、ということが書いてあります。実は、台湾の推計をやりましたときは、すでに先行業績がありまして、それを付け加えていったものですから、必ずしもこのステップどおりには行ってない。しかし、このステップになるべく近づけるように戦前の推計を調整するとともに、その推計をさらに戦後について伸ばそうということをこれから考えているということであります。

 まず、私どもが考えましたデータベースですが、私どもが作業をやりましたときには次のような考え方をとりました。すなわち、これからいろいろ作業をやっていくわけですけれども、データベースの種類を2種類に分ける。1つは「作業用データベース」です。もう一つは、公表し一般の共用に充てるデータベースです。この2つのデータベースをまず分けることにしました。具体的に申しますと、台湾について使いました基本データベースは1万以上の系列が入っています。それから、公表されたデータベースは300〜400系列です。その程度のランク・オーダーがあるということであります。

 それでは、なぜ1万系列というような基本的データベースが必要なのかということであります。直ちに思い浮かばれますのは次のようなことかと思います。「推計作業は共同作業でやっていくので、基本的なデータベースがあれば、それから絶えず引き出してつくっていくのに非常にいいだろうということから、基本データベースを最初につくるべきであるというふうに多分彼はしゃべるだろう」と思われるかと思いますが、実は私どもがこれをやりました最大の理由は次のようなことであります。

 すなわち、これは戦後についても大部分の国はそうですし、戦前についてもそうですけれども、同じ年の同じデータであっても、それが公表されている年鑑によって異なるということなのです。ごく最近の例ですけれども、小麦粉の生産量は一度統計が出ればもう変わらないだろうと思われるのですけれども、台湾の統計年鑑を比べていきますと、あるところで変わっているわけです。実はそれと同じことが日本についても行われているわけでありまして、例えば商業の売上、これは毎月、商業動態統計ということで発表になっていますが、これも確定の数字だろうと思ったら、そうではありませんで、商業センサスがありますと、遡って数字が変わるのです。最近でもそうですし、古いところではますますそうであります。

 例えば、台湾総督府統計年報を見ていきますと、同じ系列をずっと年を調べていきますと、あるところで数字が変わります。それを全く無制限にやっていきまして、多数の人々が同時に『統計年鑑』を繰りながらやっていきますと、ある人はAの数字を使い、他の人はBの数字を使い、他の人はCの数字を使うということになります。推計にあたってのデータ選択には、先生方は各々ご主張がありまして、整理法が異なるのはやむを得ないのですけれども、オリジナルデータの違ったものを別々の先生がやって、その推計を最後にまとめてみたって、あまり意味がない。これだけは避けようということは考えています。

 台湾の例を挙げますと、実はここのところで理想と現実が違うということを申し上げたのですけれども、そうなりますと、理想的には共通のデータベースを最初につくっておいて、そのデータベースから各々の人が引き出しながら作業をやっていく、これが一番いいわけです。ただ、台湾の場合はそういうことが行かない事情がありました。と申しますのは、私どもがスタートさせましたときに、すでに石川先生の農業の推計がありまして、篠原先生の工業の推計があったわけです。この2つは見落とすわけにいかない。ですから、この2つの系列はそのままデータベースに入れまして、それ以外の系列はこれから申し上げるプリンシプルでつくったということです。台湾の1万系列のデータベースは、以下申し上げるふうには、農業部門と工業部門は以下の原則に従っていない、ということをお断りしておきます。これはあまり人には言いたくないことで、どこにも書いてないのですけれども、実はそういう体系になっています。

 では、それ以外のところはどのようにやったかといいますと、いまのような1万系列程度のものをとるわけですから、これは1つの系列ごとに研究者が眺めていくことができないのです。実はこの系列をとってくれということをお願いしなくてはいけなくなるのですけれども、そこのところで数値が違った場合どうするのだという判断は、実際に作業をやる方は困る。そこで、次のようなプリンシプルを立てたということです。

 まず、5ページに書いてありますけれども、原則として、私たちの場合は『統計年鑑』を使ったということです。なぜ『統計年鑑』を使ったか。私の本も含めまして統計資料論の本を眺めてみますと、絶えずオリジナルなデータへ戻りなさいということが書いてあります。事実、説明とはそうであろうと思います。ただ、いまのように改訂が行われていくような数字では、最終的に『統計年鑑』に出てくるのが一番動かないのです。オリジナル・レポートのほうがかえってある時点で推定したものが次のときには再推定して出ているということがありますので、オリジナル・レポートで見るよりも、歴史統計について見れば『統計年鑑』で見たほうが安定性がある。これは全く経験法則です。例えば、『農業統計年報』と『統計年鑑』を比べると『統計年鑑』のほうがスタビリティが高い。ですから、『統計年鑑』に出ている数字は原則として『統計年鑑』を使う。それでもないものはオリジナルな報告書へ戻っていくというプリンシプルを使っていく。これはいまやっている戦後につきましても同じことです。

 次にどういうことをやっていくかといいますと、まず『統計年鑑』につきまして一定の年度をベースにします。私の場合ですと、これは皆様方の方針に従って幾らでも直せるわけですけれども、最終年次を1990年に定めました。それ以降については、これは歴史統計だから特に新しい数値はこれからどんどん変わっていく可能性がありますので、当面1990年までにする。『統計年鑑』は1993年版を使う。1993年版からある系列をとりまして、そのデータがある限りにおいては最新系列を使っていく。次に、1992年版の統計を見まして、同じであるところはそのままつないでいく。そうすると、1992年版は当然1年か2年新しい数字が出てきますから、それをつなぐわけですけれども、その最終年次が違っていたときにどうするかということです。ここでは非常に簡単なルールを使いまして、その相違が5%以内ならそのままつないでしまうということをやっています。すなわち、修正が5%以内であればそのままつないでしまう。5%を超えた場合は何らかの調整が必要になる。その場合については一々研究者にリファーするようにというルールでやりましたところ、80%ぐらいはそれで自動的に転記ができます。その数値を使いましてもあまり大きなことはありません。そういうことでそういうことをやっていこう、と。

 実は、5%程度の相違が出た場合に、詳細に調べても、その修正がなぜ行われたかよくわからないケースが特に歴史的には多いものですから、その程度のものはやろう、と。ところが、とんでもなく大きく食い違うところがあります。例えば、戦前の台湾で林業生産があるのですけれども、あるところで非常に大きな、半分ぐらいになるところがあります。それも何も注もなしにずっと書いてあるのですけれども、よくよく細かいところを見てみますと、ある時期から営林署の生産が加わったということが後ほどわかるのです。そういう大きなものが出たときにチェックするという方針でやっていく。そうなりますと、比較的簡単に接続がきくということです。

 ただ、このようなルールでやっていかなくてはいけない国が大部分だと思いますけれども、非常にハッピーな国もあります。例えば、フィリピンのデータベースを7年前からUPに聞いてつくっていてわかったのですけれども、フィリピンは『統計年鑑』のその数字は永久に動きません。ですから、これは何年の数字を使っても大丈夫だという、非常にハッピーな国ですあります。ですから、フィリピンについてはおそらくこういう作業をやる必要はないだろうと思いますけれども、大部分の国はこれをやらないといけないところであります。

 もう一つの問題点は、(3)のところに書いてありますけれども、各系列をつくっていく場合に注意しなくてはいけないことがあります。それは、ある品目がある時点から登場してきたということです。例を挙げますと、日本の新しい統計ですと、ICという統計がある時点から突然登場してくるわけですけれども、実はそれ以前にもその数字があったはずです。それをどう考えるかということが特に歴史統計で問題になる。台湾の経験によりますと、篠原先生は、その前の統計は、「その他産品」等の中にも入ってないのだと考えておられます。統計を見ていますと、何々と品目が書いてありまして、一番最後に「その他電機産業の製品」とか、新しく登場した品目が「その他」の中に入っていたか、入っていないか判断することによって、推計が大きく違うのです。

 これは台湾の統計をやりましたときにいろいろ議論したわけですけれども、篠原先生の過去にやった経験では、工業のところは「その他」から新製品が登場してくるケースはむしめ少ない。「その他」はその他であって、新しいものが出てきたときに、改めて過去のものに遡って何らかの推計をやらなくてはいかん、というのが篠原先生のご主張でありまして、データベースに入っています個別系列のものについては、新しく登場する以前の推計値も篠原推計には入っています。一方、農業につきましては、これは石川先生のご主張なのですけれども、大部分のものが「その他」に入っているという立場です。事実、台湾の農業生産を見てみますと、新しいものが登場してきますと「その他」の生産が減るわけです。そういうことを判断しながら、個別系列を最初につくらなくてはいけません。これが個別系列をつくるときの大きな問題であろうかと思います。

 今度は、それを総合化しなくてはいけないわけです。総合化する場合にどのような指標が必要であろうかということを考えまして、6ページに書きましたけれども、6個ばかりの指標をつくる必要があるのではないかと考えています。

 恐縮ですけれども、資料Bを開いていただきますと、最初のところに国民経済計算の勘定が出ていまして、第1章となっていますが、その次に第4章というところがあります。最初のページが1、2、3、4、その次に1001がありまして、ずっと後ろのほうにまいりますと4001というページから始まるものがあります。最初に若干の解説が書いてありますけれども、「解説」のところは飛ばしていただきまして、次に4005から台湾の農林業の例がつくってあります。

 一番最初に書きましたのが「農林・漁業関連基本指標」というものでありまして、農業を支えている基本的な系列が18981990年までつくられています。その次に、これはまだ未完成の部分がありまして、4005については1940年で終わっていますけれども、これは1990年まで伸ばす予定です。次のページを見ていただきますと、これは2番目の系列でありまして、「生産金額」。これは名目金額ですけれども、名目金額の構成比が書いてあります。なぜここのところで名目金額を構成比であらわしたかといいますと、これは特殊な事情がありまして、先ほど申しましたように、台湾については大変なインフレーションがありまして、これを戦後の元表示でやりますと、生産金額合計のところに示しましたように、1990年は313544という大きな数字になりますし、戦前の値になりますと 0.00237となります。何しろ百万倍のインフレーションが起きたわけですから、名目表示でやりますと表記が複雑である。そういう理由でありまして、ここでまず構成比を一応示しているということです。最初のところが、普通作物から始まりまして、水産業、林業に至るまでの名目生産額の必要が出てくるだろうということです。

 元のペーパーに戻りまして、1番目がその分野活動を支える基本指標である。

 2番目は名目金額であらわした構成比による統計群。

 3番目が生産指数ないし実質額であらわした時系列変化を示すものでありまして、4010から始まりまして、これは生産指数の格好で示されていますけれども、生産指数がここのところで示されています。ただ、台湾の場合は戦後について非常に細かい生産指数があるものですから、4014から参考指標として戦後についてだけの生産指数がリンクされた格好で示されています。ここのところは、問題によりましては実質額で変わることもあり得ると思うわけです。

 4番目に「その分野に関連がある物価水準の時系列変化を示す統計群」ですけれども、私の先ほど書きました体系では、物価は別に持っていくことになっていますので、(4)のところには入ってない。ここは当然デフレータは計算されています。

 5番目に「分野内の主要活動に関する統計群」ということでありまして、4−4表にありますが、主要作物の生産がここのところでデータファイルされているということです。 6番目に「その他の特殊統計群」ということで、これは物によっていろいろな統計群が考えられるであろう、ということが考えられています。

 ただ、ここのところで幾つかコメントを申し上げておく必要があろうかと思います。その1は、私のいまつくりました統計については、一応私のほうでコピーライトが問題なくつくれる統計だけがここで示されているわけです。ところが、そのほかに既存の非常にいい推計があります。例えば、台湾の農業についてのJCRRの推計は非常にいい精度ですが、それが何らかの意味でこのデータベースに入れていいというときに、どこへ持ってくるか。例えば、基本統計群のほうに入れたらいいのか、参考統計群のところに入れたらいいのか、これはまた皆様方のご指摘に応じて合わせていこうかと思います。さしあたりこういう体系統計群をつくろうと思っていますので、これについてのコメントをいただければありがたいと思います。

 このような総合をする場合に幾つかの問題があるということが次に書いてありまして、1つは、統計の基本系列として過小推計がある場合にそれをどうするかということです。一例を挙げますと、これは世界中で知られていることですが、農業の生産統計に比べて漁業の生産額は過小推計になります。ただ、それを歴史まで遡ってどの程度の過小性があったかということはわかりませんが、相対的な意味ではこれは使えるだろうということで、ここでは未修正のままになっているということです。

 もっと厄介なのは、先ほど申しましたように、台湾の分類は少なくとも1960年以降については国際分類になっている。ところが、戦前の分類は日本分類になっていまして、全面的に組みかえなくてはいけないわけです。非常に大変な仕事で、経済研究所の野島助手にお願いしている作業は、戦前の貿易分類を戦後の分類に合わせるもので、これは大変な作業です。幸いにして貿易につきましては、別の目的からすべての系列がデータベースに入っているので、いまその組みかえ作業をやっているわけですけれども、こういうふうな分類の組みかえは大変な仕事であろうということは、ここでご指摘しておきたいと思います。 3番目と4番目の名目金額と実質金額をどう考えるか、あるいは指数をどう考えるかということです。実はこの話は、歴史統計をやる場合に、従来から絶えず悩みの種だったわけです。と申しますのは、国民経済計算のどこに原因があったのか私はよくわからないのですが、有力な信仰に似たコンセプトとして、「コンスタント・プライスで評価しなくてはいけない」ということがあります。昭和何年表示という格好です。このコンスタント・プライス表示というのはもちろんカレントなものについてはそれだけ意味があるわけですけれども、非常に長い系列に対してコンスタント・プライス表示をやるということは実際上意味がない。

 例えば台湾の場合、工業をお考えいただければよろしいのですが、戦前の工業はほとんど製粉と製糖でした。しかも砂糖の価格は、日本へ輸出するというわけで、国際価格より高い価格で決まっていた。戦後の台湾工業は、最近のことをごらんになると、電子工業をはじめ壮大なものになっています。そこで実現した価格、どちらの価格で評価しても長期系列をしては意味がない。それで、いままでやってきましたのは、全く恐る恐るなのですけれども、何年表示、何年表示と、何回かベースを切りかえまして、それを連鎖指数の格好でつないでいるということです。

 それがいままでは恐る恐るだったのですけれども、最近非常にありがたいものが1つ出てきたのです。これは今日のLTESのデータベースのところでお話しになるかと思いますけれども、最近出ました国連の「SNAに関する勧告」です。そこでは「Divisia 積分指数」が頭にあるわけですけれども、基本的には国民経済計算のデフレータを連鎖指数でつくれ、ということです。連鎖指数というのは対前年比の指数をつないでいきなさいという発想です。その基本には、支出金額は物価と数量に分解できる。スムーズに分解するには Divisiaが一番いい。ところが、Divisia なんか計算できっこないから、近似として、年ベースの連鎖指数をつくりなさいということがあります。実はこのコンセプトがかなり国際的にも受け入れられてまいりまして、新聞報道によりますと、今年の12月からアメリカの国民経済計算はそれに切りかわるということが言われています。

 そうなりますと、今度は歴史統計から見ましても、毎年の連鎖指数をつくるなんていうのは事実上困難ですけれども、歴史統計が長いという意味では、何回にもわたってベースを変更していくということは何ら恐れることはないのではないかと思われます。ベース変更しながらつないでいくということは、それで一種のお墨付きが得られたというふうに私は考えているわけです。

 そのようにしますと、戦後の統計をごらんになりますと、普通の国では10年、台湾は5年ですけれども、5年ごとにずっとベース変更が行われています。戦前についても何回かのベース変更したものが続いているわけでして、その意味では随分楽になったという気がします。もちろん、そのベースをどこにすべきかという議論になりますと、昔の指数論から始まりまして、大変多くの本があるわけですが、どの本を読んでも具体的解決法はわからないというのが実情でして、臨機応変にやっていくよりしようがないだろう。そのことは申し上げておきたいと思います。

 最後の問題ですけれども、このプロジェクトの中でどの程度まで第2次大戦以前まで遡るペーパーがあるかどうか私はわからないのですが、もし第2次大戦以前と以後の統計を結ぶという場合、どんな問題が実際に起きているかということに触れておきます。

 いま申し上げましたように、私の日本でやりましたこの仕事につきましても、台湾でやりました仕事につきましても、必ず第2次大戦直後の混乱期におけるギャップがあったのです。そこでは大変なインフレーションが起きていまして、金額で比較してもなかなかつながらないし、物ではかってもなかなかつながらない、というのが多くの国で出てくるかと思います。聞くところによりますと、インドネシアについてはオランダの推計が戦前についてはあるということなので、それとつなぐ場合にも同じ問題が起きるだろうと思います。

 まず、戦前のデータと戦後のデータを比べますと、(幸いにして私どもの植民地でやりましたものもそうですが)、LTES、戦前の大川先生がやりました統計を比べてみますと、基本的には、大川先生がおやりになりましたのも、私がやりましたのも、国民ベースの国民所得統計なのです。それでやっていたはずなのです。戦後の最近のものになりますと、国内ベースの国民経済計算なのです。非常にありがたいことなのですけれども、日本につきましては1955年まで、台湾につきましては1957年まで、国民経済計算ベースの遡及推計が発表になっています。これは政府が中心になって大々的にやったプロジェクトで、これにまさるものをこれからつくろうというのは無理だということで、これを使う。

 戦前のものを見ますと、私どもがやりました推計が大川先生のレベルに達しているとは思いませんけれども、一応国民所得ベースのものはある。しかしながら、率直に申しますと、大川先生のは国民所得ベースでやったと書いてあるのですけれども、推計過程をよくよく見てみますと、国民と国内がごっちゃになっています。決して全部が国民ベースでやっているわけではない。それから、私どもがやりました推計は国民と言っていたのですけれども、実質的にやったのは国内ベースなのです。ですから、戦前の統計を少なくとも台湾と日本について見る場合は、国内ベースの統計が戦前にあった。もちろん大川先生のLTESの統計を見ますと、国民ベースと国内ベースの両方の数字で出ていますけれども、私は、この両推計のいずれが正しいかの判断は難しいと考えています。

 そういうことで、戦前の統計は国内ベースとみなしていいだろうというふうにみなしますと、支出勘定は大体つながります。日本の場合は1つ問題点がありまして、在庫増というところが戦前については推計されていないという問題はあるのですけれども、細かいことは別にしまして、少なくとも支出ベースについては戦前と戦後を名目で比較することができる。戦前については戦前ベースの実質があり、戦後については戦後ベースの実質があるわけです。残ったものは戦前と戦後をつなぐことですけれども、幸いに日本の場合についても台湾の場合についても物価統計が豊富です。そこで、台湾については戦前基準で、1960年、ここでは完全にインフレーションが収束するわけですけれども、1960年までの両方の物価統計を持ってきまして、各々別々のウエイトでラスパイレスのパーシアを使いまして、その幾何平均をとる。そうすると百万倍程度の換算率が出てくる。それでつないでいくわけです。

 それで一応支出勘定のほうはわかった。しかし、幾ら何でもこれだけで全部出すのは心細い。戦前・戦後を何かつなげないかということを見てまいりますと、台湾の場合も日本の場合も非常にありがたいことに、物量ベースの統計はある程度あるわけです。日本のは1945年はありませんけれども、台湾は統計がある。農業については農業生産指数をつくっていくことができる。工業については工業生産指数をつくっていくことができる。ただ、構造が変わっていますから、工業生産指数の場合は各々何らの意味で別のウエイトを使って幾何平均をとるという作業は必要ですけれども、一応そこで実質額をつなぐことができる。

 それから、第3次産業につきましても、通信・輸送とか建設についてはある程度データがある。全くないのは何かといいますと、戦前については商業のデータがありませんし、サービスのデータがない。しかし、ここの部分だけは名目金額を何らかの格好でデフレータをつくろうということで、例えば賃金指数等でデフレートする。これで戦前・戦後を何とかつなぎまして、両方突き合わせてみますと、幸いにして台湾と日本の場合は大体合った。もちろん実質ベースで統計的齟齬がゼロになるという保証は全くないわけです。あまり大きい統計的齟齬が出るようでは話にならないですけれども、比較的小さい統計的齟齬で済んだ。これで安心だろうということで進めているというのが現状です。

 ただ、本日お配りしました台湾についての国民経済計算の部分は仮計算でして、なおこれから直す予定があります。その点はご注意いただきたいと思いますが、例えば消費支出はごくわずかながらこれから直る予定ですので、この数字そのものはまだお使いにならないようにしていただきたいと思います。お使いになれる数字は3月までには固めるつもりでおります。

 以上でございます。

 司会 どうもありがとうございました。

 それでは、皆様から質問等々をお受けしたいと思います。

 尾高 いまのお話の中には、これからやる作業の指針になることがたくさんあって嬉しかったのですけれども、その中で特に最後のほうでおっしゃった、生産指数に限らず指数問題を Divisiaで解決していけばいいという点は、統計学界ではかなり常識に近くなっていると思うのですが、私を含めて、実際に作業をやるときに Divisiaをどういうふうにつくるかとか、どのような問題があるかもしれないとか、それをどう解決すればいいか、 等々については必ずしも十分に知ってないと思うのです。そういうことについては何を見ればいいとか、ハンドブックはこれがいいとかいうことをおっしゃっていただけませんでしょうか。

 溝口 どうも宣伝臭くなって困るのですけれども、Divisia の指数そのものについてのお勉強ですと、私と寺崎が訳しましたアレンの『物価指数の理論と実際』の中に Divisiaの話はよく書いてあります。

 それから、どういうところでウエイトをつくったらいいかという1つのエグザンプルを申し上げますと、資料Bの5018をお開きいただきますと、大きな実験結果の一部が書いてあります。これは生産指数の個別指数をつくりまして、いろいろな年次についてウエイトをつくっていったものです。ここでは数は少なくなっていますけれども、1915年から始まりまして、1920年、1925年、1930年、1935年、1940年、戦後については1955年、1960年、1965年、1975年のウエイトにしまして、ここでご注意いただきたいことは、ウエイトがこのように違っていますと、ウエイト時点と、指数にする参照地点と私どもは申していますけれども、リファレンス・イヤーを別につくってあるのです。参照イヤーは193436年の平均価格を 100にして、それで指数をつくって、各ウエイトをずっとつけていったわけです。

 この数字を見ていただきますと、どのようにご評価をなさるかわかりませんけれども、戦前の別々のウエイトを眺めてみますと、戦前についてはあまり大きく動いていない。そのために15年と35年しか示していないのですけれども、戦前についてはあまり動いてない。実はここのところであんまり頻繁にウエイト変更をやっても、それほど意味がない。ところが、戦後は、1990年指数あたりを眺めていただきますとわかるのですけれども、1955年基準指数と1975年指数だとべらぼうに数字が違ってくる。歴史統計で過去の統計は全部あるわけですから、別々のウエイトをザーッとつくっていきまして、どこら辺で切りかえをやらなくてはいかんかということは、1つの作業仮説を立てる上でのやり方であろうと思います。

 私ども、大体こういう作業仮説を立てまして、戦前につきましては1回の変更、戦前・戦後のリンクにつきましてはもちろん変更、戦後については5年ごとに変更しています。いま計算機が非常に発達しておりますから、こういうものをつくって計算して、結果から求めていったほうが、理論で何だかんだという議論をしているよりはよろしいのではないだろうか、ということが1つであります。

 もう一つ、これはご参考までに申し上げますと、かなり多くの先進国ではゼロと5のついた年を基準ベースにとっている例が多いようでありますので、できればゼロと5のどこかで変更していくというのが多国と比べる意味ではよろしいのではないかと思います。

 それと、これは午後にでもサジェスチョンしていただくとありがたいと思いますけれども、指数をつくる場合に、できればリファレンス・イヤーは統一しておいたほうがよろしいかと考えておりますので、これはむしろ事務局のほうからご指摘いただければ、それに合わすようにいたしたいと思います。これは非常に重要なことではないかと思います。案外後で厄介になります。

 山本(京都大学) 最後に国内ベース・国民ベースとおっしゃいましたけれども、基本的に何が違うかという問題と、パーセントでどれぐらい差が出てくるのか、教えていただきたいと思います。

 溝口 国内ベースと国民ベースといいますと、普通は、日本人と日本国内ですから、それは大変違うだろう、日本人は海外にたくさん進出しているし、外国企業もたくさん日本に入ってきているので、国内ベースと国民ベースはえらい違うはずだというふうに思われがちなのですけれども、少なくとも現在国連がやっている国民経済計算では、国民の範囲を非常に広くとっているのです。日本に長期滞在している人は国民経済ベースでは国民になりますし、外国資本であっても日本にある企業は国民なわけです。

 残ったところはどんなところかといいますと、日本に住んでいる人がきわめて短期に海外旅行して海外で消費した、これは国民ベースと国内ベースが違ってきます。それから、一部のトランスファー勘定は違いますし、またイギリスのように海外投資の収益金を本 国(?)に送っているというところでも国内ベースと国民ベースは違ってきます。

 ただ、日本で国民ベースと国内ベースが大きくなりだしたのは1980年以降で、それ以前は国民と国内ベースはそれほど大きくない。ただ、シンガポールなどは国民ベースと国内ベースの勘定は大変違うと思います。その意味で、従来植民地であったところはどうなのだろうかということがあります。ただ、台湾の場合は、もちろん日本は侵略者として住んでいたわけですけれども、国民経済計算上では台湾も国民になっていますので、国民経済計算に関する限りはあまり問題はない。だから、それをやるにはSSDSの概念を持ってきて区分しないと、植民地支配の問題が出てこないということです。

 望月(北海道大学) 私はロシア経済をやっております。いまお話を伺いながら、ロシアの経済統計の扱いについて大変参考になりました。

 1つは、ロシア経済の場合、深刻な価格や報告数字のバイアスもさることながら、公式統計のカバレッジの問題、自家菜園とかの問題がかなりあると思います。もう一つは、統計項目の調整と産業分類の統一が大きな作業だと思います。また、ソ連統計では産業統計の集計法と国民所得の集計法が異なっているという問題もあります。

 それから、これは質問ですけれども、金融関係の統計は一応外すのでしょうか。

 溝口 私はこういうやり方をしているのです。これは金融をやる人から叱られそうなのですけれども、国民経済計算では、特に利子関係、貸出関係は、金融の生産として計上しておいて、ただし貸出関係の金利はいろいろなところで使われまして、実際に中間投入になっているものですから、後で帰属利子というものを差し引いているわけです。それが国民経済計算の勘定なのです。ところが、非常に金融が発達した国を除きますと、金融の生産から帰属利子を差し引いた値は非常に小さい。そこのところをこちらはインチキをやりまして、金融の生産はきわめてネグリジブルであるという処理で、いままでの生産統計を取り扱ってきた。ただし、これはもちろん第3次産業を金融分だけ小さくしている可能性はあります。ただ、戦前につきまして帰属利子まで全部推計しようとすると非常に大変だろうという感じがします。これが第1点です。

 それから、カバーしてない数字はどれであるかということで、1つだけ経験を申し上げますと、『長期国民経済計算からみた1940年代の日本経済』という本でやっていることの一部は、実質生産を計算する場合ですけれども、特に戦後の工業生産・農業生産について、特に工業生産ですが、バイアスがあるに相違ない。というのは、これは政府に供出されたものだけですから、闇市場で取引されたものもあるに違いないということは当然予想されます。

 ただ、1つのやり方は、『国民所得白書』で計算しているものがありまして、そこのところは生産統計と支出統計があるわけです。戦後の支出統計はサンプル調査等を使ってわりに信用できるのです。生産統計は政府がつかまえ得たものだけです。その差を見ていきますと、これもおそらく地下経済の規模のインディケーターだろうというふうに考えられます。40年代から50年代になるとその差は急速に接近してまいります。しかし、その比率を使いまして一部生産指数の修正をやったというのは、アイデアがあるとすればそのアイデアなのですが、三面等価するはずですから、一番強いところの統計と比べて他の推計がどれぐらいバイアスを持っているか、これは1つの接近の仕方ではないかと思います。

 小浜(静岡県立大学) これは午後尾高さんに答えてもらってもいいですが、先ほどの国民概念と国内概念の話ですが、非常に広い意味のアジアをやっているわけで、例えば韓国の80年代の経済成長率を見ても、GDPかGNPかでえらい違うのです。それは当然中東の建設とか短期の1年未満のやつで大きいものがあるからです。分析に耐えるデータをつくるとすれば、各国のご専門の方がおられるので、どういう形で……。少くともBOPはきちんとしろとか、どっちで行くんだけれどもここはこういうふうに必ずつくれとか、そういうことを、尾高さんに決めろということじゃなくて、議論をして、どういう形にすれば分析に耐える我々のものができるのかということを、いまでもよろしいし、午後でも尾高さんがお話しになるときに、どう考えましょうかということをまとめておいたほうがいいのではないかと思います。

 溝口 確かにGNPとGDPを両方推計しなくてはいかんということは、私は必要だと思うのです。ただ、コンセプトとしてすべての個別系列をGNPに合わせるということが、歴史統計でできるかどうか。私は歴史統計ではほとんど不可能だと思います。歴史統計でやっていけば、個別系列は否応なしにGDP概念にならざるを得ない。だから、GNPを推計するとすれば、GDPで計算しておいて、それの海外送金等を別個推定して、それをGNPに直すという方法しかないのではないか。

 小浜 国際収支のところで押さえていけば、何とか最低限のところは推計できますが。

 溝口 トータルはできます。

 小浜 項目はできない?

 溝口 GNP概念で投資も全部推計しろというのは無理だということです。

 望月 地域統計の場合、行政面積の差による相違というのがありますね。ソ連の場合だとそういうことが出てくるのです。つまり統計がカバーする領域の相違です。

 溝口 その問題は日本でもあるわけでして、私、在職中に日本の長期統計を整備しようと思っていて、いまだに気になっておりますのは、日本の統計で未整備でありますのは沖縄返還までの沖縄県の処理なのです。あの部分は完全に日本の統計では除かれているわけです。それから、人口統計で細かいのを見ていきますと、「国勢調査」のところに全部書いてありますけれども、小笠原が返ってきてこういうところで数が増えた、そういうのが全部あります。実はそれは本来ならアジャストしなくてはいけない。

 ただ、台湾の場合はたまたま行政区は一緒でありまして、台湾政府が福建の領有権があると現在主張している島は統計から除いて、台湾プロパーでやっています。だから、韓国の場合にこれは大変だろうと思います。戦前の日本の領有した朝鮮の範囲と戦後の範囲が違っている。いま3つアイデアがあるわけです。

 1番目のアイデアは、戦前の日本の統計を現在の38度線から2つに分けてやるということなのですけれども、これは農業についてはやっています。農業についてはしっかりそれででき上がっています。工業についてもできます。ただし、そのほかのものはできません。例えば、財政支出をどう戦前・戦後に分けるのかなんていうのはとてもできません。それが第1です。

 2番目のやり方は、韓国の統計と比較して非常にデータが不足していると批判はありましょうけれども、朝鮮人民共和国の統計をとってきて戦前とくっつけてやる。これはもっともっと大変です。そして第3の方法として、実際上これからやらざるを得ないというのは、パーキャピタに直してつなぐよりしようがないだろうというふうに私は考えています。いわゆる人口比例でやっていく。面積比例ではやらない。この3つの方法しかない。面積比例はちょっときついんじゃないかなという感じを私は持っています。

 久保庭(一橋大学) 歴史統計の場合はGDP統計のほうが一貫するということなのですが、多くの国で、戦後はGNP統計がメインになっていた国があって、いまもそれが続いている。GDP統計は不十分であるという国があるとしますね。その場合は、溝口先生のご意見ですと、GDPの本来の推計が長期的には合っているというふうに考えていいわけですか。

 溝口 GNP統計というのは、第1回の1950年に国連の勧告でもGNP統計だったわけです。GDP統計でやったのはごく最近でありますから、GNP統計がずっと主流をなしてきただろうということはわかるのです。ただ、私どもがやりましたのはコモディティ・フローですから、コモディティ・フローというのは生産統計なのです。生産統計と生産額では本来GDPですから、GNP統計を全部やろうとすると、その部分は全部調整しながらやっていかなくてはいけない。サービスというところも全部調整しなくてはいけない。おそらくこれはいろいろな国でGNP統計をつくったときに、ある程度アグリゲートした段階で調整をやったのだろうと私は思います。ベーシックのところまでGNP統計になっていたとは思いません。日本の国民所得統計の例を見ましても、GNP統計になっていません。

 それから、制約された情報の中でGNP統計でベースからつくるというのは、どだい無理なのです。無理なんだけれども、GNPでつくれと言ったからGNPにしていたということだろうと思います。ましてや歴史統計になると個別系列からGNPにやるということは無理です。だから、GNPでやりたければ、ある程度アグリゲートした段階でGNP概念に返還して、それを足していくという方法をとらなくてはいけない。しかし、国連が幸いGDPで出してくれたから、いまさらGNP概念で全部積み上げる必要もないだろうと私は思います。

 司会 溝口先生どうもありがとうございました。