北朝鮮の経済危機の構造的要因



木村光彦




1.北朝鮮の経済について

ソ連崩壊ののち北朝鮮経済が停滞に陥り、近年とくに危機的状況を示していることは明白である。北朝鮮政府自身もそのことを認めるに至っている。それでは、それ以前はどうだったのであろうか。

1960―70年代の北朝鮮の経済は順調であったと考える人が多いのではないだろうか。この小論では、現在の危機の要因を北朝鮮社会の特質から考察する。

北朝鮮には、以前から、他の社会主義国と同様あるいはそれ以上の欠陥、すなわち非効率性、硬直性、労働意欲の欠如といった問題が存在し、経済発展の大きな障害となっていた。金日成の演説を参照するとこのことがよく分かる。金日成には膨大な著作(演説)集があり、そのなかで彼は自己賛美を繰り返す一方、経済運営上の数々の問題点を指摘しているからである。これらは北朝鮮経済の実情を知るうえで欠かせない資料となっている。こうした問題の指摘は、最高権力者である金日成のみがなしえるものであり、じっさい他の公式資料にはほとんどみられない。以下、そのいくつかを紹介しよう(訳文は、日本語版『金日成著作集』による)。

「工場や企業所へ行ってみると、資材倉庫一つまともなものがなく、多くの資材を浪費しています……石炭やセメントのようなものも倉庫に保管すれば、少しも浪費されないはずなのに、屋外になおざりに積んでおくので雨にぬれてつかえなくなったり、風に吹きちらされてなくなったりしています」(1968年5月)。

「われわれは毎年数十万トンの魚をとっていますが、実際に人民の手にゆきわたる量はいくらにもなりません。それは他でもなく、水産部門の幹部が魚類の加工の手配を綿密におこなわず、水揚げした魚を多く腐らせているためです」(1968年6月)。

「近年、穀物生産が伸び悩んでいます……いま協同農場管理職員はなまけぐせがついて勤労精神がたりず、野良にでる場合があっても仕事はしようとせず、指示ばかり与えて歩き回っています。一部の協同農場管理職員はいちばん忙しい田植えどきや草とりの時期には生産労働に参加しようとせず、秋に稲の束を幾度か運搬しては労働点数をかせいでいます」(1970年11月)。

協同農場においてこうした問題が起るのは、いうまでもなく、作業ごとに労働点数が決められており、この点数に応じて賃金が支払われるからである。1970年以降、北朝鮮政府当局が穀物生産のデータをほとんど発表しなくなったことは、協同農場の運営問題の深刻さを示唆している。さらに、「経済統計が不正確なのが現状です。労働力の浪費を掌握する統計もなく、設備統計も満足なものがありません」(1974年7月)。

「いま、人民の生活をよりはやく向上させることができないのは決して国の物質的土台が弱いからではありません。われわれには労働力もあり、資材もあります。問題は官僚主義者、保守主義者、要領主義者がいすわって、労働行政をなおざりにし、設備管理を怠り、資材供給も満足におこなわず、いいかげんに仕事をしているところにあります……最近わたしは、軽工業部門の実状を調べるため、平壌市内の工場に直接出向いてみました……メリヤス工場では機械を設置する場所がないといって、外国から輸入してきた機械を何か月間も放置したままでした。それだけでなく、この工場では倉庫がないという口実で原料をところかまわず積み上げておき……紡織工場からひきとった糸はころがりほうだいにして使い物にならなくしていました」(1973年2月)。

「水産省では、細部計画も作成せずにいて、盛漁期になると、あれがない、これがないといってさわぎたてています。それでやむをえず、鉱山に供給することになっていたワイヤロープや鋼材を水産省にまわす場合が少なくありません。そうすると鉱山は鉱山でまた、ワイヤロープや鋼材がなくて鉱石を採掘できないとさわぎだします」(1976年11月)。

「石炭の供給が円滑になされないため、電力生産と輸送に大きな支障をきたしています……昨年の冬咸鏡北道では石炭が円滑に供給されないため、機関車が1か月近く正常に運行できませんでした。セメント工場でも石炭や石灰石が不足して、生産が正常化されていません」(1977年9月)。

本来北朝鮮には自給可能なだけの石炭埋蔵量があったはずであるにもかかわらず、このような事態が生じた。

「水産部門の労働者に石炭と薪をそのつど供給すべきです。漁業労働者が家を離れて遠洋に出漁し、一夏中、漁獲して帰ってきては、たきものがなくて、斧を手にして山に薪をとりにいかせるようなことをしてはなりません。これは、行政委員長など当該部門の幹部が漁業労働者の生活に関心をはらわないからです」(1980年12月)。

「モビロン工場の建設に拍車をくわえるべきです。モビロン工場の建設を促進してはやく終えれば、人民によいふとんを提供することができます……ところが……このたび来て調べてみると、建設省ではモビロン工場に動員することになっていた建設事務所の人手をああだこうだといっては動員せず、モビロン工場の設備生産を担当した工場、企業所でも設備を満足に生産していません」(同上)。

モビロンが何かはっきりしないが、いずれにせよ不足する綿の代用品として考案された人工繊維であろう。

「[国家計画委員会に]計画作成に必要な基礎データがないのでどの計画をどのくらい高めるようにというと、具体的な見積もりもなしに計画数字だけ高めて下部に示達しています」(1982年12月)。

以上はごく一部の例であり、金日成はこの他にも枚挙に暇がないほど多くの問題を挙げ、これにたいしつよい不満を述べている。上記の内容は次のように整理できよう。

 a.幹部、労働者は熱心に働かず、怠けている。

 b.労働力、原材料、エネルギー、外貨、部品、設備が不足しており、生産が円滑におこなわれていない。

 c.消費財が大幅に不足し、かつその質が悪い。

 d.道具、機械、原材料、土地などの資源を大事にせず、無駄に使っている。

 e.統計がいい加減であり、とくに生産を過大に報告している。

 f.加工、貯蔵、運送の過程で多大な生産物が失われている。

 g.労働者の技能が低いうえに技術が遅れている。

 h.細部の生産計画がまったくできていない。

要約した各点の背景、理論的意義などについて議論を深めることは重要であるが、ここでは2点のみを指摘するにとどめる。

第1は、北朝鮮経済は通常考えられているような中央計画経済ではないという点である。中央政府(国家計画委員会)は、多数の財の投入・産出計画の実行能力はおろか、北朝鮮では計画策定に必要なデータも有していなかった。じっさい少数の基本的な財以外、各工場、企業所、機関がほぼ独自に各投入財の調達、生産、流通、消費割当をおこなっている。北朝鮮の文献に頻繁に登場する「自力更生」、「自体解決」、「地方源泉の利用」はこのように、中央に依存することなく各「単位」がみずから、生産にともなう諸問題を解決することを意味した。  第2に、北朝鮮の国民経済計算を考える場合、生産から消費にいたるあいだのロスの問題が重要である。例にあげられている魚のみならず、農産物もかなりの部分が、貯蔵、加工、流通過程で腐敗、減耗したことを考慮せねばならない。生産統計の水増しに加え、じっさいの消費の観点からさらに統計の修正が必要となろう。


2.社会構造の硬直性ー「封建的軍国主義」

そもそも北朝鮮の社会は、表向けの言葉とは裏腹に、階層社会であるといわれる。最近韓国に「亡命」した北朝鮮の元高官は、同国を「封建的軍国主義」国家と表現した。これまでの多くの亡命者の証言によれば、北朝鮮には大別して3つの社会階層が存在する。

第1に、「敵対階層」が定められているといわれる。これは主として、祖父や父が昔地主あるいは資本家であった者から成る。日本の統治時代に5町歩を超える土地を有していた地主は、1946年の土地改革によって所有地を没収され、地元から追放された。そのとき抵抗した者は「階級独裁」の実施対象となり、拘束・鎮圧された。さらに、同時期およびそれ以後、商工業の国有化がすすめられる過程で資本家も財産を失った。こうした人々の多くは、1946年から朝鮮戦争時にかけて南の韓国に逃れた。さまざまな理由で北にのこった旧地主、資本家およびその子孫は、社会の下層におかれ苦しい生活に甘んじざるをえないことになった。かれらは、出世を望めないばかりか、当局の特別監視下におかれている。

第2に「動揺階層」が存在する。これには1945年以前の中小企業者、商工業者、知識人およびその子孫が含まれる。日本から帰還した者も一般にこの階層に属する。かれらは、有事のさいに政府に反抗する恐れがあるとして、敵対階層にくらべれば緩やかであるが、やはり監視下におかれる。

第3に、こうした階層の上に「核心階層」が存在する。この階層を構成するのは労働者、貧農出身者、朝鮮戦争犠牲者の遺族等であり、政権を無条件に支持する人々とされる。

以上の3つの階層はさらに細分類されるといわれるが、実際にどの程度厳密なものかは十分に明らかではない。いずれにせよこうした社会においては、近代的な経済発展は阻害されざるをえない。そこでは、人々が自己の能力を生かし社会経済の発展に貢献する意欲を失ってしまう。上の者が特権に安住する反面、下の者は希望をもつことができない。また最近耳にするように、下の者が金品の力によって階層の壁を乗り越えようとして賄賂が横行することになる。結局、停滞や腐敗が社会を支配する。

さらに軍国主義を次のように定義するならば、北朝鮮はまさに軍国主義国家であるといわねばならない。すなわち、軍部が政権内で大きな影響力をもつ、つねに戦争に備える、個人単位に統制を行なう、諸活動組織を軍隊式に編成し国民を動員する、個人の安全・人権を無視する、日常的に軍隊用語(たとえば、突撃、爆弾精神、最終戦、決死隊など)を使って国民を鼓舞するー。ここでは、軍事のために国民生活が大きな犠牲を強いられる。そのひとつの表れとして、北朝鮮では、おそらく他の多数の社会主義国と比べてもなお一層、国民に供給する必需品の質・量が一貫してきわめて不十分であった。


3.食糧問題の人為的背景

最近食糧事情が悪化していることは北朝鮮政府も認めている。国際機関も、広範囲の飢餓の発生を警告している。しかし具体的なデータは乏しい。韓国の研究機関の推定によれば、近年の北における米、とうもろこし、麦などの穀物生産総量は400―500万トンにすぎないという。とくに1996年における同総量は400万トンを下回ったといわれる。この数値がどの程度の根拠をもつかは不明であるが、これを基準に考えると、食糧不足は非常に深刻であるといわざるをえない。

表1 は、第2次大戦前から最近にいたる穀物生産と消費可能量を示す(戦前は一定の仮定のもとに計算した現在の北の領域にかんする数値)。1960年以後、生産増加率は人口増加率と大して変わらなかった。1996年の1人当たり生産は戦前を下回った。同年の大量の穀物輸入を加えても、消費量は1人1日540gにすぎない。副食の不足、貯蔵・流通過程におけるロスを考えれば、明らかに食糧不足は深刻である。さらに階層間の分配の不平等がある。一般庶民とくに地域、職場、所得稼得能力の点で不利な状況にある人たちの窮状が察せられる。

食糧事情の悪化の原因としては1995―96年の水害、病虫害が指摘されている。これは自然的要因より人為的要因によるところが大きい。すなわち、耕地拡張をめざして過度に樹木を伐採したこと、また外貨不足のため農薬の輸入ができなかったことがあげられる。他方、制度的要因としては集団農業の非効率性がある。

中国においては、人民公社の解体、個人農への生産請負といった制度改革をきっかけに農業生産が大きくふえた。しかし、北朝鮮ではこうした改革の兆候は微弱である。それがなぜなのかは重要な点である。北の現政権にとって開放政策は外部の情報の流入をともなうので容易に採用できない。しかし農業の改革はこれとは別個に、国内の経済改革として行うことが原理的には可能である。それが実現に至らない背景には、第1に権力構造の問題がある。すなわち、特権階層にとって集団農業の改革が自己の権益と対立するという事情があると考えられる。第2に、これと関連しイデオロギーの問題がある。中国とは異なり、金日成による個人支配が続いた北朝鮮では、彼の政策を否定することができない。それができるのは彼自身以外なかったが、その金日成は政策変更を行わないまま死亡した。金日成の権威によって支えられている後継体制が、そのイデオロギーから脱却することは容易でない。現に北朝鮮では金日成の「遺訓」が基本的な政策原理となっているのである。

北朝鮮経済は1990年以前、主としてソ連の援助(安価なエネルギー供給等)によって支えられていた。その額をいかに正確に評価するかは、重要な研究課題である。いずれにせよ、その後援助が途絶したことは、政権にとって大きな打撃となった。現政権の今後は予断を許さない。

研究者の観点からは、どのような形であれ開放がおこなわれ、より多くの情報に接近できることを望みたい。北朝鮮は近代の世界において希にみる特異な国でありきわめて興味深い研究対象である。直接の情報にもとづいてその実態を一層明らかにできればと願う。また情報公開は、諸外国に食糧援助を求めている北朝鮮政府の責務でもあると考える。

参考文献

金日成『金日成著作集』全44巻、外国文出版社、平壌、1979-96年。

李佑泓『どん底の共和国』亜紀書房、1989年。

李佑泓『暗愚の共和国』亜紀書房、1990年。

M.Kimura, ”A Planned Economy Without Planning:Su-ryong’s North Korea,”Discussion Paper,F-081,Faculty of Economics,Tezukayama University,1994.

*本小論は、拙稿「北朝鮮の経済」『季刊あうろーら』21世紀の関西を考える会、1996年春季号を改稿したものである。

(きむら・みつひこ 神戸大学大学院国際協力研究科教授)