ロシア極東の国民所得推計の方法論的諸問題

久 保 庭 真 彰


汎アジア圏の経済統計データベース編成事業は、ロシア・中央アジア地域に関する国民所得推計を包括する形で進められている。ロシア担当者の重点課題の1つは、ロシア極東地域の長期国民所得統計の推計である。かつてのロシア共和国、そして現在のロシア連邦は、11の(大)経済地域に区分されている。極東(Far East)は言葉通りまさにその最東端に位置している。首都モスクワから遠く離れたこの地は、ダイヤや金をはじめとする資源の宝庫であるが、同時にそれゆえに人間が住み難い地域でもある.極東の面積は11大地域中最大で、ロシア全土の30%以上をカバーしている。ロシアの面積は日本の45倍だから、極東の面積は日本の18倍ということになる。一方、極東地域の現在の人口はロシア全人口の5%強の800万人程度にすぎない。極端な広さと極端な住み難さを併有するロシア極東の国民所得系列の推計、これが私に課された主なテーマの1つである。

19世紀のロシアや特に今世紀の旧ソ連については多くの研究成果があるが、20世紀のロシアやロシア各地域や旧ソ連各共和国についての数量経済史研究ならびに現代的統計研究は、ソ連崩壊後の今日に至ってようやくその重要性が認識されるようになったものである。今回のCOEプロジェクトでのロシア・中央アジア研究は、前人未踏の領域に属するから、それ相応の開拓者的精神をもって臨まざるをえない気の遠くなるようなシンドイ作業となろう(筆者はまだ研究の入り口付近をのろくさにうろついている状況であるが、それでもシンドサの一端は感知される)。また、ソ連崩壊後にこれまで秘匿されていた統計情報の一部にアクセスできるようになったため、新たな統計環境を活用して旧ソ連全体に関する研究もやりなおされねばならない。同時に、市場経済への移行プロセスにおいて旧ソ連各国ならびに極東をはじめとするロシア各地域の現実経済ならびに統計システムの変化は著しく、各国・各地域の統計作成機関の当事者はいうに及ばず、外国人研究者も統計系列のフォローアップ作業は煩雑をきわめている(研究者だけでなく、IMFはロシア・中央アジア の財政・金融統計に頭を悩ましているし、世銀はGDP統計や産業統計の整備に頭を痛めている)。面倒が増えたといって消極的に嘆くのではなく、従来の全体主義的体制が崩れ、統計についての秘密主義の頑固な壁が除去された結果、各国・各地域統計機関との共同研究が現実のものとなったこと、そして無駄な推計作業を行うことから解放されたこと、さらに市場経済化に対応して各国・各地域で伝統的なMPS(物的生産物方式)からSNA(国民経済計算)への転換作業が進められているため、われわれのSNAベース国民所得推計がやりやすい環境が生まれていることを積極的に喜び、変化した環境を有効に活用していくべきであろう。

さて、今回のロシア極東地域の国民所得推計研究はいまのところ以下のようにオーガナイズされている。

ステップ1a

ロシア極東の国民所得統計原データの収集。ロシア国家統計委員会がこれまで作成した国民所得統計の収集。これまで断片的にしか極東地域国民所得統計は公表されたことがないので、これは内部資料の有無の探索と、もし有ればその収集・閲覧の実行ということになる。極東全体だけでなく、極東における各地域(連邦構成主体)についても同時に行う。

ステップ1b

原データの解析。極東地域の国民所得統計作成の作成原則について作成当事者から説明を受けると同時に、その人に研究協力者になってもらう。ユーザーであるロシア人研究者や外国人・日本人研究者のほとんどは驚くほど統計に関する知識がないことをこれまでの経験で痛感しており、また既存の大家の研究も新たな統計環境のもとで色あせていると感じていることから、コンパイラー自身とのこのような共同研究体制が今回のプロジェクトを推進するには不可欠だと判断した。

ステップ2a

名目/MPSベース国民所得時系列の推計(1950年〜1995年)。可能な限り、タイムシリーズとして構成してみる。この場合、推計のコントロール・ト−タル(CT)として機能するのは、別途推計されるロシア全体の国民所得統計である。また推計方法もロシア全体の場合と極東の場合は共通原則に立脚すべきである。極東全体の国民所得は極東各地域の国民所得推計のCTを与える。推計の難関は、(1)旧ソ連邦やロシア連邦直轄の極東地域企業に関する処理、(2)事業所所属地域とは別に,実際の所得形成・利用の観点から運輸部門の活動を極東ならびに極東各地域に配分すること(広大な地域と小人口は、1人当たり資本ストックは11地域中最大、面積当たり資本ストックは最小ということになるので、この問題は重要)、(3)集団的消費・公共投資の配分の問題、(4)地域間移出入と輸出入の処理(これも資源の移出・輸出があるので極東の場合は特に重要)である。われわれは資本ストック統計と雇用統計も活用して推計を実施する予定である。

ステップ2b

名目/GDP時系列の推計(1950年〜1995年)。金融、公務、教育・医療サービス、旅客輸送・個人通信サービス(「非物的サービス部門」)の付加価値ならびに物的・非物的部門減価償却さらに貿易収入をMPS国民所得に加え、その後に非物的部門の中間投入を控除するとGDPが算出される。さらにこれに対応して最終利用の調整を実施するとGDEが出てくる。この段階では産業連関表によるチェックが重要な機能を果たす。いずれの段階も仮設的結果しか算出できないが、それでもこの段階はかなりきつい作業になる。

ステップ3

実質/GDP時系列の推計(1950年〜1995年)。ここでは、鉱工業生産、農業生産、建設活動、サービス活動についての実物データ・雇用データから実質成長率を算定し、基準年の名目ベースGDPにそれを乗じて実質値系列のCTを算定する手法を採用する。この方式はロシア国家統計委員会が1992年〜1994年の成長率改訂に当たって実際に採用したものでもある。また、ガブリレンコフ氏の提唱する別方式でも推計を試みる予定である。

ステップ4

時間的に遡及して名目値系列と実質値系列の推計。

名目値については5〜10年間隔でデータを組み立てていく方針を取らざるをえない。実質値系列は、必要なデータが揃えば、名目データよりある意味では推計が容易である。問題は所用の実物データの収集である。

現在は上記のステップ1aとステップ2bを一応クリアーした段階にある。

旧ソ連時代のロシア共和国国家統計委員会と、それを受け継いだ現在のロシア連邦国家統計委員会は、地域別の国民所得を何回か作成したことがある。ロシア国家統計委員会の担当当事者から直接ヒアリングしたところ、現存する極東地域の国民所得データは以下の4種類に限られる。

以上はすべて公開されることなく今日に至っているが、(データA)と(データC)については入手済みであり、これらについては公開しても基本的に問題はないので、順次全面的に日本語と英語で公表していく予定である。また、(データD)はまったくの試作品で大幅改訂を要するということで公開されていないものである。現在、ロシア国家統計委員会は1994年と1995年の地域別GDP/GDE統計の作成に着手している最中である。

ステップ2bについては、ロシア国家統計委員会の国民経済計算局ならびに産業連関表局との主要メンバーと専門的かつインテンシブな第1回ワークショップを昨年12月に持つことによってかなりの前進をみた。そして、これによりようやく次のステップに入れる展望が持てるようになった。その成果は今後逐次発表していく予定である。

(データA)と(データB)は、旧ソ連時代に作成された極東地域産業連関表の一部だという点に注目しておきたい。旧ソ連最後の1987年産業連関表システムは以下のような1つの全国表、15の共和国表、11のロシア内地域表から成立していた。

全国表(内生111部門)    共和国表(内生111部門)

    地域産業連関表(内生18部門)

極東地域表は、ロシア表を前提にしており、ロシア表はソ連表を前提にしている。極東のウラジオストックにロシア国家統計委の極東支部があるが、極東表は極東支部単独で作成することはできない。というのは、旧ソ連時代はソ連邦直轄企業・セクターの情報は極東支部の管轄外であったし、現在はロシア連邦・連邦直轄部分が極東支部の管轄外にあるからである。また、インフラの配分や移出入・輸出入も極東単独ではできない。これは、国民所得推計の場合もまったく同じである.

最後に、ロシア極東1987年産業連関表の全容(表1)1)と、1989〜1992年国民所得統計(NMP=Net Material Product)の一端(表2)を参考資料として掲げておくことにする。

注 1)表1のロシア極東産業連関表はMPSベースということの他、いくつかの特徴を持っている。

(1) 評価価格は購入者価格である。日本の購入者価格表示産業連関表の場合と異なり、各部門の産出額には運輸・商業マージンが重複して算入されている。農産物価格は国家買付価格であり、農産物価格差補給金は食品部門への補助金として計上されている。

(2) 軍事支出(軍事物資購入額)が最終需要象限において在庫純増と合体して「在庫純増・その他支出」として表示されている。これは旧ソ連・ロシアのMPS方式国民所得統計に共通する特徴である。

(3) 社会消費には、住民サービス用機関維持ならびに科学・行政機関維持のための物財投入が含まれている。これらはSNA産業連関表では最終需要ではなく、中間投入として処理される。社会消費の一部は軍事関係支出である。

(4) 最終需要象限の下にも、建物・住宅等の減価償却行が設定されている。極東の支出国民所得(NMP utilized)の消費・蓄積は、表の20行+21行によって与えられる。

(5) 建設部門行の中間財需要要素はすべてゼロである。建設部門は、定義上、投資財のみを供給することになっている。

(6) 産業連関表の下に部門別の固定資本ストック(年平均帳簿価値)と就業者(年平均在籍者数)とに関するデータが付設されている。

以上はいずれもロシア・旧ソ連MPS産業連関表一般に共通した特徴である[以上のうち、現在のロシアのSNAでも残存しているのは、(1)と(5)である]。体制転換前のロシア共和国表と旧ソ連全国表にはみられない地域表の特徴は以下の2つである。1つは「粗付加価値」行の設定である。この「粗付加価値」は、CIAがGMP(Gross Material Product)と呼んできたもの、すなわち物的純生産(NMP)プラス物的分野減価償却に等しい。GDPとGMPの関係は次のとおりである.

GDP=GMP+非物的サービス部門粗付加価値−非物的サービス部門物的投入+貿易収入

いま1つの地域表の特徴は、全国表、共和国表が共に総供給ベースであるのに対して、日本の場合と同様、輸移入が最終需要象限の控除(マイナス)列部門として設置されており、国産(域内生産)ベースの競争輸入型産業連関表として表章されていることである。