インドの国民所得統計の課題

小島 眞


1. 国民所得統計の沿革

 独立以前の時期を対象にしたインド国民所得統計の推計は、すでに幾人かの学者によって手掛けられているが、データ上の問題からして、いずれの推計ともマクロ・レベルのデータに依拠するとともに、多くの仮定を設定するという難点を抱えている。インドの国民所得統計についての公式統計が利用可能になるのは、独立以後の期間からである。しかし1947年のパキスタンとの分離独立に伴い、インド領域が変更の憂き目にあうとの事情が絡んで、1946/47年までの期間と独立以後の期間とを接合させた国民所得統計の推計は未だ本格的に手掛けられているわけではない。

 独立後、国民所得の推計や統計データの整備を図るべく、1949年には「国民所得委員会」(委員長・P.C.マハラノビス、他にD.R.ガドギル、V.K.N.V.ラオが委員)、それを補佐するための「国民所得ユニット」(National Income Unit:NIU)が設置された。国民所得の推計値を年々準備すべきであるとの要請に基づいて、NIUの管轄が大蔵省、さらには中央統計機構(Central Statistical Organization:CSO)に移管された。

 今日まで、インドでは4つのシリーズに基づいて国民所得統計の推計が発表されてきた。第1は、1956年にEstimates of National Incomeとして発表された、1948/49年を基準年とする旧シリーズである。第2は、1957年にEstimates of National Product として発表された、1960/61年を基準年とする改定シリーズである。そこでは、個人消費支出、貯蓄、資本形成、要素所得、統合勘定、公共部門勘定などが徐々に整備されるようになった。1975年にはNational Accounts Statistics(NAS)に名称変更されるとともに、1950/51年から72/73年までの推計値が発表された。第3は、1978年に発表された1970/71年を基準価格とする改定シリーズであり、1980年には1950/51年を起点とする推計値が発表された。第4は、1988年に発表された1980/81年を基準年とする新シリーズであり、1989年には1950/51年から79/80年までの推計値が発表された。

2. 新シリーズ下のNASの特徴

 国内生産の産業別推計方法として、農林水産業、製造業(非登録製造業を除く)、建設などの生産部門において、産出額と投入額の差額をもって粗付加価値を推計する生産アプローチが採用されている。他方、その他部門(電力、運輸、商業、行政など)においては、所得アプローチ(income production approach)が採用されている。所得アプローチの下で、組織部門(登録部門+公共部門)においては予算・企業収支決算に基づいて要素支払いが算出されるのに対して、未組織部門に対しては労働者一人当たり付加価値に労働力を乗じて粗付加価値が推計されるという方法が採用されている。また民間最終消費支出や資本形成の推計に際しては、コモディティー・フロー法(commodity-flow method)が採用されている。

 新シリーズの下で、林業(燃料用材木生産)、繊維産業(非登録部門)―分散部門―、カッチャー建設(パッカー建設とは対照的に、粗末な素材を用いた安手の労働集約的な建設)などを対象に、産業別国内生産の分野でも推計方法、データ面で幾つかの改正がなされたが、より注目すべきのは、消費、貯蓄、資本形成の分野においてである。

 第1に、従来、企業の帳簿に記載されている減価償却は固定資本の更新費用を提示しておらず、また政府部門の固定資本において減価償却の規定がなかったために、固定資本消費が過小評価され、結果的に純貯蓄ならびに資本形成率が過大評価されているとの批判があった。「1968年SNA」の勧告に従って、固定資本消費の推計にパーペチャル・インベントリー(perpetual inventory method)法が採用されるようになった。

 第2に、民間最終消費支出の項目が24分類から38分類に細分化されるとともに、農産物の最終消費支出の推計において市場余剰比率が利用されるようになった。また燃料・電力、香辛料・塩、医療・教育費、輸送サービス、それに耐久消費財などの家計消費の推計に際して、新たなデータが活用されるようになった。

 第3に、従来、それぞれ方法論、データも異にしながら、従来、貯蓄はインド準備銀行(Reserve Bank of India:RBI)と中央統計機構(CSO)の双方によって別々に推計されていたが、相互調整が図られた結果、CSOは公共部門と家計部門(物的資産、年金)、RBIは民間法人部門、家計部門(その他金融貯蓄)の貯蓄推計をそれぞれ担当することになった。

 第4に、資本形成の在庫変動の分野において、従来、穀物在庫は商人の抱える在庫として推計されていたのに対して、新たに穀物の純利用可能量から消費量を差し引いた差額として推計されるようになった。また民間法人部門の在庫変動は、新たにRBIによって推計されることになった。

3.NASの推計方法と原データ

(1)農業

 農業の粗付加価値額は、産出額から中間消費額を差し引き、それに政府潅漑施設の粗付加価値を加えることによって求められる。政府潅漑施設の粗付加価値の推計に際しては、従業員手当、固定資本消費などを合計して求める所得アプローチが採用されている。

 生産者に帰属する所得をできる限り正確に測定するという観点から、農業産出の推計には、収穫直後に生産者によって作物が市場に放出される際の平均卸売価格が使用される。

 農業統計の原データは、農業省経済統計局(DEAg)によって提供される。土地利用統計のデータは、1884年以来の歴史を誇る Agriculture Statistics in India に基づいている。主要作物(予測作物―45品目)の作付面積、産出高についての最終予測値は、収穫後4ー5カ月のタイム・ラグをもって発表される Area and Production of Principal Crops in India(州レベル)に基づいている。マイナー作物(非予測作物を含む10品目)についてのデータは、1年のタイム・ラグをもって同じくDEAgによって発表される。

 主要作物の農耕コストについての測定方式は、1970/71年に DEAg によって確立された。そこでは、1ha 当たりの種子使用率、トラクター・ポンプ1台当たりオイル使用量、電力消費量、家畜用飼料、農薬・肥料コスト、農機具の修繕費などが考慮されている。

(2)製造業

 まず、登録製造業から見てみよう。登録製造業には、「インド工場法」(1948年)及び「タバコ労働者(雇用条件)法」(1966年)で規定されている従業員10人以上(動力を使用しない場合は20人以上)の全ての工場が該当する。ただし、工場法が対象とする工場であっても、「サービス」や「電力」部門に該当するものは除外される。製造業の対象となるのは、「NIC(全国工業分類)1987」の第2類、第3類、それに産業グループ97に該当する産業である。

 産出額(工場渡し額)からインプット額(購入価格)を差し引いて粗付加価値額を求める。製造業の産出額には、製品の工場渡し額のみならず、サービス提供代金、工場で使用するという目的で生産された固定資産額なども含まれる。 原データは、全国標本調査機構(NSSO)によって発表されるAnnual Survey of Industries (ASI)である。センサス部門(従業員50人以上の工場―動力を使用しない場合は100人以上の工場―)及び電力事業体については、毎年調査が実施されている。非センサス部門(従業員10―49人の工場―動力を使用しない場合は20―99人の工場―)については、毎年3分の1づつサンプルが抽出され、調査が実施される。  ASIのデータは信頼度が高いが、その結果が明らかになるためには数年を要するために、NASでは工業生産と卸売の物価の然るべき指数を用いて、産出と粗付加価値の推計がなされる。ASIデータが抱えるもう一つの点は、そこでの粗付加価値の推計値には未回答工場の数値が反映されていないことである。しかしセンサス部門全体に対する未回答工場の雇用比率を用いて、公表されたASIの粗付加価値の上方修正が図られている。

 次に、非登録製造業について見てみよう。非登録製造業は、従業員10人未満(動力を使用しない場合には20人未満)の全ての製造、加工、修理・維持サービス単位が該当する。他の未組織部門(非農業)の場合と同様、非登録製造業の粗付加価値は労働力と一人当たり粗付加価値を掛け合わせることによって推計される。基準年の推計値が算出されると、その後は物的活動量を代表する指数に基づいて推計がなされる。

 原データは、非登録部門を対象にした経済センサスならびに全国標本調査(National Sample Survey:NSS)である。過去、1977年、80年に実施された第1回、第2回経済センサスでは従業員10人未満の全ての事業所(従業員6ー10人のDirectory Establishments と従業員1ー5人の Non-Directory Establishments とから構成される) とが対象となったが、90年に実施された第3回経済センサスでは上記の事業所だけでなく、従業員ゼロのOwn-Account Enterprises) を含む全ての企業が対象となった。ただしNSSも数年に1回の割でしか実施されておらず、その間、いかにして推計値を求めたらよいのかという問題が残されている。

(3)民間最終消費支出

 民間最終消費支出は家計ならびに非営利団体の最終消費支出をカバーしており、その推計に際してはコモディティー・フロー法が採用されている。商品・サービスの全利用額(市場価格表示)から各産業の中間消費向け支出、それに家計・非営利団体以外の全最終消費(輸出入を含める)を差し引くことによって推計される。

 対象となる支出は、(イ)食糧、(ロ)衣類・履物、(ハ)粗家賃及び燃料・電力、(ニ)家具、備品、調度品・家事サービス、(ホ)医療・保健サービス、(ヘ)輸送・通信、(ト)娯楽、教育・文化サービス、(チ)雑貨・その他サービスの8グループに分類されている。

 食糧の場合、生産者の自家消費分は生産者価格で評価され、市場向けの分は小売価格で評価される。工業製品の場合、物品税と商業・輸送マージンは産出額から控除される。輸入関税は、輸入額に上乗せされる。

 民間消費に利用可能なコモディティー・バランスを把握する上で、農産物の場合、産出、種子、飼料、消失についてのデータが必要になるが、産出、投入についての基本データはGDP推計の場合と同様である。

(4)国内貯蓄

 国内貯蓄は、(イ)公共部門、(ロ)民間法人部門、(ハ)家計部門の三者より構成されている。国内貯蓄の推計はデータ不足に起因する多くの問題を抱えており、未だに名目価格表示の推計のみしか実施されていない。

 公共部門の貯蓄は、政府行政・官庁企業と非官庁企業より構成される。前者の粗貯蓄は経常支出に対する経常収入の超過分として把握され、後者については各企業の年次会計収支より推計される。

 民間法人部門は非金融会社、商業銀行、金融・投資会社及び協同組合機関より構成され、その貯蓄推計はRBIの調査をその基本データとして使用している。

 国内貯蓄において断然高いシェアを占めているのが、家計部門である。しかし家計部門には本来の家計部門だけでなく、非法人部門(登録部門の一部と非登録部門を含む)も含まれており、とりわけ後者が重要な役割を果たしていることに留意する必要がある。

 家計部門の貯蓄の場合には原データは利用可能ではなく、そのために家計部門の貯蓄は残作法式に基づいて算出される。

 ちなみに、国内貯蓄は金融資産形態の貯蓄と物的資産形態の貯蓄とに大別される。金融貯蓄を構成するものは、通貨(現金)、純預金、株式・社債・債券、政府に対する純請求権、生命保険基金、年金基金などである。物的資産形態の貯蓄を構成するものは、建設ならびに機械・設備など固定資産に対する投資ならびに在庫投資である。

(5)国内資本形成

 粗資本形成は、固定資本に対する粗追加と在庫投資の合計である。固定資産を構成するのは、建設、機械・設備(輸送機器、家畜を含む)である。軍事用施設、国防機材、軍需物資の在庫増加は資本形成の範疇外であるが、軍需企業の工場向け資本支出は資本形成に含まれる。土地、鉱物資源など有形な再生不可能な資産に対する追加は粗資本形成には含まれないが、土地改良や鉱業現場、プランテーション、森林の開発・拡大は資本形成の一部を構成する。

 建設の資本形成は、当該年に手掛けられて新規建設の産出額から修理・維持費を差し引くことによって推計される。パッカー建設はコモディティー法(expenditure approach)に基づいて、またカッチャー建設は支出アプローチに基づいて推計される。

 機械・設備の資本形成は、コモディティー法に基づいて推計される。国内生産ならびに輸出入された機械・設備は、(イ)資本財、(ロ)資本財部品、(ハ)一部資本財、(ニ)一部資本財部品に分類される。(イ)は100%資本形成、(ロ)は50%資本形成、(ハ)と(ニ)についてはそれぞれ個別に資本形成の比率が設定される。

 粗資本形成は、支出アプローチに基づいて産業別にも推計されている。組織部門の場合はその約70%が年次データに直接依拠して推計されるが、未組織部門の場合には多くの課題が残されている。ちなみに登録製造業の資本形成についての推計は、ASI工場部門データに基づいており、信頼性が高い。しかし非登録製造業については、1968/1971年のサンプル調査にもとづいて1980/85年の推計がなされ、一定の比率を適用してその後の数値が更新されており、限界がある。

(6)資本ストック

 資本ストック推計の基準になっているのが、M. Mukherjee and N.S.R. Shastry, "An Estimate of the Reproducible Tanjible Wealth of India", Review of Income and Wealth,   Series 8, 1959 である。1949/50年についての上記の資本ストック推計を基準にして、その後、CSOにおいて年々の純固定資本形成をパーペチュアル・インベントリー法に基づいて積み上げる作業がなされ、1988年に新シリーズ導入に合わせて1981年3月末現在の資本ストックが発表された。

4. 今後の課題

以上、新シリーズの下でのインド国民所得統計の推計上の特徴と若干の問題点について記述してきたが、今後に残されている大きな課題として次の2点を指摘しつつ、小論を締めくくることにしたい。

 第1に、GDP推計に活用されるデータの内、直接的な当年データに依拠していないものの比率が依然として40%近くに及んでいるということである。ちなみに1985/86年現在、鉱業、登録製造業、電力、鉄道、通信、それに銀行・保険の場合でこそ、直接的な当年データに依拠する比率はほぼ100%に達していたが、経済全体ではその比率は62.2%でしかない(COS, National Account Statistics: Sources and Methods, 1989, Table1.1)。直接的な当年データに基づかずにGDP推計がなされている部分が依然として少なからずあるということは、GDP推計の客観的根拠が必ずしも確かなものではなく、政治的、行政的要因によってGDP推計が左右される余地が残されていることを示唆している。

第2に、直接的な当年データに基づく場合であっても、とりわけ課税対象となる分野を中心に、生産コストの水増しや売上高の過少申告という手段を通じて付加価値が過少申告される傾向があり、これがためにインドのGDPが実際よりも過小評価されている可能性が極めて濃厚であるということである。


(こじま・まこと 千葉商科大学商経学部教授)