ロシアにおける国民経済計算の長期推計について


アレクセイ・ポノマレンコ



 ロシアに関する長期歴史統計の算出はロシア経済が一般に「アジア」という言葉によって連想される国々と深い結びつきを持っているため、「アジア長期経済統計データーベース・プロジェクト」(一橋大学経済研究所)の一環に組み込まれた。このプロジェクトの全体の目的とは、アジア諸国に関する長期統計の時系列データを再構築することであり、このデータは学術研究および政府の計画を大いに促進するであろう。

 長期の時系列統計は歴史家だけでなく経済学者にとっても有用である。もし、仮にこの分析がダイナミックで構造的な変化をも考慮に入れるならば、例えば、ここに挙げるロシアのような国の経済状況に関する我々の理解は向上するであろう。さらに数学的に予測するモデルを構築するためにもひとつの長期にわたる指標が必要とされる。それゆえ、プロジェクトの成果は、学術研究および政策への応用など非常に幅広い可能性がある。それゆえ、ロシア統計庁はアジア長期統計プロジェクトにおけるロシアの推計作業に対し協力することを決定した。

 長期的推計をになう研究者にとって、対象となる国はそれぞれ独自の試みや問題を抱えている。たとえば、政治的不安定や戦争、国境の変更、あるいは行政組織のレベルの低さによってきちんとした統計システムを持たない国もある。また別の国では、国民統計はしばしば異なる推計システムにもとづいているために、手法上の問題が重要視される国もある。

 双方の問題ともロシアの事例に関連してくる。この報告書ではロシアの長期経済統計を作成することに伴うロシア特有の様式と問題点に的を絞って述べよう。ロシアの経済統計には主に3つの特徴が挙げられる。まず、第一に、20世紀を通じてロシアは2つの革命、内戦と世界大戦、その他多くの変革と崩壊を経験した。第二に、20世紀の大半にわたってロシアはソビエト連邦の一部であり、ロシア経済とそれに対応する統計は連邦全体の一部分であったことを忘れることはできない。第三に、MPS(物的生産量計算体系)はSNA(国民経済計算体系)とは全く異なった制度であり、ロシア国民統計サービスではMPSがごく最近までマクロ経済の推計に対して使用された。

 このような事情から、ロシアに関する西欧方式での長期統計を作成することは非常に困難である。各期間における元データと統計資料の質が大幅に異なるため、ロシア近代史全般に関しては統計指標の推計の方法を統一することはほとんど不可能である。異なる歴史段階を明確に分類し、さらに各段階におけるこれまでの推計方法を再構築する必要がある。私は以下の時代区分を使用することにしている――革命以前の時期(1900-1915)、内戦から第二次世界大戦の戦間期(1925-1940)、第二次世界大戦以後(1945-1959)、そして最後に中央計画経済下の期間(1960-1990)である。ロシア史におけるかなり不安定な時期(戦争と革命)での統計資料は、どれも間接的な方法によって数値を求めうるのみである。

 プロジェクトの作業として現在、我々は1960-1990年までの30年間の時系列統計を算出している。これは1989年の6月に始まった国際的な共同計画の第1段階である。

 過去数年にわたるソ連のGDPの推計についてはCIAが作成したものがあるが、これらの推計を使用する際にはいくつかの点に留意する必要がある。第一に、これらのGDPの推計はソビエト連邦全体のものであって、必ずしもロシア一国に限られたものではなかった。最近多くの研究者が、ソビエト時代における近代ロシアの独立した統計を要求するが、しかしながら、ロシア経済のみを特定の対象地域とすることはなかった。第二に、統計資料の重要な部分は今まで出版されたり、公表されることがなかったため、かつては推計に必要な元データが不足していたが、いま我々はロシア政府統計機関の全面的な協力をえて、ロシア公文書館からの資料を以前にまして利用できるようになった。第三に、他の推計に使用された方法は時折、極めて初歩的なものがある。例としては、これまでの方法では長期にわたる質の変化を考慮しなかった。我々の目的はこれらの問題点を補正するために、より的確な方法を作成することである。第四に、これまでの統計はソビエトのGDPの実質成長を推計するものであった。我々の計画は現行価格で完全な形でのロシアの国民経済計算を作成し、そしてまたいくつかの別の方法によって実質指標を作成することである。それゆえ、このプロジェクトによって作成されるロシアに関する長期経済統計は、多くの点で先駆的なものとなるであろう。

 このことはソビエト連邦やロシアの公式統計を否定しているわけでわない。概してソビエト(もしくはロシア)の統計は非常に正確なものであった。ソビエト経済は中央計画にもとづいていたため、統計は政府の経済計画の統制や管理に非常に有効なものであった。こうした理由により、ソビエト政府は統計や統制に関する報告の精度に多大な留意を払ってきた。ソ連の法律のもとでは、国営企業が虚偽の報告書を提出すれば、その企業は刑事告発されることとなり、結果的には管理者と会計係は逮捕されるのである。工業、農業運輸、建設、その他の経済活動には定期的な統計調査を通じ、企業活動に関しては網羅できるといえる。

 1960年代初期からソビエト政府はソビエト連邦共和国全体と連邦に属するすべての共和国に関してMPSによるマクロ経済指標の公開をはじめた。MPSは国民経済のなかで、いわゆる「物質面(実質的領域)」を覆うマクロ経済の指標である。「物質面(実質的領域)」は工業、農業、建設、貨物輸送、貿易その他の経済活動、「実物」財の直接的な生産や、財の生産に含まれるサービスに関係するものすべてを含んでいる。

 他方、完全な形での統計は存在しない。重要な問題点は、統計の多くがプロパガンダとして存在した点である。ソビエトの統計局はソビエト政府の信用を傷つけるために用いられぬよう統計資料はすべて公表しなかった。しかしながら、これはすべての統計資料が政府を代弁しているという結論を下す必要はないのである。例えば、現行価格でのマクロ経済の指標は、国民所得やその中に含まれる主な総数などであるが、プロパガンダとしてや、それに反対する道具としての有用性はほとんどなかった。西欧のものに比較できる唯一の指標はプロパガンダとして用いられた。これらのものとして、ドル表示による国民所得やGDP、実質GDP成長率、全体の支出に占める軍事費の割合などが挙げられる。当然、これら政治的バイアスのかかった公式の資料を、何の調整もなしに使用することは間違いを生むであろう。

 我々の目標は実質単位でのGDPを作成することである。ドル表記のGDPは大変興味深いものではあるが、適切な計算をするには多くの解決しなければならない特有の問題があるため、このプロジェクトには含めなかった。適切な実質GDPを作り上げるためのプロセスは困難を極める。理論的には、2つの異なる手法が実質的な経済指標を作成するために存在する。一つ目の方法は、推計目的のためにCPI(消費者物価指数)やその他の物価指数のような価格変化に関連した元データにもとづく多くのデフレーターを使用するものである。二つ目の方法は使用される数量指数(実物単位での生産指数―鉄や石炭、電気のキロワット、さらにある産業における従業員数まで)を含んでいる。この場合、最終段階で絶対的なデフレーターを作り上げることもある。

 一番目の方法はより伝統的であり、多くの国が推計に用いている。しかし、この方法の問題点は、公式のソビエトの物価指数には誤りがあることが予想されるので、それゆえ我々は調整なしにはそれを使用することはできない。反対に実物単位でのソビエトの統計はより信用がおけるものといえる。これが他の多くの推計(CIAやその他の推計)が数量指数を使用する二番目の方法にもとづいていることの主要な理由である。残念なことに、この方法もまたいくつかの問題を抱えている。

 第一に、特定の産業の資料が不足しているため、多少の問題を残している。物質単位での経済指標の多くは、軍需生産品や機械、化学、非鉄金属などの部門を除外すれば、公表されているが、このデータでは正確な推計には不充分である。さらに数量指数には生産された財やサービスの質の変化を考慮していない。これは短期の推計や単年度の動態指数のようなものに関しては重大な問題でない。しかし長期の推計(我々のように30年間わたるもの)には、質の変化は、特に機械などのいくつかの部門においては非常に重大なものとなる。例えばCIAの推計に従えば、ジェット戦闘機の費用は長期間においては約10倍以上になった。数量指数がこのような劇的な状況の変化を無視しているという事実は、データの有用性の限界を明らかにしている。第二にいわゆる「ダブル・デフレーション」の問題がある。理論上では正確なGDPを固定価格に換算するには、異なる価格変化が起こるため、生産と中間消費が2つの異なるデフレーターによってデフレートされなければならない。ソビエトの場合では、原材料の生産調整に対する国家の価格政策は最終生産物への補助金の形であたえらているため、ダブル・デフレーションの問題は特に重要となる。数量指数を用いた推計はこのことを考慮することができない

 これらの方法にはさまざまな特徴がある。第三の「組み合わせ」の方法はアメリカで家賃の指数の推計に用いられるものであるが、これを用いることができるかもしれない。この方法では住居に関する数量指数を使用するが、その際に質の向上(有用性など)を調整する。これは確かにより複雑な方法となるが、有用な結果を作成できる。

 我々のプロジェクトでは推計には3つの方法すべてを使うつもりである。もちろん、各々の方法によって得られる結果は異なるであろう。しかしながら、我々のデーターの使用者は彼らの調査の方法や知識、具体的な目的に従って、3つのうちから選択することができる。

 ソビエト連邦の軍需支出の推計は、別の重大な問題である。これについては公式に発表された数字は大部分が正確でないということが、専門家の間で一般的な同意を得ている。軍事支出に関する理に適った正確な資料は、唯一一度だけ公表された。それは1989年で、ゴルバチョフ政権のペレストロイカの時期であった。それゆえ、この資料をもとにCIAのソビエト連邦軍需支出の推計とを組み合わせて、正確な推計が試みられている。

 その他の点に関しては、CIAの専門家でさえ認めるように、ソ連の統計の質はかなり高いものである。CIAがそのような結論を下した、第一の根拠とは、第二次世界大戦中に、分類済みの統計を含んだソ連の資料がドイツの手に渡ったことである。戦争終結時にアメリカの専門家がこの資料を使ってソ連の統計システムの分析をおこなった。その結果は、非公開の軍事生産を除いて、すべての経済指標は公表されたデータと全く同じであった。CIAがそのような評価を下した第2の根拠は、ソビエト統計の中にある「計画実行指数」と呼ばれる珍しい記載事項に関係する。この指標はソビエト時代に国内のプロパガンダとして使われた。ソビエトのイデオロギーに従って、国家の計画は企業によって、遂行されもしくは「それ以上の遂行」がなされた。実際に、もしいくつかの企業や経済全体が問題とされる財を生産できなかったならば、公表された国家経済計画に関する数字は(しかし実際に報告された統計ではない)、計画の効果を「証明」するために「修正」がおこなわれた。この慣行によればソ連の統計の報告システムは、実際はかなり厳しいものであるが、その一方で公表された統計は、プロパガンダのために改ざんされており、実際に報告されたデータはプロパガンダのために改ざんされることはなかった。

 それゆえソビエトのMPS統計が西欧方式のGDPや他のSNA指標推計の元になるものとして使用できるという結論を下すことができる。MPS指標をそれに対応するSNA指標に換算する主な方法は、国連の専門家によってかなり前から作成されており、それは多くの研究者によって推計の目的に使われてきている。例えば、アジア長期統計プロジェクトにおいては、中国のMPS指標をSNA指標に換算するにあたって、一橋大学の久保庭眞彰教授や中国の研究者たちによっておこなわれている。しかしロシアの統計は、中国の統計でおこなわれた変換とは異なるいくつかの問題を含んでいる。第1にロシアはソビエト時代には独立した国家ではなく、単にソビエト連邦における一つの地域に過ぎなかった。その結果として我々は元データを、ロシアやウクライナ、もしくは他の地域などといったような、それぞれの地域に対する正確な政府支出に分けることはできない。例えば、国家行政に関する政府支出の一部がロシア共和国のように各地域の独立した予算によって資金が調達されているものもあれば、他の地域では連邦政府(連邦)予算を通じて融資されることもあった。ロシアのGDPの推計は、連邦予算のなかでの政府の支出(国家行政だけでなく、防衛費や、科学研究費や、その他、市場経済外のサービスの部分も含め)をソビエト連邦に属した旧共和国にそれぞれ分ける必要がある。それゆえこの分配と再計算のための新たな方法を作らねばならない。

 さらにMPS指数をSNA基準に換算させる一般的な方法はよく知られているが、具体的な推計方法は、統計データの信用度やその種類によるところが大きい。伝統的に研究者は国民経済や国家支出に関するGDPよりも、まずロシアやソビエト連邦に関するGDPの推計に注意を払ったのだ。このことは、おもに公表された生産に関する統計的な資料が他の地域よりもはるかに質が高かったという事実によるものである。しかしながら支出に関するGDPはロシア経済のトレンドを分析する際には非常に重要である。最近、支出に関するGDP推計の許可が下りたため、我々はロシア公文書館の資料を利用することが可能となった。さらにこの資料は、所得に関するロシアの歴史統計、現行価格や固定価格だけではなく総産出水準、また多くの細かな点までの推計を可能にするであろう。私の知る限り、いままでに同様な出版物やプロジェクトは存在しなかった。それゆえCOEのプロジェクトは、政府の研究者でない人々が組織立った研究によって、1990年代以前のロシア国民経済計算を作成するの初めての試みである。

 完全な形での国民経済計算は分析に新たな可能性を開くであろう。しかし、これだけの理由で我々は統計的なモデルを作成しているのではない。これとは別に、結果の質を調整するための実現性を向上させることも目的の一つである。もし、たった一つの経済指標や時系列(例えば生産に関するGDP)しか作成されないとすれば、そのデータの精密度を判断することは難しくなるであろう。しかし、もし我々が関連する一つの組み合わせの経済指標を作成すれば、比較可能となり、またその質に関してよりよい評価をすることができるであろう。「統計上の不突合」と呼ばれる精密度を計る特別な経済指標がある。これは、付加価値によるGDPと支出によるGDPの間の不一致をGDPに占める割合から示される。理想的にはその差はゼロに近づくが、実際には一桁のパーセントの違いを取る。我々の場合ではこの統計上の不突合はこれまでのところ理に適ったものであった。

 質の調整に関する別の方法としては、公式に出版されたものとの比較をおこなうことである。ロシア政府統計機関はソビエト連邦崩壊後に公式にGDPの推計をはじめた。はじめに公表された結果は1989年に関するものである。これは、OECDや世銀、IMFなどの国際機関からの技術的指導と監督下で、すべての統計の元データを用いたロシアの公式統計を使って作成された。このようにして、1989年以後のロシアのGDPが公式に発表された。それは理想的なものとはいえないが、かなりよいものであった。しかし我々は、1989年に採用された推計方法とは別に、その後にも利用可能一般的な方法やデータを用いて1989年と1990年に関するGDPの計算をおこなった。ここ数年の我々の推計したGDPと公式のものを比較した結果、両者の間には重大な違いは見つからなかった。我々は、一般にロシアにおいて使用されているデータと手法は他の年の推計にも採用することができるという結論を下した。

 推計作業は現在も進行中である。我々のプロジェクトの最後には、詳細な統計表と方法論についての解説を示した特別なレポートを提出するであろう。このプロジェクトの最初の段階として、予備的推計がおこなわれ、そして最初の結果は1998年の春に日本の専門家と協議がおこなわれた。そこでは多くの役立つコメントや指摘が得られた。その結果、推計方法の改善と追加的なデータを加えることができた。新しい推計がこの秋には準備が整った。本プロジェクトの2回目のワークショップではロシアの専門家も出席して、1999年9月に開催された。加えて8月にはイギリスにおけるインフレの測量に関する国際セミナーにおいて我々が採用している方法の細かな点についての討議をおこなった。現在のところ、我々の目標は2000年の1月までに最終報告書を完成させ、その結果を東京で開催される国際シンポジウムに提出することである。

 我々は、この研究の結果が日本やロシア、そして他の国々における多くの研究者にとって大きな関心を呼ぶことを希望する。プロジェクトのこの段階が終了した後、次の段階ではさらに時代をさかのぼったロシアの歴史統計の推計をおこなうつもりである。さらにさかのぼった時代では統計資料は非常に不足しているであろうが、別の推計方法を発展させ採用するかもしれない。我々のMPSのデータをSANの指標に換算するという実績はウズベキスタン、キルギスタン、トゥルクメニスタンなどの旧ソビエト連邦の諸国や、おそらくはモンゴルなどにも同じタイプの歴史的な時系列分析の推計に適用できるかもしれない。これらの国々は我々のプロジェクトに大きな関心を示し、さまざまな形で将来的に共同作業がおこなわれるであろう。すなわち、近い将来に我々は現在のプロジェクトの継続させ、拡大させる多くの可能性を秘めているのである。

(Alexey Ponomarenko 一橋大学経済研究所)

(日本語訳・比佐優子)