植民地期ヴェトナムの経済統計

第U部 1900−1954年の人口と労働力

 

 

 Bassino それでは、私たちの“Estimating population and labour force in Vietnam under French rule: 1900-1954”というディスカッション・ペーパーにもとづいて報告します。これは、私の大学の研究者と共同で執筆したものです。データと分析の部分は私が主に行いましたが、20世紀初めの人口の推計は主に Maks Banensの研究であることをお断りしておきます。

 

[報  告]

 

ヴェトナムの人口統計

Bassino 人口統計は、もちろん「アジア長期経済統計データベース・プロジェクト」にとって重要なポイントになります。人口は、1人当たりの農業生産など、生産面に関する分析にとって重要な意味を持っています。ヴェトナムの場合は労働人口の推計はほとんどありません。だから、人口のデータを利用しなければ労働人口の推計はできないのです。

 ただ、インドシナ地域の人口のセンサスは確かにありますが、私たちは、簡単に使えるデータと最近のヴェトナム人口のデータを使って、できるだけ20世紀を通じて全体の人口と労働人口の推計を出すことを目的に作業をすすめました。

尾高 センサスというのは、ヴェトナムの官僚がヴェトナム語を用いて行った人口センサスですか。

Bassino 一部はコーチシナ(南部)を対象にしたものだった。

尾高 それは何年のですか。

 Bassino たしか1901年のセンサスだったと思います。この最初のセンサスでは、南部だけが対象だったのです。報告はヴェトナム語とフランス語で書いてあります。しかし、私たちはそれは使っておりません。ほかの研究者もあまり使わないようです。

尾高 センサスは、その後、他にもあったのですか。

Bassino はい。もう一つは、カトリック教徒の登録(洗礼と埋葬の登録)です。カトリック教徒は人口の10%近くかそれ以下でしたけれども、北部・中部・南部にもそれぞれ分布していましたから、そういうデータを使えば、おそらく19世紀の初めからの動態統計(vitalstatistics:出生率や死亡率のデータ)ができると思いますが、これも私たちは使いませんでした。

尾高 それはおもしろい材料かもしれませんね。いまでも残っていますか。

Bassino いまはヴェトナムとヴァチカンに資料が残っています。いちばん簡単に見られるのはヴァチカンです。

尾高 教会の簿冊を使うと、少なくとも出生率と死亡率はわかるかもしれませんね。

Bassino 少なくとも19世紀については可能だと思います。

尾高 それは将来の課題ですね。

Bassino そうです。昨年、斎藤修教授と相談して、時間がかかりすぎるので、いまの段階ではやめたほうがいいということになりました。少なくとも20世紀全体のデータを全部そろえて、それを第一歩として始めたほうがよいということになりました。

また、完全なセンサスが行われたかどうかは分かりません。地方によってセンサスの質は変わります。南部(コーチシナ)のセンサスはまあまあよかったと言われています。

南部のセンサスが実施されたのは、1901年、06年、21年、26年、31年、36年、43年、46−54年、それに55年です。

1955年のセンサスは、当時フランスが支配していない地域もあったので、あまりよく行われなかったかもしれません。特に南部では戦争中には詳しく調査したかどうかよく分かりません。

 

センサスと動態統計

中部・北部の場合は、信用できるのはセンサス・データよりも動態統計の推計値だと言っていいと思います。ところが、南部の場合は、センサスも動態統計もありました。センサスはまあまあ信用できるから、動態統計も信用できるはずだと、南部の官僚もインドシナ総督府も評価していたのです。一番いい推計値は南部のものだと思います。

ただ問題は、ヴェトナムにかぎらず、報告もれ(omission)の問題があります。特に若い女性と少数民族の登録もれ(under-registration)があります。また多くの場合、メイドなどについては、その存在は登録していなかったようです。

尾高 若い女性が過小評価されるのは、なぜですか。

Bassino それは世界的に見られることですね。

高濱 女性の地位が低いとあまり重要視されず、センサス調査時に忘れられてしまうとか、わざわざ役所に出生登録をしに行くのが面倒なので意図的に登録されないこともあります。

Bassino もっと重要な点は、総督府のレベルでよく次のようなことが言われていました。南部コーチシナのがまあまあいいといっても、カンボジアに比べたらよくない。なぜかというと、ヴェトナムでは旧制度の官僚の力をかりていろいろな調査が行われていましたが、その際、伝統的に家族の中のことを調べるのはよくないというので、村レベルで村長がセンサス用紙に記入していました。家族の情報を調べるのは失礼だとか、村長は村人に選ばれただけなので、村長の立場からすると、そんなに立ち入ったことは聞けない等の理由だったようです。

尾高 日本の村長だったら、どこに誰がいて、女性は何人とか、そういうことはよく知っているでしょうね。

斎藤 何しろ日本では徳川時代からそういうことをやっていますからね。

高濱 ただ、若い女性といっても、結婚して妊娠しているとか子供をつくる年齢の女性はわりと大事にされたので、センサスにもまだ入りやすいのですけれども、その前のまだ労働力にもならない子供で、特に女の子は入っていないのです。

尾高 乳幼児ですね。それは多分世界的に見てもそうですね。

Bassino もう一つの問題は、これは他の国にも共通することでしょうが、実際にはハノイとか他の都市に住んでいるのに、家族が農村に残っているために一時的な移動とみなされ、村で登録されているという例が結構ありました。二重登録の可能性もありますね。出生時に村で登録した直後に、親の仕事探しにくっついて都会へ移動したというケースもあるかもしれません。

華僑のデータは、大体信用できると考えていいと言われています。その理由は、フランスの警察は、華僑を幾つかのグループに分け、その中の地位の高い人を選んで間接的に管理させるという制度をとっていたので、中国人の移民については管理がいきとどいていたと言われています。

ディスカッション・ペーパーを書く際に、私たちはわりと簡単に手に入るデータを使って、できるだけ省別のデータも入れました。これはいますぐには使えないけれども、将来、省別の人口もしくはデータや推計値の整合性を調べるために使おうと考えています。

ところで、次の作業の段階では、Inverse Projection Method(人口遡及推計法) を使って20世紀の初めからの人口推計をつくろうと思っています。そのために幾つかの仮定を立てました。

まず、センサスはそれほど正確ではないけれども、南部の動態統計から得られる率(vital rates)は信用できると考えました。もう一つは、中国からの移民は少なかったと仮定しました。これはもう少し調べる必要がありますが、北から南への移民もあったけれども、全体の人口に比べてそんなに多くないのです。中国南部の山岳部からの移民もありましたが、それも無視できる範囲内だと思います。また、南部の動態統計をヴェトナム全体に使えると仮定して、再構築推計値(reconstructed estimates)も算出してみました。

センサス報告と推計値の差は結構大きいのですが、以上のような方法によりその差は少なくなります。他方、50年代以降のセンサスは信用できると考えていいと思います。1986年のセンサスを基準にして遡ると、10年代・20年代・30年代の人口はセンサスよりも人数が多かったことになります。将来1人当たりGDP成長率を計算する際には重要なポイントになると思います。

尾高 1986年のセンサスを使うのは、この年のものが一番詳しくて信頼できるというのが根拠ですね。

Bassino そうです。その前の1979年のセンサスも、どうにか使えるかなと思っています。そうすれば、もう少し遡って1900年からの人口を推計できるのです。

 

労働人口の推計

Bassino 最後に、労働人口の推計のために、男女の年齢別人口表(1908-1993年)をつくってみました。

単純ですが、ここでは14〜60歳を労働人口と考えました。そして、いままで見つけた雇用統計と比較しました。雇用に関するデータを入手するのは思ったより困難ですけれども、簡単に見つかったのは炭鉱(coal mines)と教育関係(public primary education)と公衆衛生(保健)関係(public health services)の労働者、あとは公務員数です。その中で、できる限り現地人(non-Europeans)の人口だけを調べました。ヴェトナム人の労働市場とフランス人の労働市場は完全に区別されていましたから、フランス人は無視したほうがいいと思ったのです。

当時のフランス人の人口は、全体の 0.2%を占めたにすぎません。官僚と兵隊が主で、本当に少なかった。1910年代から1940年代半ばにかけて、官僚はそんなに増加していませんが、教育と保健関係は第一次世界大戦から特に20年代に入ると急速に割合が増加しています。また炭鉱関係は特に20年代に激増します。これは、アジア向けの石炭の重要性が増加したことによると考えていいと思います。30年代に入ると、石炭産業従事者はもう少し多くなるけれども、総合労働人口に占める割合としてはそんなに多くない。

以上で私の報告を終わりますが、ここで行った推計は今後、省別データを使ってもう少し集計することが必要だと思います。

尾高 どうもありがとうございました。では高濱さんに、ディスカッション・ペーパー及び今日のバッシーノさんの報告をふまえてコメントをお願いします。

 


 

Summary(2)Discussion Paper D98-7

 

Estimating population and labour force in Vietnam

under French rule:1900-1954

 

本論分はフランス統治下における1900‐1954年ヴェトナムの、人口と労働の推計作業の第1段階の結果の報告である。旧インドシナに関する情報は極めて断片的であり、データの信頼性については不透明なところが多く、人口や工業、労働などに関するデータは特にそうである。

フランスは、19世紀末頃まで国庫財政には熱心であったが、現地の人々の人口や労働などについて精確なデータをうることにはあまり関心が高くなかったがために、労働が当時の収入等の経済活動を推計するためのいい指標であったとは言いがたい。また、統治下にあった50年間の資料の多くは、フランス資本の会社や総督府関係の労働者のものに限られているので、そのことをふまえて結果を批判的に吟味する必要がある。以上のような事情により、人口・労働の推計は非常に困難であるが、本論文での分析はヴェトナム数量経済史研究には欠かせない作業である。

本論文は、フランス統治下時代のヴェトナムの人口、特にデータの質がよいといわれるコーチシナ(ヴェトナム南部)の原資料と、データの分析結果および公的に把握されている労働のパターンなどを検討している。すなわち、Inverse Projection Methodと呼ばれる人口推計法により、年齢別・性別に仮定をいくつか設けた上で、モデル生命表を利用してヴェトナムの人口を再構築し、労働や被雇用の推計を行っている。

推計結果を報告値と比較すると過少報告が著しいことが目立つ。20世紀の前半は人口増加が緩やかで、1910年の2,000,000人弱が、1940年に2,500,000人余りに増えている程度である。これは該当期間中のフランス人官吏によって残された公的資料の通常の解釈と整合的である。第二次世界大戦中の死亡率の跳ね上がりは、地域的にも時期的にも限定されているようである。

労働については、年齢構造のデータや、労働従事者の年齢別・男女別に仮定を設け、特定産業の雇用統計と推計値が比較可能となっている。1920年後半−1930年前半に公的部門・民間部門とも、男性の労働市場参入率がピークに達している。

今後は、史料検討に加え第1段階推計値の信頼性を検討し、人口と労働の年間ベースの推計値算出を予定している。データの信頼性に関しては、さらに多くの問題が解決されれば、よりよいヴェトナム人口統計につながると思われる。

 


 

[コメント]    高濱美保子

 

高濱 まず人口ですけれども、データのエラーの話がずいぶんあって、苦労されたことと思います。ただ、動態統計が正しい、静態統計(census)がまずいということで、1986年を固定して、そこから遡っていったということですが、動態統計のほうの過少推計(under-report)は、出生、死亡それぞれ別々に分けて、一番初めに検討するのがよいと思うのです。それらのことをどのようにされたのでしょうか。

もし、それをしないで、1986年からずっと遡ってInverse Projection Method(人口遡及推計)を使ったというのであれば、過少推計ということになってしまいますね。もし出生登録と死亡登録に差があれば、そういうことになってしまいますね。

尾高 なぜ、必ず過少推計になるのですか。

高濱 必ずではないですけれども、過大推計よりも過少推計のほうが当然あり得る話なのです。

出生は、0歳人口を決定する1回のイベント(vital event)ですけれども、死亡はどの年齢にも起こります。したがって、出生が届けられていなかった人の死亡が届けられると、それを使った推計は過少になってしまいます。しかし、死亡の登録もれも難しい問題です。死亡はいずれにしても代理報告(proxy report)になってしまいますから、特にお年寄りの死亡は著しく脱漏してしまいます。お年寄りは漏れてしまうことがかなり多いのです。届けが出ない以上、それがデータの中では生きていることになります。年齢によって過少報告(under report)になる、ならない、という問題が生じてくるので、年齢別のデータを扱うときには留意しなければいけない点です。

この報告の中で、死亡率に関してはモデル生命表(life table)を使って西(west)と南(south)の2つの推計を出しているようですが、southを選んだ理由がよくわからなかったのです。このwest, south, north, eastというのは、いろいろな国の死亡経験を集めて、世界モデルとして単純に4つの型に分けたものです。

そのうちのsouth modelは、スペインやポルトガルなどの死亡経験から出したもので、特徴としてadult mortality(成人死亡率)がすごく低い。westよりも低い。どのモデルよりも低い成人死亡率を持っていて、子供の死亡率がwestよりも高くて、65歳以上のところがまた高いという特徴を持っているわけです。Westがいちばん一般的な死亡率のパターンを示しているのに、わざわざsouthを選んだ理由がわからなかったのです。

斎藤 Southとwestの2つを調べて、その結果、southを選んだのでしょう?

高濱 Westのほうがフィットがいいということは書いてあって、それを考えると当然かなという気もしたのです。やはりwestがいちばん一般的な形を示していますので、死亡率推計値のフィットの比較という意味では、southはあまり意味がなかったのではないかと思いました。

尾高 Westのほうがフィットがいいというのは、どのデータで調べているのですか。1986年のフィットですか。

高濱 そうです。1986年の年齢構造の報告値に対する推計値のフィットです。

あと、データ・エラーの検定には、出生に関しては特に男女の出生性比が使われます。人間の場合は、女子 100人に対して男子は5人多く生まれるといわれますので、まず男女差の歪みは簡単にわかります。死亡については生命表に当てはめるというので何とかうまくいっているようで、問題は少ないのでしょうが、対象期間中の死亡の男女比は固定すべきではないと思います。

ところで、仮定の中で人口移動(migration)の5歳段階、年齢別の人口移動のデータが必要だといわれていますけれども、これは実際にそのデータがあったのでしょうか。

Bassino いまの研究では、マイグレーションを無視したのです。

高濱 無視したら、フィットがよかったということもありましたね。

仮定が2つありますね。コーチシナの動態と静態を付き合わせて人口移動を推計し、仮定に組み込んだうえで出生率・死亡率がヴェトナム全体を代表するという仮定が1つ。もう一つは、人口移動が全くなかったという仮定。こっちのほうがよかったということですね。

 

[討  論]

 

尾高 討論に移りましょう.

Bassino コメントいただき、ありがとうございました。

最初の問題は、センサスは正しくない、動態統計が正しいということですね。研究を一緒にやった仲間とも話したのですが、南部では状況がけっこう厳しかったから、おそらく動態統計は南部全体でなく、フランス人がうまく支配している地域だけからつくったのではないかと思います。

たしかにこれは問題です。そういう意味では、カトリック教会の人口動態統計があれば助かります。仮説として、動態統計はより正しい、センサスはそれに劣ると考えたのですけれども、いまの段階ではそれ以上を出ないと思います。しかし逆に、センサスが正しくて動態統計は正しくないというのは、いままで私たちの見たレポートで見る限りでは、事実ではない。

尾高 正しいとか正しくないということはもちろんあるけれども、センサスはとびとびにしかないわけだから、その間を埋めようと思うと、動態統計を使うしかないでしょう。

Bassino それもあります。

ただ、動態統計の使用にあたっていちばん問題となるのは、死亡率の登録もれよりも、それがあくまでも南部だけの統計だということです。もちろん、第二次世界大戦の終わりころには、北と南の死亡率の差はすごく大きかったのですが。

高濱 厳しかったというのは、ペナルティがきつかったのですか。

Bassino そうです。しかし、動態統計の場合は、南部では人数が多かったし、完全にフランス植民地でフランスのシステムを入れたから、あまり問題はないと思います。

あと、westとsouthの選択については、いろいろ計算してみた結果、フィットのいいのはこの2つで、その中でも一番フィットがいいのはwestです。一般的な死亡表(mortality table)を使ったのだから、これでいいのではないかと思いました。

斎藤 結局いまの推計法は、コーチシナの動態統計が正しいとして、それを全国規模で膨らましたものです。そして、閉鎖人口(zero migration)であるとの仮定をとっています。私は、多分国全体で推計するとるれば、zero migrationという仮定は仕方がないと思います。我々もインドを対象に人口推計を行っているけれども、そうせざるを得ない。

しかし、もう一つのやり方がある。それは、コーチシナのデータの質が高いのだから、南だけについて、Inverse Projection Methodを使ってみるという方法です。そうすると、問題になるのは人口移動です。人口移動がゼロという仮定はどうしても現実的ではないけれど、それでもやってみる。zero migrationを仮定して、比較的データに信頼性のある動態統計から得られた率(vital rates)を使って、南だけで推計するとどうなるかをチェックしたらよいというのが、私の意見です。

どうせ無理をするのだから、コーチシナの動態統計を全国に広げる無理をするのか、それとも、移動には目をつぶって閉鎖人口を南だけでも一応やるか。どちらも無理があると思うのです。どっちも無理なら両方やってみたらどうか、というのが私のサジェスチョンなのです。

尾高 その場合、北はどうするのですか。

斎藤 しばらくの間はやらない。ただし、それで推計を出しても同じような結果だという判断ができるなら、最初にやったのを残す。もし結果が非常に違うのなら、ちょっと危ないかもしれない。

もう一つのサジェスチョンは、そのときにInverse Projection Methodだけではなくて、ほかの方法(methodology)を使う。例えば、我々がインドの人口で使っているものの1つにGrowth Balance Methodというのがある。これは毎年々々の安定人口(stable population)を仮定して計算するようなもので、非常に無理があるけれども、これのいいところは、自動的にcorrection factor(修正ウエイト係数)及びcompleteness of registration(登録率)を計算してくれるのです。

我々はインドの特定の地域を対象にしているので、人口閉鎖は絶対に仮定できないのですが、それでもその結果を見ていると、1910年ぐらいから30年代末までは、completeness of registrationが80%ぐらいでずっと安定するのです。人口移動のことを考えると、これは非常にいい。ところが、それ以前はちょっと落ちるわけです。そういうことが逆にわかるので、いろいろやってみる価値はあると思います。Logit Modelなど、推計法もいくつかあるので、いろいろ試してみるのもよいでしょう。

全国についていきなり推計値を算出するのは、私はあまりよくないと思うのです。どうせデータが悪いことはわかっているわけだから。だったら、データが比較的ましな南だけについていろいろな方法で推計してみるというのがいいのではないかというわけです。

実を言うと、我々はインドでは別な方法で始めて、もしかしたら最後にInverse Projection Methodを使ってみたいと思っているのです。だから、ちょうど反対の方向をとることになりますね。

Bassino 最終的には、このプロジェクトとしては、インドシナでなくヴェトナム全体をカヴァーすることになっていますので、斎藤先生のサジェスチョンは有益です。

我々も悩んだのです。コーチシナだけでいいのではないかと思ったけれども、実際に、コーチシナだけを切り離して扱うのは人口系列だけです。ほかの(財政以外の)データは、コーチシナではなくて、インドシナもしくはヴェトナム全体を扱うからです。

高濱 時間的な制約があるというのは、私も分かりますので、無理なのかなと思ったのです。ただ、別の幾つかの方法を使っても一致するということであれば、「これがヴェトナムなんだ」と自信を持って言えると思うのです。

Bassino おそらく、二段階方式でやるのがよいかもしれません。まずコーチシナでやってみて、いい結果が出たら、次に全体に広げていく。

斎藤 二つあると思うのです。コーチシナはある程度いいものができたとして、全国の総人口を推計するときに、そのまま同じような推計方法でやるのはまずいとなったら、例えば1920年あるいは21年の人口は、そのときのセンサスを使って比例配分していく。コーチシナのパーセンテージで全体を膨らませてやっていく。そういう方法もあると思います。非常に荒っぽいけれども、核になる南の部分はまあいいんだ、全国はここだ、という方法だってあると思うのです。

Bassino 斎藤先生の提案されたポイントですが、もう一つ、南の場合は移民を無視できないのです。北からの移民、中国からの移民、大体の統計がありますから、それを入れてみます。

斎藤 でも、詳細な人口プロファイルはないでしょう。

高田 北の人口センサスですけれども、北で人頭税をきちんと取るようにするのが10年代の終わりです。それまでは村の有力者たちに任せて、人数しか把握できなかったけれども、財政上、人頭税をたくさん取らなければいけなくなって、初めて人口を把握したいということで、10年代の終わりに成年男子の人数をきちっと村の中で把握するようになるのです。

ですから、1921年の統計には、実はこれは成年男子、これは男Mと女Fというように全部入っているのですが、これは1家族の平均は何人ぐらいで、男女の比はこの位で、と仮定してつくられているのかもしれない。本当に実態を示しているかどうかは難しい。

村の中には、一つの家族には入らない人もいっぱいいるのです。だから、実際はもっと数字が大きいだろうと思うのです。20年代以降の北の統計は、私はコーチシナと結局同じだろうと思うのです。コーチシナでも結局、人口センサスといっても村に任せて、村の有力者たちが人頭税を基にしてつくっているように思うのです。1軒ごとに人頭税を払う人数を把握しているとは到底思えないのです。

南の社会は流動的で、それこそ開拓地ですから人の移動が多い。だから人口を把握しにくいはずなのです。人口数は出てきても、それを基準にしてヴェトナム全体の推計をすることには無理がある。それよりも、北は北で20年代以降のセンサスをそのまま使っても、結果はほとんど同じような気がします。

Bassino 北のほうは、20年代と30年代には少数民族の問題があると思います。

高田 黄河デルタのセンサスのほうがしっかりしていますね。村の人頭税の数がどういうふうに書かれているかを、後でバッシーノさんにお見せしたいと思います。

高濱 統計をとる理由も、実はデータ登録とそのデータの信頼性に重要な影響を与える。例えば、兵隊にとられるからとか、税金を払わなければいけないからとか、そういう理由でセンサスから逃げてしまう人も非常に多いのです。だから、家族の人数分の税金を払わなければいけないというのであれば、少なめに申告することも考えられる。ただ、これは一般的な話で、ヴェトナムで本当にそうかどうかというのは分かりませんが。

Tran 労働力の推計についての意見です。ここでは15歳以上を労働人口として考えていて、それ以下は労働力として無視できると書いてありますね。これは現在のヴェトナムならばそれでいいかもしれないけれども、特に第二次大戦前のヴェトナムでは、この分け方は適用できないのではないか。

私は子供のころ中部ヴェトナムに住んでいました。近代的な小学校はまだ普及していませんでした。ほとんどの女性は家の中でお兄さんやお姉さんから読み書きを教えてもらう。男性の場合も、小学校にも行けない人が非常に多かった。10歳くらいまでは寺子屋のようなところに通って、その中のごく一部だけが都会の学校に進学します。

いまでも人口の75%ぐらいが農村にいますが、戦前だと90%ぐらいは農村人口でした。したがって、15歳以下でも大部分は労働に従事していたと思います。だから、バッシーノさんたちの労働力の仮定は過少評価になっていると思います。

Bassino 私も10歳からやったほうがいいと思ったのですけれども、斎藤先生は、伝統的な農業社会だと、いまの大都市の貧乏な家族と違って、10〜14歳ぐらいまでは見習と考えていいとおっしゃったものですから、このようにしました。

私は、東南アジア、特にヴェトナムはよく知りませんが、例えば、19世紀末ごろの地中海の伝統社会から考えますと、14歳まではヤギの面倒を見てもそれは完全に労働者ではなくて、手伝いとか見習といういうことになる。

Tran でも、大部分は農業ですね。工業ではなくて、サービス分野や農業です。

Bassino もちろんそうです。でも、農業でもいろいろな見習がありますから、10歳よりも15歳のほうがいいのではないかと思いました。

Tran 成人労働力とは違うと思うけれども、15歳以下の労働人口のトータルな人口の中の割合は高いと思います。いまでもそうだから、昔のヴェトナムではもっと高い。そして、進学率は非常に低い。そうしますと、成人労働力と同等でなくても、若年労働力の労働価値は無視できないと思います。

Bassino いま教育についての資料とデータを集めているところです。私たちが労働力の推計を出したのは、基本的に人口に占める割合をはかるためです。あくまでも20年代・30年代で、特に石炭産業の労働者が全体の労働人口に占める割合を調べたかったのです。

尾高 いろいろ意見を出していただきましたので、それを考慮に入れたうえで改訂版をつくってくださるようお願いします。皆さん、どうもありがとうございました。

 

(1998年8月3日収録、於一橋大学経済研究所)