中国東北地方における農村実態調査について


『康徳三年度 農村実態調査報告書』にある統計資料調査



江夏 由樹


 

本稿は満洲国の農村実態調査報告書をとりあげ、その内容を紹介し、さらに、そこに記された公租公課に関する統計資料を参考としながら、この報告書が中国の農業、農家経済の歴史の数量的把握という問題についてどのように利用できるかという点を議論した。本報告は、同じタイトルのディスカッション・ペーパー( DP97-23 )としてまとめられているので、詳しくはそのディスカッション・ペーパーを参照されたい。ここで引用する表の番号もディスカッション・ペーパーにある表のことを指している。

 

1.満洲国における農村実態調査の概要

満洲国の農村実態調査報告書として次のシリーズを挙げることができる。

  1. 『 康徳元年度 農村実態調査報告書 』

  2. 『 康徳三年度 農村実態調査報告書 』

  3. 『 県技士見習生農村実態調査報告書 』 ( 康徳三、四、五年度 )

このうち、1,2では満洲国の各地から抽出された37村の1600戸を越える農家が調査対象となった。1の調査が満洲国北部で実施されたのに対し、2の調査は地域的にも広範囲にわたり、1095戸( 6911人 )の農家を対象とする調査であった。調査地は、北はソ連と国境を接した琿から、南は遼東半島の荘河などの村にまで及ぶものであった。そこでは、各農家の歴史、家族、耕地、農業生産、小作関係、雇用、家計、公租公課の負担などについて詳細な聞き取り調査が行われ、その結果が数値資料としてまとめられた。『 農村実態調査報告書 』のうち、数値資料を記したものが「 戸別調査之部 」と呼ばれる部分である。一方、各村の政治、経済、社会の概況、その歴史などが「 一般調査報告 」( 全21冊 )として記された。この「 一般調査報告 」は基本的に記述資料である。したがって、この『 農村実態調査報告書 』の利用については、単に統計数値だけでなく、こうした記述資料をあわせ読むことが可能となり、そこから、当時の農村・農民の生活の実態により詳しく迫ることができる。特に注目したい点は、この調査では、特定の村( 屯 )がサンプルとして抽出されているが、選ばれた各村( 屯 )については、全ての農家が調査対象となっていることである。つまり、屯内の全ての階層に属する農家についての情報がそこに記されているわけである。この点は、標準的な農家を取り上げて、調査結果をまとめたバックの調査などとは異なる。また、こうした康徳元年、三年度の農村実態調査報告書はその後の満洲国の農業関係の各種報告書の基礎資料となった。つまり、『 農村実態調査報告書 』を利用することは、満洲国時代に公表された多くの農業関係報告書のオリジナル資料を検討するという意味をもつ。

調査の対象となった各屯の農家戸数は約20戸から90戸程度、人口は百数十人から五百人程度であった。調査隊は11の班からなり、1班は5人から8人で構成された。各班は県公署、財政局において予備調査を行った後、警備隊・通訳を伴って10日から2週間ほど、各屯で聞き取り調査を行った。この調査に使われたマニュアルが現在残されており、そこから『 農村実態調査報告書 』に示された資料の内容をより詳しく検討できる。例えば、調査の段階で直面することが予想される様々な問題の解説、また、調査項目に示されている一つ一つの概念規定などがこのマニュアルに詳しく記されている。

「 戸別調査之部 」は16の集計表からなっている( 各集計表の内容は前述のDPの表2に示した通りである )。さらに、各村ごとにまとめられた16の集計表に続いて、その村の一般的状況、度量衡、地積、税目税率、穀物価格などについての情報が記されていた。これらの集計表、各種情報を分析することから、この地域の各村・農家の農業生産、家計などについての具体的な姿が明らかになってくる。そして、その成果は単に満洲国時代だけでなく、張作霖・張学良政権期の、さらに、地理的にも近い中国華北の農業・農家経済を分析する糸口にもなってくる。

 

2.農村における公租公課の負担

『 農村実態調査報告書 』にある相当量の数値資料を、どのような視点から整理・分析していくかという問題を、まず、考える必要がある。本報告はこの報告書に示された公租公課に関する数値に着目し、当時の、この地域の農民が担っていた公租公課の内容、そして、それが当時の農家経済にとってどの程度の負担となっていたのかという問題について初歩的な検討を行った。公租公課の負担の問題を検討するためには、調査対象とされた農家の家計収支、より具体的には、かれらの農産物売却や労働による収入・生活費・現金貸借・小作関係などに関する集計表を考察の対象としていくことが必要になる。そうした方法をとることにより、『 農村実態調査報告書 』にある各種の統計表を有機的に把握することが可能となるであろう。

公租公課の問題を検討することは、中国史研究の方面から見ても興味深い。中国の税制は基本的に上納制の形をとっているため、各村落の末端でどれほどの税金が実際に徴収されていたのかはなかなか掌握できない。多くの公的な文書に記されている徴税額はあくまでも政府中央、あるいは、地方政府が最終的に徴収することのできた税額であり、税が上納されていく各段階で、その多くは「 中飽 」されていた。したがって、この『 農村実態調査報告書 』が各村における徴税の実態について、農民から直接に聞き取り調査を行い、その結果をまとめていることは重要である。

『 農村実態調査報告書 』にある公租公課関係の集計表を見ると、まず、次のような点に気付く。清朝の時代、この地域には各種官荘、旗地などが展開しており、それらの土地に対する課税体系もそれぞれ大きく異なっていた。しかし、報告書によると、1921年頃までにはこれらの土地の整理が進み、そのほとんどが民有地として再編され、統一された税体系のもとに置かれていた。また、張作霖・張学良政権時代の土地に対する課税の体系は、基本的に、そのまま満洲国にも引き継がれていた。したがって、満洲国時代の農村における公租公課の実態を探ることは、張作霖・張学良政権期における同様な問題を明らかにするという意味を持つ。

『 農村実態調査報告書 』によって西暦1935年2月4日から36年1月2日までの間に農民らが納めた税( 公租公課 )額を項目ごとにまとめると次のことにきづく。ゆなわち、県レベル以上の税体系はほぼ統一されていたが、村レベルで納められる公租公課の項目、その額は各屯で大きく異なっていた。それらは「 村費 」「 屯費 」「 保甲費 」「 農会費 」「 学校建設費 」「 道路修繕費 」「 看青費 」「 自衛団費 」「 門牌費 」「 戸口費 」「 国旗費 」などと多岐にわったっていた。そうした村レベルでの公租公課の負担は農民にとって相当に重いものであったと考えられる。 が示すように、例えば、新民県の村では、公租公課全体のなかで「 村費等 」が占める割合は8割を越えていた。その値が3割以下の村は、僅かに南県、樺川県、盤山県、寧城県の4つの村にすぎなかった。当時の農民にとって、公租公課の問題とは、実はこうした「 村費等 」の負担にあったのである。また、公租公課の負担のなかには、金納ではなく、賦役という労働供出、あるいは、穀物などの実物徴収による形をとるものが少なくなかった。例えば、楡樹県の村では、わずか34戸の屯で、年間で528人労働日の供出が行われていた。このように、一般の政書の類からは明らかにできない、村レベルで徴収されていた税負担の実態が、『 農村実態調査報告書 』には具体的に記されている。この事例が示すように、『 農村実態調査報告書 』は当時の中国の農家経済の解明にとって極めて貴重な情報源となる。

上に記したように、農民の公租公課の負担問題をさらに掘り下げて検討していくためには、各農家の「 現金収支表 」「 農産物売却表 」などにも考察の対象を拡げ、各集計表の内容を連関させてとらえていく作業が必要になろう。そのことは、1930年代のこの地域の農家経済の数量的把握を目指すうえで、貴重な手掛かりを提供すると考える。また、今回の報告のなかで、部会参加者から指摘された問題、つまり、生産の側面にも考察の視野を拡げていくことが筆者の今後の課題となってくる。

 

(えなつ・よしき 一橋大学経済学部)