民国期の中国農業統計



佐藤 宏




統計機構と農業統計

民国期の農業統計は、統計機構の変遷にしたがって、(1)1912〜27年、(2)1927〜31年、(3)1931〜49年の3つの時期に大別することができる。以下、簡単に各時期の状況をみていこう。

辛亥革命直後の1912年、中央政府各部門に小規模な統計機構が設けられた。省レベルでも1913年以降、それぞれ統計機構が設置された(たとえば山西省では省に統計処、県に統計主任、湖北では省に統計股、県に統計専員)。その後、1916年に至り、「最高の統計機構」として国務院統計局が設置されたが実質が伴わず、統計業務は各部門ごと、省ごとにバラバラに行われていた。

1927年に南京国民政府が成立すると、中央政府各部門にそれぞれ統計を所管する部局が設置されたが、その形態はさまざまであり、たとえば立法院や鉄道部には統計処が、実業部、軍政部には統計科が、また内政部には統計司が置かれた。1929年には中央の統計専門機構として立法院統計処が成立したものの、他機関の統計業務を実際的に監督する権限がなかった。また省政府の各部門にも統計機構が置かれたが、省レベルでそれらを統括する機構は存在しなかった。このように南京国民政府成立直後の統計機構は総じて複雑かつ不統一なままであった。

1931年、財政統計をはじめとする各部門の業務統計を専門機構によって統一的に管理する目的で「主計制度」が導入され、新たに主計処が設置された。主計処の下には「歳計」、「会計」、「統計」の3局が置かれ、統計局には第一科〜第五科の5つの科が設けられた(のち1946年に全7科に拡充改組)。農業統計は牧畜業、漁業、採掘業、天然資源統計とともに第二科の所管とされた。主計処設置と対応して省レベルにも一律に統計室が置かれることになった(1947年に統計処に改組)。省の統計室は3股構成であり、所管事項は第一股が社会統計、第二股が経済統計、第三股が統計制度および人事であった。また同時期に統計事業にかんする基本法として「中華民国統計法」(1932年)および「統計法実施細則」(1934年)が公布された。なお1930年には立法院統計処を中心として官庁統計実務者の連絡調整および研究のための組織として中央統計連合会(主席:陳郁、書記:張心一)も成立している。中華統計法にもとづく主計処統計局の業務範囲は、大きく各部門の業務統計(「公務統計」)の収集・整理および統計調査(人口センサスと物価調査)の実施に分けられる。業務統計は、1930年代初め段階で、40類235綱1072目に分類されていた(「目」が1つの統計表に相当)。この中に含まれる農業関連項目として、農業、食糧、牧畜、開墾、水利、林業がある。その後、1944年に至って業務統計は29種135綱656目に整理されたが、農業関連に限れば構成に大きな変動はなかった。

主計処統計局はいくつかの統計資料を公刊した。そのうち代表的なものが『中華民国統計年鑑』、『中華民国統計提要』および『統計月報』である。『中華民国統計年鑑』(1948年版)は最も包括的な資料であり、合計20分野(地理環境、政治制度、人口、農林・牧畜・水産業、水利、鉱山・鉱業、工業、商業・物価、国際貿易、地政、食糧、財政、金融、交通、教育、衛生、社会、司法など)に分類され、1920年代末から1947年末までをカバーしている。このうち地理、政治制度は主計処統計局の手によるが他の項目は各部門の統計処(統計室)が分担しており、農林・牧畜・水産業部分は農林部統計室の編集による。主要な統計を摘録した『中華民国統計提要』は1935、40、45、47年の計4回発行された。内容構成はそれぞれ異なっているが、1935年刊のものが最も詳細であり、36分野の330の統計表を採録している。『統計月報』は1931年10月刊行開始の月刊誌であり、当初、統計方法論、内外の統計制度などが中心であったが、1934年頃から統計資料も掲載されるようになった。たとえば『統計月報』(1933年5月、農業特集号)の「各省農業概数估計総報告」は主計処統計局系統の農業マクロ統計をまとめたものである。なお、これと別に立法院統計処刊の『統計月報』もある。




農業統計と利用上の問題

1910年代に関する唯一の全国的な統計資料が農工商部『農商統計表』(第1〜第9次)である。『農商統計表』に含まれる農業関連統計は、@農家戸数、A耕地面積、1戸当たり耕地、B稲、麦類、豆類、桑、繭・生糸、茶の作付および生産、C自然災害、D荒蕪地状況などである。数値は県単位でまとめられ、省を経由して農工商部(統計科)に上げられた。よく指摘される通り本資料には、調査方法にかんする情報が不足していること、同一省内で報告を上げた県の数が年次ごとに大きく異なること(広西、貴州、四川など西南地域はカバーされていない)、明らかな異常値が頻出することなど、多くの問題がある。このため既存研究における利用はきわめて限定的である。たとえば劉大鈞「中国農田統計」(中国経済学社『中国経済問題』、1929年)は比較的問題が少ないと判断される地域・年次のみ原データをそのまま用いているが、おそらく最も安全な使い方は、Perkins(1969)のように複数年次の数値を平均して利用することであろう。

1930年代の農業に関するマクロ的統計として最も基本的なものが実業部中央農業実験所『農情報告』である。『農情報告』は、@全国における主要作物の生産量推計および作柄予測、A各省の農村経済の実態を把握し、経済発展・衰退の原因を理解することを目的とするものであった。調査地点は22省1200余県にわたり、数千名規模(1935年6000名、36年6300名)の農情報告員が調査票にもとづき県のデータを収集し、毎月1回の報告をあげた。報告県数は年次により異なるが、たとえば1933年は1068県、34年には1154県であり、総県数の約60%をカバーしている(1934年の総県数は1744)。農情報告員は、当該地域に長く住み地域の事情に通じていること、農業に関心をもち調査票記入の能力があること、などを条件として選任された。実際の構成をみると小学教員25%、農民22%、農業・実業学校等教育関係17%、県・郷村官吏16%などとなっている。調査項目には主要農作物すなわち、食糧(稲、麦、コーリャン、トウモロコシ、粟、甘藷、馬鈴薯等)、衣料原料(綿花、麻等)、輸出農産品(落花生、生糸、茶、羊毛等)の播種面積・生産量、土地(価格および小作料水準)、家畜保有、副業状況、労賃・物価および消費状況などが含まれていた。実際の生産量推計は、各県の耕地面積、平年の作付構成および単収を基本とし、報告員が報告した作付状況の変化、作柄の良し悪しを勘案して割り出すという方法がとられた(その場合、耕地面積、平年の生産状況は主計処統計局の数値が元になっている)。また農産物価格および生活用品価格については四半期ごとに、また地価、租税公課、小作料、労賃、利子については1年1回、農情報告員が調査結果を報告することになっていた。

農業生産にかんする長期統計を利用する最近の研究として、Kueh(1995)、Stone and Rozelle(1995)がある。これはTang(1984)らが行ってきた1950〜70年代の農業生産推計を拡張して、民国期(1930年代)から改革後(1980〜90年代初め)までをカバーするとともに、より本格的な農業生産変動(年次変動および省間差異)の要因分解を試みたものである。そこで民国期のデータとして用いられているのは『農情報告』であるが、データの質に疑問を呈しながらも原資料の数値をそのまま用いている。これは分析目的が農業生産の絶対的規模の把握ではなく、ある期間内における年次変動ないし省間差異から技術変化、商品化、制度・政策の変化そして天候変動が農業生産に与えた影響を割り出し、農業成長の長期パターンを解釈することにあるためである。

他方で、Kueh、Stone and Rozelleともに民国期と人民共和国期の生産統計系列をつなげることに対してはきわめて禁欲的である。利用可能な資料の性格からみてこうした限定的な使い方が現実的であると思われるが、あえて民国期における農業生産をマクロ的に再推計するとすれば、どのような接近方法が可能か、慎重に検討する必要がある。




参考文献

Kueh, Y.Y.(1995). Agricultural Instability in China,1931-1991: Weather, Technology, and Institutions,  Clarendon Press.

Perkins, Dwight. H.(1969). Agricultural Development in China: 1368―1968, Chicago : Aldine,1969.

Stone, Bruce and Scott Rozelle(1995). The Composition of Changes in Foodcrop Production Variability in China,1931-1985, SOAS.

Stone, Bruce and Z. Tong(1988). 'Changing Patterns of Chinese Cereal Production Variability during the Peoples Republic Period,' in J. R. Anderson and P. B. R. Hazell(eds.),Variability in Grain Yields and Implications for Agricultural Research and Policy, Johns Hopkins University Press.

Tang, Anthony M.(1984). An Analytical and Empirical Investigation of Agriculture in Mainland China,1952-80, Chung Hua Institution for Economic Research.


(さとう・ひろし 一橋大学経済学部教授)