私が「アジア長期経済統計データベース・プロジェクト」のまとめ役を仰せつかったのは1996年の春のことだから、そろそろ2年になろうとしている。
中国はアジア最大の国であり、しかも歴史的にも文化的にも日本と深いつながりがあることから、同プロジェクトの中でも中国研究に対する期待が大きくなるのは当然かもしれない。しかし実際には、基礎統計の利用可能性がきわめて限られているので、これほど研究が難しい国はない。もちろん、これは他のアジア諸国でも大同小異であろうが、中国の場合にはさらに以下のような事情が加わる。
第1に、文化大革命の時代に統計制度が破壊されて、その時期の統計整備がまったく進まなかったばかりでなく、それ以前に蓄積された原資料も散逸するなど、大きな打撃を受けたことはよく知られている。
第2に、1949年の中華人民共和国成立以前では、全国土を支配する単一政府が存在しなかったこともあり、全国土をカバーする統計は得難いという問題がある。
したがって、中国の歴史統計の整備は、かつて筆者が参加した日本の「長期経済統計」の推計作業に比べてはるかに困難である。それにもかかわらず中国研究に挑戦するのは、なによりもこの国の重要性のためであり、それなくしてはアジアの長期経済発展の解明は不可能だからである。
われわれ中国部会の作業課題とその分担者を以下に紹介しておこう(太字は各責任者である)。
統 括 南 亮進 (補佐・牧野文夫)
(1)国民所得 (GDP・GDE)
全国解放以前 松田芳郎・久保庭真彰・岳 魏 ほか中国研究者
全国解放以後 久保庭真彰・松田芳郎・岳 希明・中国国家統計局
東北3省 山本有造
(2)生産関連統計 (GDPの項目)
農 業 佐藤 宏・江夏由樹・牧野文夫・羅 歓鎮
工 業 牧野文夫・久保 亨・関 権
インフラ産業 杜 進・
(3)支出関連統計 (GDEの項目)
貿 易 深尾京司・小瀬 一・岳 希明
消費・資本形成 牧野文夫・劉 徳強・関 権
(4)その他の統計
人口・労働力 薛 進軍・南 亮進・羅 歓鎮
物価・賃金 劉 徳強
財 政 杜 進・
金 融 随 清遠
第1グループは、国民所得系列の推計である。このうち戦後の作業は、中国国家統計局との共同作業として進められ、幸いその結果はすでに公表されている(本誌の久保庭真彰氏の報告を見られたい)。戦前の国民所得推計も中国の研究者グループとの共同研究の形で進行中であるが、この作業はきわめて困難であり、正直のところどの程度の成果が得られるか楽観はできない。
第2グループは、主要産業の生産統計の推計で、戦前期に焦点を当てて作業が進められている。(戦後が除かれているのは、第1グループによって産業別GDPが推計されているからである)。このうち農業と工業(本誌の佐藤・牧野両氏の報告を見られたい)については、生産額のみならず付加価値の推計も行ない、第1グループが行なったGDP推計をチェックすることが予定されている。また、インフラ産業の代表として鉄道を選び、関連統計の整備を行なっている(本誌のカク氏の報告を見られたい)。なお、いわゆるサービス産業の推計は現状では不可能と判断し断念した。
第3グループは、有効需要の項目としての貿易額と消費・資本形成の推計である。貿易額については海関統計など資料が比較的豊富であるため、よい推計結果が期待される(本誌小瀬氏の報告を見られたい)。消費・資本形成については目下のところ未だ着手していない。それはコモディティ・フロー法によって推計される予定なので、生産統計の整備が前提とされるからである。
第4グループは、その他の系列の推計である。いずれも経済発展の研究には欠かせない分野である。このうち中華民国時代の人口については本誌の羅氏の報告に譲る。物価・賃金、財政、金融の各分野については、研究の開始が遅れたため進行が若干遅れ気味である。しかし、いずれも作業の見通しはついており、ある程度の推計結果は得られるはずである。
中国部会ではおよそ2ヵ月ごとに研究会を開催することとしており、これまで統計データの概念・利用可能性、既存の研究業績の展望などを中心に、各分野の担当者からの報告が行なわれた。そして97年秋から報告は第2ラウンドに入り、工業・人口・鉄道などの分野では独自の推計作業結果も報告されるに至った。またこの間、わが国における中国経済研究の先達ともいえる石川滋教授からお話をうかがったり、中国から近代経済史の碩学劉佛丁教授(南開大学)、現在の国民所得統計の実務責任者李強氏(中国国家統計局・国民経済計算司)をお招きしてワークショップを開催するなど、積極的かつ多角的な活動を展開してきた。
現在までのところ、各作業の進行状況には若干のばらつきがあるものの、一応は予定通り進行している。責任者の希望としては、各分担者が本年いっぱいまでにとりあえず第一次推計を完了し、その後それらを相互にチェックして修正したり、全体として整合性を保つように調整するなど、それぞれの推計の改善の段階に入る予定である。
各分担者による作業の中間結果はディスカッション・ペーパーに発表される予定であり(すでにいくつかは発表済み、*文末参照)、読者の方々からのご忠告やアドヴァイスをいただければ幸いである。
中国部会では多くの研究者に参加していただいていることは、先の分担一覧で明らかであろう。参加者にはベテランの学者から新人まで多士済々であり、また専門分野を見ても経済学者と歴史学者がバランスよく顔を並べており、ユニークな構成となっている。各分担者にはそれぞれ活発な活動をしていただいているが、わけても博士課程を修了して間もないか、あるいは近く修了予定の若い中国人学徒の活躍は期待以上である。このプロジェクトが新しい学者を輩出する機会になれば、これほど喜ばしいことはない。
(みなみ・りょうしん 東京経済大学教授・COE中国班リーダー)
96- 2 Eiji Tajika,“China's economic reform and fiscal management:a view from central local relations”, January 1996.
96-13 石川 滋 「中国の長期国民所得推計と課題:COEプロジェクト中国部会第3回研究会記録」 February 1997.
96-14 劉 佛丁・王 玉茹 「中国における国民所得推計の現状と展望」 February 1997.
96-16 李 強 「中国の国民経済計算体系:遡及系推計のための方法論」 March 1997.
97- 6 山本有造 「『満洲国』国民所得統計について」 July 1997.
97- 9 南 亮進監修・羅 歓鎮 「民国人口:研究史の整理と展望」 August 1997.
97-18 牧野文夫・久保亨 「中国工業生産額の推計:1933年」 January 1998.
97-31 王 玉茹 「戦前の中国物価推計に関する考察」 March 1998.
97-32 王 玉茹 「相対価格変動と近代中国の経済発展」 March 1998.
98- 5 薛 進軍・前田比呂子・南 亮進 「戦後中国の全国人口統計:資料の吟味と時系列統計の推移の試み」 May1998.
The Historical National Accounts of the Republic of China,1952-1995.A joint publication of the State Statistical Bureau of the People's Republic of China and the Institute of Economic Research,Hitotsubashi University,September 1997.