極東ロシアの長期統計データの収集

――困難な作業環境のなかで

望月 喜市

 今回、一橋大学経済研究所で組織した「アジア長期経済統計データベースプロジェクト」の一分野である極東ロシアの戦前期のデータ収集作業グループに参加する機会を与えられたので、1996年の2月と5月の2回にわたりユジノサハリンスク、ハバロフスク、ウラジオストクの極東3都市を訪問し、今後長期にわたるであろうデータ発掘のアプローチの仕方について作戦を練った。

1.ユジノサハリンスクでの空振り

 ユジノサハリンスク行きは、5月連休以外に時間がとれなかったので、無理を承知で出かけたところ、先方もメーデー、土・日の休日、振替え休日、対独戦勝記念日などが連続し、私の滞在期間中1日だけが労働日というまことに調査活動にとって不都合な期間に遭遇してしまった。私の調査は、歴史資料館(アルヒーフ)や郷土図書館、統計局などの訪問調査が主であるから、休日に当たれば調査は完全にストップしてしまう。
 現在のロシア経済は、長期マイナス成長とインフレ、失業という、複雑な経済危機の最中にある。その有り様を人間の病気にたとえれば、大学病院の学用患者に値する誠に希有な難病にかかった患者といったところで、この病気の治療の処方箋を書くのは、経済学者として尽きざる学問的闘争心を満たしてくれる。このような経済危機にある現在のロシアでは、土・日と祝祭日は、ごく一部の新興富裕階層を除けば、食料自給のため、一家を挙げてダーチャ(別荘)で農作業に従事するのが全国的国民行事になっている。おりから、6月の大統領選挙も近いとあって、動物的嗅覚で国民の人気をキャッチする術にたけたエリツィン大統領が、連休の大盤振舞いに出たとしても、不思議ではない。ホルムスクでもユジノサハリンスクでもコルサコフでも、街頭の人影はまばらで、こんな時期に仕事の話しを持ち込むのは野暮の骨頂という扱いなのである。
 出発前に事前のアポイントをとってくれるよう依頼しておいた、北海道貿易物産振興会サハリン事務所の所長からの連絡によると、振替え連続休暇を決めたのは、メーデー連休のごく直前で、当のロシア人にとっても唐突であったという。というわけで、物産振興会事務所の所長の骨折りでなんとかサハリン州統計局長を説得してもらい、単独会見にこぎつけたまではよかったが、私にとってこの人物はかつてのソ連時代の官僚精神の継承者のように感じられた。
 予めこちらの訪問目的、欲しい資料、購入予算の限度などを伝えておいたのに、それに対する準備は全くなく、州統計局の役割、モスクワとの関係、収集しているデータなど、すでにハバロフスクの州統計局で聞き及んで知っている事柄の説明が延々と続いた。口を挟むいとまも与えない。あげくの果てに、こちらが欲しい基礎統計資料の冊子を机の上で私に見せながら、これは自分用の冊子であるから譲るわけにはいかないという。それなら事前に別冊を用意するなり、別室から統計冊子をもってきてくれてもよいはずであるが、休暇で係りがいないからそれは出来ないという。
 遠くからやってきて、事前にその旨を伝えていながら、収穫ゼロという処遇をうけたのは初めてであった。

2.ハバロフスクならびにウラジオストクでの体験

 ハバロフスクの訪問は、2月12日から19日までであった。訪問先は、経済研究所(ロシア科学アカデミー極東支部)、地域歴史資料館、国家統計委員会ハバロフスク支部、ハバロフスク雇用センター、ハバロフスク労働委員会、ハバロフスク郷土資料館の6ヶ所であった。
 国家統計局ハバロフスク支部では、統計資料収集制度について話を聞いた。
(1)極東各州の統計局が収集した統計資料は、極東地区として集計されることなく、直接モスクワの中央統計局に送られ、そこで全国を網羅した統計が作成される。しかし最近、極東・シベリア統計協議会が作られ、ここでは、極東とシベリアの統計を自主的に持ち寄り、自分たちで領域内の統計を集計する作業を行っている。これはウラジオストクに置かれている。
(2)各州統計局での統計データの保存期間は10年間であり、10年を経過した資料はすべてその州の歴史資料館に移管保存される。
(3)地方統計局が、国家指定として中央に送る統計データは、企業から送られてくるデータを整理したものである。
(4)このほか、州統計局が独自に、もしくは注文を受けて統計を収集することがある。
 というわけで、統計局にはこちらの欲しい戦前期の資料は全くない。その代わり現代統計の宝庫である。ただし、極東全体を統合する資料を公的に作成する機関がないのは意外であった。統合資料は経済研究所やその他の機関が必要に応じて、各州からの資料を自らの努力で収集し加工して作成している。
 このような状況をふまえ、私は、調査の本命である歴史資料館を訪問した。訪問に際して、経済研究所の所長から予め紹介されていたので、ここでは丁重な処遇を受けた。
 ここには、外来者が閲覧する読書室、カタログ室などがあり、カタログカードで検索して、目的の資料を係官からもって来てもらうシステムで、一般の図書館と利用の仕方は変わらない。
 しかし、カタログで必要な資料を拾い出し、係官に取り出しを依頼しようにも、目的の統計にどのようにしてたどりつくのか、最初の時点では全く検討がつかない。ちょうど巨大な森林地帯に磁石をもたずに入り込んだようなもので、どの方向にいけば目的の樹木に遭遇するのか、さっぱり分からないのだ。
 試しに、見当をつけてそれらしい統計資料を請求してみる。取り出された資料は、変形横長のA3版サイズであり、時代を経て褐色に変色し、質の悪いインクで手書きの数字が記入されている。作成時点の鼓動が聞こえてくるようで、本物だけがもつ感動が伝わってくる。慎重に触れないと紙が破けそうで恐い。また埃まみれになる覚悟も必要だ。官庁の勤務時間は限られているので、資料を深夜にまでわたって検討するわけにもいかない。各欄には、数字が点々ととびとびに記入され、一枚のシートには空欄が多い。それこそ、時代別、企業別、地域別に細かく細分されているので、それらの欄から根気よく数字を拾いだして、1行政府単位の、ある年度の、ある工業製品の統合数字にまで集計するには、気の遠くなるほど多数の資料を引っ張り出して、数字を書き抜いていかねばならない。
 必要な資料を直接資料棚に入って取り出すことは出来ず、いちいち係員に依頼しなければならない。持ち出してきた資料のページを繰りながら、必要な数字を抜き出し集計するには広い作業場所を確保し、一度に膨大な資料を持ち出して作業を進めなければならない。しかし、閲覧室はそのような作業をするようにはなっていない(集団閲覧の形式)。したがって、まず資料を山のように積むデスク空間を確保することから始めねばならないし、チームを組まなければ1人の手に負える作業ではない。一般閲覧者の普通のデスクでそれを行うにはデスクが小さすぎるし、そんなことをすれば他の閲覧者の邪魔になる。
 ある年度を区切り、行政単位がどう構成され、一段高い行政単位にどうたどりつくのか、見取り図をつくって収集が終わったその地区を塗りつぶして行かねばならない。各州が終わったら、それを極東の単位にまで集計しなければならない。
 ウラジオストクの歴史資料館で教えられたのだが、極東関係の資料の一部はまだチタ州の資料館にあり、すべての資料のウラジオへの移転作業はまだ完了していないという。そして、各州はそれぞれ独自に古文書を所有しているはずであるから、たとえばカムチャッカ州の州都のペトロパブロフスク‐カムチャッキーやマガダン州のマガダンに(それぞれ古文書館があるとして)そこまで足を伸ばさねばならないかもしれない。
 当然予想されることだが、極東行政区域は歴史的に一定ではなく変動がある。サハ共和国は最近までヤクチア自治共和国と呼ばれていたし、極東行政区に入ったのはそう昔のことではない。そうした変動を調整して、時系列的に比較可能な数字に仕立てなければならない。
 また、この調査目的はアジアの長期データの収集であるから、現在の極東行政区だけでなく、バイカル以東の地域までカバーする必要があるかもしれない。革命直後に作られた「極東共和国」の版図からいっても、また最近作成された「極東・ザバイカル長期経済発展計画、1996-2005年」からいっても、そのほうが自然である。個別の原資料から極東統計を構成しなくても済むのは1957年以降で、それ以降なら『ロシア統計年鑑』を利用できるのだ。そのなかから、極東各州のデータを拾うと仮定して、その統計集自身がカバーする領域の統一が出来ているのかという問題がある。
 さらに、千島や樺太(サハリン)の扱いを時系列的にどう扱うかという難問もある。両地域を含めた一貫した統計が取れないとすれば、初めからその部分を除外したデータに作り直す必要がある。とすると、各年データの集計値から、その部分だけ特定化することが可能であるかが問題になる。こうした、作業なしにやみくもにに資料を収集しても、科学的に信頼性のあるデータにはならない。

3.時系列データ作成のむずかしさ

 というわけで、少なくとも、項目別、年度別、地域別に時系列的な比較可能性を吟味しながら作業を進めなくてはならない。その場合でも、集計に際しては価格変動を考慮して、利用する価格に関するルールを予め作ることが必要である。そのためには、項目別、年度別、地域別の3次元のマトリックス表を作成し、必要に応じてさらにそのサブマトリックスを作成して、数字の収集作業が完了した部分を塗りつぶす作業をしなければならない。また、1957年以前の『統計年鑑』があったと仮定しても、以上の複数次元からの時系列的整合性の検討はいずれにしても行わねばならない。
 充分に明確な作業目標を決め、(どんなデータを収集するのか、どの年度をとるか、対象領域をどうとるのかなど)、ロシア人の専門家と補助作業員となるスタッフを確保し、日露混成の作業チームを作るとともに、作業場所を確保する必要がある。こうした作業編成を行うためにも、まず比較的豊富に統合データが揃う現在の統計から出発し、その数字を過去に延長する方法をとることが望ましい。
 そのためには、一見迂遠なようでも、標準的公式統計で公刊されている『ロシア統計年鑑』や『ロシア貿易統計』を検討し、その利用手引書を作ることから始めるのが望ましい。この『手引書』には、次の情報が盛り込まれねばならない:
 「統計データ」の所在と発行情報。各統計表についての出所、統計概念の説明、利用上の注意事項、統計数字の簡単な分析、出来ればグラフ化、比較可能なデータの相互関連、国家統計機構の変遷と現在の統計機構、統計データの収集、作成方法の説明、産業分類についての注釈、国民経済循環の系統図、国民所得推計作業の方法など。
 この手引書は海底トンネルでいえば作業坑道のようなもので、主目的に達するためのいわば副産物である。この後で、主目的である国際的にも比較可能な長期データを収集し作成することになる。そのためにはとりあえず次の点を明確にしなければならない。
(1)統計がカバーする領域の変更の調整、極東の領域、極東内部の領域の明確化
(2)統計項目の定義・内容の調整
(3)統計項目分類の統一(ソ連・ロシアの産業統計は西側と異なる。またソ連・ロシア内部でも貿易統計と産業統計の分類は異なる。この相違を突き止めたとしても、それを再整理するためには、ランクの一段下の分類数字が入手できなければならない)
(4)統計方法の変更(従来の鉱工業統計、農業統計など、産業統計は付加価値統計ではなく、原材料を含む総生産高統計法で記載されている。したがって生産単位の統合度の変化だけで数字が変動する)
(5)新商品の登場と、商品の消滅の扱い
(6)価格指数の作成方法の変更
(7)できればドル表示への換算方法(為替相場の変動など)

4.今後の調査の進め方に関する提案

 以上の考察を踏まえ、今後の作業の進め方を提案したい。
 まず、ロシアに移行後の最近の極東統計情報を収集整理し、必要な統計系列を絞り込み、その系列に沿ってそれに合理的に接続する資料を探しながら、過去にさかのぼって資料収集を進めていく。過去から現在に下って整理することは不合理である。というのは、国民所得統計などのデータは過去には存在しないし、それに代わる総生産高指標の長期・地域指標の収集についても、多くの加工や欠落数字を補填するなどの困難な作業が必要になると思われるからである。
 調査に当たっては、日本の長期統計の作成の実績(刊行物)を示したり、英文のパンフレットもしくは簡単な説明文により、我々の作業目的を先方に理解してもらう努力が必要で、スパイ容疑などかけられないよう注意しなければならない。
 多くのところで、コピー依頼が可能であるが、依頼手続きが煩雑であり、時間と費用がかかるので、出来れば近接撮影可能な写真機で資料を写し撮るようにした方が効果的である。地方図書館でのコピー代金は、標準の依頼では1ページ当り400ルーブル、急ぐ場合800ルーブル、1930年以前の資料コピーに関しては、それぞれ1000、2000ルーブルを要求される。ただしこれは、1996年5月時点であって、インフレ過程にあるロシアでは、この数字はすぐに変動するのである(この時点での円の対ルーブル相場で換算すると、400ルーブルは約9円になる)。

(もちづき・きいち 北海道大学名誉教授)