戦前期の人口統計



羅  歓鎮




戦前人口再推計は可能か

われわれの目的は、解放前の人口、できればそれを男女別・地域別に分けて推計することにある。プロジェクトの目的や中国班全体の枠組みを考えると、人口推計は1870-80年代(近代工業化運動としての「洋務運動」が始まる時期)まで遡及することが望まれる。しかし、後述するデータの制約で、推計作業は、とりあえず中華民国期の人口から始めることにした。

中国の人口調査の歴史は紀元前3世紀の秦朝に遡るといわれている。しかし、その対象はすべての人口でなく、いわゆる「丁」(一般に成年男子を指す)に限られていた。1712年、清政府は「盛世添丁、永不加賦」政策を実施し、調査対象は全人口に広がった。以後1850年まで信頼できる人口統計調査を続けてきたといわれている。1851年に太平天国蜂起が勃発し、清政府の統治が多くの地域で崩壊した。それに伴って従来の制度が機能しなくなり、人口調査・報告制度は中断された。

1908年清政府は立憲体制を準備するために、「人口調査6カ年計画」を策定・実施したが、1911年の辛亥革命によって、その人口調査は未完成に終わった。その後、人口学者陳長衡は清末の調査結果を収集し、全国で71,264,000世帯、368,245,000人と推計した。この清末の調査が中国での初めての人口調査である。これがわれわれの近代人口再推計の出発点となる。

1912年の中華民国の成立から1949年国民政府崩壊までの38年間に、政府は人口統計を重視し、1912、1928、1936年、1947年の計4回、全国規模の調査を行なった。また多くの学者や民間の調査機関も人口の調査・推計を行なった(表1)。しかし何度も計画された人口センサスは、様々な原因で結局実現しなかった。

しかし、データが豊富であることは、必ずしも人口推計が容易であるということを意味しない。民国人口推計作業を始めるに当たって、南亮進先生、薛進軍先生及び筆者は、台湾の劉翠栄教授、復旦大学の葛剣雄教授、中国人民大学のなど多くの専門家に意見を伺った。彼らは「民国人口を推計しない方がよい」という予想外の反対意見を述べた。それは以下のような理由による。民国時代における政治動乱、社会不安、戦争などのために、きちんとした人口統計調査は行われなかったからである。多くの人口データが「作成された」が、その信頼性は低い。しかも、それらは互いに食い違って矛盾している。民国人口の再推計は無意味ではないが難しすぎる、というのが中国人専門家の一致した意見であった。われわれは民国人口の推計作業を共同で行なうために、民国人口の権威とされる複数の専門家と連絡を取り、交渉してきたが結局、婉曲に断わられた。

それを受けて、われわれの作業グループ内部にも、あきらめたらどうかという意見すらでてきた。しかし、中国の近代経済成長を推計するためには、人口統計は基礎データとして必要不可欠であると判断し、あえて試みることを決意したのである。




戦後における民国人口研究および問題点

1950年代の国連人口推計を始めとして、内外の研究者によっていくつかの人口推計が行われた。それらの統計・推計のうち、国連、Ta-chung Liu・Kung-chia Yeh、尾上悦三及び章有義の研究は特に重要と考えられる。

これらの推計は、解放前の人口に関する統計や推計を利用するグループと利用しないグループに分けることができる。前者は、1953年の第1回センサスの結果を基礎に、過去の人口資料を何らかの形で修正・補足して推計している。この方法を直接推計と呼ぶ。これにはLiu・Yehと章推計がある。

それに対して、過去の統計や推計を信用せず、全く利用しないのが国連と尾上による推計である。国連や尾上は1953年のセンサス結果をベンチ・マークとして、解放前及び直後に行われたいくつかの人口動態調査を用いて、1910〜49年における出生率と死亡率を仮定し、1911年までの人口を推計している。

上述した諸推計はいくつかの問題を内抱している。直接推計は、政府機関が調査・発表した統計を修正しているが、その修正の根拠は必ずしも明らかになっていない。この問題はとくに章推計において深刻である。自然増加率の仮定についての問題はさらに深刻である。まず国連の場合のように、1910年代から50年代までの人口増加率を一定と仮定することは無理であろう。尾上推計は期間ごとの人口変動を仮定しているが、その根拠を十分に示していない。また、人口増加率の推計方法は簡潔とはいえるが、なお多くの資料が利用されていない。たとえば、性比や乳幼児率に関する資料、地域的調査によって推計された生命表は、大いに参考になる。




新たな接近法

上述したように、これまでの研究はさまざまな問題を抱えてはいるものの、民国人口を推計することは不可能ではない。同時代の資料を利用しつつ、新たな推計方法が求められる。ここでは次のような二つの方法を提起したい。

一つは、直接推計法を使うもので、政府系の統計を基礎に、さらに地域調査や地方での人口センサスの結果を利用して、前者に存在すると思われる人口漏れ(「乳幼児漏れ」と「女性漏れ」)を補足する。この方法では、これまで利用されていなかった多くの地域調査が大きな役割を果たすことになろう。

もう一つは、いわゆる Princeton生命表に基づく推計方法である。1970年代、Princeton大学の人口学者(以下「Princetonグループ」と称する)は50年代以来開発した人口間接推計方法を応用し、表1のバック・データを再推計した。この作業によって、解放前の農村人口はかなり安定的人口(stable population)に近かったことが確認され、また農村人口の生命表も作成されている。

Princetonグループは民国人口を推計していないが、 Princeton生命表を用いて、民国人口を再推計することは可能である (Princeton生命表については、斉藤修教授のご教示による)。

最後に、現在の作業状況とこれからの課題を簡単に記ておこう。

第1の課題。筆者は前述した二つの方法で、民国人口の再推計を1997年の秋に試みた。しかし、二つの推計に大きな格差が見られ、より一層の調整や工夫が必要である。

第2の課題は、人口推計に基づく労働力の推計である。データの制約で、産業別に細かく推計することは不可能であろうが、農業・非農業別には推計してみたいと思う。





参考資料

南亮進監修・羅歓鎮著『民国人口:研究史の整理と展望』一橋大学経済研究所。COE Discussion Paper No.D97-9, August 1997。



(Luo Huanzhen 日本大学国際関係学部講師)