ハバロフスク統計委員会を訪れて

田畑伸一郎

1996年8月1日から14日までウラジオストクとハバロフスクに滞在した(1)。私の関心が専らロシア全体のマクロ統計にあるため、毎年のようにモスクワに行っているが、極東に行くのは初めてであった。

7月にモスクワのロシア統計国家委員会を訪れた久保庭真彰教授から、ハバロフスクの統計委員会ではボロビク(Gennagiy Borovik)なる人物に会ったらいいという助言を受けていたので、ハバロフスクで私のホスト役を務めていただいたミヘーヴァ(Nadezhda Mikheeva)女史(2)に早速頼んでみた。実は、ボロビク氏は国家統計ハバロフスク地方委員会(Khabarovsk Krai Committee of State Statistics)の議長であったが、休暇中のため、アクシューク(Zoya Aksyuk)副議長と会うことになった。

8月13日の朝、ミヘーヴァ女史に連れられて、市の中心部にある統計委員会を訪れた。初めに、このCOEプロジェクトや通産省の産業連関表作成支援プロジェクトなどで、モスクワの統計国家委員会で国民所得勘定や産業連関表を担当しているジャーロヴァ(Alla Zharova)女史やポノマレンコ(Aleksey Ponomarenko)氏のグループを既に日本に招待したことや、年末には統計国家委員会副議長のソコリン(Vladimir Sokolin)、国民勘定・国際収支表課長のコサリョフ(Andrey Kosarev)の両氏を12月に日本に招待する旨の話をしたところ、とくに、ジャーロヴァ女史のことはよく知っているようで、こちらが真剣にロシア統計の問題に取り組んでいることを理解してくれたようであった。小1時間ほど、私の質問に丁寧に答えてくれた。

私がハバロフスクでとくに聞きたかったことは、地方のレベルで国民所得統計をどのように作成しているかという点であった。以下、これについて私の確認できたことの要点を記してみたい。

1.マクロ統計に関しては、ハバロフスク統計委員会は、GDP、国民所得、産業連関表、家計収支バランスの4つのみを作成している(前2者は毎月)。しかし、地方ではすべての情報を集められないので、可能な限りの情報を用いてこれらの表を作成し、モスクワに送っている。モスクワで補正(ロシア語ではdoschetと呼ばれる)が加えられて、地方の表が完成される。したがって、たとえば、1995年のハバロフスク地方の産業連関表は、既に作成済みでモスクワに送ったが、これは完成版ではない。完成版はモスクワから送られてくる。

地方で集められない情報のなかで重要なものとしては、外国貿易データ(通関データ)、国防関係のデータ、鉄道輸送データなどがある。また、地方財政、税収、銀行などのデータも省庁などの縦割り組織が管轄しており、データの入手は困難である。どうしても必要なデータについては、管轄組織と個々に取り決めを結んで提供してもらっている。たとえば、SNA生産勘定で必要な生産物税・補助金のデータは、財務省の地方機関から提供してもらっている。

2.SNA勘定で作成されているのは生産勘定のみで、1994年表を作成担当者に持ってこさせて、見せてくれた。モスクワから指示される方法論(instruction)に基づいて作っていることを強調していたが、実際に、一目見た限りでは、部門分類も、評価価格も、ロシア全体の表と同一であった。

支出勘定(国民総支出)については、1996年から(データとしては1995年から)始めることがモスクワから指示されているとのことであった。

他方、従来のMPS(物的生産物体系)国民所得統計(生産および支出)については1994年までデータがあるが、1995年からは(作業としては1996年からは)財政上の手当がないので作成していない。

3.1995年産業連関表はSNAに基づいているのかと聞いたところ、そうだとの答であったが、産業連関表とSNA生産勘定との間の関係を聞いたところ、何の関係もないとの答であった。この矛盾は、彼女らのSNAの理解が浅いためか、地方レベルではすべての情報が得られず、実際に2つの表が対応していないためであろうと思われた。

4.以上の作成されている表はすべて名目値統計である。デフレータについては地方では消費者価格指数しか作成していないので、実質値を計算できない。

5.MPS国民所得統計が作成されるようになったのは1988年からで、その前はないとのことであった。しかし、工業生産や農業生産については1960年代からデータがある。運輸については、鉄道輸送の問題があり、地方レベルではデータが得られないのではないかとのことであった。

ハバロフスクの統計委員会が創設されたのは1920年代の前半であるが、1940年など特定の年のデータはともかくとして、過去の毎年のデータを得ることは困難だろうとのことであった。また、1920年代には極東共和国が存在するなど、統計を取る行政区分に一貫性がなかったことも指摘された。

以上の点は、モスクワのジャーロヴァ女史らから聞いていた話とよく対応するもので、それを地方の統計委員会で確認できたことが今回の極東訪問の最大の収穫となった。

こちらからの質問が終わった後、アクシューク女史の方から、モスクワの統計国家委員会の人たちをいつ招待したのか、どのような協力を行っているのかなどの質問があり、われわれのプロジェクトに対する強い関心が感じられた。また、最近は、SNAなど新しい統計方法が次々に導入されているなかで、財政上の理由で地方統計委員会職員のモスクワ研修が以前と比べて極めて稀になっているため、新統計方法に習熟できないことが悩みの種であると話していたのが印象に残っている。

(1)文部省科学研究費補助金・国際学術研究「ロシアにおける地域社会の動態分析」

(代表者・北海道大学スラブ研究センター山村理人)による。

(2)ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所副所長、現在一橋大学経済研究所に滞在。

(たばた・しんいちろう 北海道大学スラブ研究所助教授)