統計制度の各国比較の意義


− 統計制度班の発足に際して −


 

プロジェクト幹事 清川雪彦

 

昨年10月に開かれた第4回全体会議では、「 アジア諸国の政府統計と統計整備機構( その1 )」に関する特別のセッションが設けられ、多くの参加者から好評を博した。これはそもそも、当プロジェクトの終了とともに予定されている地域( 国別 )篇の出版に際し、序章もしくは補章の形で、その国の統計制度と調査機構に関する簡単な解説を加えることにより、他章で扱われる統計の性格や信頼度などを理解するのに資する目的で企画されたものである。

しかしイギリスの植民地たるエジプトの統計に、フランスの強い影響があったり、かのボックス・ダイアグラムで知られる経済学者 A. L. Bowley が、統計学者としてインドの統計制度・調査法に関する勧告のため現地調査を行っていたり、その地域の専門家にとっては常識であっても、他の地域の専門家にとっては、新鮮な発見や驚きが数多く含まれていた。またタイやフィリピンの事例でも、標本抽出設計の不備や度重なる概念の変更など、他国にもほぼ共通と思われる問題点が、数多く指摘された。

こうしたこともあり、全体会議のあと、むしろアジア諸国の統計制度を、積極的に比較するような企画が立てられるべきではないか、という意見が多数寄せられ、本年度より、主題別班の1つとして出発することが、4月の幹事会で決定された。

そこで今、統計制度班の発足にあたり、その意義ならびに共通の視点形成のための問題提起をしておく必要があり、「 何をどのような視点から明らかにするのか 」という点に関する1つの意見を、以下簡単に述べておきたい。

 

1.統計情報の発達と政府統計の中心的位置

Statistics なる語が、ラテン語の status から派生していることでも知られるように、そもそも統計とは、国家の状態に関する探究・調査等を示す用語として、歴史的にも理解されてきた。今日では多少広く、社会構造やその構成要素の諸関係を計数的に示す集計情報、ないしはそれを扱う学問として解されているが、それでも依然としてそこでは、国や政府の概念が、中心的位置を占めていることには変わりない。

したがって統計もまた、政府により収集整備され、活用される度合いが最も大きい、といっても過言ではない。歴史的には、人口センサスや貿易統計の整備に始まり、政府の統治・管理機構の発達とともに、農業統計や地税・運輸・教育などに関する統計が、順次整っていく傾向にあった。それは植民地の場合であっても、ほぼ同様な傾向を示していた。なぜならば、それは宗主国の統治上の必要性と、ほぼ合致していたからに他ならない。

なおこうした政府統計は、通常行政上の業務統計として、収集されるのが一般的であった。しかし統計情報量の増大や複雑化に伴い、それらを扱う担当官庁には、統計業務を専門的に処理する部署が設置されたり、さらには各省庁間の収集業務の調整や、独自の大規模調査を行う専門の独立統計機構などが、設置されるに至る。

他方、このような業務統計を中心とした政府統計では捕捉しえないような分野の統計が、民間企業や関連団体あるいは研究者などによっても補完的に集められたのである。例えば、保険統計や鉄道利用者統計あるいは労働組合統計などは、初期のそうした代表的事例であろう。

また社会的に緊急に解決が図られねばならない問題に対する調査、いわゆる社会調査が、研究者や社会改良家などによって実施され、もう1つの調査統計の重要な分野を形づくったのである。例えばイギリスでは、C. Booth や S. B. Rowntree、あるいはアメリカでは、P. Kellogg などの名を想起するまでもないことであろう。その後、こうした調査の対象分野は急速に拡大される一方、調査方法もまた、理論的に大きく洗練されてゆくのである。

しかし1国の統計全体を眺めるとき、やはりその中心は、圧倒的に広義の政府統計にあった、といっても過言ではない。とりわけ第1次大戦後には、統計情報の意義が再認識され、各国では統計機構の整備・充実が図られるのである。もとよりそこには、ソ連邦の出現と、経済計画における経済統計の決定的重要性という事実から、大きく影響を受けていたことも否定出来ない。また1930年代には、統計学においても確率標本調査論の理論的基礎が確立し、その後の政府による大規模な全国標本調査をも、約束するところとなった。

かくして先進諸国では、1940年頃までに、人口センサスはもとより国民所得統計、ならびにその背後にある各種生産統計の作成などをも含め、政府統計の大幅な充実が図られたのであった。しかし、その収集方法や形態、あるいは統計機構のもつ権限自体やその範囲などは、国によって大きく異なっていたのである。さらにいえば、それらはその国の歴史や文化あるいは産業構造、とりわけそれらを反映した行政機構の形態などに、大きく依存しているのである。

したがって今、我々が各国統計制度の比較を行うのであるならば、少なくとも次の3点には、着目しなければならないと思われる。すなわち(1)各種の業務統計は、どの程度各省庁毎に分権的に収集されているのか、あるいは逆に独立の専門統計機関により、どの程度集権的に収集されているのか。(2)またその収集に際しては、中央政府( 機構 )と地方政府( 組織 )の協力・補完関係はどうなっているのか、その費用や権限は如何なる関係にあるのか。(3)さらには各種の標本調査は、業務統計を補完もしくは代替するいずれの方向で、企画設計されているのか、またその占めている位置はどの程度の大きさか、といった問題に関しては、少なくとも触れられなければならないのである。なぜならばこうした諸問題は、各国共通にして、且つまた国によりかなりの程度差があるからである。それゆえそこから我々は、その国の統計制度の特徴や統計の信頼度、あるいは収集の効率性等々に関する情報が得られるからに他ならない。

 

2.途上国における統計精度の多様性

通常統計の収集には、大きくその国の歴史や文化が反映されるという点に関しては、ほとんど異論はないものと思われる。それは比較的、国際的標準化のすすんでいる人口センサスにおいてすら、一般には観察されうるといえよう。例えば、その調査員の教育程度や被調査者の識字水準、あるいは調査に対する協力・理解度や、調査領域・調査区の信頼度、さらには人種や宗教・言語などの複雑さは、国によって大きく異なり、それに応じ、調査方法( 調査員の選定や記入方式・チェック体制など )にも相違があり、結果の統計精度にも大きな差異が存在するのである。

それでも人口センサスの場合には、戦後国連による度重なる統一調査の試みもあって、次第に調査内容や定義、調査方法等の標準化が進展しつつあり、その精度も含め、かなり国際比較が可能になってきているといえよう。しかしセンサスにおいてすら、このような状況であるから、ましてや途上国各国の業務統計等の直接的比較は、国によつて、産業組織のみならず、官僚機構の進展度などが大きく異なるゆえ、その概念や精度に、多大な困難を伴うといわねばならないのである。

今その点の改善には、多くの時間を要すると思われるが、それを補完する意味での大規模標本調査が、途上国各国でも着実に定着しつつあり、したがってそれらを通じた実質的国際比較は、かなりの程度可能になりつつあるといってよい。とりわけ途上国の場合、調査網の不備や費用、調査員の質や量あるいは速報性等々の観点からみても、業務統計機構による悉皆報告調査よりは、全国標本調査の方がはるかに有利であることは、論を俟つまでもない。

さらに加えて途上国では、経済計画策定に利用する特定の限定情報を得る場合にも、標本調査はきわめて有効であり、また国連勧告に基づく国民所得統計の準備に際しても、一部の関連情報は標本調査に依拠せざるをえないなど、その有効性・必要度は著しく高く、次第に積極的に活用される方向にあるといってよい。

特に業務統計の質やカヴァレッジなどを念頭におくとき、標本調査はさらに一層活用されてもよいと同時に、我々が経済統計の国際比較などを行う際にも、標本調査の意義や役割は、もっと注目されてもよいのである。なぜならば標本調査にあっては、一応その精度( 標本誤差の逆数 )が把握されうるだけでなく、非標本誤差もまた、調査方法や調査員の質などを点検することにより、概ね類推可能であるがゆえ、かなりの程度の国際比較が可能となるからに他ならない。

それゆえ、標本調査を専門的に担当する政府統計機関の予算や組織、あるいは人員の教育水準など、さらには統計活動全般に占める標本調査の比重や規模などに関する情報もまた、国際比較にとっては重要な意義を有しよう。なぜならばこうした情報全体は、その国の標本調査の質的水準を示していると同時に、間接的には業務統計との関連や、その水準をもまた反映・示唆しているからに他ならないがためである。

したがって今もし我々が、アジア諸国の経済統計の信頼度の比較や、統計制度自体の効率性の比較などを試みようとすれば、まず第1にそれら諸国で通常行われている代表的標本調査、例えば主要作物の坪刈り調査や家計調査、あるいは労働力調査などの少なくとも1つを共通にとりあげ、その比較を行うことが、最も効率的にして、且つ最も有効であると判断されうるのである。

 

終わりに

以上我々は、統計制度班で対象にしうべき政府の業務統計や大規模標本調査が、国により、その精度に大きな差異があること、また統計機構自体も、国によってかなり異なることなどを指摘してきた。つまりそこには、その国固有の歴史や文化が反映された結果としての統計制度が存在しているのであり、そうした個別特殊的な制度自体を、国際的に比較する際の共通の認識についても言及した。

すなわち言い換えれば、統計制度自体も、その社会の社会システムの一部であり、そうした十分な自覚のうえに、たとえ統計制度であれ、制度自体の国際比較がなされなければならないのである。それゆえ今、現実の統計制度の差異や精度の差を認識するにあたっても、その国の統計調査の現場に立ち合うことこそが、最も有効な示唆をうる方法に他ならないのである。

 

 

(きよかわ・ゆきひこ 一橋大学経済研究所)