資本ストック推計の必要性と問題点

ストック・フローの一致条件

石渡 茂

1.はじめに

経済システムを一つの完結した体系として考えることとは、経済学の歴史のなかで一貫して支持されたものである。完結した体系であるための諸条件の一つを「ストック・フローの一致条件」と呼ぶ。たとえば、国民経済計算体系(SNA)のような勘定体系は、一致条件(勘定上の恒等式)により、全体の体系の一致性(consistency)が充たされている。

よく知られた例としては、「国民所得の三面等価」がある。これは、フロー局面における生産・分配・支出間の一致性の条件である。生産要素を用いて、一定期間(フローの条件)の生産活動に起源する付加価値が、生産国民所得である。この付加価値は、要素所得(分配国民所得)として、使用された生産要素の所有者に分配される。そして、要素所得は、消費と投資という2つの最終需要(支出国民所得)として支出される。最終需要の合計は、さきの生産活動を起源とする付加価値以上でも、以下でもない。かくて、経済活動における3つの局面において観察される付加価値(国民所得)は、等しいことが要請される。

本稿で以下で言及するストック・フローの一致条件の例としては、人口統計における静態人口と動態人口の関係において

N(t) ≡ N(t-1) + B(t) - D(t) + SM(t)               (1)

という恒等式がある。ここで、N=人口、B=出生数、D=死亡数、SM=社会的移動数、および( )内のt=年次である。5年ごとに行われる『国勢調査』(センサス調査)に基づくセンサス中間年次の人口推計に、この式は生命表の情報と共に用いられる。

一方、SNA体系においては、「国民貸借対照表」が、実物・金融の両者を含むストック・フローの一致条件を勘定上保証している。本稿での課題は、「国民貸借対照表」に含まれる実物面についての粗概念・固定価格表示でのストック・フローの一致条件についてである。すなわち、

K(t) ≡ K(t-1) + I(t) - R(t)                (2)

である。ここで、K=粗資本ストック、I=粗資本形成、R=資本の置換である。資本概念として純概念を用いるときには、上記記号は、それぞれ、純資本ストック、純資本形成、資本消費となる。以下の節では、(2)式を用いて、資本ストック推計の問題点を論じたい。

2.評価問題

資本評価には2つの問題点がある。1つは、「粗対純概念」である。粗概念は、一般に資本の耐用年数経過後の「突然死」(Sudden Death)を仮定する。また、資本の更新には、耐用年数を平均値とした更新分布を仮定する場合もある。これに対して、純概念は、資本消費という耐用年数間の物理的・経済的陳腐化に対する継続的償却を仮定する。資本消費の評価方法としては、「定額法」と複数の「定率法」とがあり、さらに「スクラップ率」という耐用年数経過直後のスクラップ価値の有無とその水準(入手時の資本支出額との比率)も考慮される。ここで注意すべきことは、「資産」「投資」「減価償却」という用語が意図的に用いられていないことである。

もう1つの評価問題は、金額表示方式の問題である。フロー変数の場合は、「当年価格表示」と「固定価格表示」の2つである。しかし、ストック変数の場合には、上記2つに加えて、「歴史的費用表示」という第3の表示方式がある。SNAにおける国民貸借対照表は、前期の「国民貸借対照表」に、当期の「資本勘定」を加え、さらに「その他の資産量変動勘定」と「再評価勘定」を加えて、当期の「国民貸借対照表」が得られる。したがって、その評価方式は、ストック変数の「当年価格表示」となる。ストック変数の「固定価格表示」は、生産関数分析や成長会計分析に用いられる。これにたいして、「歴史的費用表示」は、「簿価表示」とも呼ばれる。購入時の価格のままで、価格の変化にともなう再評価を行わない評価方法である。日本の企業の「含み経営」を可能にした1つの要因となっているものである。

3.観察時点問題

この問題は、ストック・フローの一致条件にとっては重要であり、これまで十分な注意が払われていない問題点である。フロー変数としての資本形成と、ストック変数としての資本ストックが、観察時に違いがあることは明瞭である。すなわち、前者は期間(1年、1四半期)で観察され、後者は時点(期首、期末、期央)で観察されるからである。この違いの評価問題への影響は、ここでは無視できるものとする。

この節では、別な問題点について検討しよう。有効需要という視点から資本形成を計測する場合、支払ベースが採用される。しかし、資本形成に対する可能なベースとしては、(1)契約、(2)支払、(3)引渡、(4)稼働の各段階がある。生産関数分析や成長会計分析に用いられる固定資本ストックは、(4)の稼働可能な資本形成と一致する。しかし、支払ベースの資本形成系列から積み上げられた資本ストックは、機会費用を考慮した資本ストックの社会的効率という視点から、その有用性を主張できるであろう。したがって、注意すべき点は、分析目的により資本形成の観察時点が、複数のベースをもつように、資本ストックの観察時点についても同様に考えることを主張することもできるということである。

しかしながら、資本ストックの場合には、もう1つの問題がこれらのベースの選択と関連して生じてくることを、指摘しておきたい。それは、資本ストックの「所有概念」と「使用概念」の対立である。すなわち、資本への支出は、常にその所有権の発生と対応している。そして、資本の所有権は、そこから生じる所得の発生、帰属をもって、「資本(SNAにおいては資産)境界」を定義する。SNAから得られる資本形成や資本ストックは、「所有者」ベースであり、産業別の生産関数分析や成長会計分析において望ましい資本ストックは、「使用者」ベースだからである。このことは、国富調査についても同様な定議がなされてきた。しかし、国富調査の調査環境の悪化は、調査そのものを困難にしており、「使用者」ベースでの補完的な調査を全く実施することが期待できないというのが現状である。

4.推計方法の問題

資本ストックの推計方法としては、以下の3つの方法がある。

 (1)PI(Perpetual Inventory)法
   →フロー系列の積み上げ
 (2)BY(Benchmark Year)法
   →ストック計数(ベンチ・マーク)にフロー系列の加減
 (3)SV(Stock Valuation)法
   →ストック系列(物量単位)の金額評価

資本ストック系列を、同一の推計方法(主にPI法)で推計するということは、一般的には望ましい一つの基準であるとされている。しかし、そのためには(a)資本形成系列が、十分な期間にわたって入手可能であること、(b)資本形成系列に見合った物価指数系列が入手可能であること、および(c)資本項目別の耐用年数を慎重に決定すること、の3点が十分充たされることである。しかし、資本に関係する原資料についての、日本における入手可能性の検討の経験から、建設(建築と構築)は、他の資本項目に比較して、長期の耐用年数(戦前の場合50年を仮定)となるので、PI法による資本ストックの推計は、50年以上の資本形成系列が必要となる。

たとえば、1995年の資本ストックの計数を得るためには、1945年まで遡った実質資本形成系列が必要となるということである。そのこと自体が、不可能であることを意味しているのであるが、さらに、1994年以前の系列を求めるためには、PI法以外の方法を仮定しなければならない事態であることは明白である。したがって、PI法のみによる戦後の日本の資本ストック系列を推計することは、不可能であるということが分かる。実際に、戦後の資本ストックの推計には、BY法が用いられている。SNAの国民貸借対照表もこの推計方法によるということができる。

PI法のみによる戦後期の資本ストック推計を試みようとすると、(a)戦前・戦後の価格指数のリンク問題、(b)戦時中の被害の除去方法(被害の資本項目別実質総額とその年齢分布)の問題、(c)耐用年数の両期間の違いの処理方法、という解決すべき重要問題が山積しており、現状ではほとんど不可能と考えた方が安全である。

SV法の実際例としては、戦前日本の農業資本ストック推計(梅村=山田系列)が代表的である。この場合、原則として、基本的原系列(物的単位)は、府県別農家戸数であった。この場合、ストック・フローの一致条件を充たす資本形成系列を推計することは、大変困難であった。その最大の原因は、農家戸数の長期的逓減傾向であると考えられた。その解決策の1方法については、[石渡、1981年]を参照されたい。この方法は、もともとオーストラリアの住宅資本形成と資本ストックの推計において、検討されたものである。[石渡、1979年]

5.国富調査の必要性

戦後日本の国富調査は、1955年(昭和30年)と1970年(昭和45年)に行われた調査が、センサス調査としての性格をもった本格的な調査である。したがって、すでに四半世紀にわたって、基礎的な調査である国富調査が行われていないことになる。このことのもつ問題性は、重大である。

国富調査は、個人的な推計作業として、内外で多くの研究者により試みられた。[中川、1935年]国富調査が、国民所得調査と同時に行われた時期もあった。経済成長の比較的低位にある経済においては、国民所得(フロー)を規定するものは国富(ストック)であると考えられ、したがって経済学者の注目は、国富調査に向けられた。その後、経済成長率の高まりとともに、国民所得推計に注目が移行したようである。そして現在、再び先進国の経済成長率は、長期的に低率となっている。しかしながら、国富に対する関心は依然として低い。日本においては、バブル期にストック(金融資産も含む)への関心が異状に高まり、バブルの崩壊とともに霧散状態にある。これは、一種の「ねじれ」現象であろう。

一方、アジア諸国は、短期の調整局面を含みながら、長期的に高い経済成長率を達成するものとして注目を集めている。短期的な調整期の発生は、外部的要因よりも、内部的要因のなかで、特に社会的間接資本財の不足が注目されている。これらの地域においては、今後希少な資源をこれらの分野に配分することが要請されるであろう。そのとき、資源配分の効率を維持するためには、国富調査の試みが前提となる。国富の個人推計の試みが要請される状況は、時満ちており、国富調査の個人的試みの「外部経済」は、その最低条件を超えつつあるといえるであろう。たとえば、準個人的国富調査として注目すべきものに「高橋―五十嵐推計」がある。[石渡、1982年]

国富調査への関心の高まりの期待は、時系列統計への関心とともに、分布統計(横断面系列)への関心の高まりを予測させる。このことは、ストック系列だけでなく、フロー系列としての所得分布への関心をも視野に入れて考察が必要であることを示唆している。 6.おわりに:資本ストック推計の必要性

経済分析において、資本係数や資本装備率は主要比率と呼ばれ、理論上の主要変数や実証分析上の主要指標として、重要な役割を演じてきた。たとえば、資本係数またはその逆数は、ハロッド=ドーマー・モデルの主要変数である。この係数は、今後マクロ的な資本の社会的効率の指標として、資源配分の効率性の指標となるであろう。また、資本装備率は、技術進歩の特性として、資本節約的(=労働使用的)か資本使用的(=労働節約的)かの判定に、また、フェイ=ラニスは、「資本浅化」が戦前の日本経済と戦後のインド経済に観察され、資本不足状態にある経済発展初期の経済成長を支えたと主張した。日本については、統計的操作の誤りで、われわれの資本ストック推計ではそのような事実は観測されていないことは別に論じた。[石渡、1991年]また、戦後のタイ製造業について、「資本浅化」が観察されるという主張がある。[新谷、1995年]この計測は、資本ストック系列を『工業調査報告書』に依拠している。この報告書に含まれる資本ストックの「固定資産額」が、どのような性格のものであるかは不明である。もし、日本の『工業統計表』と同様ならば、評価問題を免れないであろう。したがって、同表の[図1製造業の資本・労働比率の推移(1952-1988年)」(49頁)から、直ちに「資本浅化」が観察されると主張するには、資本ストックの推計上の問題点の解決が必要のように思われる。

固定資本ストックは、生産関数分析や成長会計分析に不可欠であり、「1968年SNA」への改訂作業においては、その検討がなされたが、最終的に体系に含まれることはなかった。この点で「1993年SNA」への改訂においては、一層後退したように思われる。

経済成長の長期的な低下傾向のもとでは、限られた資源の効率的配分は、ますます政策的な主要課題となる。公的部門の資本ストックの効率性の維持は、経済システムをいかに効率的に運営できるかという中心課題となるであろう。そのような課題にたいする基礎的情報とし て、資本ストックの推計は、今後多くの問題を解決しながら、さらなる試みが要請される。

[参考文献]

Fei,J.C.H. & G.Ranis,1964, Development of Labor Surplus Economy: Theory and Policy, Homewood, Illinois: Richard D.Irwin.

石渡茂、1979年、「オーストラリアの住宅資本形成と資本ストック,1860-1939年」『青山経済論集』、第30巻、第2・3・4号、2月、127‐167頁。

――――、1981年、「日本の粗資本形成の推計について――「フロー・ストック条件」を中心として――」『社会科学ジャーナル』、第19号(2)、3月、3‐19頁。

――――、1982年、「日本の国富調査――高橋−五十嵐推計の意義と問題点――」『社会科学ジャーナル』、第21号(1)、10月、1‐17頁。

――――、1991年、「資本ストック推計と造船業の生産について――安場保吉教授のコメントに関連して――」『大阪大学経済学』、第41巻、第2‐3号、12月、58‐67頁。

新谷正彦、1995年、「タイの経済発展と資本浅化」『東洋文化研究所紀要』、第127冊、3月、43‐68頁。

(いしわた・しげる 国際基督教大学教授)