アジア経済の発展における二つの岐路


寺西重郎




 一橋大学経済研究所の故大川一司教授、篠原三代平教授、梅村又次教授およびその他の教授らによって、明治期以降の日本のGDPを推計するという今日にも残る偉大なプロジェクトが開始されたのは、1957年のことであった。このプロジェクトは1988年に完成し、『長期経済統計』の最後の巻が出版された。

 このプロジェクトから38年たって、1995年度から経済研究所の次世代の教官である尾高煌之助、清川雪彦をはじめとする教授たちによって、アジア経済の長期GDPを推計するという意欲的なプロジェクトが始められた。これが「アジア長期経済統計データベース・プロジェクト」(ASHSTATと略称)である。プロジェクトの最終年度にあたり、2000年1月7‐8日の国際シンポジウムにおいて、最終的あるいは中間的な成果をめぐって、2日間の議論が行われた。

 日本の長期経済統計プロジェクトは、1957年に、おもにロックフェラー財団の資金援助によってはじめられたが、これはおそらく1950年代の日本においては十分な資金がなかったためであろう。今回のアジアに関する現行のプロジェクトは、それとは対照的に、すべて文部省の資金によるものである。日本は先進国の中で、GDPに占める科学研究費支出が低いにもかかわらず、文部省はASHSTATに潤沢な研究資金と設備を提供してきている。私は、このプロジェクトがこのような多大な援助に十分値するということを強調しておきたい。



 アジア経済は目下、重大な歴史的岐路に直面しているといえる。そのなかで我々のプロジェクトは、現在アジアで起こっている経済変革の本質に関する理解を深めることに大きな貢献を果たすものだといえよう。ここでこの点に関して、もう少し詳しく述べたい。

 近代の経済発展の過程とアジア経済の成長には、3つの局面があった。第1は、1940年代(いくつかのケースでは1950年代以前)の植民地期、第2は、1980年代にいたる国民経済に基づく成長の時期、そして第3は、1990年代に始まるグローバライゼーションの時期である。

 この3つの局面は、アジアの発展過程には2つの分岐点(または転換点)があることを意味している。最初の分岐点は、アジア経済が植民地としての従属から、国民経済にもとづく成長へと移行する時期に到来した。一般にアジア経済は、植民地時代を通じて宗主国のための天然資源の供給国としての役割を負わされていた。多くの学者によれば、植民地政策にもとづく宗主国と植民地との間の分業関係のゆえに、植民地化されたアジア経済は貿易の不平等で搾取的な交易条件を受け入れることを余儀なくされたと指摘されている。

 しかし、独立後のアジア経済は、近代的な国民経済を構築し、同時に他の国々と独立した関係を構築する自由を得た。アジア諸国の政府は、植民地開発者に従うのではなく、みずから国民経済の発展を追及した。その過程において、政府は他の国々とのよりよい分業関係を模索するため、輸入代替政策と輸出促進政策とのバランスを取り、また最適な産業構造を追求して、市場の力と産業政策にもとづく効率的な均衡を達成しようと努力した。

 アジア経済の第2の分岐点は、国民経済を基礎とした発展体制から、グローバルな自由貿易を基礎とした発展体制への移行であった。この移行は、グローバライゼイションの波が国民経済体制を急激に襲った1980年代に始まった。多国籍企業は、利潤最大化の観点から国際間におよび分散した労働分業を作り上げた。貯蓄はますますグローバルな観点から配分され、投資計画に融資された。フェルドシュタインとチャールズ・堀岡によって発見されたクロス・カントリー・データにみられる、貯蓄と投資の間の強い相関関係は、近い将来にはもはや観察されなくなるかもしれない。WTO交渉がグローバルな自由経済主義のもとで行われる状況では、産業政策の必要性はもちろん、それをおこなう余地も取るに足らないものとなるであろう。アジアにおいては、複数国にまたがるいくつかの経済的な中心地域が出現しているこという指摘もある。このように、第2次世界大戦後に作られたアジアの国民国家は、いまや重大な変化を受けつつあるといえる。



 私は、アジア経済が直面している現在の難題を理解する一つの鍵は、この3つの局面というフレームワークと、アジアにおける近代の経済史における2つの分岐点と思う。最初の分岐点は、従属的な植民地体制から独立した国民経済にむけ、産業構造と国際的な労働分業を築いたところにあった。これは、国民経済からグローバルな市場メカニズムに従う第2の移行へと引き継がれている。

 我々のプロジェクトASHSTATの重要性は、これらの分岐点(あるいは体制の移行)と直接関連している。このプロジェクトは、第2次世界大戦後の国民経済の成長過程に一つの焦点をあて、植民地期間から1990年代にかけてのGDP成長を調査することを目的としている。これは、アジアにおける国民経済体制における成果と失敗を歴史的に調査することにほかならない。つまり、成功と限界、自由と制限、特異性と非効率性などを明らかにすることである。これらの分析によって、国民経済体制とグローバライゼイション(ないしボーダレス)経済との費用/便益の計算が可能になるであろう。

 明らかに、ミクロデータをもとにした制度分析を含め、第2の分岐点の理解を深めるような、より多くの研究が必要とされる。それゆえ、ASHSTATによって作られたマクロならびに主題別のデータ・ベースは、そのような努力に対する、堅実なそして重要な出発点となるであろう。

(てらにし・じゅうろう 一橋大学経済研究所)